祖国に棄てられた少年は賢者に愛される

結衣可

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第5話 捕縛

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 結界の家に戻ったヴァルターは、異様な気配に眉をひそめた。
 結界の一部が、かすかに揺らいでいる。
 嫌な胸騒ぎが走る。

「……まさか」

 すぐに駆け出すが――遅かった。

 結界の外には、泥に残る複数の足跡。
 そして、落ちたままの薬草の葉。

 ヴァルターの瞳が揺らぎ、燃えるような怒りに染まった。

「ユリアン……!」

 声は掠れ、荒々しく森に響いた。
 握った拳から血が滲む。

(言ったはずだ……外に出るなと……!)

 胸を貫く焦燥と怒り。
 すでに彼の気配は遠い。族に囲まれ、王都へ護送され始めているのだ。

***

 車輪の軋む音が、夜の森に響いていた。
 ユリアンは鎖で縛られ、馬車の荷台に押し込まれていた。
 粗末な布で口を塞がれ、腕に食い込む鎖が冷たく重い。

 荷台は狭く、身動きが取れない。
 外からは卑下た笑い声が聞こえ、時折、わざと鞭で馬車を叩く音が混じる。

「貴族様も落ちぶれたもんだな」
「王都に着けば、処刑台に立つだけだ。せいぜい震えてろ」

 吐き捨てられる言葉が耳を突き刺す。
 反論したくても、口を塞がれて声にならない。
 唇が血で滲み、視界が涙で揺らぐ。

(……そうだ。僕は……ただのお荷物だった)

 胸の奥で言葉が反響する。
 兄たちは守ってくれなかった。父は目を逸らし、母は病の床で声を上げられなかった。
 王都での居場所はなく、森に逃げても……結局はヴァルターに迷惑をかけただけ。

 彼の言いつけを破り、外へ出たせいで――。

(僕のせいで、あの人まで危険に晒してしまった……)

 悔しさと自責の念が、胸を焼き尽くす。
 全身が震え、呼吸が浅くなる。

 馬車は森を抜け、広い街道に出た。
 夜空に月が浮かび、銀の光が鎖を照らす。

 ユリアンは伏せた顔をそっと上げ、空を見た。
 涙で滲んだ視界の先に、淡い光が揺れている。

(……それでも、僕は……またあの人に会いたい)

 弱々しい想いが胸に浮かぶ。
 生きる価値なんてない。役立たずだとわかっている。
 それでも――あの人の傍で、もう一度……。

(ヴァルター……どうか、どうか……)

 声にならない祈りが、夜空に溶けていく。

***

 結界の縁に立つヴァルターの瞳は、赤黒く燃えていた。
 ユリアンの気配はすでに遠く――捕らえられ、王都へと護送されている。
 遅かった。間に合わなかった。
 胸を焼くのは怒りと焦燥、そしてどうしようもない悔恨だった。

「……また、同じことを繰り返すところだった」

 喉の奥で低く呟く。
 脳裏に蘇るのは、かつて王都で仕えていた日々。
 仲間と呼んだ者に裏切られ、守るはずだった命を失った記憶。
 あの夜、自分は人間という存在を憎み、森へと逃げた。

 ――ユリアン……

 あの金色の髪と青い瞳の青年を見てから、すべてが揺らぎ始めた。
 人を信じることの愚かさを知っているはずなのに。
 守る価値などないと突き放すべきだったのに。

「……あれは渡さない」

 ヴァルターは外套を翻し、木々をかき分け、森を裂くように走る。
 光が大きく波紋を描き、周囲の空気が震える。


 街道沿い、族の一団が森を進んでいた。
 その中の一人が、ふと背筋を凍らせる。

「……おい、今……」

 言葉を最後まで紡ぐ暇もなく、地面が爆ぜた。
 炎の柱が突き上がり、複数の兵を一瞬で焼き尽くす。

「な、なに――ぎゃあっ!」

 悲鳴が闇に散った。
 残る者たちは慌てて剣を抜くが、既に遅い。

 黒い影が一歩踏み出す。
 切れ長の瞳が冷たく光り、その視線に射抜かれただけで息を呑む。

「森を荒らす愚か者ども……」

 ヴァルターの声は静かだった。
 氷刃が無数に生まれ、敵を貫いた。
 抵抗の声すら、夜風にかき消されて消える。

 残骸だけが残った街道を、ヴァルターは一人歩き出す。
 足跡は王都へと続いている。

 その胸の奥には、もはや迷いはなかった。

(……間に合ってくれ)

 冷たい風に外套が揺れる。
 その瞳には、炎のような決意が宿っていた。

「必ず取り返す……」

 その呟きは夜空に溶け、星々が静かに瞬いていた。
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