祖国に棄てられた少年は賢者に愛される

結衣可

文字の大きさ
8 / 10

第8話 初めてのキス

しおりを挟む
 春の森に、やわらかな風が吹いていた。
 ユリアンは家の前にある小さな畑に向かってしゃがみ込み、土に手を伸ばしていた。

「……芽が出ました! 見てください、ヴァルター!」

 振り返ると、扉のところにヴァルターが立っていた。
 無表情のまま腕を組んでいるが、その瞳がわずかに和らいでいるのをユリアンは見逃さなかった。

「……ふむ。悪くない」

「ふふっ。素直に『よくやった』って言ってくれてもいいのに」

 頬を膨らませて笑うユリアンに、ヴァルターはわずかに肩をすくめた。

「調子に乗るだろう」

 その声色は冷たくなく、どこか照れ隠しのようでもあった。

 夕暮れ、家の中で二人は並んで食卓に座っていた。
 ユリアンが拙いながらも作ったスープを口にすると、ヴァルターはしばし無言で匙を置いた。

「……どうですか?」

 不安げに尋ねるユリアンに、ヴァルターは短く答える。

「……悪くない」

 その言葉にユリアンの瞳が輝く。
 嬉しさを隠せず、思わず身を乗り出す。

「やった……! 次は、もっと美味しく作りますから!」

 ヴァルターはそんな彼を見て、小さく息を吐いた。
 それは呆れにも似ていたが、同時に確かな安堵が混じっていた。


 暖炉の前で本を開いていたヴァルターの隣に、ユリアンが毛布を抱えて座り込んだ。

「……眠れないのか」

「はい。でも、こうして隣にいると安心します」

 素直な言葉に、ヴァルターの胸が熱くなる。
 不器用に片腕を伸ばし、彼を抱き寄せた。

「……もう大丈夫だ。安心して眠れ」

 ユリアンは頬を赤らめながらも目を閉じ、安らかな寝息を立て始めた。
 ヴァルターはその重みを感じながら、静かに瞳を細める。

(……いつまでもこの安寧が続くようにしなければ――)

 夜の森は穏やかに眠り、家の中では暖かな灯が揺れていた。

***

 ある日の夜、森の小屋はいつも以上に静かだった。
 暖炉の火が穏やかに揺れ、室内をやわらかく照らしている。

 ユリアンは寝室の戸口で足を止めた。
 そこには椅子に腰かけたまま、本を手に眠ってしまったヴァルターの姿があった。

「……寝てる」

 珍しい光景に、思わず胸が高鳴る。
 普段は誰よりも鋭く、決して隙を見せない彼が、今は静かに目を閉じている。
 長い黒髪が肩にかかり、端正な横顔は炎に照らされて柔らかく見えた。

 ユリアンは小さく息を呑み、そっと近づいた。
 椅子の横にしゃがみこみ、彼の寝顔を見つめる。

(……こうして見ると、本当に綺麗な人だな……)

 胸が熱くなる。
 衝動のように、どうしても確かめたくなった。

「……少しだけなら」

 呟き、そっと顔を近づける。
 唇が触れそうになった、その瞬間――

「……何をしている」

 低い声が闇を裂いた。
 強い腕に抱き込まれ、ユリアンは驚いて声を詰まらせる。

「わっ……! お、起きてたんですか!?」

 胸に押し付けられた鼓動が早鐘のように響く。
 耳まで真っ赤になりながら、ユリアンは小さな声で告げた。

「ご、ごめんなさい……。ただ……あなたと……キスをしてみたかったんです」

 沈黙が落ちる。
 ヴァルターの息遣いが近くで熱を帯びていた。

 やがて、彼は低く囁く。

「……起きている時に言え」

 その声音は冷たく装っていたが、抱きしめる腕の力は決して離そうとしなかった。
 ユリアンの胸に甘い痛みが広がり、瞳が潤む。
 彼は小さく笑いながら、その胸に顔を埋めた。

「……じゃあ、今度は起きてる時に言います」

 ヴァルターは返事をせず、ただその金色の髪を指で梳いた。
 暖炉の火が静かに燃え、森の夜は優しい沈黙に包まれていった。

***

 翌日、ユリアンは一晩中胸が熱くて眠れず、朝になっても頬が赤いままだった。

(……昨日は、寝ていると思ったのに……。どうしよう、ドキドキが止まんないよ)

 思い出すだけで心臓が痛いほど打つ。
 「今度は起きている時に言う」と約束してしまった。
 その言葉が頭の中でぐるぐると回り続けている。

 夕暮れ、暖炉の前、ヴァルターは椅子に腰掛け、本を閉じていた。
 その横顔をちらちらと見つめ、ユリアンは意を決して声を発した。

「……あ、あの、ヴァルター」

「なんだ」

 低い声に、喉が詰まる。
 それでも、勇気を振り絞って口にした。

「……キス、してください」

 顔を赤らめ、手をぎゅっと握り、上目遣いで”お願い”する姿にヴァルターの瞳が揺れ、やがて細められる。

「……お前は、本当に……」

 呆れたように言いながらも、その声はどこか甘く滲んでいた。
 椅子から立ち上がり、ユリアンの顎にそっと指を添える。

「……仕方のない奴だ」

 そう囁き、軽く唇を重ねた。
 触れるだけの優しい口づけ。ユリアンの心臓は破裂しそうになり、頬が真っ赤に染まる。

 しかしすぐに離れなかった。
 ヴァルターの手が後頭部を支え、口づけが少しずつ深くなっていく。
 温かな息が触れ合い、舌先がかすかに触れた瞬間――

「……っ!?」

 ユリアンの身体がびくりと震えた。
 初めての感覚に目を見開き、戸惑いで身を引こうとする。
 それを阻むように、ヴァルターの腕は強くユリアンの背を抱き寄せた。

「怖がるな。……こういうものだ」

 低く囁かれ、再び唇を塞がれる。
 深く絡む熱に、ユリアンはどうしていいかわからず、ただ必死に彼にしがみついた。

「……んんっ……はぁ……あ……」

 口づけが解かれる頃、ユリアンは荒く息を乱し、身体から力がすっかり抜けていた。
 うっとりとヴァルターを見上げ、ふわっと微笑む。

「……少しびっくりしました」

 瞳は潤み、頬は赤く染まっている。
 そんな姿に、ヴァルターの胸がぎゅっと締めつけられた。

「……お前は本当に可愛いよ」

 その言葉は思わず漏れた本音だった。
 ユリアンはさらに顔を赤くし、彼の胸に顔を埋めた。
 暖炉の火が静かに揺れ、森の夜は甘く溶けていった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

幽閉王子は最強皇子に包まれる

皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。 表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。

姉の男友達に恋をした僕(番外編更新)

turarin
BL
侯爵家嫡男のポールは姉のユリアが大好き。身体が弱くて小さかったポールは、文武両道で、美しくて優しい一つ年上の姉に、ずっと憧れている。 徐々に体も丈夫になり、少しずつ自分に自信を持てるようになった頃、姉が同級生を家に連れて来た。公爵家の次男マークである。 彼も姉同様、何でも出来て、その上性格までいい、美しい男だ。 一目彼を見た時からポールは彼に惹かれた。初恋だった。 ただマークの傍にいたくて、勉強も頑張り、生徒会に入った。一緒にいる時間が増える。マークもまんざらでもない様子で、ポールを構い倒す。ポールは嬉しくてしかたない。 その様子を苛立たし気に見ているのがポールと同級の親友アンドルー。学力でも剣でも実力が拮抗する2人は一緒に行動することが多い。 そんなある日、転入して来た男爵令嬢にアンドルーがしつこくつきまとわれる。その姿がポールの心に激しい怒りを巻き起こす。自分の心に沸き上がる激しい気持に驚くポール。 時が経ち、マークは遂にユリアにプロポーズをする。ユリアの答えは? ポールが気になって仕方ないアンドルー。実は、ユリアにもポールにも両方に気持が向いているマーク。初恋のマークと、いつも傍にいてくれるアンドルー。ポールが本当に幸せになるにはどちらを選ぶ? 読んでくださった方ありがとうございます😊 ♥もすごく嬉しいです。 不定期ですが番外編更新していきます!

番に見つからない街で、子供を育てている

はちも
BL
目を覚ますと、腕の中には赤ん坊がいた。 異世界の青年ロアンとして目覚めた「俺」は、希少な男性オメガであり、子を産んだ母親だった。 現世の記憶は失われているが、 この子を守らなければならない、という想いだけははっきりと残っている。 街の人々に助けられ、魔石への魔力注入で生計を立てながら、 ロアンと息子カイルは、番のいない街で慎ましく暮らしていく。 だが、行方不明の番を探す噂が、静かに近づいていた。 再会は望まない。 今はただ、この子との生活を守りたい。 これは、番から逃げたオメガが、 選び直すまでの物語。 *不定期連載です。

魔力ゼロのポーション屋手伝い

書鈴 夏(ショベルカー)
BL
15歳で測定する魔力の量によって、人生の大部分が左右されてしまう世界。 そんな世界で、運命の日を迎えたひとりの平凡な少年──リクは、抱いた淡い期待を大きく裏切られる。魔力が前代未聞のゼロと言い渡されたのだ。 深い絶望とともに頭を抱えていたとき、森でポーション屋を営んでいるというくたびれた男が声をかける。路頭に迷っていたリクは、店で手伝いをしてはどうかという彼の誘いを受けることにする。 捨てかけた夢を拾ってもらった少年と、拾った男。ふたりが絆を深めていく、ポーション屋でのお話です。 一人称おじさんくたびれ男性×魔力ゼロ以外平凡青年のBLです。 カクヨムにも載せています。(完結済み)

復讐の鎖に繋がれた魔王は、光に囚われる。

篠雨
BL
予言の魔王として闇に閉ざされた屋敷に隔離されていたノアール。孤独な日々の中、彼は唯一の光であった少年セレを、手元に鎖で繋ぎ留めていた。 3年後、鎖を解かれ王城に連れ去られたセレは、光の勇者としてノアールの前に戻ってきた。それは、ノアールの罪を裁く、滅却の剣。 ノアールが死を受け入れる中、勇者セレが選んだのは、王城の命令に背き、彼を殺さずに再び鎖で繋ぎ直すという、最も歪んだ復讐だった。 「お前は俺の獲物だ。誰にも殺させないし、絶対に離してなんかやらない」 孤独と憎悪に囚われた勇者は、魔王を「復讐の道具」として秘密裏に支配下に置く。しかし、制御不能な力を持つ勇者を恐れた王城は、ついに二人を排除するための罠を仕掛ける。 歪んだ愛憎と贖罪が絡み合う、光と闇の立場が逆転した物語――彼らの運命は、どこへ向かうのか。

昔貴方の為に世界を滅ぼした。

黄金 
BL
   世界を滅ぼすほどの魔法師だった僕。 裏切られたけど、愛しているんです。生まれ変わっても愛してるんです。 ※なんとなく思いついて書いたので、よろしかったら……。

魔王さまのヒミツ♡

黒木  鳴
BL
歴代最年少で魔王の地位に就いたレイには隠し通さなければならない秘密がある。それは……「魔王もうやだぁぁぁ~~!!下剋上こわいよぉぉぉーーー!!!」その実態が泣き虫ポンコツ魔王だということ。バレれば即・下剋上を挑まれることは必至!なので先々代の魔王を父に持ち、悪魔公爵ジェラルドが膝を折ったという2枚看板を武器にクールな魔王を演じている。だけどその実力を疑う者たちも出てきて……?!果たしてレイの運命は……?!溺愛腹黒系悪魔×初心な小悪魔系吸血鬼。お茶目なパパんも大活躍!!

王太子殿下に触れた夜、月影のように想いは沈む

木風
BL
王太子殿下と共に過ごした、学園の日々。 その笑顔が眩しくて、遠くて、手を伸ばせば届くようで届かなかった。 燃えるような恋ではない。ただ、触れずに見つめ続けた冬の夜。 眠りに沈む殿下の唇が、誰かの名を呼ぶ。 それが妹の名だと知っても、離れられなかった。 「殿下が幸せなら、それでいい」 そう言い聞かせながらも、胸の奥で何かが静かに壊れていく。 赦されぬ恋を抱いたまま、彼は月影のように想いを沈めた。 ※本作は「小説家になろう」「アルファポリス」にて同時掲載しております。 表紙イラストは、雪乃さんに描いていただきました。 ※イラストは描き下ろし作品です。無断転載・無断使用・AI学習等は一切禁止しております。 ©︎月影 / 木風 雪乃

処理中です...