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第2話 地下牢の夜
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放り込まれた石造りの地下牢は、湿った空気と血の匂いに満ちていた。
鎖につながれたまま、エリアスは冷たい床に背を預ける。
戦場で受けた傷はまだ生々しく、動けば痛みが走った。それでも呻き声ひとつあげる気はない。
――ここで朽ち果てるとしても、心までは屈しない。
そう己に言い聞かせ、瞼を閉じかけたそのとき。
鉄格子の軋む音が、静寂を破った。
見張りは配置されていないはずだった。兵の足音も聞こえない。
ゆっくりと扉が開き、黒衣の影が差し込む。
「……!」
反射的に身を起こすと、そこに立っていたのは――玉座で見た男。
黄金の瞳が、薄闇の中でも獰猛に光っていた。
「皇帝……」
思わず声が洩れる。
なぜ、帝自らが牢に? 理解を超えた現実に、エリアスの心臓は不本意にも早鐘を打った。
オルフェンは何も言わず、ただ片手を差し伸べる。
低く響く呟きとともに、掌に青白い光が宿った。
魔術――。
その光は鎖を断つためのものではなく、エリアスの裂けた肌に触れ、じわりと温もりを流し込む。
「っ……!」
焼けつく痛みが、不思議な心地よさに変わっていく。
憎むべき敵の魔力に、癒されるなど――。
羞恥と困惑が入り混じり、エリアスは必死に声を荒げる。
「……何のつもりだ!」
しかし、返答はなかった。
ただ黙して癒し続ける皇帝の姿。金の瞳は冷徹に見えながらも、どこか底知れぬ静けさを湛えている。
やがて治療を終えると、オルフェンは何事もなかったかのように立ち上がり、牢を後にした。
足音が遠ざかり、再び静寂が訪れる。
残されたエリアスは、肩で荒い息をつきながら、自らの鼓動を押さえつけるように胸を握った。
敵国の皇帝に救われる――その事実が、誇りを苛み、理性を揺るがす。
それは、一夜の出来事で終わるはずだった。
翌夜も、そのまた翌夜も、鉄格子の軋む音と共に皇帝は現れた。
鎖に繋がれた騎士の前に、敵国の支配者が黙然と立つ。
言葉はなく、ただ傷を探し、青白い魔力を流し込む。
焼けた皮膚も裂けた筋肉も、すぐに癒やされていく。
――なぜ、俺を生かす?
問いは胸に渦巻くが、声に出しても返事は返ってこない。
ただ黄金の瞳が、氷のように冷たく、そして不可解な光を帯びて見下ろすばかりだった。
最初は屈辱だった。
抗うこともできず傷は塞がり、痛みが和らいでいく。
敵の魔力に頼るなど、騎士の誇りが許さなかった。
しかし黙々と繰り返される癒しに傷が減り、眠れぬ夜にわずかな安らぎが訪れるようになった。
***
それが何夜か過ぎた頃、牢の鉄扉が静かに開く音で、エリアスは目を覚ました。
騎士の足音はしない。聞こえるのは、ただ一人の重く静かな足取り。
「……皇帝」
囁くように呟いた名に、低い声が返る。
「眠っていたか」
燭台すら持たず、闇の中で金の瞳だけが怪しく光っている。
「……なぜ、また……」
皇帝がわざわざ従者を連れずに、ただ捕虜に会いに来るなど――常識では考えられない。
オルフェンは鎖に繋がれたエリアスの前に立ち、腰を屈める。
頬に、首筋に、ためらいなく指先が触れた。
まるで己のものを確かめるように。
「……っ!」
思わず身をよじるが、逃げ場はない。
指先は髪をすくい、顎を持ち上げさせ、金の瞳と視線を絡ませる。
「怯えるな」
「……当然だ。皇帝に……こんな真似をされて、怯えるなという方が無理だ」
「……そうか」
オルフェンはふっと笑みを浮かべ、膝を折った。
その行為にエリアスは息を呑む。
帝国の皇帝が、捕虜の前で膝を屈めるなど――あり得ない。
「……何を」
「まだ傷が癒えていない」
オルフェンの掌がかざされ、微かな蒼光が揺らめく。
暖かい魔力が流れ込み、腕の傷口がゆっくりと塞がっていった。
「っ……!」
思わず身を引くが、鎖が壁に打ち付けられて逃げられない。
皇帝の指先が頬に触れ、血の跡を拭った。
「これで痛みはないな?」
低く囁かれ、心臓が大きく跳ねた。
戦場では知り得なかった、優しさのようなもの――それは剣よりも鋭く、エリアスの心を切り裂いた。
「……なぜ、俺にそこまで」
「なぜだと思う?」
黄金の瞳に囚われ、言葉が出てこない。
経験のない甘さに怯えるように瞳を逸らすしかなかった。
オルフェンはその様子に満足そうに目を細め、囁く。
「お前は……随分と可愛いな」
黄金の瞳が、闇に沈む牢で一層強く光る。
エリアスは心臓が激しく脈打つのを止められなかった。
「皇帝が……何を」
否定の言葉は最後まで続かない。
黄金の瞳に捕らえられ、顎を持ち上げられ、呼吸が止まった。
次の瞬間、唇が重なった。
柔らかく、それでいて逃がさないように深く。
エリアスの全身が強張り、鎖が震えた。
初めての感触に、心臓は乱れ打ち、血が耳の奥で轟音のように響く。
「……っ……」
抗うはずの手は、鎖に阻まれて空を掴むばかり。
抗おうとする気持ちよりも、得体の知れない熱が体を支配していく。
唇が離れた瞬間――エリアスの頬を、一筋の涙が伝った。
「……あ」
本人さえ気付かぬうちに零れ落ちたその雫を、オルフェンの親指がそっと拭う。
黄金の瞳が、驚愕と熱に揺れた。
「……これは」
「……ちが……俺は……」
言葉を絞り出そうとするが、震える声がそれ以上を許さなかった。
オルフェンは一瞬だけ沈黙し、次に低く囁いた。
「――また来る……」
鎖につながれたまま、エリアスは冷たい床に背を預ける。
戦場で受けた傷はまだ生々しく、動けば痛みが走った。それでも呻き声ひとつあげる気はない。
――ここで朽ち果てるとしても、心までは屈しない。
そう己に言い聞かせ、瞼を閉じかけたそのとき。
鉄格子の軋む音が、静寂を破った。
見張りは配置されていないはずだった。兵の足音も聞こえない。
ゆっくりと扉が開き、黒衣の影が差し込む。
「……!」
反射的に身を起こすと、そこに立っていたのは――玉座で見た男。
黄金の瞳が、薄闇の中でも獰猛に光っていた。
「皇帝……」
思わず声が洩れる。
なぜ、帝自らが牢に? 理解を超えた現実に、エリアスの心臓は不本意にも早鐘を打った。
オルフェンは何も言わず、ただ片手を差し伸べる。
低く響く呟きとともに、掌に青白い光が宿った。
魔術――。
その光は鎖を断つためのものではなく、エリアスの裂けた肌に触れ、じわりと温もりを流し込む。
「っ……!」
焼けつく痛みが、不思議な心地よさに変わっていく。
憎むべき敵の魔力に、癒されるなど――。
羞恥と困惑が入り混じり、エリアスは必死に声を荒げる。
「……何のつもりだ!」
しかし、返答はなかった。
ただ黙して癒し続ける皇帝の姿。金の瞳は冷徹に見えながらも、どこか底知れぬ静けさを湛えている。
やがて治療を終えると、オルフェンは何事もなかったかのように立ち上がり、牢を後にした。
足音が遠ざかり、再び静寂が訪れる。
残されたエリアスは、肩で荒い息をつきながら、自らの鼓動を押さえつけるように胸を握った。
敵国の皇帝に救われる――その事実が、誇りを苛み、理性を揺るがす。
それは、一夜の出来事で終わるはずだった。
翌夜も、そのまた翌夜も、鉄格子の軋む音と共に皇帝は現れた。
鎖に繋がれた騎士の前に、敵国の支配者が黙然と立つ。
言葉はなく、ただ傷を探し、青白い魔力を流し込む。
焼けた皮膚も裂けた筋肉も、すぐに癒やされていく。
――なぜ、俺を生かす?
問いは胸に渦巻くが、声に出しても返事は返ってこない。
ただ黄金の瞳が、氷のように冷たく、そして不可解な光を帯びて見下ろすばかりだった。
最初は屈辱だった。
抗うこともできず傷は塞がり、痛みが和らいでいく。
敵の魔力に頼るなど、騎士の誇りが許さなかった。
しかし黙々と繰り返される癒しに傷が減り、眠れぬ夜にわずかな安らぎが訪れるようになった。
***
それが何夜か過ぎた頃、牢の鉄扉が静かに開く音で、エリアスは目を覚ました。
騎士の足音はしない。聞こえるのは、ただ一人の重く静かな足取り。
「……皇帝」
囁くように呟いた名に、低い声が返る。
「眠っていたか」
燭台すら持たず、闇の中で金の瞳だけが怪しく光っている。
「……なぜ、また……」
皇帝がわざわざ従者を連れずに、ただ捕虜に会いに来るなど――常識では考えられない。
オルフェンは鎖に繋がれたエリアスの前に立ち、腰を屈める。
頬に、首筋に、ためらいなく指先が触れた。
まるで己のものを確かめるように。
「……っ!」
思わず身をよじるが、逃げ場はない。
指先は髪をすくい、顎を持ち上げさせ、金の瞳と視線を絡ませる。
「怯えるな」
「……当然だ。皇帝に……こんな真似をされて、怯えるなという方が無理だ」
「……そうか」
オルフェンはふっと笑みを浮かべ、膝を折った。
その行為にエリアスは息を呑む。
帝国の皇帝が、捕虜の前で膝を屈めるなど――あり得ない。
「……何を」
「まだ傷が癒えていない」
オルフェンの掌がかざされ、微かな蒼光が揺らめく。
暖かい魔力が流れ込み、腕の傷口がゆっくりと塞がっていった。
「っ……!」
思わず身を引くが、鎖が壁に打ち付けられて逃げられない。
皇帝の指先が頬に触れ、血の跡を拭った。
「これで痛みはないな?」
低く囁かれ、心臓が大きく跳ねた。
戦場では知り得なかった、優しさのようなもの――それは剣よりも鋭く、エリアスの心を切り裂いた。
「……なぜ、俺にそこまで」
「なぜだと思う?」
黄金の瞳に囚われ、言葉が出てこない。
経験のない甘さに怯えるように瞳を逸らすしかなかった。
オルフェンはその様子に満足そうに目を細め、囁く。
「お前は……随分と可愛いな」
黄金の瞳が、闇に沈む牢で一層強く光る。
エリアスは心臓が激しく脈打つのを止められなかった。
「皇帝が……何を」
否定の言葉は最後まで続かない。
黄金の瞳に捕らえられ、顎を持ち上げられ、呼吸が止まった。
次の瞬間、唇が重なった。
柔らかく、それでいて逃がさないように深く。
エリアスの全身が強張り、鎖が震えた。
初めての感触に、心臓は乱れ打ち、血が耳の奥で轟音のように響く。
「……っ……」
抗うはずの手は、鎖に阻まれて空を掴むばかり。
抗おうとする気持ちよりも、得体の知れない熱が体を支配していく。
唇が離れた瞬間――エリアスの頬を、一筋の涙が伝った。
「……あ」
本人さえ気付かぬうちに零れ落ちたその雫を、オルフェンの親指がそっと拭う。
黄金の瞳が、驚愕と熱に揺れた。
「……これは」
「……ちが……俺は……」
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オルフェンは一瞬だけ沈黙し、次に低く囁いた。
「――また来る……」
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