鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可

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第5話 囚われの日常

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 皇帝オルフェンは、実際には片時も暇を持て余してはいなかった。
 戦の勝利の余韻に浸る間もなく、彼を待ち受けていたのは戦後処理の数々。
 領土の統治、新たに属州となった地の編入、敗戦国の王侯貴族の扱い――。
 いずれも軽んじれば帝国の威信を損ねかねない重大事ばかりだ。
 日中は群臣を集め、休む間もなく決裁を下し続ける日々。

 忙殺される合間に黄金の瞳に浮かぶのは、なぜか常に一人の若き騎士の姿だった。

 夜更け、ようやく私室へと戻ると――そこにはやはり、床に身を縮めて眠るエリアスがいた。
 寝台を拒み、ひたすら隅に背を預けるその姿は、かえって無防備に見えて仕方がなかった。

 オルフェンは無言で近づき、身を屈めて抱き上げる。
 冷たい床にさらされた体は軽く、戦場で見た剣士の勇ましさとは違う脆さを秘めていた。

 大きな寝台にそっと横たえる。
 毛布を掛け、その額にかかる髪を払いながら、一瞬だけ唇が緩む。

「……私のものだ」

 低い囁きを残し、オルフェンは椅子に腰を下ろす。
 眠る騎士をじっと見つめるその瞳には、所有と独占の光が宿っていた。

***

 目を覚ましたエリアスは、床で寝ていた自分が豪奢な寝台に眠っていたことに怯える。
 柔らかな寝具は体を包み、牢の硬い石床の感覚を忘れさせる。
 それが逆に、落ち着きを奪った。

「……」

 扉が開く気配に顔を上げると、黒衣の皇帝が姿を現した。
 黄金の瞳が、当然のようにエリアスを見つめる。

「目覚めたか。……顔色は悪くないな」

「……毎日、来るのか」

「”来る”のではない、ここへ”戻る”のだ」

 その言葉に胸がざわつく。
 捕虜としてではなく、まるで伴侶のように扱われている――その甘さが、誇りを蝕んでいく。

 オルフェンは食事の盆を持たせた従者を下がらせ、自ら手を伸ばす。
 銀の食器を取り、肉片を切り分け、差し出した。

「……何をしている」

「食え」

「自分で――」

「口を開けろ」

 命令とも優しさともつかぬ声音に、逆らえず口を開ける。
 口に運ばれた温かい食事が舌に広がり、思わず息が漏れた。
 牢で投げ与えられる粗末なパンしか知らなかった身には、あまりにも豊かすぎる。

「……どうだ」

「……っ……美味いに決まっているだろう」

 悔しさを滲ませて答えるが、オルフェンの口元はわずかに緩んだ。

「そうか……私のものを飢えさせるなど、あってはならぬからな」

 あまりに自然に囁かれたその言葉に、心臓が跳ねる。
 誇りを守ろうと必死に心を固めても、その甘さが容赦なくほころびを作る。

 豪奢な私室での新しい日常――それは牢よりもずっと残酷に、エリアスを縛りつけていくのだった。

***

 捕虜となり、ひと月過ぎても、エリアスは一歩たりとも皇帝の私室から出されることはなかった。
 豪奢な寝台、温かな食事――すべてが与えられ、傷一つ負うこともない。
 同時に、外の空気を吸うことも許されなかった。

「……まるで、牢と変わらないじゃないか」

 窓辺に立ちながら、エリアスは低く呟く。
 見えるのは帝都の壮麗な街並み。手を伸ばせば触れられるほど近くにあるのに、その自由は与えられない。

 背後から声が響いた。

「牢よりは、遥かに心地よいはずだ」

 振り返れば、オルフェンが立っていた。
 黒衣を纏い、黄金の瞳が真っ直ぐに射抜く。

「……心地よさなど、求めていない」

「ならば何を求める」

「……自由だ」

 即答すると、オルフェンはわずかに笑みを浮かべ、ゆっくりと歩み寄る。

「自由など与えれば、お前は私の手から離れるだろう」

「俺は……」

 反論しかけて、言葉が途切れる。
 誇りは「祖国へ帰るべきだ」と叫ぶ。
 心の奥では――ここで守られている安心を知ってしまっている。

 オルフェンの手が肩に触れる。
 その瞬間、全身が熱を帯びた。

「お前は外に出る必要はない。ここにいれば飢えることも傷つくこともない。
 この部屋が――お前の世界だ」

 見えない鎖が、心に絡みつく。
 牢よりも柔らかく、甘く、しかし確実に縛る枷。

「……俺は……囚われているのか……それとも……」

 呟きは答えを得られないまま、黄金の瞳に飲み込まれていった。
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