鳴成准教授は新しいアシスタントを採用しました。実は甘やかし尽くし攻めの御曹司でした。

卯藤ローレン

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一章

17. 閑話・両家身辺調査②

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「それでは、ご報告を始めさせていただきます」

 同じ頃。
 次の舞台は東京都世田谷区成城にある閑静な住宅街の一角。
 黒とグレーの天然御影石が重厚感あふれる豪邸には、アンティークレッドのチェスターフィールドソファに座る2つの人影があった。

「あぁ、よろしく」
「史くんももう立派な大人だし、本当はこんなことしなくても問題はないんでしょうけど……」
「私たちにとってはいつまでも可愛い息子だからね。昔のこともあるし、知っておくに越したことはないよ」
「そうね。TAが変わったことを教えてくれたのもつい先週だったし、少しぼんやりしてるところもあるものね」

 声の主は、鳴成秋史の父である昌彦と母の利沙。
 並んで座る二名の対面に立っているのは昌彦の秘書で、志加瀬という女性だ。
 黒髪を綺麗に巻いてハーフアップにしている。
 彼女は持っているタブレットを操作してこう続けた。

「秋史様の新しいTA兼秘書になられた方は、月落渉様と仰います」
「待ってほしい。今、月落と言ったかな?」
「はい」
「まさか、あの、月落かな?」
「はい、その、月落です」

 その名前を聞いただけで、昌彦は口元に手を当てて黙り込んだ。

「あなた、どうなさったの?まさかとんでもない悪党だったりするの?」
「利沙、逆だよ。TOGグループは知ってるかい?」
「ええ、もちろんですわ。日本で一番大きい企業グループでしょう?」
「月落家は、その巨大集団を創業した一族の名だよ」
「えええぇぇぇぇぇ?!なんですって?!」

 小鳥も微睡む穏やかな午後のリビングルームに、利沙の叫び声が大音量で木霊する。
 それに慣れている昌彦と志加瀬は、素早く耳を上に向けることで大切な鼓膜を守った。

「淑女らしからぬ声量を発揮してしまったわ、ごめんなさい」
「私たちは大丈夫。むしろ君の鼓膜が心配だよ」
「気をつけるわ。私の耳は2つしかないから」
「そうだね。志加瀬、続けて」
「月落渉様、TOGグループ総帥である衛様のご次男でいらっしゃいます。ご実家は渋谷区松濤、現在は品川で一人暮らし。9月27日生まれ、30歳、天秤座、血液型はA型。公立小学校を卒業後、私立中学に進学、高等学校卒業まで通われました。国立大学経済学部に入学、卒業後は外資系コンサル最大手のSaSコンサルティングに就職されています。入社僅か3年でシニアコンサルタントに抜擢、4年目にはマネージャーに昇格し将来を有望視されていましたが6年で退職。渡米後コロンビア大のビジネススクールでMBAを取得していらっしゃいます。今年の8月に帰国し、何の因果か秋史様のTA兼秘書の採用面接をお受けになり採用、今に至るという状況です」

 切れ味の鋭い滑舌で伝えられた青年の歴史年表に、昌彦は幾分遠い目をする。
 利沙は、ぱちぱちとまばたきを繰り返すだけだ。

「聞いてるだけでこちらの頭が痛くなるほどの経歴だな。たったの4年で外資最大手コンサルのマネージャーには普通なれないだろう」
「アメリカから帰国後、すぐにTOGグループに入らなかったのには何か理由があって?」
「ご本人は、迷子になったと仰っているようです」
「迷子……」
「迷子……?」

 夫婦は怪訝な顔をしながら見つめ合う。
 恵まれた環境で育って本人にも十分能力が備わっているのに、何が原因で道に迷うことがあるのか全く意味不明だ。
 そう、両者の頬にくっきりと書いてあるのが分かる。

「コンサルでは実力を発揮できたけれど、グループの中ではそれが活かせそうになくて尻込みしてるとかかな?」
「いいえ。ビジネススクールでも大変優秀であったとのことで、将来はお父様の後を継いで総帥になるだろうと見込まれていらっしゃいます」
「『経営に関して才の有り余る者だらけで、むしろ会社の数が足りない』と揶揄されるあの一族の中でも抜きんでている、と言うことか」
「はい。また、TOGグループは『従業員とその家族を永続的に守るための柔軟な経営』という企業理念を掲げているため、同族性を維持しつつも実力のある社員を積極的に要職に就かせることも多いそうで……」
「渉氏はその入り混じった中でも一際輝く、と?」
「はい」

 昌彦は大きく息を吐き出して、ブルーローズの描かれたカップとソーサーを持ち上げた。
 濃いめに淹れられたミルクティーを一口飲む。

「秋史はまったく、どういう引きの強さなんだ……」
「きっとあの子はそういうのひとつも気にしてないでしょうね。母親の勘だけれど」
「そのようです。初めから月落という名字にはピンとも来ていらっしゃらなかったようですし、TOGグループの一員と知っても必要以上は調べないと仰ったそうです」
「あなた、大変。私たちが月落さんのことを調べたなんて知ったら、史くんに絶交されてしまう気がするわ」
「今日のことは絶対に内緒にしなければね。それで、彼の人柄はどうだ」

 昌彦はこめかみを親指で揉みながら問う。
 念のためと思い息子の新しい仕事仲間の素性を探ってみたが、予想以上の、というより予想さえ出来なかった人物が釣れてしまって違う方向の憂いが生じる。
 杞憂に終わればいいが、さすがにTOGグループは事が大きすぎる。
 心配の種が増えてしまったというのが昌彦の率直な感想だ。

「清々しく誠実、質実剛健でありながら時に大胆。生まれながらに多くを持っているため基本的に無慾恬淡のようですが、自ら欲したものは必ず手に入れるという一面もあるようです。学生時代から大変おモテになられて、月落渉様を慕っていらっしゃる方は男女問わず溢れんばかりにいたそうですが、浮ついた噂は立たなかったようです。ご友人のラインナップには、錚々たる面子が並びます」
「信頼できそうな方ね」
「ちなみに、幼馴染には『はこゑ』の六代目がいらっしゃると」
「まあぁぁぁぁぁ!ハイブリッド和菓子を考案して、日本にネオ和菓子ブームを巻き起こしたあの若様ね!先日発売になった和風チーズケーキは人気すぎて予約必須、けれどその予約さえも困難なのよ!食べてみたいわ!」
「利沙、熱量が大いにあるのは分かったから少しボリュームを落としなさい」

 見れば、昌彦と志加瀬が耳に手を当てている。
 顔を上に向けるだけでは躱せない音量だったようだ。

「あらやだ、ごめんなさい。鼓膜は無事でいらして?」
「大丈夫だ。そのお菓子はそんなに人気なのかい?」
「ええ、サロンの常連様の間でもその話題で持ちきりなの。カステラ生地の間に挟んである琥珀糖のパリッとした歯触りが新食感でやみつきになる、とお召し上がりになった方が仰っていてね。私も週に一度の予約受付の日には頑張って戦っているんですけれど、すぐ売り切れてしまうのよね」
「秋史に頼んで手に入れて貰おうか?」
「史くんを煩わせるのは絶対にいや」
「そうか。今度駄目そうだったら、私も予約を手伝うからね」
「ええ、ありがとう」

 しゅん……という効果音が極めて似合う様子で肩を落とした利沙を、昌彦がふわりと抱き締める。
 特大恋愛結婚と周囲から呼ばれた二人には長い月日など関係なく、今でも目下恋愛中のような『恋人夫婦』だ。
 鳴成家に足を踏み入れるたびにこういった光景に何度も遭遇した志加瀬でさえ、カーテンのドレープを数えて気を紛らわせていないと卒倒しそうな甘さである。

「話の腰を折ってごめんなさいね、志加瀬。それで、月落さん自身についてまだ情報はあって?」
「健啖家、4カ国語話者、コロンビア大で作った驚くべき人脈など余談は沢山ありますが、本筋は以上です。TOGグループについてのご報告もお聞きになられますか?」
「あのグループはその規模に反して財務諸表がクリーンなことで有名だから、懸念は何もないんだが……ご家族については軽く聞いておこうか」

 承知いたしました、という声と共に志加瀬はタブレットのページを遷移した。

「父の衛様は商社CEO兼TOGグループ総帥、母の梢様は婦人会の会長並びに財団法人の理事長を務めていらっしゃいます。兄のさとる様は物流部門の課長、弟のかける様は海運部門の主任、妹のほたる様は看護師をしていらっしゃいます」
「全くの異世界に身を置く方もいらっしゃるのね」
「月落家は多産の家系で、ご存命の親族を上から下まで全て数えるとざっと40名超となります。グループに入ることは強制されないようで、別業種で働く方も数名おられます」

 そう言いながら志加瀬が見せた画面には、文字が小さすぎて読めない家系図が表示されている。
 それだけ木の枝の数が多い。

「40名は大所帯ね。親族お集りの際はとても賑やかでしょうね」
「我が家は比較的ミニマムだから想像もつかないね。兄君と弟君の年齢は?」
「34歳と28歳です」
「一般と比べると昇進は少し早めだけれど、一族だからという特別待遇はなさそうだね」
「はい、そう言った忖度は一切ありません。月落家では性別関係なく幼少期から一通りの帝王学を学ばせるようです。後継者としての育成は十分されているようですが、会社という枠組みの中では底辺からのスタートを是とするようです」
「色々と噂は回ってくるが、本当に興味深い一族だな」

 首筋を揉みほぐしている昌彦を、利沙が心配そうな顔で覗き込む。
 それに気づいた老年男性は、妻の肩を擦りながら穏やかな顔で笑った。

「何も心配いらないよ、利沙。噂のほとんどはあの一族特有の奇抜な内容だ」
「ほとんどは、なのね」
「善だけであの巨大な組織を御することは出来ないからね。君も分かっているだろう?」
「ええ、一応私も経営者ですもの。理解はしていますわ」
「秋史にとって常に善で在ってくれるならそれで良い。大抵の火の粉はこちらで払えるだろうから、私たち親は一旦静観しよう」

 昌彦の腕に抱かれた利沙が視線を移した先には、センターテーブルの上に置かれた家族写真。
 孫が誕生した今年の夏に家族全員で撮ったものだ。
 座っている自分の後ろで微笑む息子の姿に、痛ましいほど顔を腫らして泣く幼い息子の泣き顔が重なって、利沙は思わず目を閉じた。

「ちなみに、月落家も鳴成について調査されているようです。本来ならば消せるはずの足跡を分かりやすく残していますので、ご挨拶といった形かもしれません」
「そうか。あちらから何か動きは?」
「ありません。放任主義のようですし、基本は本人任せかと。月落渉様と秋史様の関係は良好ですので、今のところは何も問題ないと思われます」
「分かった。ありがとう」




 その頃、水面下で様々な影が動いているとは露知らず、話題の中心地に立つ本人たちは授業が終わった夕方の研究室でほっと一息ついていた。

「先生、今日は何を飲まれますか?」
「きみは何の気分です?」
「うーん……ちょっと疲れたのでミルクティーの気分です」
「では、アッサムにしましょうか」
「あ、そうだ。発酵バターとホワイトチョコのマドレーヌを母に持たされたので、それも一緒にお出ししますね」
「名前だけでもう美味しそうですね」
「焦がしキャラメルとマカダミアナッツのマドレーヌもあるんですが、それも食べられそうですか?サイズが通常の2倍と、ちょっと大きめなんですが」
「……きみも一緒に食べてくれるなら」
「分かりました。先生、半分こしましょうね」
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