鳴成准教授は新しいアシスタントを採用しました。実は甘やかし尽くし攻めの御曹司でした。

卯藤ローレン

文字の大きさ
32 / 109
一章

22. ルーフトップバーで野武士の友人と②

しおりを挟む
「出会いは職場だ。室長だった時に一緒に働いてた子、ありきたりだろ?」
「紹介や結婚相談所に行かない限り、大人の出会いの場は限られますから」
「そうだな。それで、その子が異動するってなって……猛アタックされたんだ」

 三白眼を細めた44歳のおじさんは、恥ずかしそうに唇を動かした。

「猛、アタック……?」
「そう、まさかと思うだろ?清潔感は手に入れてもこの目つきのせいで第一印象『怖い』って常に言われる俺が、押されて押されて押されまくって40中盤で初婚なんて、ドラマの脚本でもないよな」
「押されてたじろいでいる重藤さんというのは、ギャップがあって画的にはなかなか映えるかと」
「う……それは一理ある。しかも、相手は10個下だからな」
「10個下……」
「職場で一緒になった10も下の子に押されて恋に落ちて、ついにはゴールインした40代の中年男性。それが、俺」

 職場、10個下、40代。
 そう聞いて鳴成は、それを現在の自分自身に大いに重ね合わせてしまった。
 そして、脳裏に浮かぶ、あの人物。

 他人の感情の矢印に疎い自分でさえも、絶対的に甘やかされていると気づくほどに甘やかしてくれる人。
 TAとして完璧に授業サポートをして、自然な距離感で気遣いをくれて、労力を厭わずいつも用意周到に自分を喜ばせてくれる人。
 選ぶ言葉の温もりで、笑顔の無邪気さで、雷に怯える仕草で、戯れに触れる指先の感触で、凪いでいた心に波風を立てた人。

 しっかり者で、頼りになって、泰然としていて、そして時に可愛い。

 出会ってたったの半年で、こんなにも日常を揺さぶる存在になるとは思っていなかった。
 基本的に他人に対して興味のなかった自分が、ありえない頻度で思い出すようになるほど。

「そういえば、男同士であんまり恋愛がどうとか話したことなかったが、鳴成にそういう相手はいないのか?何か、自分がいざ結婚するってなると、他人のそういう話が気になり始めるのはどうしてなんだろうな」
「今、そういう相手は……いない、ですね」
「ちょっと空いた間がすごく気になるな。そういう相手はいないけど、そうなりそうな相手はいるってことか?」
「うーん、正直よく分かりません。恋や愛というものに真正面からぶつかったことがないんです、お恥ずかしい話ですが」
「いや、別に全然恥ずかしくないだろ。俺だって本物の愛、というか結婚するほど好きになった人に出会ったのはそれこそ奥さんが初めてだからな。40過ぎてからだし。ちなみに、出会ってはいるのか?」
「ええ、出会ってはいると思います」
「出会ってはいるけど、その人と今後発展するかは不明なのか」
「そうです」

 彼に向かう感情の主成分が果たして恋愛由来なのか、正直あまり気にしたことがなかった。

 共にいて楽しい、安心する、穏やかで落ち着く、というのはそれはもうそれで立派な恋愛感情だとも言えるし、友人という関係性の遥か延長線上ともギリギリ言えなくもない。
 いやしかし、彼は友人という枠では決してないから、同僚以上恋人未満……?

 これが10代や20代の勢いある世代だったなら、定まらない関係性には歯がゆさしかないだろう。
 けれど、その世代をとうに飛び越えてしまった鳴成にとってはそれが、救いのように感じるのだ。

 自分の胸の壁を突き破るほどに想いが溢れるのではなく、無理なく収めておける最大限で収まってじんわりと胸の内側に馴染んでいく絶妙なライン。

 それはきっと、気遣いの上手な彼がコントロールしてくれているからだろうと思う。
 白か黒かを明確にしなくても与えられる安心感。
 こういう部分でもきっと甘やかされている。

 心臓の辺りが自然とあたたかくなるのへ淡く微笑みながら、鳴成はワインの入ったグラスをゆらゆらと揺らした。

「鳴成、いま自分がどんな顔してるか気づいてるか?」

 その微笑みを真正面から受け止めた重藤は、少し面食らった。
 それが、知り合って20年で初めて見る表情だったから。
 まるで、愛しい誰かを思い浮かべているような。

「変な顔でした?」

 鳴成は持っていたグラスをテーブルに戻すと、自分の頬を触って確かめる。

「気づいてないならいい。当事者の実感なく育った実は、結局収穫されずに朽ちて落ちるだけだ」
「いきなり哲学ですね?」
「40代にして初めて本物の愛を知った、しがないおじさんの独り言だ」
「本物の愛を知っただけでも貴重な経験です。それを知らずに通り過ぎる人々も多いと言いますし」
「そうだな。押されるままに押されて、恥も外聞もかなぐり捨てて良かったよ。あ、そうだ。独り言ついでにもうひとつだけ」

 ジンフィズを一気に飲み干した重藤は、鳴成の方へと身を乗り出した。
 三白眼を細めて不敵に笑う。

「愛は虎視眈々だ。その存在を認識した時にはもう既に根を張って、奥深くまで入り込んでる。相手との境界線がブレて馴染み始めたら、それは相当持って行かれてる状態だから諦めろ。血の繋がりのない異質な存在の他者にそばにいられて心地良いって感じるのは、既に自分の一部になってる証拠だ」

 放たれた言葉に鳴成は瞠目する。
 恋愛感情かどうか分からないけれど好意は持っているとはぐらかした先の自分に、ぐさりと刺さる釘。
 胸から、痛みを伴わずに流れる血をただ見下ろすしかできない。
 グラスを持っていなくてよかった、きっと床の上で割れていただろう。
 そんなことを思うだけで。

 この釘を抜いてしまえばきっと、世界が変わってしまう。
 揺蕩っていた世界はあっさりと崩れて、作り変わってしまう。
 そうなっても彼は、今の関係性以上のものを求めても彼は、果たして受け止めてくれるだろうか。

 自分の感情を突きつめ切れないのはきっと、曝け出すのが怖いせいだ。
 踏み出すことを躊躇っているのはきっと、失うのが怖いせいだ。

 ただ彼は純粋に優しさだけで接してくれていたとしたら、そんなつもりになっていたのが自分だけだったとしたら。
 そうやって、無意識の足枷に阻まれる。
 ネガティブな考えが巡る。
 こうなった経験に乏しくて、後退りしてしまう。

 逃げているとは分かっているけれど、今はもう少しだけ。
 優しい海に浸って目を閉じていたい。
 もう少しだけ。

「まぁ、鳴成ももう40過ぎてるし、新しい事象に身を投じるのは怖いだろうけどな。出会ってるなら、それを掴みにいく勇気も必要だぞ。否が応でも変容し続けるこの日常で大切なものを持ち続けたいなら、その状態を繋ぎ止めておくための策を講じないと」
「そうですね……未就学児童に英語を教えるくらい大変な気がしますが」
「そこは経験と知識をフル活用して頑張れ。野武士を紳士の端くれにした利沙さんの息子なら、やってやれないことはないだろ」
「残念ながら、母のバイタリティは妹だけが受け継いだようです」
「確かに、有紗ちゃんはパワフルだよな。聡明さを武器にしてあの業界でも結構なとこまで登ったし。かと思ったらいきなり婿貰って結婚するし。今や双子の母だし」
「ええ、理性を主動力にして動くと言う点では違っていますが、行動力と行動範囲の広さは完全に母そのものですね」
「そう言えば、俺たちが知り合った頃に……」

 それから鳴成と重藤の会話は自分たちの家族や仕事の話題に移った。
 久しぶりに会う友人との静かな夜は、グラスに注がれたアルコールと共に過ぎていく。


 曖昧なままにはしておけない。
 このままではいられない。
 けれど、大切だからこそ手放すのは難しい。
 世界が終わった先に待っているのは、今以上か今以下か。
 分からないからこそ、難しい。









 地上50階のルーフトップバー、その入口に立っているのは、TOGグループホテル部門総責任者の月落正志だ。
 商談相手を見送り、自分たちが乗るエレベーターを待っている最中である。

 今しがた出てきたばかりのバーの店内を、身体を仰け反らせながら覗く。
 幾何学な段差で作られた本棚が通路の役割を担っているバーの店内で、つい先日会った麗人を見た気がしたからだ。

朝比奈あさひな、あの窓際のソファ席にいたのは、もしかして渉のとこの准教授だったか?」
「ええ、鳴成准教授でしたね」
「やはりそうか」

 後ろを振り返りながら発した疑問は、正志の秘書からの答で返された。
 朝比奈——こげ茶の髪を綺麗なお団子にまとめた50代の女性である。
 岩のような存在感のある正志の隣に並んでもバランスの取れる、背筋の伸びた長身がトレードマークだ。

「一緒にいたのはどなただ?」
「本省勤務のご友人かと」
「どの省だ?」
「METIです」
「そうか……渉の今日の予定は?」
「大陸のご友人と会食中です」
「そうか……」

 正志は何か作戦を練るように顎に手を当てて考えていたが、その顔色はあまり明るくならないまま秘書を見遣った。
 これは妙案が思い浮かばなかったな、と朝比奈は思い至る。

「METIの局長に連絡してそのご友人をあの席から離脱させ、代わりに渉を宛てがうのはやりすぎだと思うか?」
「幾ばくか強引かと思いますが」
「仕方ないだろう。君もこの前の渉を見たから俺の気持ちは分かるはずだ。あんなに幸せそうな渉の姿を見たら、何とか協力したいって思うのが人情ってもんだろう?」

 ホワイトデーの日にホテルで見た月落と鳴成の微笑ましい姿は、正志の後ろに控えていた朝比奈もしっかりと見ている。
 面立ちといい、会話のリズムといい、雰囲気といい、こんなにもぴたりと嵌る他人同士がいるのかと驚いた。
 30年も知り合わなかったのが不思議で仕方ないと思うくらい。

「その気持ちは私にもありますが、あまりご心配はいらぬかと」
「なぜだ?」
「渉様が会食されているのは、この複合施設40階にある料亭。つまり、10階下にいらっしゃいます」
「は?……こんなに密集して縦に長い飲食店ジャングルの大都会東京で、そんな偶然があるか?」
「運命なのでしょう」
「運命ね……」

 ゴールドのランプが灯り、到着したエレベーターの扉が開く。
 中に入ろうとした朝比奈を制して先に乗り、1階のボタンを押して秘書が乗り込むのを待ってから正志は扉を閉めた。

「正志様、まだ業務中でございますので、行き過ぎた行動は控えていただきたいのですが」
「二人きりの密室だろう?商談が終わった時点で業務も終了じゃないのか?」
「家に帰るまでが遠足というのが常識ですので、家に帰るまでが業務かと」
「こんな時間まで残業したんだから今日はもう心のタイムカード押します。早苗さなえも押して」
「あなた、タイムカードっていつの時代なの。古くさいこと言うと部下に笑われるでしょう?」

 下の名前で呼ばれた朝比奈は敬語をやめて苦笑いを浮かべる。
 この二人、実は夫婦である。

 漁師を辞めてホテル部門に就職した数年後、要職候補となった正志の秘書となったのが朝比奈だった。
 交際わずか半年のスピード婚で周囲を驚かせたカップル。
 出産と育児で朝比奈が仕事から遠のいていた時期もあったが、子供たちがある程度育ったのを境に正志の秘書に復帰した。
 公私は完璧に区別する主従関係だが、その形は人目がないと保たれるのが難しいらしい。

「渉には連絡しない方がいいと思うか?」
「もちろん。その方が偶然会えた時の感動も一入でしょう?」
「そうなんだが……老爺心が疼くな」
「大丈夫よ。あの子は稀に見る強運の持ち主ですもの。運命ならば必ず自らの手で掴むから」
「そうだな」

 エレベーターが40階を過ぎるとき、正志は心の中で『渉、頑張れ』と唱えた。
しおりを挟む
感想 28

あなたにおすすめの小説

完結|好きから一番遠いはずだった

七角@書籍化進行中!
BL
大学生の石田陽は、石ころみたいな自分に自信がない。酒の力を借りて恋愛のきっかけをつかもうと意気込む。 しかしサークル歴代最高イケメン・星川叶斗が邪魔してくる。恋愛なんて簡単そうなこの後輩、ずるいし、好きじゃない。 なのにあれこれ世話を焼かれる。いや利用されてるだけだ。恋愛相手として最も遠い後輩に、勘違いしない。 …はずだった。

アイドルくん、俺の前では生活能力ゼロの甘えん坊でした。~俺の住み込みバイト先は後輩の高校生アイドルくんでした。

天音ねる(旧:えんとっぷ)
BL
家計を助けるため、住み込み家政婦バイトを始めた高校生・桜井智也。豪邸の家主は、寝癖頭によれよれTシャツの青年…と思いきや、その正体は学校の後輩でキラキラ王子様アイドル・橘圭吾だった!? 学校では完璧、家では生活能力ゼロ。そんな圭吾のギャップに振り回されながらも、世話を焼く日々にやりがいを感じる智也。 ステージの上では完璧な王子様なのに、家ではカップ麺すら作れない究極のポンコツ男子。 智也の作る温かい手料理に胃袋を掴まれた圭吾は、次第に心を許し、子犬のように懐いてくる。 「先輩、お腹すいた」「どこにも行かないで」 無防備な素顔と時折見せる寂しげな表情に、智也の心は絆されていく。 住む世界が違うはずの二人。秘密の契約から始まる、甘くて美味しい青春ラブストーリー!

イケメン俳優は万年モブ役者の鬼門です

はねビト
BL
演技力には自信があるけれど、地味な役者の羽月眞也は、2年前に共演して以来、大人気イケメン俳優になった東城湊斗に懐かれていた。 自分にはない『華』のある東城に対するコンプレックスを抱えるものの、どうにも東城からのお願いには弱くて……。 ワンコ系年下イケメン俳優×地味顔モブ俳優の芸能人BL。 外伝完結、続編連載中です。

この噛み痕は、無効。

ことわ子
BL
執着強めのαで高校一年生の茜トキ×αアレルギーのβで高校三年生の品野千秋 α、β、Ωの三つの性が存在する現代で、品野千秋(しなのちあき)は一番人口が多いとされる平凡なβで、これまた平凡な高校三年生として暮らしていた。 いや、正しくは"平凡に暮らしたい"高校生として、自らを『αアレルギー』と自称するほど日々αを憎みながら生活していた。 千秋がαアレルギーになったのは幼少期のトラウマが原因だった。その時から千秋はαに対し強い拒否反応を示すようになり、わざわざαのいない高校へ進学するなど、徹底してαを避け続けた。 そんなある日、千秋は体育の授業中に熱中症で倒れてしまう。保健室で目を覚ますと、そこには親友の向田翔(むこうだかける)ともう一人、初めて見る下級生の男がいた。 その男と、トラウマの原因となった人物の顔が重なり千秋は混乱するが、男は千秋の混乱をよそに急に距離を詰めてくる。 「やっと見つけた」 男は誰もが見惚れる顔でそう言った。

本気になった幼なじみがメロすぎます!

文月あお
BL
同じマンションに住む年下の幼なじみ・玲央は、イケメンで、生意気だけど根はいいやつだし、とてもモテる。 俺は失恋するたびに「玲央みたいな男に生まれたかったなぁ」なんて思う。 いいなぁ玲央は。きっと俺より経験豊富なんだろうな――と、つい出来心で聞いてしまったんだ。 「やっぱ唇ってさ、やわらけーの?」 その軽率な質問が、俺と玲央の幼なじみライフを、まるっと変えてしまった。 「忘れないでよ、今日のこと」 「唯くんは俺の隣しかだめだから」 「なんで邪魔してたか、わかんねーの?」 俺と玲央は幼なじみで。男同士で。生まれたときからずっと一緒で。 俺の恋の相手は女の子のはずだし、玲央の恋の相手は、もっと素敵な人であるはずなのに。 「素数でも数えてなきゃ、俺はふつーにこうなんだよ、唯くんといたら」 そんな必死な顔で迫ってくんなよ……メロすぎんだろーが……! 【攻め】倉田玲央(高一)×【受け】五十嵐唯(高三)

隣人、イケメン俳優につき

タタミ
BL
イラストレーターの清永一太はある日、隣部屋の怒鳴り合いに気付く。清永が隣部屋を訪ねると、そこでは人気俳優の杉崎久遠が男に暴行されていて──?

そばにいられるだけで十分だから僕の気持ちに気付かないでいて

千環
BL
大学生の先輩×後輩。両片想い。 本編完結済みで、番外編をのんびり更新します。

推しにプロポーズしていたなんて、何かの間違いです

一ノ瀬麻紀
BL
引きこもりの僕、麻倉 渚(あさくら なぎさ)と、人気アイドルの弟、麻倉 潮(あさくら うしお) 同じ双子だというのに、なぜこんなにも違ってしまったのだろう。 時々ふとそんな事を考えてしまうけど、それでも僕は、理解のある家族に恵まれ充実した引きこもり生活をエンジョイしていた。 僕は極度の人見知りであがり症だ。いつからこんなふうになってしまったのか、よく覚えていない。 本音を言うなら、弟のように表舞台に立ってみたいと思うこともある。けれどそんなのは無理に決まっている。 だから、安全な自宅という城の中で、僕は今の生活をエンジョイするんだ。高望みは一切しない。 なのに、弟がある日突然変なことを言い出した。 「今度の月曜日、俺の代わりに学校へ行ってくれないか?」 ありえない頼み事だから断ろうとしたのに、弟は僕の弱みに付け込んできた。 僕の推しは俳優の、葛城 結斗(かつらぎ ゆうと)くんだ。 その結斗くんのスペシャルグッズとサイン、というエサを目の前にちらつかせたんだ。 悔しいけど、僕は推しのサインにつられて首を縦に振ってしまった。 え?葛城くんが目の前に!? どうしよう、人生最大のピンチだ!! ✤✤ 「推し」「高校生BL」をテーマに書いたお話です。 全年齢向けの作品となっています。 一度短編として完結した作品ですが、既存部分の改稿と、新規エピソードを追加しました。 ✤✤

処理中です...