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第八章:湯けむりに包まれて
第138話・温泉郷の朝と硝子のきらめき
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朝の光が、湯けむりの向こうに淡く揺れている。
昨夜の温泉で芯から温まったおかげか、ルナフィエラの体は軽く、胸の奥まで静かな幸福で満たされていた。
離れの戸を開けると、朝の風がふわりと頬を撫でる。
「……朝の空気、やわらかいね」
小さく呟くと、隣のフィンが顔を覗き込むように笑う。
「ね! 谷の朝は気持ちいいでしょ? 夜とは全然違うんだよ」
ルナフィエラは頬を緩め、彼の言葉に小さく頷く。
その瞳が朝の光を受け、宝石のようにきらめいた。
彼女のすぐ隣ではヴィクトルが無言で歩調を合わせ、
シグは少し先を歩いて人の流れを見ている。
ユリウスは背後で静かにその全員を見守っていた。
谷の中央広場へ続く石畳は、湯けむりに霞みながらも人々の声で賑わっていた。
露店が並び、湯桶を抱えた宿泊客や、朝の仕込みをしている商人たちが忙しなく行き交う。
「いい匂い……」
ルナフィエラは思わず立ち止まり、漂ってくる香ばしい香りに目を細めた。
「朝ごはんにちょうどいいね!」
そう言うとフィンはすぐに屋台の方へ駆け出し、彼女は少し慌ててその背を追う。
その反対側ではヴィクトルがぴたりと寄り添い、ルナフィエラの肩を軽く支えた。
「はぐれないように」
「……うん」
屋台の一角では、焼き立てのパンや温かなスープ、果実を煮詰めた蜜菓子などが並び、湯気が立ちのぼっている。
彼女はその光景に目を奪われた。
「どれもおいしそう……。でも、甘い匂いと香辛料の香りが強いね」
「温泉の街だからね。体を温めるために、甘味や香辛料が使われてるんだよ」
ユリウスが穏やかに補足すると、シグがすでに屋台のひとつで何かを買って戻ってきた。
「……これを食ってみろ」
差し出されたのは、黄金色の蜜がとろりとかかった串焼きパン。
ひと口かじると、外は香ばしく中はふわふわ。
甘さと香りが広がり、ルナフィエラは思わず頬を押さえる。
「おいしい……!」
その言葉に、4人の視線が一斉に集まる。
ヴィクトルの瞳が優しく揺れ、ユリウスの口元に静かな笑みが浮かぶ。
フィンは嬉しそうに両手を腰に当て、シグは短く「そうか」とだけ言って視線を逸らした。
ほんの小さなひととき。
けれど、それだけでこの旅の意味が満ちていくようだった。
しばらく屋台を巡っていると、通りの端に、朝の光を受けてきらりと輝くものが目に入った。
色とりどりの硝子玉が吊るされた看板。
風に揺れて、淡い光を散らしている。
「……きれい」
ルナフィエラは思わず足を止めた。
その視線を追って、ヴィクトルが小さく呟く。
「硝子細工の店のようですね」
「うわー、あれ全部手作りかな? 中がキラキラしてる!」
フィンが身を乗り出し、ユリウスは穏やかに微笑む。
「この谷は硝子の加工でも有名みたいだ。温泉の熱を利用して炉を動かしているらしい」
ルナフィエラはしばらくその光景を見つめ、それから小さく息をのんだ。
「……ちょっと寄ってもいい?」
「もちろん」
ユリウスが穏やかに頷く。
「ルナが気になるなら行こう」
フィンも嬉しそうに手を振る。
「さあ、入りましょう。ルナ様」
ヴィクトルの言葉に、ルナフィエラは小さく笑って頷いた。
扉を開けると、ほのかな熱気とともに甘い焦げたような香りが流れ込んできた。
硝子を溶かす炉の赤が、工房の奥で静かに揺れている。
「わあ……」
思わず漏れたルナフィエラの声に、フィンが嬉しそうに頷いた。
「ね、きれいだね! シルヴェールにあった硝子とはまた違う輝きだよ」
彼女は目を輝かせながら、棚に並ぶ色とりどりの細工を見て回る。
小さなランプ、香水瓶、耳飾り……どれも光を受けて淡く輝き、まるで命を宿したようにきらめいていた。
「まるで……光を閉じ込めたみたい」
指先でそっと硝子の球を撫でながら呟く。
その横で、ヴィクトルが微笑んだ。
「丁寧な仕事ですね。どれも美しい」
店の奥から年配の店主が姿を見せた。
優しい笑みを浮かべながら、ルナフィエラたちに軽く会釈する。
「お目が高いですね。こちらの硝子は、谷で採れる砂を使っているんですよ。
光をよく通すので、こうして加工するとどれも綺麗に仕上がるんです」
感嘆の息を漏らすルナフィエラを見て、店主が柔らかい口調で続けた。
「旅のお客様が多いので、ここで記念に小さな細工をお作りになる方も多いんですよ。
あちらに体験できる場所がありましてね、自分で硝子玉を仕上げることができます」
「……自分で?」
ルナフィエラが目を瞬かせる。
「はい。そのままでも十分美しいですが――」
店主はにこりと笑い、彼女の瞳を見つめた。
「もし、魔力をお持ちでしたら、硝子に魔力を込めてみるのもおすすめですよ。
魔力の性質によって、光の屈折や色合いが変わるんです。
ですから、同じ色の硝子でも、込めた方によってまったく違う輝きを見せる。
まさに“その人だけの硝子玉”になります」
「……私だけの、硝子玉」
ルナフィエラはその言葉を小さく繰り返した。
胸の奥に小さな火が灯ったような感覚。
自分だけのもの――それはこれまでの人生で、ほとんど手にしたことのない感覚だった。
ユリウスが穏やかに微笑む。
「興味があるなら、やってみるといい。……君の魔力なら、きっと綺麗なものができる」
フィンがわくわくと身を乗り出す。
「僕も見たい! ルナが作る硝子玉、絶対きれいだよ!」
ヴィクトルも静かに頷いた。
「ルナ様の魔力が込められたものなら……それこそ、世界で一つの宝になるでしょう」
シグは腕を組みながら、少し照れくさそうに笑った。
「……割るなよ」
「わ、割らないもん」
ルナフィエラは思わず頬を膨らませ、けれどその表情のまま小さく笑った。
湯けむりの外とは違う、静かな硝子の光の中――
彼女の心には、確かな“温かさ”と“期待”が芽生え始めていた。
昨夜の温泉で芯から温まったおかげか、ルナフィエラの体は軽く、胸の奥まで静かな幸福で満たされていた。
離れの戸を開けると、朝の風がふわりと頬を撫でる。
「……朝の空気、やわらかいね」
小さく呟くと、隣のフィンが顔を覗き込むように笑う。
「ね! 谷の朝は気持ちいいでしょ? 夜とは全然違うんだよ」
ルナフィエラは頬を緩め、彼の言葉に小さく頷く。
その瞳が朝の光を受け、宝石のようにきらめいた。
彼女のすぐ隣ではヴィクトルが無言で歩調を合わせ、
シグは少し先を歩いて人の流れを見ている。
ユリウスは背後で静かにその全員を見守っていた。
谷の中央広場へ続く石畳は、湯けむりに霞みながらも人々の声で賑わっていた。
露店が並び、湯桶を抱えた宿泊客や、朝の仕込みをしている商人たちが忙しなく行き交う。
「いい匂い……」
ルナフィエラは思わず立ち止まり、漂ってくる香ばしい香りに目を細めた。
「朝ごはんにちょうどいいね!」
そう言うとフィンはすぐに屋台の方へ駆け出し、彼女は少し慌ててその背を追う。
その反対側ではヴィクトルがぴたりと寄り添い、ルナフィエラの肩を軽く支えた。
「はぐれないように」
「……うん」
屋台の一角では、焼き立てのパンや温かなスープ、果実を煮詰めた蜜菓子などが並び、湯気が立ちのぼっている。
彼女はその光景に目を奪われた。
「どれもおいしそう……。でも、甘い匂いと香辛料の香りが強いね」
「温泉の街だからね。体を温めるために、甘味や香辛料が使われてるんだよ」
ユリウスが穏やかに補足すると、シグがすでに屋台のひとつで何かを買って戻ってきた。
「……これを食ってみろ」
差し出されたのは、黄金色の蜜がとろりとかかった串焼きパン。
ひと口かじると、外は香ばしく中はふわふわ。
甘さと香りが広がり、ルナフィエラは思わず頬を押さえる。
「おいしい……!」
その言葉に、4人の視線が一斉に集まる。
ヴィクトルの瞳が優しく揺れ、ユリウスの口元に静かな笑みが浮かぶ。
フィンは嬉しそうに両手を腰に当て、シグは短く「そうか」とだけ言って視線を逸らした。
ほんの小さなひととき。
けれど、それだけでこの旅の意味が満ちていくようだった。
しばらく屋台を巡っていると、通りの端に、朝の光を受けてきらりと輝くものが目に入った。
色とりどりの硝子玉が吊るされた看板。
風に揺れて、淡い光を散らしている。
「……きれい」
ルナフィエラは思わず足を止めた。
その視線を追って、ヴィクトルが小さく呟く。
「硝子細工の店のようですね」
「うわー、あれ全部手作りかな? 中がキラキラしてる!」
フィンが身を乗り出し、ユリウスは穏やかに微笑む。
「この谷は硝子の加工でも有名みたいだ。温泉の熱を利用して炉を動かしているらしい」
ルナフィエラはしばらくその光景を見つめ、それから小さく息をのんだ。
「……ちょっと寄ってもいい?」
「もちろん」
ユリウスが穏やかに頷く。
「ルナが気になるなら行こう」
フィンも嬉しそうに手を振る。
「さあ、入りましょう。ルナ様」
ヴィクトルの言葉に、ルナフィエラは小さく笑って頷いた。
扉を開けると、ほのかな熱気とともに甘い焦げたような香りが流れ込んできた。
硝子を溶かす炉の赤が、工房の奥で静かに揺れている。
「わあ……」
思わず漏れたルナフィエラの声に、フィンが嬉しそうに頷いた。
「ね、きれいだね! シルヴェールにあった硝子とはまた違う輝きだよ」
彼女は目を輝かせながら、棚に並ぶ色とりどりの細工を見て回る。
小さなランプ、香水瓶、耳飾り……どれも光を受けて淡く輝き、まるで命を宿したようにきらめいていた。
「まるで……光を閉じ込めたみたい」
指先でそっと硝子の球を撫でながら呟く。
その横で、ヴィクトルが微笑んだ。
「丁寧な仕事ですね。どれも美しい」
店の奥から年配の店主が姿を見せた。
優しい笑みを浮かべながら、ルナフィエラたちに軽く会釈する。
「お目が高いですね。こちらの硝子は、谷で採れる砂を使っているんですよ。
光をよく通すので、こうして加工するとどれも綺麗に仕上がるんです」
感嘆の息を漏らすルナフィエラを見て、店主が柔らかい口調で続けた。
「旅のお客様が多いので、ここで記念に小さな細工をお作りになる方も多いんですよ。
あちらに体験できる場所がありましてね、自分で硝子玉を仕上げることができます」
「……自分で?」
ルナフィエラが目を瞬かせる。
「はい。そのままでも十分美しいですが――」
店主はにこりと笑い、彼女の瞳を見つめた。
「もし、魔力をお持ちでしたら、硝子に魔力を込めてみるのもおすすめですよ。
魔力の性質によって、光の屈折や色合いが変わるんです。
ですから、同じ色の硝子でも、込めた方によってまったく違う輝きを見せる。
まさに“その人だけの硝子玉”になります」
「……私だけの、硝子玉」
ルナフィエラはその言葉を小さく繰り返した。
胸の奥に小さな火が灯ったような感覚。
自分だけのもの――それはこれまでの人生で、ほとんど手にしたことのない感覚だった。
ユリウスが穏やかに微笑む。
「興味があるなら、やってみるといい。……君の魔力なら、きっと綺麗なものができる」
フィンがわくわくと身を乗り出す。
「僕も見たい! ルナが作る硝子玉、絶対きれいだよ!」
ヴィクトルも静かに頷いた。
「ルナ様の魔力が込められたものなら……それこそ、世界で一つの宝になるでしょう」
シグは腕を組みながら、少し照れくさそうに笑った。
「……割るなよ」
「わ、割らないもん」
ルナフィエラは思わず頬を膨らませ、けれどその表情のまま小さく笑った。
湯けむりの外とは違う、静かな硝子の光の中――
彼女の心には、確かな“温かさ”と“期待”が芽生え始めていた。
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