純血の姫と誓約の騎士たち〜紅き契約と滅びの呪い〜

来栖れいな

文字の大きさ
145 / 177
第八章:湯けむりに包まれて

第143話・腕の中の朝

しおりを挟む
障子の隙間から、淡い朝の光が差し込んでいた。
谷を包む湯けむりが風に流れ、静かな湯の音が遠くで響く。

「……ん……」

ルナフィエラが小さく身じろぎすると、胸の前でふわふわの毛並みが揺れた。
ぬいぐるみ。――そして、そのさらに外側から包み込むように回された逞しい腕。

「……え?」

ぬくもりの主はフィンだった。
頬にかかる吐息、背に感じる温もり。
完全に彼の腕の中に収まってしまっている。

「フィン……」

呼びかけても返事はない。
それどころか、寝返りの拍子に腕の力が強くなる。

「……っ……ぬいぐるみごと……?」

まるで大事な宝を抱き締めるように、フィンは離さない。
ルナフィエラはそっと彼の腕を外そうとしたが――

「……むぅ、ダメ……」

寝ぼけた声とともに、ぎゅっと抱き込まれた。
彼女は小さくため息をつきながら、仕方なくその胸の中で微笑む。

「……フィン、朝だよ……」

目の前の寝顔は幸せそのもの。
昨夜の“勝利宣言”が嘘でないことを、何よりも雄弁に語っていた。

しばらくそのまま、ぬくもりの中で小さく瞬きをする。
――心地よい。けれど、出られない。

「……フィン、お願い。起きて」

ようやくそのまぶたがぴくりと動き、フィンが目を細めた。

「……おはよ、ルナ……」

「おはよう。……あのね、そろそろ離して?」

一瞬だけ黙り込んだあと、フィンの腕がぴくりと動く。
けれど――離れる気配はない。

「やだ」

「……え?」

「昨日、ぬいぐるみが間にいたんだもん。
ちゃんとルナを抱っこできなかったの。今だけ、もうちょっと……」

「フィン……」

困ったように名を呼んでも、彼はますます腕に力を込める。
まるで、彼女を逃がすまいとするように。

「ぬいぐるみもいるし、ちょっと苦しいよ」

そう言ってルナフィエラが小さく笑うと、フィンは不満げに唇を尖らせ――

「……じゃあ、いらない」

ぽいっと、ぬいぐるみを布団の端に放った。

「ちょ、フィン!? この子——」

言い終える前に、ぐいっと抱き寄せられる。
腕の中は温かくて、少し乱暴で、でも優しい。

「……やっと、ちゃんとルナだけ」

耳元に落ちた囁きに、ルナフィエラの胸がくすぐったく震えた。
心臓の音がぴたりと重なる。

「もう……子どもみたい」

「子どもじゃないよ」

拗ねたような声。
けれど、抱きしめる手のひらから伝わる想いは真剣で。

ルナフィエラは小さく息をつき、彼の肩に額を預けた。

「……フィンは、ほんと甘えんぼだね」

「ルナ限定だもん」

くすくすと笑いながら、彼女は彼の胸の中で目を閉じた。
ほんの少し、静かな幸福が流れる。

やがてフィンがようやく腕を緩め、ルナフィエラを見つめた。

「……そろそろ起きよっか」

「うん」

ぬいぐるみは布団の端で、ふわふわの毛を朝日にきらめかせていた。


フィンの腕の中から解放されたあと、ルナフィエラは寝間着の襟を直して立ち上がった。
窓を開けると、朝の光がふわりと差し込む。
湯けむりの白と、山の緑。
空気が澄んでいて、胸いっぱいに吸い込みたくなるようだった。

「……いい朝だね」

「そうだね!」

まだ寝癖の残るフィンが、ぱたぱたと後ろからついてくる。

湯洗いで顔を整え、鏡の前に腰かけるルナフィエラ。
背後からフィンが覗き込んだ。

「ねぇ、今日はどんな髪にする?」

「うーん……どうしようかな。前は三つ編みだったから……」

「じゃあ、ツインにしよ!」

「ツイン?」

「うん! 元気で可愛い感じの! 今日のルナにぴったりだと思う!」

ルナフィエラは少し照れくさそうに笑って、頷いた。

「……じゃあ、お願いしてもいい?」

「もちろん!」

フィンは器用な手つきで、彼女の銀糸のような髪をすくい上げる。
二つに分けて、ぬいぐるみとおそろいのリボンで結ぶ。
結び目を整えると、満足げに微笑んだ。

「うん、完璧! 可愛すぎる!」

「……そんな大げさに言わなくても」

そう言いながらも、彼女の頬はほんのり桜色に染まっている。

そのままフィンに手を引かれ、二人は廊下へ出た。
廊下の先から、湯けむりと木の香が流れ込んでくる。

広間に出ると、ヴィクトル、ユリウス、シグの3人がすでに支度を終えていた。
テーブルの上には湯呑と軽い朝食が並び、三人の視線が同時にこちらへ向く。

「おはようございます、ルナ様」

ヴィクトルが微笑む。
その穏やかな声に、彼女は小さく会釈を返した。

「おはよう、ルナ」

ユリウスの視線が、彼女の髪に止まる。

「今日は……随分可愛らしい髪だね」

「フィンが結ってくれたの」

「僕の自信作!」

胸を張るフィンに、シグが小さく吹き出す。

「……まぁ、悪くねぇな」

「えへへっ、ありがと!」

湯けむりの朝の光の中、笑い声が柔らかく響いた。
静かで、あたたかくて、どこまでも穏やかな朝。
その光景を胸に焼きつけながら、ルナフィエラは小さく息を吐く。

――この旅が、ずっと続けばいいのに。

そう思いながら、彼女は4人と並んで温泉郷の朝市へと歩き出した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【長編版】孤独な少女が異世界転生した結果

下菊みこと
恋愛
身体は大人、頭脳は子供になっちゃった元悪役令嬢のお話の長編版です。 一話は短編そのまんまです。二話目から新しいお話が始まります。 純粋無垢な主人公テレーズが、年上の旦那様ボーモンと無自覚にイチャイチャしたり様々な問題を解決して活躍したりするお話です。 小説家になろう様でも投稿しています。

この世界に転生したらいろんな人に溺愛されちゃいました!

キムチ鍋
恋愛
前世は不慮の事故で死んだ(主人公)公爵令嬢ニコ・オリヴィアは最近前世の記憶を思い出す。 だが彼女は人生を楽しむことができなっかたので今世は幸せな人生を送ることを決意する。 「前世は不慮の事故で死んだのだから今世は楽しんで幸せな人生を送るぞ!」 そこからいろいろな人に愛されていく。 作者のキムチ鍋です! 不定期で投稿していきます‼️ 19時投稿です‼️

【受賞&書籍化】先視の王女の謀(さきみのおうじょのはかりごと)

神宮寺 あおい
恋愛
謎解き×恋愛 女神の愛し子は神託の謎を解き明かす。 月の女神に愛された国、フォルトゥーナの第二王女ディアナ。 ある日ディアナは女神の神託により隣国のウィクトル帝国皇帝イーサンの元へ嫁ぐことになった。 そして閉鎖的と言われるくらい国外との交流のないフォルトゥーナからウィクトル帝国へ行ってみれば、イーサンは男爵令嬢のフィリアを溺愛している。 さらにディアナは仮初の皇后であり、いずれ離縁してフィリアを皇后にすると言い出す始末。 味方の少ない中ディアナは女神の神託にそって行動を起こすが、それにより事態は思わぬ方向に転がっていく。 誰が敵で誰が味方なのか。 そして白日の下に晒された事実を前に、ディアナの取った行動はーー。 カクヨムコンテスト10 ファンタジー恋愛部門 特別賞受賞。

異世界から来た娘が、たまらなく可愛いのだが(同感)〜こっちにきてから何故かイケメンに囲まれています〜

恋愛
普通の女子高生、朱璃はいつのまにか異世界に迷い込んでいた。 右も左もわからない状態で偶然出会った青年にしがみついた結果、なんとかお世話になることになる。一宿一飯の恩義を返そうと懸命に生きているうちに、国の一大事に巻き込まれたり巻き込んだり。気付くと個性豊かなイケメンたちに大切に大切にされていた。 そんな乙女ゲームのようなお話。

眺めるだけならよいでしょうか?〜美醜逆転世界に飛ばされた私〜

波間柏
恋愛
美醜逆転の世界に飛ばされた。普通ならウハウハである。だけど。 ✻読んで下さり、ありがとうございました。✻

異世界に落ちて、溺愛されました。

恋愛
満月の月明かりの中、自宅への帰り道に、穴に落ちた私。 落ちた先は異世界。そこで、私を番と話す人に溺愛されました。

異世界もふもふ死にかけライフ☆異世界転移して毛玉な呪いにかけられたら、凶相騎士団長様に拾われました。

和島逆
恋愛
社会人一年目、休日の山登り中に事故に遭った私は、気づけばひとり見知らぬ森の中にいた。そしてなぜか、姿がもふもふな小動物に変わっていて……? しかも早速モンスターっぽい何かに襲われて死にかけてるし! 危ういところを助けてくれたのは、大剣をたずさえた無愛想な大男。 彼の緋色の瞳は、どうやらこの世界では凶相と言われるらしい。でもでも、地位は高い騎士団長様。 頼む騎士様、どうか私を保護してください! あれ、でもこの人なんか怖くない? 心臓がバクバクして止まらないし、なんなら息も苦しいし……? どうやら私は恐怖耐性のなさすぎる聖獣に変身してしまったらしい。いや恐怖だけで死ぬってどんだけよ! 人間に戻るためには騎士団長の助けを借りるしかない。でも騎士団長の側にいると死にかける! ……うん、詰んだ。 ★「小説家になろう」先行投稿中です★

銀狼の花嫁~動物の言葉がわかる獣医ですが、追放先の森で銀狼さんを介抱したら森の聖女と呼ばれるようになりました~

川上とむ
恋愛
森に囲まれた村で獣医として働くコルネリアは動物の言葉がわかる一方、その能力を気味悪がられていた。 そんなある日、コルネリアは村の習わしによって森の主である銀狼の花嫁に選ばれてしまう。 それは村からの追放を意味しており、彼女は絶望する。 村に助けてくれる者はおらず、銀狼の元へと送り込まれてしまう。 ところが出会った銀狼は怪我をしており、それを見たコルネリアは彼の傷の手当をする。 すると銀狼は彼女に一目惚れしたらしく、その場で結婚を申し込んでくる。 村に戻ることもできないコルネリアはそれを承諾。晴れて本当の銀狼の花嫁となる。 そのまま森で暮らすことになった彼女だが、動物と会話ができるという能力を活かし、第二の人生を謳歌していく。

処理中です...