162 / 177
第九章:永遠の途 ― 祈りは光に還る ―
第160話・4人の遺した“未来”
しおりを挟む
ユリウスを静かに見送ったその夜。
短い祈りを捧げ、遺された体を弔い終えると――
ルナフィエラは、迷うことなく書庫の奥にある小部屋へ向かった。
扉の前に立つと、胸の奥がきゅ、と縮む。
長い年月、ユリウスが魔術式を書き散らし、
静かに本を読みふけっていた場所。
そっと扉を押すと、ひんやりとした空気が流れ出た。
まるで、深い湖の底に手を差し入れたような静けさだった。
中を見た瞬間、ルナフィエラは息を呑む。
あの、彼らしい“散らかり”が――どこにもなかった。
床にも机にも、紙一枚落ちていない。
本は背表紙をきっちり揃えて並び、
道具は用途ごとに整然と置かれ、
棚にはわずかな埃すら見当たらない。
ユリウスは元々、片付けが得意ではなかった。
散らかった道具も開きっぱなしの本も、いつもヴィクトルが静かに片付けていた。
ヴィクトルが先に逝ってからは、不器用ながらユリウスが自分で片付けていたが、それでも完全には整わない“彼らしい雑然”が残っていた。
なのに――。
今この部屋には、その“らしさ”が何一つ残っていない。
(……ユリウス。あなた、ここまで……)
ルナフィエラは、胸の奥にひた、と熱を感じた。
不器用な人だったのに。
整理整頓なんて、決して得意じゃなかったのに。
最期が近いことに気づいて、“自分がいなくなった後のルナのために”この部屋を、生涯で一番きれいにしたのだと分かってしまう。
どこを見ても、ユリウスの丁寧な想いが滲んでいた。
その整い方が――余計に胸に響く。
寂しさとも、温かさとも言えない感情が混ざり
胸の中で静かに膨らんでいった。
そして視線の先、机の上に“ひとつだけ”置かれた箱。
ユリウスが使っていた机の上に、両腕で抱えられるほどの大きさの箱がそっと置かれていた。
ルナフィエラは震える手で箱に触れた。
蓋は驚くほど軽く――静かな音を立てて開く。
「……え……」
息が止まった。
箱の中には、深紅の魔石がぎっしりと詰められていた。
一つひとつが宝石のように光を宿し、箱全体に淡い輝きを落としている。
けれど、その色はただの紅ではなかった。
目を凝らすと――
深紅の中に、淡い紫、翳った緑、鈍い黒、澄んだ赤がほんのり筋のように混ざっている。
それは、4人の魔力の色。
「……嘘……」
箱の内側には紙が一枚、
ユリウスの筆跡でこう記されていた。
『これは血を魔石に封じたもの。
私たち4人の血を少しずつ凝縮し、ルナがこれから生きていくために作ったものだ。
きみが困らないように。
きみが、一人でも生きていけるように』
手が、震えた。
深紅の石には、フィンの色が混ざっている。
一番最初に逝ってしまった彼の、あの優しい魔力が。
――ということは。
ユリウスが倒れるよりも、ヴィクトルが弱り始めるよりも、シグが姿を消すよりも、もっとずっと前。
フィンと共に過ごしていた頃から、すでに――
彼らは、いつかルナフィエラが一人になる未来を恐れながらも、それでもその未来を支えようと準備をしてくれていた。
「……そんな……やだ……」
声が滲む。
箱をそっと掴んだ指が、かすかに震えた。
(どうして……どうしてそんなに……)
胸の奥に押し込めていた感情が、ひび割れる音を立てた。
「……なんで……どうして……みんな……」
ぽたり、と涙が落ちる。
最初はひとしずくだけだった。
それが二滴、三滴――
気づけば、床に落ちる音が聞こえるほどに。
「……そんな前から……わたしのこと……心配して……」
堰を切ったように、涙があふれた。
「……ずっと……ずっと……一人に……しないって……
ずっと……そばにいてくれたのに……
それでも……未来のわたしのことまで……考えて……」
魔石の紅が滲んで見える。
ルナフィエラは箱を抱きしめた。
細い腕で必死に包むように。
「……みんな…………」
研究室の静けさに、嗚咽だけが響く。
フィンの笑顔。
シグの大きな手。
ヴィクトルの優しい声音。
ユリウスの穏やかな眼差し――
すべてが、一気に胸に押し寄せてくる。
4人が残した最後の“愛”が。
ルナフィエラを想い、未来の彼女を守るために静かに積み重ねられていた想いが。
その重さに、ルナフィエラは耐えられなかった。
「……会いたい……みんなに……会いたいよ……」
涙が止まらなかった。
夏の風が窓を揺らし、魔石の光がかすかに揺れた。
まるで――4人がすぐそばで見守っているかのように。
短い祈りを捧げ、遺された体を弔い終えると――
ルナフィエラは、迷うことなく書庫の奥にある小部屋へ向かった。
扉の前に立つと、胸の奥がきゅ、と縮む。
長い年月、ユリウスが魔術式を書き散らし、
静かに本を読みふけっていた場所。
そっと扉を押すと、ひんやりとした空気が流れ出た。
まるで、深い湖の底に手を差し入れたような静けさだった。
中を見た瞬間、ルナフィエラは息を呑む。
あの、彼らしい“散らかり”が――どこにもなかった。
床にも机にも、紙一枚落ちていない。
本は背表紙をきっちり揃えて並び、
道具は用途ごとに整然と置かれ、
棚にはわずかな埃すら見当たらない。
ユリウスは元々、片付けが得意ではなかった。
散らかった道具も開きっぱなしの本も、いつもヴィクトルが静かに片付けていた。
ヴィクトルが先に逝ってからは、不器用ながらユリウスが自分で片付けていたが、それでも完全には整わない“彼らしい雑然”が残っていた。
なのに――。
今この部屋には、その“らしさ”が何一つ残っていない。
(……ユリウス。あなた、ここまで……)
ルナフィエラは、胸の奥にひた、と熱を感じた。
不器用な人だったのに。
整理整頓なんて、決して得意じゃなかったのに。
最期が近いことに気づいて、“自分がいなくなった後のルナのために”この部屋を、生涯で一番きれいにしたのだと分かってしまう。
どこを見ても、ユリウスの丁寧な想いが滲んでいた。
その整い方が――余計に胸に響く。
寂しさとも、温かさとも言えない感情が混ざり
胸の中で静かに膨らんでいった。
そして視線の先、机の上に“ひとつだけ”置かれた箱。
ユリウスが使っていた机の上に、両腕で抱えられるほどの大きさの箱がそっと置かれていた。
ルナフィエラは震える手で箱に触れた。
蓋は驚くほど軽く――静かな音を立てて開く。
「……え……」
息が止まった。
箱の中には、深紅の魔石がぎっしりと詰められていた。
一つひとつが宝石のように光を宿し、箱全体に淡い輝きを落としている。
けれど、その色はただの紅ではなかった。
目を凝らすと――
深紅の中に、淡い紫、翳った緑、鈍い黒、澄んだ赤がほんのり筋のように混ざっている。
それは、4人の魔力の色。
「……嘘……」
箱の内側には紙が一枚、
ユリウスの筆跡でこう記されていた。
『これは血を魔石に封じたもの。
私たち4人の血を少しずつ凝縮し、ルナがこれから生きていくために作ったものだ。
きみが困らないように。
きみが、一人でも生きていけるように』
手が、震えた。
深紅の石には、フィンの色が混ざっている。
一番最初に逝ってしまった彼の、あの優しい魔力が。
――ということは。
ユリウスが倒れるよりも、ヴィクトルが弱り始めるよりも、シグが姿を消すよりも、もっとずっと前。
フィンと共に過ごしていた頃から、すでに――
彼らは、いつかルナフィエラが一人になる未来を恐れながらも、それでもその未来を支えようと準備をしてくれていた。
「……そんな……やだ……」
声が滲む。
箱をそっと掴んだ指が、かすかに震えた。
(どうして……どうしてそんなに……)
胸の奥に押し込めていた感情が、ひび割れる音を立てた。
「……なんで……どうして……みんな……」
ぽたり、と涙が落ちる。
最初はひとしずくだけだった。
それが二滴、三滴――
気づけば、床に落ちる音が聞こえるほどに。
「……そんな前から……わたしのこと……心配して……」
堰を切ったように、涙があふれた。
「……ずっと……ずっと……一人に……しないって……
ずっと……そばにいてくれたのに……
それでも……未来のわたしのことまで……考えて……」
魔石の紅が滲んで見える。
ルナフィエラは箱を抱きしめた。
細い腕で必死に包むように。
「……みんな…………」
研究室の静けさに、嗚咽だけが響く。
フィンの笑顔。
シグの大きな手。
ヴィクトルの優しい声音。
ユリウスの穏やかな眼差し――
すべてが、一気に胸に押し寄せてくる。
4人が残した最後の“愛”が。
ルナフィエラを想い、未来の彼女を守るために静かに積み重ねられていた想いが。
その重さに、ルナフィエラは耐えられなかった。
「……会いたい……みんなに……会いたいよ……」
涙が止まらなかった。
夏の風が窓を揺らし、魔石の光がかすかに揺れた。
まるで――4人がすぐそばで見守っているかのように。
1
あなたにおすすめの小説
【長編版】孤独な少女が異世界転生した結果
下菊みこと
恋愛
身体は大人、頭脳は子供になっちゃった元悪役令嬢のお話の長編版です。
一話は短編そのまんまです。二話目から新しいお話が始まります。
純粋無垢な主人公テレーズが、年上の旦那様ボーモンと無自覚にイチャイチャしたり様々な問題を解決して活躍したりするお話です。
小説家になろう様でも投稿しています。
この世界に転生したらいろんな人に溺愛されちゃいました!
キムチ鍋
恋愛
前世は不慮の事故で死んだ(主人公)公爵令嬢ニコ・オリヴィアは最近前世の記憶を思い出す。
だが彼女は人生を楽しむことができなっかたので今世は幸せな人生を送ることを決意する。
「前世は不慮の事故で死んだのだから今世は楽しんで幸せな人生を送るぞ!」
そこからいろいろな人に愛されていく。
作者のキムチ鍋です!
不定期で投稿していきます‼️
19時投稿です‼️
異世界から来た娘が、たまらなく可愛いのだが(同感)〜こっちにきてから何故かイケメンに囲まれています〜
京
恋愛
普通の女子高生、朱璃はいつのまにか異世界に迷い込んでいた。
右も左もわからない状態で偶然出会った青年にしがみついた結果、なんとかお世話になることになる。一宿一飯の恩義を返そうと懸命に生きているうちに、国の一大事に巻き込まれたり巻き込んだり。気付くと個性豊かなイケメンたちに大切に大切にされていた。
そんな乙女ゲームのようなお話。
【受賞&書籍化】先視の王女の謀(さきみのおうじょのはかりごと)
神宮寺 あおい
恋愛
謎解き×恋愛
女神の愛し子は神託の謎を解き明かす。
月の女神に愛された国、フォルトゥーナの第二王女ディアナ。
ある日ディアナは女神の神託により隣国のウィクトル帝国皇帝イーサンの元へ嫁ぐことになった。
そして閉鎖的と言われるくらい国外との交流のないフォルトゥーナからウィクトル帝国へ行ってみれば、イーサンは男爵令嬢のフィリアを溺愛している。
さらにディアナは仮初の皇后であり、いずれ離縁してフィリアを皇后にすると言い出す始末。
味方の少ない中ディアナは女神の神託にそって行動を起こすが、それにより事態は思わぬ方向に転がっていく。
誰が敵で誰が味方なのか。
そして白日の下に晒された事実を前に、ディアナの取った行動はーー。
カクヨムコンテスト10 ファンタジー恋愛部門 特別賞受賞。
銀狼の花嫁~動物の言葉がわかる獣医ですが、追放先の森で銀狼さんを介抱したら森の聖女と呼ばれるようになりました~
川上とむ
恋愛
森に囲まれた村で獣医として働くコルネリアは動物の言葉がわかる一方、その能力を気味悪がられていた。
そんなある日、コルネリアは村の習わしによって森の主である銀狼の花嫁に選ばれてしまう。
それは村からの追放を意味しており、彼女は絶望する。
村に助けてくれる者はおらず、銀狼の元へと送り込まれてしまう。
ところが出会った銀狼は怪我をしており、それを見たコルネリアは彼の傷の手当をする。
すると銀狼は彼女に一目惚れしたらしく、その場で結婚を申し込んでくる。
村に戻ることもできないコルネリアはそれを承諾。晴れて本当の銀狼の花嫁となる。
そのまま森で暮らすことになった彼女だが、動物と会話ができるという能力を活かし、第二の人生を謳歌していく。
異世界もふもふ死にかけライフ☆異世界転移して毛玉な呪いにかけられたら、凶相騎士団長様に拾われました。
和島逆
恋愛
社会人一年目、休日の山登り中に事故に遭った私は、気づけばひとり見知らぬ森の中にいた。そしてなぜか、姿がもふもふな小動物に変わっていて……?
しかも早速モンスターっぽい何かに襲われて死にかけてるし!
危ういところを助けてくれたのは、大剣をたずさえた無愛想な大男。
彼の緋色の瞳は、どうやらこの世界では凶相と言われるらしい。でもでも、地位は高い騎士団長様。
頼む騎士様、どうか私を保護してください!
あれ、でもこの人なんか怖くない?
心臓がバクバクして止まらないし、なんなら息も苦しいし……?
どうやら私は恐怖耐性のなさすぎる聖獣に変身してしまったらしい。いや恐怖だけで死ぬってどんだけよ!
人間に戻るためには騎士団長の助けを借りるしかない。でも騎士団長の側にいると死にかける!
……うん、詰んだ。
★「小説家になろう」先行投稿中です★
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる