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第九章:永遠の途 ― 祈りは光に還る ―
第159話・指先の微かな返事
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気がつけば――ユリウスがベッドから起き上がれなくなって、もう数ヶ月が経っていた。
季節は、ゆっくりと巡っていく。
けれど、彼の時間だけが静かに止まりはじめていた。
最初は、座ることが出来なくなり、やがて、手を伸ばすことも難しくなった。
そして今では、
――目を開ける日すら、滅多にない。
それでもルナフィエラは、その全てを傍で見届けていた。
悲鳴を上げることも、涙に崩れることもない。
もう4度目の別れ。
胸の中はとうに擦り切れて、叫ぶ力すら残っていない。
ただ、静かに受け入れていくだけだった。
来るとわかっていた“最後”を。
ユリウスの呼吸は浅く、弱く、途切れそうなほど細い。
それでも――その微かな息づかいさえ、彼女には愛おしかった。
彼の枕元で、ルナフィエラはいつもと変わらない手つきで身体を拭き、薄く乾いた唇に水を含ませ、時折、指先で頬に触れた。
「……あたたかいね、ユリウス」
その囁きは震えていない。
ただ事実を確かめるように、静かに落ちた。
ユリウスはもう返事をしない。
けれど、ルナフィエラは知っていた。
――聞こえている。
――まだ、ここにいる。
その確信だけが、彼女を支えていた。
誰かと過ごす“最後の時”を、焼きつけるように。
誰よりも長く生き残ってしまった自分の胸に刻み込むように。
薄いカーテン越しに夏の光が差し込む。
その明るささえ、今は痛いほど儚かった。
彼女は、ユリウスの手をそっと包む。
「あの頃みたいに……本を読んであげるね」
本棚には、二人で読んだ本が山ほどある。
けれど今日は、なぜか選ぶ必要がなかった。
ユリウスが最初に読んでくれたあの本。
古語で綴られた、あの物語ーー。
ページを読み進め、やがてルナフィエラは本をゆっくり閉じた。
「……ここまで。今日は、ここでおしまいだよ」
返事はない。
ルナフィエラはそっと、ユリウスの手を握る。
細くなった指。
触れれば折れてしまいそうな手。
(……今日も、いつもと同じ。何も変わらない日ね)
その時だった。
――かすかに、指が動いた。
ほんの一瞬。
触れていなければ気づけなかったかもしれないほどの、小さな小さな反応。
「……ユリウス?」
ルナフィエラはわずかに身を乗り出した。
今にも消え入りそうな呼吸の音。
閉じたままのまぶた。
動かない胸。
けれど――指先だけが、確かに返してきた。
「聞こえてるの……?」
風の音かと思うほどの、か細い声が返った。
「……聞こえて…いるよ、ルナ」
それは、どれほどぶりの言葉だっただろう。
けれど、その声は確かに、彼女の名前を呼んでいた。
ルナフィエラは思わず手を握りしめる。
ユリウスの指が、弱々しく握り返した。
しばし、二人の間に夏の静寂が流れた。
そして――
ユリウスは、唇をゆっくり開く。
「ルナ……すまなかった」
「……なにが?」
「きみを……独りに、してしまうことを……
本当は、もっと早く……外の世界と……
他の人々と……触れ合うように、導くべきだった」
細い息を繋ぎながら、彼は続ける。
「けれど……ぼくは……きみが……他の誰かの方を向くのが……耐えられなかったんだ」
ルナフィエラの瞳がわずかに揺れた。
ユリウスは苦しむように、けれどどこか晴れた声で続ける。
「ぼくは……きみといる時間が……欲しかった。
ぼくのわがままだ。
……きみを閉じ込めてしまった」
胸の奥が締めつけられた。
ルナフィエラはそっと首を横に振る。
「ユリウス、それは違うよ」
「……ルナ」
「わたし、誰とも関わる気なんてなかった。
外の世界になんて、行けるわけ……ないよ」
ふっと、微笑む。
「わたしには……あなたたちしかいなかったの。
フィンも、シグも、ヴィクトルも……ユリウスも。
それでよかったんだよ」
ユリウスの瞳が揺れた。
長い罪悪感が溶けるように、静かにほどけていく。
「……そう、か……きみが……そう……言ってくれるなら……」
その表情は、苦悩を手放した子どものように穏やかだった。
少しの沈黙。
そして、ユリウスはかすかに唇を動かした。
「ルナ……研究…室の……机に……箱が……ある……
それは……きみが……これから……生きるために……使って……」
「ユリウス? 箱……って、どれの……」
言葉の途中で、握っていた指から力が抜けた。
呼吸が――音を立てずに途切れる。
「ユリウス……?」
返事はなかった。
胸の上下も、もうどこにもなかった。
ルナフィエラは静かに口を結び、そっとその身体を抱き寄せた。
夏の光が、揺れる影だけを残していた。
「……うん。わかったよ、ユリウス。
ちゃんと見つけるから……ありがとう」
涙は一筋だけ。
頬を伝い、ユリウスの胸に落ちた。
それは、彼の最期を見送るための、静かで優しい涙だった。
季節は、ゆっくりと巡っていく。
けれど、彼の時間だけが静かに止まりはじめていた。
最初は、座ることが出来なくなり、やがて、手を伸ばすことも難しくなった。
そして今では、
――目を開ける日すら、滅多にない。
それでもルナフィエラは、その全てを傍で見届けていた。
悲鳴を上げることも、涙に崩れることもない。
もう4度目の別れ。
胸の中はとうに擦り切れて、叫ぶ力すら残っていない。
ただ、静かに受け入れていくだけだった。
来るとわかっていた“最後”を。
ユリウスの呼吸は浅く、弱く、途切れそうなほど細い。
それでも――その微かな息づかいさえ、彼女には愛おしかった。
彼の枕元で、ルナフィエラはいつもと変わらない手つきで身体を拭き、薄く乾いた唇に水を含ませ、時折、指先で頬に触れた。
「……あたたかいね、ユリウス」
その囁きは震えていない。
ただ事実を確かめるように、静かに落ちた。
ユリウスはもう返事をしない。
けれど、ルナフィエラは知っていた。
――聞こえている。
――まだ、ここにいる。
その確信だけが、彼女を支えていた。
誰かと過ごす“最後の時”を、焼きつけるように。
誰よりも長く生き残ってしまった自分の胸に刻み込むように。
薄いカーテン越しに夏の光が差し込む。
その明るささえ、今は痛いほど儚かった。
彼女は、ユリウスの手をそっと包む。
「あの頃みたいに……本を読んであげるね」
本棚には、二人で読んだ本が山ほどある。
けれど今日は、なぜか選ぶ必要がなかった。
ユリウスが最初に読んでくれたあの本。
古語で綴られた、あの物語ーー。
ページを読み進め、やがてルナフィエラは本をゆっくり閉じた。
「……ここまで。今日は、ここでおしまいだよ」
返事はない。
ルナフィエラはそっと、ユリウスの手を握る。
細くなった指。
触れれば折れてしまいそうな手。
(……今日も、いつもと同じ。何も変わらない日ね)
その時だった。
――かすかに、指が動いた。
ほんの一瞬。
触れていなければ気づけなかったかもしれないほどの、小さな小さな反応。
「……ユリウス?」
ルナフィエラはわずかに身を乗り出した。
今にも消え入りそうな呼吸の音。
閉じたままのまぶた。
動かない胸。
けれど――指先だけが、確かに返してきた。
「聞こえてるの……?」
風の音かと思うほどの、か細い声が返った。
「……聞こえて…いるよ、ルナ」
それは、どれほどぶりの言葉だっただろう。
けれど、その声は確かに、彼女の名前を呼んでいた。
ルナフィエラは思わず手を握りしめる。
ユリウスの指が、弱々しく握り返した。
しばし、二人の間に夏の静寂が流れた。
そして――
ユリウスは、唇をゆっくり開く。
「ルナ……すまなかった」
「……なにが?」
「きみを……独りに、してしまうことを……
本当は、もっと早く……外の世界と……
他の人々と……触れ合うように、導くべきだった」
細い息を繋ぎながら、彼は続ける。
「けれど……ぼくは……きみが……他の誰かの方を向くのが……耐えられなかったんだ」
ルナフィエラの瞳がわずかに揺れた。
ユリウスは苦しむように、けれどどこか晴れた声で続ける。
「ぼくは……きみといる時間が……欲しかった。
ぼくのわがままだ。
……きみを閉じ込めてしまった」
胸の奥が締めつけられた。
ルナフィエラはそっと首を横に振る。
「ユリウス、それは違うよ」
「……ルナ」
「わたし、誰とも関わる気なんてなかった。
外の世界になんて、行けるわけ……ないよ」
ふっと、微笑む。
「わたしには……あなたたちしかいなかったの。
フィンも、シグも、ヴィクトルも……ユリウスも。
それでよかったんだよ」
ユリウスの瞳が揺れた。
長い罪悪感が溶けるように、静かにほどけていく。
「……そう、か……きみが……そう……言ってくれるなら……」
その表情は、苦悩を手放した子どものように穏やかだった。
少しの沈黙。
そして、ユリウスはかすかに唇を動かした。
「ルナ……研究…室の……机に……箱が……ある……
それは……きみが……これから……生きるために……使って……」
「ユリウス? 箱……って、どれの……」
言葉の途中で、握っていた指から力が抜けた。
呼吸が――音を立てずに途切れる。
「ユリウス……?」
返事はなかった。
胸の上下も、もうどこにもなかった。
ルナフィエラは静かに口を結び、そっとその身体を抱き寄せた。
夏の光が、揺れる影だけを残していた。
「……うん。わかったよ、ユリウス。
ちゃんと見つけるから……ありがとう」
涙は一筋だけ。
頬を伝い、ユリウスの胸に落ちた。
それは、彼の最期を見送るための、静かで優しい涙だった。
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