純血の姫と誓約の騎士たち〜紅き契約と滅びの呪い〜

来栖れいな

文字の大きさ
76 / 177
第五章:みんなと歩く日常

第74話・名前のないこの気持ち

しおりを挟む
静寂が満ちた古城の一室。
窓の外には、月が澄んだ光を落としていた。

ゆっくりとまぶたを開けると、天井が見えた。
見慣れた、自分の部屋の天井。

「……あれ……?」

記憶がふわりと揺れる。
街、屋台、みんなの笑顔――それから、足が重たくて、シグに支えられて。

(……帰ってきて、そのまま……)

自分でも気づかぬうちに眠ってしまったのだろう。
体はまだ重たいけれど、胸の奥はどこかあたたかくて。

「起きた?」

不意に、優しい声が降ってきた。

視線を横に向けると、ベッドのすぐ傍、肘をついて椅子に腰かけたユリウスがいた。
月明かりの中、銀の髪がやわらかく光っている。

「ユリウス……?」

「今日は僕の番だからね。夜の添い寝当番」

くすっと笑って、彼はベッドの縁に手を伸ばす。

「疲れてるのに、ちゃんと眠れてなかったらいけないと思って。……悪夢とか、見てない?」

「……見てない。……気づいたら、ぐっすりだった」

「それならよかった」

ユリウスは微笑むと、そっとベッドに腰かけ、ルナフィエラの髪を撫でた。
その手つきは、どこまでも穏やかで、決して境界を越えようとしないやさしさだった。

「……楽しかった?」

「うん。……ちょっと、こわかったけど……でも、みんなと一緒だったから、大丈夫だった。……楽しかったよ」

「そっか。……よかったよ」

ルナフィエラが頷くと、ユリウスはほんの少しだけ眉を下げて、ささやいた。

「君が“楽しい”って思えたことが、嬉しい。……本当に、そう思ってるよ」

その声は静かだったけれど、どこか深くて真剣で、ルナフィエラの胸を小さく揺らした。

「……わたし、今日……たくさんもらった気がする。優しさとか、笑顔とか。……子供の頃に、少しだけ似てる感じ」

「子供の頃?」

「うん。……まだ、お父様もお母様も生きてて。毎日じゃなかったけど、穏やかで……あったかかったの」

懐かしむように、でも少し寂しげに、ルナフィエラは目を細めた。

「でも……もうあの頃には戻れない。……だから、今は……みんなと一緒にいられるこの時間を、大事にしたい」

ユリウスは、そんなルナフィエラの言葉に黙って頷いた。
そして、そっと手を差し伸べる。

「一緒に寝ようか。……今日は、君の隣にいるから」

ルナフィエラは迷いなくその手を取った。


「寒くない?」

ユリウスは囁くようにそう言うと、布団の中でルナフィエラをそっと抱き寄せた。

「……ん。……ユリウス、あったかい」

「僕はエルフだからね。魔力もあるし、体温も高めなんだ。……君の体、冷たいから。こうしてる方が、落ち着くんじゃないかと思って」

ルナフィエラは小さく頷いて、彼の胸元に額を寄せた。
ユリウスの胸から伝わる温もりが、じんわりと染み込んでくる。

(……あったかい……すごく、落ち着く……)

静かな夜、何も言わなくても満たされるような心地よさ。
けれど、その安らぎの中に、ふいに何かがざわめいた。

「……ルナ。僕の血、吸っていいよ」

ユリウスが、囁くようにそう言った。

「え……」

「ずっと我慢してたでしょ。昼間も。でも……今日はたくさん歩いて疲れただろうし、普通の食事だけでは、体力も戻らないだろう?」

彼の手がそっとルナの頬を撫でる。
それだけで、優しさと想いが伝わってくるようで――ルナは、静かに瞳を伏せた。

「……ありがとう」

差し出された傷の入った手首に、躊躇いがちに唇を寄せると、ユリウスは微動だにせず、ただ静かに受け入れてくれる。
その脈動が、鼓動が、肌越しに伝わる。

(……やさしい……ユリウス、いつも……)

ほんのひと口、甘く温かな血をいただいた。

「……ん、……大丈夫……もう、いい……」

唇を離したルナフィエラの額を、ユリウスはそっと自分の額で受け止める。
その距離のまま、柔らかな声が降ってきた。

「……君が僕に触れてくれるの、嬉しいんだ。痛くも、怖くもない。……君が欲しいと思うなら、いつだって、僕のすべてをあげたい」

「……え……?」

その言葉に、ルナフィエラの胸がかすかに跳ねた。
ユリウスは笑うように、でもまっすぐにルナフィエラを見つめていた。

「吸血されることが嬉しいなんて、少し変かもしれないけど……僕は、君になら、そう思える」

ルナフィエラは返す言葉を持たなかった。
けれど、胸の奥で、何かが小さく灯った気がした。

(……どうして、こんなに……心が、あったかいんだろう)

ふわりと、ユリウスの腕がもう一度ルナフィエラを包む。
そのまま優しく彼の胸元へ引き寄せられた。

「……もう少しだけ、こうしてて。ちゃんと眠れるように」

「……うん……」

まぶたを閉じると、聞こえるのは鼓動だけ。
規則正しく響くその音に、ルナフィエラは身を任せる。

(……この気持ち……なんだろう……)

答えはまだ、名前を持たない。
でも――胸の奥で、小さく芽吹いていた。


こうして、安らぎとぬくもりの中で、ルナフィエラは再び深い眠りへと落ちていく。
それは、自分だけの静かな夜であり、ほんの少しだけ、恋の始まりを告げる夜でもあった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【長編版】孤独な少女が異世界転生した結果

下菊みこと
恋愛
身体は大人、頭脳は子供になっちゃった元悪役令嬢のお話の長編版です。 一話は短編そのまんまです。二話目から新しいお話が始まります。 純粋無垢な主人公テレーズが、年上の旦那様ボーモンと無自覚にイチャイチャしたり様々な問題を解決して活躍したりするお話です。 小説家になろう様でも投稿しています。

この世界に転生したらいろんな人に溺愛されちゃいました!

キムチ鍋
恋愛
前世は不慮の事故で死んだ(主人公)公爵令嬢ニコ・オリヴィアは最近前世の記憶を思い出す。 だが彼女は人生を楽しむことができなっかたので今世は幸せな人生を送ることを決意する。 「前世は不慮の事故で死んだのだから今世は楽しんで幸せな人生を送るぞ!」 そこからいろいろな人に愛されていく。 作者のキムチ鍋です! 不定期で投稿していきます‼️ 19時投稿です‼️

【受賞&書籍化】先視の王女の謀(さきみのおうじょのはかりごと)

神宮寺 あおい
恋愛
謎解き×恋愛 女神の愛し子は神託の謎を解き明かす。 月の女神に愛された国、フォルトゥーナの第二王女ディアナ。 ある日ディアナは女神の神託により隣国のウィクトル帝国皇帝イーサンの元へ嫁ぐことになった。 そして閉鎖的と言われるくらい国外との交流のないフォルトゥーナからウィクトル帝国へ行ってみれば、イーサンは男爵令嬢のフィリアを溺愛している。 さらにディアナは仮初の皇后であり、いずれ離縁してフィリアを皇后にすると言い出す始末。 味方の少ない中ディアナは女神の神託にそって行動を起こすが、それにより事態は思わぬ方向に転がっていく。 誰が敵で誰が味方なのか。 そして白日の下に晒された事実を前に、ディアナの取った行動はーー。 カクヨムコンテスト10 ファンタジー恋愛部門 特別賞受賞。

異世界から来た娘が、たまらなく可愛いのだが(同感)〜こっちにきてから何故かイケメンに囲まれています〜

恋愛
普通の女子高生、朱璃はいつのまにか異世界に迷い込んでいた。 右も左もわからない状態で偶然出会った青年にしがみついた結果、なんとかお世話になることになる。一宿一飯の恩義を返そうと懸命に生きているうちに、国の一大事に巻き込まれたり巻き込んだり。気付くと個性豊かなイケメンたちに大切に大切にされていた。 そんな乙女ゲームのようなお話。

捕まり癒やされし異世界

波間柏
恋愛
飲んでものまれるな。 飲まれて異世界に飛んでしまい手遅れだが、そう固く決意した大学生 野々村 未来の異世界生活。 異世界から来た者は何か能力をもつはずが、彼女は何もなかった。ただ、とある声を聞き閃いた。 「これ、売れる」と。 自分の中では砂糖多めなお話です。

異世界に落ちて、溺愛されました。

恋愛
満月の月明かりの中、自宅への帰り道に、穴に落ちた私。 落ちた先は異世界。そこで、私を番と話す人に溺愛されました。

異世界もふもふ死にかけライフ☆異世界転移して毛玉な呪いにかけられたら、凶相騎士団長様に拾われました。

和島逆
恋愛
社会人一年目、休日の山登り中に事故に遭った私は、気づけばひとり見知らぬ森の中にいた。そしてなぜか、姿がもふもふな小動物に変わっていて……? しかも早速モンスターっぽい何かに襲われて死にかけてるし! 危ういところを助けてくれたのは、大剣をたずさえた無愛想な大男。 彼の緋色の瞳は、どうやらこの世界では凶相と言われるらしい。でもでも、地位は高い騎士団長様。 頼む騎士様、どうか私を保護してください! あれ、でもこの人なんか怖くない? 心臓がバクバクして止まらないし、なんなら息も苦しいし……? どうやら私は恐怖耐性のなさすぎる聖獣に変身してしまったらしい。いや恐怖だけで死ぬってどんだけよ! 人間に戻るためには騎士団長の助けを借りるしかない。でも騎士団長の側にいると死にかける! ……うん、詰んだ。 ★「小説家になろう」先行投稿中です★

銀狼の花嫁~動物の言葉がわかる獣医ですが、追放先の森で銀狼さんを介抱したら森の聖女と呼ばれるようになりました~

川上とむ
恋愛
森に囲まれた村で獣医として働くコルネリアは動物の言葉がわかる一方、その能力を気味悪がられていた。 そんなある日、コルネリアは村の習わしによって森の主である銀狼の花嫁に選ばれてしまう。 それは村からの追放を意味しており、彼女は絶望する。 村に助けてくれる者はおらず、銀狼の元へと送り込まれてしまう。 ところが出会った銀狼は怪我をしており、それを見たコルネリアは彼の傷の手当をする。 すると銀狼は彼女に一目惚れしたらしく、その場で結婚を申し込んでくる。 村に戻ることもできないコルネリアはそれを承諾。晴れて本当の銀狼の花嫁となる。 そのまま森で暮らすことになった彼女だが、動物と会話ができるという能力を活かし、第二の人生を謳歌していく。

処理中です...