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第六章:流れる鼓動、重なる願い
第84話・その一歩に、勇気を
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陽の光が、森の木々の隙間からやわらかに差し込む。
静かな昼下がり。
窓際に佇む少女の横顔には、どこか翳りがあった。
ルナフィエラはそっと息を吸い、ゆるやかに吐き出す。
頬に微かに赤みが差し、瞳はぼんやりとしている。
「……ふぅ……」
吐息とともに、魔力がかすかに揺れる。
最近、こうしているだけで胸の奥にざわつくような違和感が生じていた。
(……ちょっと、疲れやすい気がする。でも……)
それが体調のせいなのか、渇きによるものか、自分では判断がつかない。
けれど、吸血をしても以前ほど身体が軽くならないことには、うすうす気づいていた。
そのとき、静かな足音とともに、ヴィクトルが彼女に近づいてくる。
その手には薄手の上着。
昼とはいえ風はまだ冷たく、無意識に肩をすくめていたルナフィエラを見て、彼はそっとそれをかけてくれた。
「……ルナ様、風が出てきました。……もう少し、中でお休みになっては?」
「……ん、大丈夫……だから、ありがと」
そう言いながらも、ルナフィエラの声はどこか掠れていた。
ヴィクトルは何も言わずに、じっとその顔を見つめる。
その瞳は静かに、しかし確かに訴えていた。
――その顔色は、どう見ても「大丈夫」には見えない。
少し離れた場所では、フィンが落ち着かない様子で果物の盛り合わせを抱え、ちらちらとこちらを窺っていた。
迷った末、そっと声をかける。
「ねえ、ルナ、これ……ちょっとだけでも食べない? 甘くて……美味しいよ」
「……ありがとう、フィン。でも、今はちょっと……」
苦笑を浮かべながらそう答えるルナに、フィンは眉を下げた。
それでも無理に引っ込めることはせず、彼女のすぐそばに腰を下ろして静かに寄り添う。
一方、さらに離れた廊の向こうからは、鋭い視線が注がれていた。
シグだ。無言のまま、ルナフィエラの歩みや表情、魔力の流れまでを読み取るように観察していた。
そして、口には出さずとも、その瞳は真実を捉えていた。
――血の量が足りていない。
ルナ自身が自覚していなくても、周囲の彼らには明らかだった。
魔力は不安定で、体力の回復も鈍い。吸血の後にも、満ち足りた気配が見られなかった。
(……そろそろ、あの話をするべきか)
ちょうどそのとき、ユリウスが書庫から戻ってきた。
ヴィクトルと視線が交わる。言葉はない。
だが、その一瞥だけで互いの想いは通じていた。
ルナフィエラが、“次の段階”へと進むべき時が来ている。
それは彼女の“渇き”が、もはや手首からの数滴では追いつかないことを意味していた。
日が少し傾きはじめた頃。
城の図書室の片隅で、ルナフィエラは4人に囲まれていた。
ヴィクトル、ユリウス、シグ、そしてフィン――彼らの表情には、静かだが確かな緊張が走っている。
自分の“渇き”が理由なのだと、ルナフィエラはすぐに悟った。
「……私、そんなに……おかしい、かな?」
小さな問いかけに、誰もすぐには答えなかった。
そして、少し間を空けてユリウスが優しく微笑みながら言った。
「おかしくはないよ。ただ……君の力が、以前とは比べものにならないほど育ってきている。
だから今の吸血方法では、もう足りないんだ」
“育ってきている”
その言葉が、じんわりとルナフィエラの胸に染みる。
確かに最近、魔力のうねりや感覚は以前より強く、鋭くなってきているように思えた。
けれど、それが“足りない”という言葉に繋がるとは、思ってもいなかった。
「……でも、どうしたら……?」
かすかに震える声。
その揺れを受け止めるように、ヴィクトルが静かに口を開く。
「ルナ様。ご存じかと思いますが――本来、吸血とは“牙”を用いるものです。
手首からの吸血はあくまで一時的な手段であり……血の流れも、魔力の伝導も、本来の方法には及びません」
穏やかで丁寧な語調。だが、その眼差しは真っ直ぐに彼女の未来を見据えていた。
「以前、一度だけ……挑戦されましたね」
ルナの肩が小さく震える。
あのときの記憶がよみがえる――
ヴィクトルの首筋に牙を立てようとした、けれど――刺さらなかった。
怖くて、どうしてもできなかった。
「……私、また……失敗したら……」
その小さな呟きに、シグが静かに口を開く。
「失敗しても、誰も怒らない。むしろ、失敗するたびに、俺たちにもっと頼れ」
ぶっきらぼうな言い方。
それでも、その瞳は真摯でまっすぐだった。
ルナフィエラは思わず彼の顔を見る。
そこには、気遣いと誠実さが確かにあった。
フィンも立ち上がり、彼女の隣へそっと腰を下ろす。
そして、にこっと微笑んで言った。
「僕たち、ずっとそばにいるよ。だから、ルナが“牙”を使う時が来ても……怖がらなくていい。……ね?」
みんなの言葉が、胸にじんわりと染みてくる。
ルナフィエラは小さく息を飲み、膝の上で手を握りしめた。
――本当は、わかっている。
誰かを守るために、もっと強くならなくちゃいけない。
でも、それでも怖い。
自分が、誰かを傷つけてしまうんじゃないかと。
「……じゃあ、もし……もしも、やるなら……誰で……?」
迷うように、宙を彷徨う視線。
誰かの助けが必要。でも、その誰かを傷つけたくはない。
そのときだった。
「……俺でいい」
シグの声が、低く、静かに響いた。
ルナフィエラは驚いて顔を上げる。
けれど、シグの表情はいつものように飄々としていた。
「昔から、痛みには強い方だ。何度でも練習に付き合ってやる」
彼の言葉に、ルナフィエラの瞳が揺れる。
不安と迷いが残っている。
けれど――背中を押してくれる人たちがいて、見守ってくれる瞳がある。
ほんの少しだけ、勇気が湧いてきた。
「……うん……」
ルナフィエラの小さな声に、周囲の空気がふわりと和らぐ。
その中心で、ヴィクトルは静かに目を伏せ、彼女の背にそっと手を添えた。
(あなたが、少しずつでも前に進めるように……)
その願いを胸に、騎士たちは各々の想いを胸に秘めたまま、ルナフィエラをそっと包み込むように見つめていた――。
静かな昼下がり。
窓際に佇む少女の横顔には、どこか翳りがあった。
ルナフィエラはそっと息を吸い、ゆるやかに吐き出す。
頬に微かに赤みが差し、瞳はぼんやりとしている。
「……ふぅ……」
吐息とともに、魔力がかすかに揺れる。
最近、こうしているだけで胸の奥にざわつくような違和感が生じていた。
(……ちょっと、疲れやすい気がする。でも……)
それが体調のせいなのか、渇きによるものか、自分では判断がつかない。
けれど、吸血をしても以前ほど身体が軽くならないことには、うすうす気づいていた。
そのとき、静かな足音とともに、ヴィクトルが彼女に近づいてくる。
その手には薄手の上着。
昼とはいえ風はまだ冷たく、無意識に肩をすくめていたルナフィエラを見て、彼はそっとそれをかけてくれた。
「……ルナ様、風が出てきました。……もう少し、中でお休みになっては?」
「……ん、大丈夫……だから、ありがと」
そう言いながらも、ルナフィエラの声はどこか掠れていた。
ヴィクトルは何も言わずに、じっとその顔を見つめる。
その瞳は静かに、しかし確かに訴えていた。
――その顔色は、どう見ても「大丈夫」には見えない。
少し離れた場所では、フィンが落ち着かない様子で果物の盛り合わせを抱え、ちらちらとこちらを窺っていた。
迷った末、そっと声をかける。
「ねえ、ルナ、これ……ちょっとだけでも食べない? 甘くて……美味しいよ」
「……ありがとう、フィン。でも、今はちょっと……」
苦笑を浮かべながらそう答えるルナに、フィンは眉を下げた。
それでも無理に引っ込めることはせず、彼女のすぐそばに腰を下ろして静かに寄り添う。
一方、さらに離れた廊の向こうからは、鋭い視線が注がれていた。
シグだ。無言のまま、ルナフィエラの歩みや表情、魔力の流れまでを読み取るように観察していた。
そして、口には出さずとも、その瞳は真実を捉えていた。
――血の量が足りていない。
ルナ自身が自覚していなくても、周囲の彼らには明らかだった。
魔力は不安定で、体力の回復も鈍い。吸血の後にも、満ち足りた気配が見られなかった。
(……そろそろ、あの話をするべきか)
ちょうどそのとき、ユリウスが書庫から戻ってきた。
ヴィクトルと視線が交わる。言葉はない。
だが、その一瞥だけで互いの想いは通じていた。
ルナフィエラが、“次の段階”へと進むべき時が来ている。
それは彼女の“渇き”が、もはや手首からの数滴では追いつかないことを意味していた。
日が少し傾きはじめた頃。
城の図書室の片隅で、ルナフィエラは4人に囲まれていた。
ヴィクトル、ユリウス、シグ、そしてフィン――彼らの表情には、静かだが確かな緊張が走っている。
自分の“渇き”が理由なのだと、ルナフィエラはすぐに悟った。
「……私、そんなに……おかしい、かな?」
小さな問いかけに、誰もすぐには答えなかった。
そして、少し間を空けてユリウスが優しく微笑みながら言った。
「おかしくはないよ。ただ……君の力が、以前とは比べものにならないほど育ってきている。
だから今の吸血方法では、もう足りないんだ」
“育ってきている”
その言葉が、じんわりとルナフィエラの胸に染みる。
確かに最近、魔力のうねりや感覚は以前より強く、鋭くなってきているように思えた。
けれど、それが“足りない”という言葉に繋がるとは、思ってもいなかった。
「……でも、どうしたら……?」
かすかに震える声。
その揺れを受け止めるように、ヴィクトルが静かに口を開く。
「ルナ様。ご存じかと思いますが――本来、吸血とは“牙”を用いるものです。
手首からの吸血はあくまで一時的な手段であり……血の流れも、魔力の伝導も、本来の方法には及びません」
穏やかで丁寧な語調。だが、その眼差しは真っ直ぐに彼女の未来を見据えていた。
「以前、一度だけ……挑戦されましたね」
ルナの肩が小さく震える。
あのときの記憶がよみがえる――
ヴィクトルの首筋に牙を立てようとした、けれど――刺さらなかった。
怖くて、どうしてもできなかった。
「……私、また……失敗したら……」
その小さな呟きに、シグが静かに口を開く。
「失敗しても、誰も怒らない。むしろ、失敗するたびに、俺たちにもっと頼れ」
ぶっきらぼうな言い方。
それでも、その瞳は真摯でまっすぐだった。
ルナフィエラは思わず彼の顔を見る。
そこには、気遣いと誠実さが確かにあった。
フィンも立ち上がり、彼女の隣へそっと腰を下ろす。
そして、にこっと微笑んで言った。
「僕たち、ずっとそばにいるよ。だから、ルナが“牙”を使う時が来ても……怖がらなくていい。……ね?」
みんなの言葉が、胸にじんわりと染みてくる。
ルナフィエラは小さく息を飲み、膝の上で手を握りしめた。
――本当は、わかっている。
誰かを守るために、もっと強くならなくちゃいけない。
でも、それでも怖い。
自分が、誰かを傷つけてしまうんじゃないかと。
「……じゃあ、もし……もしも、やるなら……誰で……?」
迷うように、宙を彷徨う視線。
誰かの助けが必要。でも、その誰かを傷つけたくはない。
そのときだった。
「……俺でいい」
シグの声が、低く、静かに響いた。
ルナフィエラは驚いて顔を上げる。
けれど、シグの表情はいつものように飄々としていた。
「昔から、痛みには強い方だ。何度でも練習に付き合ってやる」
彼の言葉に、ルナフィエラの瞳が揺れる。
不安と迷いが残っている。
けれど――背中を押してくれる人たちがいて、見守ってくれる瞳がある。
ほんの少しだけ、勇気が湧いてきた。
「……うん……」
ルナフィエラの小さな声に、周囲の空気がふわりと和らぐ。
その中心で、ヴィクトルは静かに目を伏せ、彼女の背にそっと手を添えた。
(あなたが、少しずつでも前に進めるように……)
その願いを胸に、騎士たちは各々の想いを胸に秘めたまま、ルナフィエラをそっと包み込むように見つめていた――。
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