純血の姫と誓約の騎士たち〜紅き契約と滅びの呪い〜

来栖れいな

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第六章:流れる鼓動、重なる願い

第85話・血の温もりと、ひとしずくの勇気

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夜の帳が落ち、古城の一室に、穏やかな灯りが揺れていた。

シグはソファに腰を下ろし、背もたれにゆったりと身を預けている。
その前に立つのは、ルナフィエラ。

伏せられた視線、震える肩。
緊張と不安、そしてほんの少しの期待が、胸の奥で渦を巻いていた。

「ルナ様、深く息を吸って。緊張は、牙に伝わってしまいます」

横に立つヴィクトルが、静かに声をかける。
彼の眼差しは、いつものように穏やかで、すべてを受け止めるような深さを宿していた。

「牙はね、優しく押し当てて、少しずつ力を入れる。
いきなり刺そうとすると、うまくいかないよ」

反対側からユリウスが言葉を添える。
柔らかな声音には、真剣な想いが滲んでいた。

「焦らなくていい。ルナが、安心してできるように」

「……うん」

かすれた返事をしたものの、ルナフィエラの足は動かなかった。
あの失敗した記憶が脳裏をよぎる。
ヴィクトルの首筋に牙を立てようとして、怖くて、力を込められなかったあの時。

また同じことになるんじゃないか。
今度こそ、相手を傷つけてしまうんじゃないか――そんな恐れが、身体を縛りつけていた。

「……なぁ、ルナ」

ふいに、正面から呼びかける声がした。
シグの声だ。
ルナフィエラが顔を上げると、彼はゆるく笑いながら、自分の膝をぽんぽんと叩いてみせた。

「こっちは準備万端だ。怖くても、ちょっとずつやってみりゃいい。
お前が上手くいくまで、何度だって付き合ってやる」

そう言って、立ちすくむルナフィエラの背に手を添え、ぽんぽんと軽く叩いた。

それは、あたたかくて、優しい手。
まるで「大丈夫だよ」と、手のひらで伝えてくれるようだった。

「……ありがとう、シグ」

小さく、でも確かな声でそう言って、ルナは一歩前に進む。

シグの膝の間に立ち、そっと顔を近づける。
首筋が視界に入ると、緊張が再び胸を締めつけた。
けれど、その不安を拭うように、ヴィクトルがそっと手を添える。

「大丈夫です、ルナ様。あなたの牙は、本来とても美しいものです。
誰かを傷つけるためのものではありません。……どうか、ご自身を信じて」

その言葉に、ルナフィエラは小さく頷く。
ユリウスの指先が彼女の顎に触れ、角度をやさしく調整してくれる。

「そう、そのまま……呼吸を整えて。あとは、少しだけ力を込めてみて」

首筋に牙を近づけると、シグの香りが鼻腔をくすぐった。
喉の奥が、ぴくりと反応する。

ルナフィエラは深く息を吸い――そして、小さく囁く。

「……いくね」

そして、そっと牙を押し当てた。

少しずつ、少しずつ――慎重に、けれど確実に力を込めていく。
前とは違う。
怖いけれど、もう目を背けない。

ふっと何かが抜けるような感覚のあと、牙が肌を貫いた。
滲み出た血が、舌先に届く。

その瞬間、魔力が熱を持って身体を巡り始めた。
奥の方がじんわりと満たされていく。思わず目を閉じる。

「……!」

シグが少しだけ息を飲んだ気配があった。
けれど、それは苦痛ではなく、むしろどこか安堵のように感じられた。

ルナフィエラは、彼の肩にそっと手を添えた。
吸いすぎないように、慎重に――だが、確かに彼の血を受け取っていく。

やがて、ヴィクトルの声が、やわらかく響いた。

「……そろそろ、止めましょうか」

ルナフィエラはそっと牙を引いた。
そして、ゆっくりと顔を上げる。

シグの首筋には、かすかに赤い跡が残っていた。
けれど彼はにっと笑って、いつもの調子で言った。

「おう、上出来じゃねぇか。……な?」

ルナフィエラの胸の奥が、温かく満たされていく。
できた――ちゃんと、牙を使って、吸えた。

瞳の奥に浮かびかけた涙を隠すように、ルナフィエラは目を伏せる。

すると、フィンが隣からそっと手を握ってきた。

「ルナ、かっこよかったよ。……本当に」

その言葉に、ルナフィエラはようやく、小さく笑った。
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