19 / 69
第19話・熱に溶けた心が、あなたを呼んだ
しおりを挟む
自動ドアをくぐると、冷房の涼しい空気が全身を包み込んだ。
火照っていた頬がすっと冷え、肺に入る空気まで軽く感じる。
涼しさにほっとしながら店内を見回すと、棚の一角に探していた道具が並んでいた。
(あった……)
手に取ると、想像より軽く、ひとつの袋に収まるほどのサイズ。
すぐに会計を済ませ、紙袋を受け取る。
このままバスに乗れば、今日は早く帰れる。
そう思いながら自動ドアを抜けた途端、もわっとした熱気がまとわりついた。
行きの徒歩10分だけで、すでにかなり体力が削られていたことに、このときの琴葉はまだ気づいていなかった。
日傘を差してバス停へ向かう。
けれど、歩き出してすぐに足取りが重くなった。
(……なんか、ちょっと辛い…)
呼吸が浅い。
汗が首筋をつーっと流れ、火照った頬がさらに熱を帯びていく。
(……日陰……)
バス停まであと少しだったが、このまま歩き続けるのは不安で、近くのビルの陰に移動した。
バックを開き、緊急連絡先の画面を開く。
並んでいる名前は、父、母、そして――奏一。
迷いなく母を選びかけた指が、画面に触れる寸前でぴたりと止まった。
もし今、母に連絡すれば――きっと実家に連れ戻される。
せっかく得られた、わずかな自由がなくなってしまう。
それだけは、嫌だった。
暑さと息苦しさで思考は鈍っているはずなのに、そのことだけははっきりしている。
気づくと、指先は自然と別の名前を押していた。
コール音が鳴る。
1回、2回――すぐに、通話が繋がった。
「……遠野です」
低く落ち着いた声が耳に届き、その瞬間、胸の奥がきゅっと締めつけられた。
「……っ」
言葉が出ない。
けれど、今さら切るわけにもいかない。
「……あの、ごめんなさい……」
「琴葉さん?」
奏一の声が急に硬くなる。
「……3限、休講になって、ちょっと外に出たんだけど……。その、暑くて……、今、少しだけ、辛くて……」
「どこにいますか」
バス停の名前と、そのすぐ近くのビルの陰にいることを伝えると、間髪入れず言葉が返ってきた。
「場所はわかりました。すぐ行きます。
――近くにコンビニがありますね。そこに入って待っていてください」
「……わかった」
通話が切れたあと、バッグを握り直す手が少し震えた。
それでも、言われたとおりコンビニの自動ドアをくぐる。
冷房が効いていて涼しい……はずなのに、汗が止まらない。
雑誌コーナーの前で壁にもたれ、肩で呼吸をしているのが自分でもわかる。
(立ってるだけで……キツい……)
背中を汗がつたっていくのがはっきりわかる。
呼吸は浅く、胸の奥がどくどくと速い。
(……先生、早く……)
祈るように目を閉じる。
外より涼しいはずなのに、めまいのようなふわつきが何度か押し寄せた。
倒れそう――まではいかない。
でも、この状態で外にもう一度出るのは無理だ、とすぐにわかる。
だから、ただ待つしかなかった。
やがて、コンビニの自動ドアの向こうで車のエンジン音が止まり、足早な靴音が近づいてくる。
「……琴葉さん」
駆け込んできた奏一が視線を合わせた瞬間、状況を一度に把握したようだった。
雑誌棚にもたれて立っている琴葉の肩は、かすかに上下し、手には小さな紙袋とバックを握りしめている。
「そのままで大丈夫です。……荷物、預かります」
断らせる隙など与えない自然さで、琴葉の指先から荷物がそっと取り上げられる。
触れられた部分が一瞬軽くなり、その軽さだけで少し呼吸がしやすくなる気がした。
「車まで移動します。歩くときは、腕につかまってください」
言われるままに、奏一の腕に手を添える。
強く支えるのではなく、軽く触れる程度の力なのに、歩幅や速度がぴたりと琴葉に合わせられていた。
自動ドアを抜けると、コンビニ前の路肩に黒い車がハザードを出して停まっている。
助手席のドアを開けながら、奏一は穏やかに声を落とした。
「どうぞ。……ゆっくりで構いません」
座席に腰を下ろした瞬間、車内の冷気が頬を撫でた。
熱がこもっていた体に、ひやりと心地よい風がしみていく。
「すぐ戻ります。少しだけ、待っていてください」
そう言って、奏一は一度ドアを閉めた。
車内の冷気が逃げないように、と気遣う動作がどこか丁寧だ。
彼はそのままコンビニに戻っていき、ほんの数分後、ビニール袋を提げて戻ってくる。
「必要そうなものを買ってきました。まずは水です。……無理に飲まなくていいので、少しずつ」
冷えたボトルが、琴葉の手のひらに触れた。
そのひんやりとした感触が、胸の奥までほっと染み渡った。
火照っていた頬がすっと冷え、肺に入る空気まで軽く感じる。
涼しさにほっとしながら店内を見回すと、棚の一角に探していた道具が並んでいた。
(あった……)
手に取ると、想像より軽く、ひとつの袋に収まるほどのサイズ。
すぐに会計を済ませ、紙袋を受け取る。
このままバスに乗れば、今日は早く帰れる。
そう思いながら自動ドアを抜けた途端、もわっとした熱気がまとわりついた。
行きの徒歩10分だけで、すでにかなり体力が削られていたことに、このときの琴葉はまだ気づいていなかった。
日傘を差してバス停へ向かう。
けれど、歩き出してすぐに足取りが重くなった。
(……なんか、ちょっと辛い…)
呼吸が浅い。
汗が首筋をつーっと流れ、火照った頬がさらに熱を帯びていく。
(……日陰……)
バス停まであと少しだったが、このまま歩き続けるのは不安で、近くのビルの陰に移動した。
バックを開き、緊急連絡先の画面を開く。
並んでいる名前は、父、母、そして――奏一。
迷いなく母を選びかけた指が、画面に触れる寸前でぴたりと止まった。
もし今、母に連絡すれば――きっと実家に連れ戻される。
せっかく得られた、わずかな自由がなくなってしまう。
それだけは、嫌だった。
暑さと息苦しさで思考は鈍っているはずなのに、そのことだけははっきりしている。
気づくと、指先は自然と別の名前を押していた。
コール音が鳴る。
1回、2回――すぐに、通話が繋がった。
「……遠野です」
低く落ち着いた声が耳に届き、その瞬間、胸の奥がきゅっと締めつけられた。
「……っ」
言葉が出ない。
けれど、今さら切るわけにもいかない。
「……あの、ごめんなさい……」
「琴葉さん?」
奏一の声が急に硬くなる。
「……3限、休講になって、ちょっと外に出たんだけど……。その、暑くて……、今、少しだけ、辛くて……」
「どこにいますか」
バス停の名前と、そのすぐ近くのビルの陰にいることを伝えると、間髪入れず言葉が返ってきた。
「場所はわかりました。すぐ行きます。
――近くにコンビニがありますね。そこに入って待っていてください」
「……わかった」
通話が切れたあと、バッグを握り直す手が少し震えた。
それでも、言われたとおりコンビニの自動ドアをくぐる。
冷房が効いていて涼しい……はずなのに、汗が止まらない。
雑誌コーナーの前で壁にもたれ、肩で呼吸をしているのが自分でもわかる。
(立ってるだけで……キツい……)
背中を汗がつたっていくのがはっきりわかる。
呼吸は浅く、胸の奥がどくどくと速い。
(……先生、早く……)
祈るように目を閉じる。
外より涼しいはずなのに、めまいのようなふわつきが何度か押し寄せた。
倒れそう――まではいかない。
でも、この状態で外にもう一度出るのは無理だ、とすぐにわかる。
だから、ただ待つしかなかった。
やがて、コンビニの自動ドアの向こうで車のエンジン音が止まり、足早な靴音が近づいてくる。
「……琴葉さん」
駆け込んできた奏一が視線を合わせた瞬間、状況を一度に把握したようだった。
雑誌棚にもたれて立っている琴葉の肩は、かすかに上下し、手には小さな紙袋とバックを握りしめている。
「そのままで大丈夫です。……荷物、預かります」
断らせる隙など与えない自然さで、琴葉の指先から荷物がそっと取り上げられる。
触れられた部分が一瞬軽くなり、その軽さだけで少し呼吸がしやすくなる気がした。
「車まで移動します。歩くときは、腕につかまってください」
言われるままに、奏一の腕に手を添える。
強く支えるのではなく、軽く触れる程度の力なのに、歩幅や速度がぴたりと琴葉に合わせられていた。
自動ドアを抜けると、コンビニ前の路肩に黒い車がハザードを出して停まっている。
助手席のドアを開けながら、奏一は穏やかに声を落とした。
「どうぞ。……ゆっくりで構いません」
座席に腰を下ろした瞬間、車内の冷気が頬を撫でた。
熱がこもっていた体に、ひやりと心地よい風がしみていく。
「すぐ戻ります。少しだけ、待っていてください」
そう言って、奏一は一度ドアを閉めた。
車内の冷気が逃げないように、と気遣う動作がどこか丁寧だ。
彼はそのままコンビニに戻っていき、ほんの数分後、ビニール袋を提げて戻ってくる。
「必要そうなものを買ってきました。まずは水です。……無理に飲まなくていいので、少しずつ」
冷えたボトルが、琴葉の手のひらに触れた。
そのひんやりとした感触が、胸の奥までほっと染み渡った。
38
あなたにおすすめの小説
うっかり結婚を承諾したら……。
翠月 瑠々奈
恋愛
「結婚しようよ」
なんて軽い言葉で誘われて、承諾することに。
相手は女避けにちょうどいいみたいだし、私は煩わしいことからの解放される。
白い結婚になるなら、思う存分魔導の勉強ができると喜んだものの……。
実際は思った感じではなくて──?
毒味役の私がうっかり皇帝陛下の『呪い』を解いてしまった結果、異常な執着(物理)で迫られています
白桃
恋愛
「触れるな」――それが冷酷と噂される皇帝レオルの絶対の掟。
呪いにより誰にも触れられない孤独な彼に仕える毒味役のアリアは、ある日うっかりその呪いを解いてしまう。
初めて人の温もりを知った皇帝は、アリアに異常な執着を見せ始める。
「私のそばから離れるな」――物理的な距離感ゼロの溺愛(?)に戸惑うアリア。しかし、孤独な皇帝の心に触れるうち、二人の関係は思わぬ方向へ…? 呪いが繋いだ、凸凹主従(?)ラブファンタジー!
婚活に疲れたアラサーOLの私、癒やし的存在の弟分(高校生)に「もう待てない」と外堀を埋められています ~10年分の執着は、甘すぎて重すぎる~
ダルい
恋愛
「29歳? 子供産むならもっと若い子がよかったな」
中堅企業で働く早川結衣(29)は、婚活市場における年齢の壁と、デリカシーのない男たちにすり減らされる日々を送っていた。
そんな結衣の唯一の癒やしは、マンションの隣に住む幼馴染の高校生・瀬戸湊(16)。
両親が共働きの彼に代わって、幼い頃はお世話をしてあげていた……はずが、いつの間にか立場は逆転。
手料理を振る舞われ、愚痴を聞かれ、マッサージまでされる始末。「湊がお嫁さんならいいのに」なんて冗談を言っていたけれど。
「今の結衣姉が一番綺麗だよ。……早く、誰も手出しできない『おばさん』になってくれればいいのに」
可愛い弟分だと思っていた彼が、時折見せる『オス』の顔。
16歳の高校生と、もうすぐ30歳のアラサー。
13歳差の常識と理性に抗いながら、生意気な年下男子に外堀を埋められていく、甘くて重い現状維持(ラブストーリー)。
「俺が大人になるまで、誰とも結婚しないで」
癒やされたいすべての女性に贈る、最強の年下幼馴染による溺愛包囲網、開始。
先生
藤谷 郁
恋愛
薫は28歳の会社員。
町の絵画教室で、穏やかで優しい先生と出会い、恋をした。
ひとまわりも年上の島先生。独身で、恋人もいないと噂されている。
だけど薫は恋愛初心者。
どうすればいいのかわからなくて……
※他サイトに掲載した過去作品を転載(全年齢向けに改稿)
初恋に見切りをつけたら「氷の騎士」が手ぐすね引いて待っていた~それは非常に重い愛でした~
ひとみん
恋愛
メイリフローラは初恋の相手ユアンが大好きだ。振り向いてほしくて会う度求婚するも、困った様にほほ笑まれ受け入れてもらえない。
それが十年続いた。
だから成人した事を機に勝負に出たが惨敗。そして彼女は初恋を捨てた。今までたった 一人しか見ていなかった視野を広げようと。
そう思っていたのに、巷で「氷の騎士」と言われているレイモンドと出会う。
好きな人を追いかけるだけだった令嬢が、両手いっぱいに重い愛を抱えた令息にあっという間に捕まってしまう、そんなお話です。
ツッコミどころ満載の5話完結です。
大丈夫のその先は…
水姫
恋愛
実来はシングルマザーの母が再婚すると聞いた。母が嬉しそうにしているのを見るとこれまで苦労かけた分幸せになって欲しいと思う。
新しくできた父はよりにもよって医者だった。新しくできた兄たちも同様で…。
バレないように、バレないように。
「大丈夫だよ」
すいません。ゆっくりお待ち下さい。m(_ _)m
ハイスぺ幼馴染の執着過剰愛~30までに相手がいなかったら、結婚しようと言ったから~
cheeery
恋愛
パイロットのエリート幼馴染とワケあって同棲することになった私。
同棲はかれこれもう7年目。
お互いにいい人がいたら解消しようと約束しているのだけど……。
合コンは撃沈。連絡さえ来ない始末。
焦るものの、幼なじみ隼人との生活は、なんの不満もなく……っというよりも、至極の生活だった。
何かあったら話も聞いてくれるし、なぐさめてくれる。
美味しい料理に、髪を乾かしてくれたり、買い物に連れ出してくれたり……しかも家賃はいらないと受け取ってもくれない。
私……こんなに甘えっぱなしでいいのかな?
そしてわたしの30歳の誕生日。
「美羽、お誕生日おめでとう。結婚しようか」
「なに言ってるの?」
優しかったはずの隼人が豹変。
「30になってお互いに相手がいなかったら、結婚しようって美羽が言ったんだよね?」
彼の秘密を知ったら、もう逃げることは出来ない。
「絶対に逃がさないよ?」
バケモノ貴公子は傷を負った令嬢を寵愛する
冬野 海
恋愛
命をかけて救った王女は婚約者になった。
だが第一騎士団長である彼は、「バケモノ」と罵られている。
事件を境に、彼は下弦の月の仮面を被る。
そんな彼の前に現れたのは、仮面の下の「バケモノ」を見ても恐れない少女だった。
冷静、冷徹だけど、不器用な仮面の騎士と、不思議な魅力を持ちながら、消えない傷を抱える少女の深い恋の物語。
——この素顔は君だけのもの
この刻印はあなただけのもの——
初めまして。本作品に目を留めていただき、ありがとうございます。
1月5日から【6時・21時】に公開予定です。
1日に2話ずつ更新します。短いお話の回は、3話になることもあります。
ぜひ、近況ボードにもお立ち寄りください。
もしお気づきの点がありましたら、優しくご指摘いただけると嬉しいです。
どうぞよろしくお願いいたします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる