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第31話・その手があれば、帰れる
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悩んでいる琴葉の沈黙を受け取るように、奏一が柔らかい声で言う。
「琴葉さん。……夏休みは長いです。今すぐここで決める必要はないでしょう」
ゆっくりと顔を上げると、変わらないはずのその表情が、どこか優しく感じられた。
「もし、琴葉さんが望むのであれば――私も、ご一緒しましょうか?」
「え……」
思わず、声が漏れた。
(先生が……一緒に?)
てっきり、帰省なんて“私一人で乗り越えるもの”だと思っていた。
あの家に帰ること、母と話すこと、また何かを否定されるかもしれない不安も――
全部、自分だけで受け止めるしかないと。
だからこそ、あまりにも意外な申し出だった。
「仕事がありますので、泊まりは難しいですが、日帰りであれば可能です。ご両親に改めてご挨拶もできますので」
そう静かに言う奏一の声に、琴葉の胸が、じんわりと熱くなる。
(……そんな未来、考えたこともなかった)
守られているような、支えられているような。
誰にも言えなかった不安や怖さを、そっと背負ってくれるような温度。
「……先生が一緒に来てくれるなら、ちょっとだけ……帰ってもいいかな」
自分でも驚くくらい小さな声だった。
けれど、奏一には確かに届いていた。
「わかりました。では無理のないように、予定を調整しますね」
そう言ってそっと目を細めた奏一の微笑みは、どこまでもあたたかかった。
——————
数日後、リビングでアイスティーを飲んでいたときのこと。
奏一がふと顔を上げ、いつもの穏やかな声で告げた。
「ご実家への訪問ですが、今週末で日程が決まりました」
「えっ……」
思わず声が漏れた。
心の準備は、まだできていない。
けれど、「行かない」と言ったわけではない。
「先生が……調整してくれたの?」
「ええ。仕事の兼ね合いもありますので」
それは、まるで当たり前のように。
スケジュールに組み込まれた「必要な予定」として、ごく自然に言ってのけた。
琴葉は一瞬言葉に詰まったが、小さく「……そっか」と頷いた。
それだけの会話だったのに、なぜか胸の奥がぽっとあたたかくなった。
そして迎えた当日。
鏡の前で身だしなみを確認しながら、琴葉は胸元にそっと手を添えた。
(大丈夫、大丈夫……)
数ヶ月前まで毎日いた家なのに、どうしてこんなに緊張するんだろう。
落ち着かない心をなだめるように小さく呟く。
リビングから足音が近づき、ドアがノックされた。
「琴葉さん、準備はできましたか?」
「……うん、いま行く」
小さな肩を上下に動かして、琴葉はバッグを手に取る。
玄関では、いつものスーツではなく少しラフな服装の奏一が、落ち着いた表情で待っていた。
「では、行きましょう」
変わらぬトーン。変わらぬ距離感。
でも、先生が一緒なら――きっと、大丈夫。
琴葉は小さく深呼吸をして、家を後にした。
実家の玄関前でチャイムを押すと、すぐに足音が近づいてきた。
「はーい」
聞き慣れた母の声とともに扉が開く。
「琴葉……おかえり」
見慣れた笑顔がそこにあった。
それでも琴葉の心臓はどくんと跳ねた。
久しぶりに見る母の顔。
少し痩せた気がするのは、自分のせいだろうか――そんな考えがよぎる。
「……ただいま」
自然に言えたつもりだったが、声はほんの少し震えていた。
母は続いて、隣に立つ奏一へと視線を移し、丁寧に頭を下げる。
「遠野先生、お忙しいところをありがとうございます」
「いえ、とんでもありません。お時間をいただき、感謝しています」
表情も声も、いつも通り穏やかで丁寧な奏一。
それでも母はどこか緊張したように、玄関の扉を大きく開けた。
「どうぞ、中へ。冷たいものでもお出ししますね」
そう言って招き入れながら、母がふと琴葉の顔をちらりと見る。
「琴葉、緊張してるの? 先生がついてきてくれてるのに」
からかうような口調。
だけど琴葉はすぐには返事ができなかった。
先生が一緒だから、今こうして立っていられる。
でも、それをそのまま言うのは、なんだかこそばゆい。
「……別に、してないよ」
小さく返して、靴を脱ぐ。
少し涼しい空気の漂う廊下の先に、見慣れたリビングが広がっていた。
「琴葉さん。……夏休みは長いです。今すぐここで決める必要はないでしょう」
ゆっくりと顔を上げると、変わらないはずのその表情が、どこか優しく感じられた。
「もし、琴葉さんが望むのであれば――私も、ご一緒しましょうか?」
「え……」
思わず、声が漏れた。
(先生が……一緒に?)
てっきり、帰省なんて“私一人で乗り越えるもの”だと思っていた。
あの家に帰ること、母と話すこと、また何かを否定されるかもしれない不安も――
全部、自分だけで受け止めるしかないと。
だからこそ、あまりにも意外な申し出だった。
「仕事がありますので、泊まりは難しいですが、日帰りであれば可能です。ご両親に改めてご挨拶もできますので」
そう静かに言う奏一の声に、琴葉の胸が、じんわりと熱くなる。
(……そんな未来、考えたこともなかった)
守られているような、支えられているような。
誰にも言えなかった不安や怖さを、そっと背負ってくれるような温度。
「……先生が一緒に来てくれるなら、ちょっとだけ……帰ってもいいかな」
自分でも驚くくらい小さな声だった。
けれど、奏一には確かに届いていた。
「わかりました。では無理のないように、予定を調整しますね」
そう言ってそっと目を細めた奏一の微笑みは、どこまでもあたたかかった。
——————
数日後、リビングでアイスティーを飲んでいたときのこと。
奏一がふと顔を上げ、いつもの穏やかな声で告げた。
「ご実家への訪問ですが、今週末で日程が決まりました」
「えっ……」
思わず声が漏れた。
心の準備は、まだできていない。
けれど、「行かない」と言ったわけではない。
「先生が……調整してくれたの?」
「ええ。仕事の兼ね合いもありますので」
それは、まるで当たり前のように。
スケジュールに組み込まれた「必要な予定」として、ごく自然に言ってのけた。
琴葉は一瞬言葉に詰まったが、小さく「……そっか」と頷いた。
それだけの会話だったのに、なぜか胸の奥がぽっとあたたかくなった。
そして迎えた当日。
鏡の前で身だしなみを確認しながら、琴葉は胸元にそっと手を添えた。
(大丈夫、大丈夫……)
数ヶ月前まで毎日いた家なのに、どうしてこんなに緊張するんだろう。
落ち着かない心をなだめるように小さく呟く。
リビングから足音が近づき、ドアがノックされた。
「琴葉さん、準備はできましたか?」
「……うん、いま行く」
小さな肩を上下に動かして、琴葉はバッグを手に取る。
玄関では、いつものスーツではなく少しラフな服装の奏一が、落ち着いた表情で待っていた。
「では、行きましょう」
変わらぬトーン。変わらぬ距離感。
でも、先生が一緒なら――きっと、大丈夫。
琴葉は小さく深呼吸をして、家を後にした。
実家の玄関前でチャイムを押すと、すぐに足音が近づいてきた。
「はーい」
聞き慣れた母の声とともに扉が開く。
「琴葉……おかえり」
見慣れた笑顔がそこにあった。
それでも琴葉の心臓はどくんと跳ねた。
久しぶりに見る母の顔。
少し痩せた気がするのは、自分のせいだろうか――そんな考えがよぎる。
「……ただいま」
自然に言えたつもりだったが、声はほんの少し震えていた。
母は続いて、隣に立つ奏一へと視線を移し、丁寧に頭を下げる。
「遠野先生、お忙しいところをありがとうございます」
「いえ、とんでもありません。お時間をいただき、感謝しています」
表情も声も、いつも通り穏やかで丁寧な奏一。
それでも母はどこか緊張したように、玄関の扉を大きく開けた。
「どうぞ、中へ。冷たいものでもお出ししますね」
そう言って招き入れながら、母がふと琴葉の顔をちらりと見る。
「琴葉、緊張してるの? 先生がついてきてくれてるのに」
からかうような口調。
だけど琴葉はすぐには返事ができなかった。
先生が一緒だから、今こうして立っていられる。
でも、それをそのまま言うのは、なんだかこそばゆい。
「……別に、してないよ」
小さく返して、靴を脱ぐ。
少し涼しい空気の漂う廊下の先に、見慣れたリビングが広がっていた。
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