病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな

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第38話・好きじゃない、はずなのに

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翌朝――。

カーテン越しに、やわらかな朝日が差し込んでいた。
目を覚ました琴葉がゆっくりと身体を起こすと、昨夜の疲れはほとんど残っていない。


看護師による検温やバイタルチェックを受け、朝食を済ませる頃には、奏一から検査結果の説明があった。

「全て異常ありません。予定通り、無事に退院できますよ」

いつもと変わらない落ち着いた声。
けれど、その言葉の端にほっとした気配が滲んでいて、琴葉も思わず小さく頷いた。

ただ、午前中は奏一に仕事が残っているため、正式な退院手続きと迎えは午後になるという。
慣れた病院とはいえ、外を歩き回るほどの元気はない。

ベッドで本を読んだり、スマホを触ったりして時間を過ごしていると、やがてドアがノックされた。

「お待たせしました。帰りましょうか」

白衣を脱いだ奏一の姿を見た瞬間、琴葉は思わず小さく笑った。
それだけで、“帰る”という実感が胸に落ちてくる。

「準備はできていますか?」

「うん。荷物も、全部まとめたよ」

ベッド脇に置いていた小ぶりの入院バッグに手を伸ばしかけた、そのとき――
琴葉より先に、奏一がそれを持ち上げた。

「私が持ちますよ」

当然のように言って歩き出す背中に、琴葉は少しだけ目を丸くして、けれど素直に「……ありがとう」と呟いた。

病室を出て廊下を歩き始めたところで、前方から一人の看護師が奏一に声をかけてきた。

「遠野先生、帰り際にすみません。〇〇さんの件でご相談が……」

「ああ、はい。少し待ってください」

そう答え、奏一は琴葉のほうへ振り返る。

「すぐに戻ります。あちらの椅子で少しだけお待ちいただけますか」

「……うん、わかった」

指し示された廊下のベンチに腰を下ろし、琴葉は2人の様子をぼんやりと眺めていた。

白衣を着ていないはずなのに、奏一はやはり“先生”という空気を纏っている。
向かい合う看護師も、同じ病院のスタッフらしい落ち着いた雰囲気で、整った身なりをしていた。

「この件なのですが……」
「確認しましょう。カルテは……」

淡々と交わされる仕事のやり取り。
それだけのはずなのに――琴葉の胸の奥に、小さな違和感が生まれる。

(……距離、近くない?)

ほんの数十センチ。
話をするにはごく普通の距離なのに、なぜかやけに近く見えた。

(先生は、特別扱いしてるわけじゃない……仕事中の、ただの会話)

何度も心の中で繰り返す。
それでも、看護師が奏一に向けて穏やかに微笑んだ瞬間、胸がきゅっと締めつけられた。

年齢も、雰囲気も、言葉遣いも――どこか釣り合っているように見えて。

(お似合い……)

そんな言葉が浮かんだ自分に、はっとする。

(……やだ、なにこれ。私、なに考えてるの……)

慌てて視線を逸らし、膝の上で指を組む。
スマホを手に取ってはロックを解除し、結局何も見ないまま画面を閉じた。

――モヤモヤする。

ただの看護師。仕事の話。よくある光景。
頭では理解しているのに、気持ちだけがついてこない。

先生が、あんなふうに穏やかな顔で話しているのを――見たくなかった。

(……なんで、こんなに嫌なんだろ)

答えは出ない。
ただ、その感情が自分の中から生まれていることだけは、はっきりしていた。


帰宅後、荷物を片付け、シャワーを浴びて、夕食をとって。
いつもと同じはずの時間。
それなのに、胸の奥には小さな引っかかりが残ったままだった。

リビングでは、奏一が静かに本を読んでいる。
その横顔も、所作も、何ひとつ変わっていない。

――なのに。

(……どうして、あんなに気になるんだろ)

昼間、病院の廊下で見たあの光景が脳裏にちらつく。

看護師と向かい合う奏一の姿。
真剣な眼差し、落ち着いた声。
見慣れたはずの“先生”の顔なのに、胸がざわついた。

ほんの数分の出来事。
それだけなのに、息が詰まりそうだった。

「……もう寝るね」

小さく告げて、琴葉はリビングを後にした。

寝室でベッドに潜り込んでも、眠気は訪れない。
頭の中では、言葉にならない感情がぐるぐると渦を巻いていた。

(……私、なにしてんの?)
(……なんで、あんなに嫌だったの?)

だって、別に――
先生のことが“好き”ってわけじゃ……。

そう思った瞬間、胸の奥が強く脈打った。

(……え)

じんわりと、熱が広がっていく。
無意識に口元に触れた指先が、かすかに震えた。

(私……先生のこと――)

言葉には、まだできない。
けれど、その先にある感情だけは、もう誤魔化せなかった。
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