病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな

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第39話・手をつないで歩く理由

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朝の風には、まだ夏の名残があった。
けれど、頬を撫でていく空気のどこかに、ほんのりと秋の気配が混じっている。
強すぎない陽射しと、少しひんやりとした空気が心地良い。

「……琴葉さん、着きましたよ」

車を降りた先に広がっていたのは、観光地としても人気のある食べ歩き通りだった。
まだ人通りはまばらだが、並ぶ屋台や色とりどりの旗が、これから始まる一日の賑わいを予感させる。

「わあ……すごい……!」

琴葉は目を輝かせながら、通りを見渡す。
たこ焼き、ベビーカステラ、ジュースにアイス、焼き鳥――
看板と匂いが次々に飛び込んできて、気分は一気に高まる。

「うわ、ベビーカステラある……あっちには――」

「あまり先走らないでください」

後ろから落ち着いた声がかかり、琴葉はぴたりと足を止めた。

「え、なに?」

「はしゃぎすぎて、また転ばれては困ります。……何かあってからでは遅いので」

「えっ、そんな転んだことあったっけ……?」

「ありますよ。商店街の道端で、たこ焼きの看板に気を取られて」

「うっ……そんな細かいことまで覚えてなくていいのに……」

ばつが悪くなって俯いた琴葉に、奏一はひと息ついてから、すっと手を差し出した。

「……手をつなぎましょう。目を離すのが不安なので」

「……へ?」

思わず聞き返すと、奏一の表情は真剣そのものだった。

「迷子や転倒のリスクは、事前に防ぐべきです。……よろしいですか?」

「う、うん……」

戸惑いつつも、琴葉は差し出された手にそっと自分の手を重ねた。
ひやりとした指先に、じんわりと温もりが伝わってくる。

(……なんか、落ち着く)

不思議と胸の奥があたたかくなり、自然と笑みがこぼれそうになる。
それを誤魔化すように、琴葉は周囲へ視線を巡らせた。

「ねぇ、パンフレットに載ってたの、この辺だったと思うんだけど――あっ、でもあれもおいしそう……え、あっちにも……」

あっちこっちと目移りする琴葉を、奏一は静かに見守っていた。
やがてふっと、微かに口元を緩める。

「……先生、今、笑ったよね?」

「……失礼。少しだけ」

「むーっ、なんかバカにされた気がするんだけど……!」

「そういうつもりではありません。ただ、あなたが嬉しそうにしているのを見て、私も安心しました」

「……それ言われると怒れなくなるんだけど」

頬をぷくっと膨らませる琴葉に、奏一は表情を和らげる。

「一緒に、ゆっくり選びましょう。無理はしないでくださいね」

「……うん!」

手をつないだまま、歩き出す。
そのぬくもりは、くすぐったくて――
けれど、胸の奥にじんわりと沁みていくようだった。


通りを進むほど、目移りするものばかりだった。

「先生、あれ見て! いちご飴! きれい……」

「糖分は摂りすぎないようにしてください」

「え~、でも1個だけなら……ね?」

「……1個だけですよ」

嬉しそうに微笑む琴葉に、奏一は小さく息をついて頷く。
その柔らかな表情に、琴葉の胸も温かくなる。

(……ほんと、優しい)

検査入院は、嫌でも受けなければならない。
命に関わることだから、わがままを言っていられないのは、ちゃんとわかっている。

それでも奏一は――
琴葉が気乗りしないことも、体に負担がかかることも、心が沈むことも、全部わかっていた。

(でも、先生がここまでしてくれるのって……なんでだろ)

ふと、そんな疑問がよぎった。
これまでもたくさんわがままを聞いてもらってきた。
でも、その理由を深く考えたことは――なかった。


たこ焼き、串焼き、お団子、コロッケ、肉巻きおにぎり、唐揚げ、アイス……。
どれも「ひとつを半分こ」にしてくれる奏一の気遣いが、胸にやさしく沁みる。

「全部おいしかった……でも、まだちょっと食べたい気分かも……」

「食べ過ぎて、あとで後悔しても知りませんよ?」

「うっ……わかってるけど、今日は特別ってことで!」

そう言って笑った自分の声が、どこか弾んでいるのがわかった。
手を繋いだまま歩いているだけなのに、なんだか鼓動が早くて――

(……私、なんでこんなにドキドキしてるんだろ)

隣を歩く奏一は、相変わらず落ち着いた顔をしている。
それでも、ふと向けられるやさしい視線や、穏やかな微笑みに、胸がざわついて仕方なかった。

「……先生って、いつもこんなふうに優しいの?」

「どういう意味ですか?」

「え、えっと……なんか、いろいろ叶えてくれたり、付き合ってくれたり……。私だから? それとも、誰にでもそう?」

「……あなたに対してだからです」

即答だった。
その言葉に、琴葉は一瞬、息を呑む。

けれどすぐに、慌てて笑って誤魔化す。

「……そっか。うん、ありがと」

心が静かに波打つ。
嬉しいのに、不安。
近いのに、遠い。

そんな気持ちを抱えたまま、通りをひととおり回り終える頃には、日差しはすっかり高くなっていた。

「そろそろ、帰りましょうか。無理をして疲れては意味がないので」

「うん……そうだね」

少し重くなった足を引きずるように、車へ戻る。
帰り道の車内、いつもなら続くはずの会話が、今日はなぜか途切れがちだった。

助手席で窓の外を眺めていると、やがて車はいつものマンション前で止まった。

「……今日は楽しかったですか。ご褒美としては、満足いただけましたか?」

「うん、すっごく。ほんとにありがと、先生」

玄関の前で礼を言った瞬間、また手を伸ばされるのでは、と思った。
けれど、それはなかった。

――少しだけ、寂しい。

その寂しさに気づいてしまうほどには、もう彼のことを「特別に想っている自分」が、はっきりとそこにいた。
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