病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな

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第41話・私だけが、意味を見つけている

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琴葉の手を握っていた奏一の指先に、すうっと力が抜ける感覚が伝わってくる。

「……すぅ……」

静かな寝息が、暗がりに溶けるように響いた。

(……ようやく、眠れたようですね)

胸の奥に、安堵に近い息をひとつ落とす。
そっと手を離そうとして――けれど、やめた。

自分の掌に残るそのぬくもりが、あまりにもか細く、まだ離してはいけない気がしたから。

(……悪夢か)

彼女のうわ言に滲んでいた情景――
夜の病室、突然いなくなる子どもたち、連れていかれる恐怖。

きっと、過去に実際に見てきた光景なのだろう。

彼女の人生に、何度も刻まれてきた“別れ”と“恐怖”。
どうすることもできず、ただ耐えるしかなかった時間。

(……ずっと、ひとりで闘ってきたのですね)

あれほど明るく振る舞っていた裏に、そんな記憶を抱えていたとは――
“患者”として知っていた背景が、初めて生身の痛みとして胸に迫ってくる。

そして、ふと気づく。

(……それでも、あなたは笑おうとしていた)

脆くて、儚くて、それでも誰よりも強くあろうとする姿。
その在り方に、いつから心を惹かれていたのだろう。

(……守りたい)

医者として、ではない。
ひとりの人間として、彼女のそばにいたい――そんな想いが、はっきりと胸を満たす。

けれど。

その一線が、どれほど重く、深いものかも、痛いほど理解していた。

(……私は医者で、彼女は患者。そして――婚約者だ。
彼女が望んだ未来ではないと、わかっている)

だからこそ、決して軽々しく越えていい境界ではない。

――それでも、今日のように、彼女が涙を流すのなら。

(……私はもう、抗えないかもしれません)

静かに、寝顔を見つめる。
そして、そっと額に手を添えた。

「……よく眠れますように」

吐息のような囁きは、夜の空気に溶けるように消えていった。


翌朝ー。
差し込む光がまぶたをなぞり、琴葉はゆっくりと目を開けた。

(……朝、か)

部屋は静かで、どこか夢の続きを引きずっているような感覚が残っている。
けれど、昨夜の出来事が現実だったことは、すぐにわかった。

目を閉じると、まだあのぬくもりが残っている気がしたから。

(……先生、手を握っててくれたんだ)

思い出すたび、胸の奥がきゅっと締めつけられる。
嬉しくて、安心して、それでも――苦しい。

もう、気づいてしまっている。
彼に、恋をしている、と。

(……怖いな。こんな気持ち)

抱えきれない感情を胸に、琴葉は静かにベッドを抜け出した。

足元は少しふらついたが、体調に問題はない。
顔を洗い、髪を整え、部屋着のままリビングへと向かう。

扉を開けた瞬間、出汁の香りがふわりと鼻をくすぐった。

「……おはようございます、琴葉さん」

ダイニングテーブルには、すでに朝食が並べられている。
奏一は椅子に腰掛け、新聞を手にしていたが、すぐに視線を上げて微笑んだ。

「……おはよう」

「体調は、もう大丈夫そうですね。無理せず、ゆっくりどうぞ」

「……うん、もう平気。ごはん……ありがと」

「お粥にしました。消化が良く、身体も温まります」

「うん……すごく、いい匂い」

席につき、スプーンを手に取る。
立ちのぼる湯気と、やさしい味が、一口ずつ身体に染み込んでいく。

隣では、いつもと変わらず、奏一が静かにコーヒーを飲んでいる。

その姿が、あまりにも“いつも通り”で――
変わらないことが、なぜか胸を痛ませた。

(……昨日のこと、先生にとっては特別じゃなかったんだ)

夜中に手を握ってくれたことも。
怖くないように、そばにいてくれたことも。
あんなに優しく、静かに寄り添ってくれた時間も。

きっと全部、医者として当然のことだったのだろう。

(……私だけだ。あんなふうに、意味を見つけてしまっているのは)

熱くなっているのは、自分だけ。
嬉しくて、幸せで、それでも切なくて。

もし、あれが――
好きな人として向けられた優しさだったなら。
もし、ただの「想われる相手」だったなら。

でも――現実は違う。

「……っ」

思わず、息が詰まった。

(……先生は婚約者なのに。親に決められた相手なのに)

逃げ場のない関係。
壊れたら、もう戻れない距離。

(……これは、片想いなんだ)

好きだと気づいてしまったのは、自分だけ。
隣にいられるのに、触れてはいけない。
優しさに甘えてしまうのに、求める資格はない。

想いを口にした瞬間、この穏やかな時間も、
今の距離も、すべて失ってしまいそうで――

何も言えなかった。

だから琴葉は、スプーンを動かし続ける。
何事もなかったように、朝を過ごす。

そうして、言葉にできない想いを胸に抱えたまま、静かに朝の時間は過ぎていった。
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