病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな

文字の大きさ
3 / 69

第3話・普通になりたかっただけ

しおりを挟む
午前の光は、春よりも少し力を増していた。
開いた窓から流れ込む初夏の匂いが、教室の空気をふわりと揺らす。

琴葉は黒板ではなく、校庭に視線を向けていた。

ちょうど体育の授業が始まるところで、別のクラスの生徒たちが冗談を言い合いながら走り出していく。
眩しいほど元気で、楽しそうで――その光景が胸に痛いほど刺さった。

(……いいな)
(私も……ああやって、普通に動けたら)

思うだけで、叶わないと知っているからこそ、余計に苦しい。
望んでいないのに、制限ばかりが増えていく。

夕方、チャイムが鳴ると、教室がざわめきで満たされた。
みんな帰り支度を始め、それぞれの放課後へ散ってゆく。

そんな中、同じ列の女子がふと声をかけてきた。

「ねぇ白崎さん、このあとカフェ行かない?
受験勉強しようってみんなで話してて……どうかなって」

その言い方も、笑顔も、とても優しい。
でも、その優しさが、いまの琴葉には刺さってしまった。

「……ごめん。今日は……ちょっと、体調がね」

口にした瞬間、自分自身に嫌気がさす。

本当は行きたい。
行ってみたい。
みんなの輪に入りたい。

でも、わかっている。

母は絶対にいいと言わない。
奏一も「体調管理を優先してください」と淡々と告げるだろう。
そして、自分は受験勉強がほとんど必要ない。

(……みんなと同じって、難しいんだね)

女子は気遣うように笑った。

「そっか……無理しないでね。また今度、一緒に行こうよ」

「……うん。ありがとう」

その“優しさ”の言葉が、胸を締め付ける。
先延ばしにするだけの“今度”を、誰よりも信じられないのは琴葉自身だ。

カバンを肩にかけて教室を出ると、廊下の向こうから部活の声が響く。

元気で、明るくて、楽しそうで。
そこには一つも「制限」がなかった。

(……どうして、私はいつも“だめ”なんだろう)

誰が悪いわけでもないのに、自分だけが世界から外れていくような孤独感が、胸の奥で静かに積もっていった。


——————

「大学生になったら……一人暮らし、してみたい」

その日、夕飯を食べながら、琴葉は何気ないふうを装って口にした。

本当はずっと胸の奥で温めていた願い。
“普通”の大学生なら当たり前に持てる自由に、ほんの少しだけ触れてみたかった。

母は一瞬だけ固まり、すぐに困ったように笑う。

「琴葉……あなたの気持ちはわかるのよ。でもね、体調のことあるし……やっぱり心配なの」

予想していた答え。
だから琴葉は、素直に引き下がる。

「……うん。そうだよね。大丈夫、わかってる」

落胆はあったけれど、それ以上は言わなかった。
――その場では。

その日以来、琴葉は小さな隙を探すように、会話の中に「一人暮らし」、「自分の部屋」、「大学生活」をときどき混ぜた。

さりげなく、けれど確かに残る“願いの痕跡”を置くように。

けれど、そのたび母は曖昧に笑ってはぐらかした。
最近はどこか、余計に言いづらそうな表情さえ浮かべている。

(……どうして、そんな顔するの?)

不安は、胸の奥にじわじわと広がっていった。

そしてある夜。
その「理由」が唐突に告げられた。

「琴葉……あなたの気持ちも、わかっているわ。
大学生になったら一人暮らしをしたいって……ずっと言ってるものね」

母はいつになく真剣な表情で向き直った。

「でもね……どうしても、心配なの。
あなたが急に苦しくなったら、どうすればいいのかって」

琴葉は唇を噛んだ。
続く母の言葉は――予想の外側にあった。

「だから……遠野先生にも相談したの。
一人暮らしは難しいけど、先生が琴葉の面倒を見てくれるって。
私たちも先生のところなら……安心して預けられるわ」

「…………え?」

一瞬、理解が追いつかなかった。

「先生のところなら、何かあってもすぐ対応できるし……。
大学生になったら、先生と一緒に暮らすのはどう?」

脳が真っ白になる。

(……は? 今、なんて言った?)

「ちょ、ちょっと待って……なにそれ……。
え? なんでそんな話になるの?」

「だって、あなたが一人暮らししたいと言うから……」

「違う!! そうじゃない!!」

声が震えた。

「私が言ったのは……“自分の家”で、一人暮らししたいってこと!
なんで……先生の家に行く話になるの!?」

母は動揺しながらも、「あなたが安全に……」と言いかけた。

「安全? 私の人生……誰のものなの?」

怒りでも泣き声でもない、かすれた声だった。

「そんなの、自由じゃない!
今度は先生に監視されるだけでしょ……地獄だよ、絶対に嫌!」

母は息を呑んだ。
父も廊下から気遣わしげにのぞいている。
その表情が余計に琴葉を追いつめた。

その夜から、琴葉は“一人暮らし”という言葉を完全に封じた。

まるでそれを口にすれば、自由が遠ざかり、“遠野奏一の家”という地獄の扉が開きそうで、怖かったから。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

うっかり結婚を承諾したら……。

翠月 瑠々奈
恋愛
「結婚しようよ」 なんて軽い言葉で誘われて、承諾することに。 相手は女避けにちょうどいいみたいだし、私は煩わしいことからの解放される。 白い結婚になるなら、思う存分魔導の勉強ができると喜んだものの……。 実際は思った感じではなくて──?

毒味役の私がうっかり皇帝陛下の『呪い』を解いてしまった結果、異常な執着(物理)で迫られています

白桃
恋愛
「触れるな」――それが冷酷と噂される皇帝レオルの絶対の掟。 呪いにより誰にも触れられない孤独な彼に仕える毒味役のアリアは、ある日うっかりその呪いを解いてしまう。 初めて人の温もりを知った皇帝は、アリアに異常な執着を見せ始める。 「私のそばから離れるな」――物理的な距離感ゼロの溺愛(?)に戸惑うアリア。しかし、孤独な皇帝の心に触れるうち、二人の関係は思わぬ方向へ…? 呪いが繋いだ、凸凹主従(?)ラブファンタジー!

婚活に疲れたアラサーOLの私、癒やし的存在の弟分(高校生)に「もう待てない」と外堀を埋められています ~10年分の執着は、甘すぎて重すぎる~

ダルい
恋愛
「29歳? 子供産むならもっと若い子がよかったな」  中堅企業で働く早川結衣(29)は、婚活市場における年齢の壁と、デリカシーのない男たちにすり減らされる日々を送っていた。  そんな結衣の唯一の癒やしは、マンションの隣に住む幼馴染の高校生・瀬戸湊(16)。  両親が共働きの彼に代わって、幼い頃はお世話をしてあげていた……はずが、いつの間にか立場は逆転。 手料理を振る舞われ、愚痴を聞かれ、マッサージまでされる始末。「湊がお嫁さんならいいのに」なんて冗談を言っていたけれど。 「今の結衣姉が一番綺麗だよ。……早く、誰も手出しできない『おばさん』になってくれればいいのに」  可愛い弟分だと思っていた彼が、時折見せる『オス』の顔。 16歳の高校生と、もうすぐ30歳のアラサー。  13歳差の常識と理性に抗いながら、生意気な年下男子に外堀を埋められていく、甘くて重い現状維持(ラブストーリー)。 「俺が大人になるまで、誰とも結婚しないで」 癒やされたいすべての女性に贈る、最強の年下幼馴染による溺愛包囲網、開始。

先生

藤谷 郁
恋愛
薫は28歳の会社員。 町の絵画教室で、穏やかで優しい先生と出会い、恋をした。 ひとまわりも年上の島先生。独身で、恋人もいないと噂されている。 だけど薫は恋愛初心者。 どうすればいいのかわからなくて…… ※他サイトに掲載した過去作品を転載(全年齢向けに改稿)

初恋に見切りをつけたら「氷の騎士」が手ぐすね引いて待っていた~それは非常に重い愛でした~

ひとみん
恋愛
メイリフローラは初恋の相手ユアンが大好きだ。振り向いてほしくて会う度求婚するも、困った様にほほ笑まれ受け入れてもらえない。 それが十年続いた。 だから成人した事を機に勝負に出たが惨敗。そして彼女は初恋を捨てた。今までたった 一人しか見ていなかった視野を広げようと。 そう思っていたのに、巷で「氷の騎士」と言われているレイモンドと出会う。 好きな人を追いかけるだけだった令嬢が、両手いっぱいに重い愛を抱えた令息にあっという間に捕まってしまう、そんなお話です。 ツッコミどころ満載の5話完結です。

大丈夫のその先は…

水姫
恋愛
実来はシングルマザーの母が再婚すると聞いた。母が嬉しそうにしているのを見るとこれまで苦労かけた分幸せになって欲しいと思う。 新しくできた父はよりにもよって医者だった。新しくできた兄たちも同様で…。 バレないように、バレないように。 「大丈夫だよ」 すいません。ゆっくりお待ち下さい。m(_ _)m

ハイスぺ幼馴染の執着過剰愛~30までに相手がいなかったら、結婚しようと言ったから~

cheeery
恋愛
パイロットのエリート幼馴染とワケあって同棲することになった私。 同棲はかれこれもう7年目。 お互いにいい人がいたら解消しようと約束しているのだけど……。 合コンは撃沈。連絡さえ来ない始末。 焦るものの、幼なじみ隼人との生活は、なんの不満もなく……っというよりも、至極の生活だった。 何かあったら話も聞いてくれるし、なぐさめてくれる。 美味しい料理に、髪を乾かしてくれたり、買い物に連れ出してくれたり……しかも家賃はいらないと受け取ってもくれない。 私……こんなに甘えっぱなしでいいのかな? そしてわたしの30歳の誕生日。 「美羽、お誕生日おめでとう。結婚しようか」 「なに言ってるの?」 優しかったはずの隼人が豹変。 「30になってお互いに相手がいなかったら、結婚しようって美羽が言ったんだよね?」 彼の秘密を知ったら、もう逃げることは出来ない。 「絶対に逃がさないよ?」

バケモノ貴公子は傷を負った令嬢を寵愛する

冬野 海
恋愛
命をかけて救った王女は婚約者になった。 だが第一騎士団長である彼は、「バケモノ」と罵られている。 事件を境に、彼は下弦の月の仮面を被る。 そんな彼の前に現れたのは、仮面の下の「バケモノ」を見ても恐れない少女だった。 冷静、冷徹だけど、不器用な仮面の騎士と、不思議な魅力を持ちながら、消えない傷を抱える少女の深い恋の物語。 ——この素顔は君だけのもの この刻印はあなただけのもの—— 初めまして。本作品に目を留めていただき、ありがとうございます。 1月5日から【6時・21時】に公開予定です。 1日に2話ずつ更新します。短いお話の回は、3話になることもあります。 ぜひ、近況ボードにもお立ち寄りください。 もしお気づきの点がありましたら、優しくご指摘いただけると嬉しいです。 どうぞよろしくお願いいたします。

処理中です...