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第20話・安心の後に、静かに刺さる痛み
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ボトルの水をひと口含むと、乾ききっていた喉にゆっくりと染み込んでいく。
その様子を確認してから、奏一は静かに言葉を継いだ。
「塩分も補給しましょう。……噛まずにゆっくり溶かしてください」
小さなタブレットが、彼の手のひらに載せられて差し出される。
琴葉が口に入れたのを確認すると、奏一はビニール袋の中に手を戻し、凍ったスポーツドリンクのペットボトルをひとつ取り出した。
そのまま使わず、タオルを取り出して巻きつける。
「冷やしますね」
力をかけずに、まず右の首筋へそっと当てる。
タオル越しでも、ひやりとした冷たさが肌を撫で、肩が小さく震えた。
「次は脇の下。左側は避けます」
左には心臓がある――その判断を当たり前のように迷いなく告げ、右側だけを選ぶ。
脇の下にゆっくりタオルを押し当てられると、
体の中心にこもっていた熱が少しずつ引いていくように感じられた。
次に奏一は、袋から冷却シートを取り出し、丁寧に開封する。
「おでこに貼ります」
額に触れる指先は、まるで壊れ物を扱うように慎重で、貼りついた冷たさが心地よく広がっていく。
「はい。そのまま目を閉じて。少し落ち着くまで動かないでください」
車内に静かな時間が流れる。
エアコンの一定の風が熱を追い払い、タブレットの塩分がじんわりと口に広がる。
呼吸はゆっくりと整いはじめ、早鐘のようだった鼓動も、ほんの少しだけ落ち着きを取り戻していた。
奏一は腕時計に視線を落とし、時間を計りながら琴葉の顔色を確認する。
運転席から身を乗り出すことこそしないが、その目は一瞬たりとも彼女から離れない。
「……どうですか。少し、楽になりましたか」
「……うん」
声は弱いが、さっきより確かに落ち着いている。
「頭痛やめまい、吐き気は?」
「……ない、と思う」
その短い答えを聞いて、奏一は深く息を吐いた。
安堵を押し殺した、医者としての静かな呼吸だった。
「もう少し落ち着いたら、このまま病院に寄ります」
奏一の声は、決意だけが静かににじむ。
「……え、病院……?」
「念のためです。検査と点滴を受けて、問題なければ帰りましょう」
強制する口調ではないのに、拒む余地がないほど当然の判断として伝わる声音だった。
反対する気力も理由も見つからない。
ただ――今は彼の言葉に従いたい。
自然とそう思えた。
数分後、車はゆっくりと動き出し、午後の光の中を滑るように走っていった。
——————
病院の受付を通り、最低限の検査を受け、琴葉は点滴用のリクライニングチェアに座っていた。
腕に針が刺され、規則正しく落ちる点滴の音が耳にやさしく響く。
点滴が半分ほど落ちる頃には、体の重さも汗のまとわりつく感覚も、だいぶ薄れていた。
深く息を吸うと、さっきは苦しかった胸の奥まで、ひんやりした空気が届く。
(……大丈夫、もう落ち着いてる)
そう思えるまでに回復し、ようやく肩の力が抜けた――ちょうどそのとき。
扉が軽くノックされた。
「失礼します」
顔を上げると、奏一が戻ってきていた。
さっきより、わずかに目元が和らいでいる。
「気分はどうですか」
「……うん、もう平気」
「よかったです」
短くそう答えたあと、ほんの一瞬だけ、奏一の呼吸が緩んだように感じた。
でもすぐに医者の表情へ戻り、点滴の残量と脈を確認する。
「終わる頃にまた来ます。何かあれば呼んでください」
それだけ告げて静かに退室していく背中が、妙に遠く見えた。
(……忙しいのに、私のために何度も行き来させてる)
胸の奥に、ちく、と細い棘のような痛みが刺さる。
“迷惑をかけている”と口には出せなかった。
けれど、その自覚だけがじんわりと広がっていく。
点滴が落ちきる頃に、再び奏一が戻ってきた。
「終わりましたね。針を抜きます」
淡々とした所作なのに、その手つきから“安心した”気配が静かに伝わってくる。
針を外し終えると、手早く片付けてからこちらへ向き直った。
「検査結果に、大きな異常はありませんでした。
脱水と軽い熱中症の症状です。入院の必要はありません」
その言葉に、全身から力が抜ける。
「……よかった」
心底、そう思った。
「ただし今日、明日は安静です。
帰宅後は涼しい部屋で横になりましょう。
水分はこまめに。食事は消化の良いもので」
「……うん」
返事をしながら、また胸の内側がちくりと痛む。
(あんな状態になるまで、私は気づけなかったのに……
先生は、仕事を抜けてまで来てくれた)
言うべき言葉は喉まで出かかって――でもまだ形にならない。
その“言えなさ”の違和感と罪悪感だけが、静かに胸の奥に沈んでいった。
「では、帰りましょう」
そう告げる彼の声はいつも通りで、だからこそ余計に胸に刺さった。
その様子を確認してから、奏一は静かに言葉を継いだ。
「塩分も補給しましょう。……噛まずにゆっくり溶かしてください」
小さなタブレットが、彼の手のひらに載せられて差し出される。
琴葉が口に入れたのを確認すると、奏一はビニール袋の中に手を戻し、凍ったスポーツドリンクのペットボトルをひとつ取り出した。
そのまま使わず、タオルを取り出して巻きつける。
「冷やしますね」
力をかけずに、まず右の首筋へそっと当てる。
タオル越しでも、ひやりとした冷たさが肌を撫で、肩が小さく震えた。
「次は脇の下。左側は避けます」
左には心臓がある――その判断を当たり前のように迷いなく告げ、右側だけを選ぶ。
脇の下にゆっくりタオルを押し当てられると、
体の中心にこもっていた熱が少しずつ引いていくように感じられた。
次に奏一は、袋から冷却シートを取り出し、丁寧に開封する。
「おでこに貼ります」
額に触れる指先は、まるで壊れ物を扱うように慎重で、貼りついた冷たさが心地よく広がっていく。
「はい。そのまま目を閉じて。少し落ち着くまで動かないでください」
車内に静かな時間が流れる。
エアコンの一定の風が熱を追い払い、タブレットの塩分がじんわりと口に広がる。
呼吸はゆっくりと整いはじめ、早鐘のようだった鼓動も、ほんの少しだけ落ち着きを取り戻していた。
奏一は腕時計に視線を落とし、時間を計りながら琴葉の顔色を確認する。
運転席から身を乗り出すことこそしないが、その目は一瞬たりとも彼女から離れない。
「……どうですか。少し、楽になりましたか」
「……うん」
声は弱いが、さっきより確かに落ち着いている。
「頭痛やめまい、吐き気は?」
「……ない、と思う」
その短い答えを聞いて、奏一は深く息を吐いた。
安堵を押し殺した、医者としての静かな呼吸だった。
「もう少し落ち着いたら、このまま病院に寄ります」
奏一の声は、決意だけが静かににじむ。
「……え、病院……?」
「念のためです。検査と点滴を受けて、問題なければ帰りましょう」
強制する口調ではないのに、拒む余地がないほど当然の判断として伝わる声音だった。
反対する気力も理由も見つからない。
ただ――今は彼の言葉に従いたい。
自然とそう思えた。
数分後、車はゆっくりと動き出し、午後の光の中を滑るように走っていった。
——————
病院の受付を通り、最低限の検査を受け、琴葉は点滴用のリクライニングチェアに座っていた。
腕に針が刺され、規則正しく落ちる点滴の音が耳にやさしく響く。
点滴が半分ほど落ちる頃には、体の重さも汗のまとわりつく感覚も、だいぶ薄れていた。
深く息を吸うと、さっきは苦しかった胸の奥まで、ひんやりした空気が届く。
(……大丈夫、もう落ち着いてる)
そう思えるまでに回復し、ようやく肩の力が抜けた――ちょうどそのとき。
扉が軽くノックされた。
「失礼します」
顔を上げると、奏一が戻ってきていた。
さっきより、わずかに目元が和らいでいる。
「気分はどうですか」
「……うん、もう平気」
「よかったです」
短くそう答えたあと、ほんの一瞬だけ、奏一の呼吸が緩んだように感じた。
でもすぐに医者の表情へ戻り、点滴の残量と脈を確認する。
「終わる頃にまた来ます。何かあれば呼んでください」
それだけ告げて静かに退室していく背中が、妙に遠く見えた。
(……忙しいのに、私のために何度も行き来させてる)
胸の奥に、ちく、と細い棘のような痛みが刺さる。
“迷惑をかけている”と口には出せなかった。
けれど、その自覚だけがじんわりと広がっていく。
点滴が落ちきる頃に、再び奏一が戻ってきた。
「終わりましたね。針を抜きます」
淡々とした所作なのに、その手つきから“安心した”気配が静かに伝わってくる。
針を外し終えると、手早く片付けてからこちらへ向き直った。
「検査結果に、大きな異常はありませんでした。
脱水と軽い熱中症の症状です。入院の必要はありません」
その言葉に、全身から力が抜ける。
「……よかった」
心底、そう思った。
「ただし今日、明日は安静です。
帰宅後は涼しい部屋で横になりましょう。
水分はこまめに。食事は消化の良いもので」
「……うん」
返事をしながら、また胸の内側がちくりと痛む。
(あんな状態になるまで、私は気づけなかったのに……
先生は、仕事を抜けてまで来てくれた)
言うべき言葉は喉まで出かかって――でもまだ形にならない。
その“言えなさ”の違和感と罪悪感だけが、静かに胸の奥に沈んでいった。
「では、帰りましょう」
そう告げる彼の声はいつも通りで、だからこそ余計に胸に刺さった。
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