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第21話・触れられるたび、何かが溶けていく
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家に着くと、冷房のきいた室内の空気がふわりと肌に触れた。
ようやく安心したせいか、肌に残る汗のべたつきだけが妙に気になってしまう。
病院で点滴を受けて体は楽になった。
でも、汗をかいたあとの“気持ち悪さ”だけはどうしても抜けきらない。
奏一は琴葉の様子を察したように、彼女の腕をそっと支え寝室へ導いた。
「まずは楽な服に着替えましょう」
そう言って、奏一はクローゼットから部屋着を取り出す。
手渡されると思って、琴葉はそっと手を伸ばした――が、そのまま部屋着は奏一の腕に残された。
代わりに、彼は洗面所からタオルと小さなボウルを持って戻ってくる。
「……あの、自分で――」
それを聞いた瞬間、奏一のまなざしがわずかに強くなった。
怒っているのではない。
“無理をさせない”と決めた人の目だ。
「今日は無理をさせたくありません。
……私に、任せてください」
声は静かで優しいのに、抗う隙間はどこにもない。
琴葉は、ほんの一瞬ためらったが、胸の奥のだるさが返事を代わりにしたように、力が抜けた。
「……うん、わかった」
その言葉を確認すると、奏一は胸元へ慎重に手を伸ばし、ボタンを外していく。
ブラウスがゆっくりと脱がされても、下着とキャミソールはきちんと残されたまま。
露わになった肌に、温かいタオルがそっと当てられた。
「汗でベタついたままだと不快でしょう。すぐ終わります」
首筋から背中へ、そして鎖骨のあたりへ。
一つ一つの動きが驚くほど丁寧で、力も入っていない。
その優しさに、こわばっていた肩が自然とほどけていった。
(……あ、安心……する)
医者として慣れている手つきなのに、そこには“雑さ”も“事務的さ”も一切ない。
触れられているだけなのに、なぜか“守られている”という感覚が残る。
(……こんなに迷惑かけてるのに)
胸の奥が、またじんわり痛んだ。
腕をそっと持ち上げられると、その内側も、布でそっとすくうように拭われる。
「気持ち悪いところはありませんか」
「……ううん、ないよ」
返す声が少し震えるのは、体調ではなく、ただ申し訳なさが胸いっぱいに広がるせいだった。
拭き終えた奏一は、タオルを畳みながらほんの少しだけ息をつく。
そして、ようやく部屋着が手渡された。
「では、これに着替えてください。
そのあとは横になりましょう。眠くなったらそのまま寝ても大丈夫です」
「……そこまでしなくても」
「いいえ。今日みたいな日は体調が急変します。油断しないように」
低く落ち着いた声に、どこか安堵の響きが混じる。
その音を聞きながら、琴葉は少しずつ呼吸を整え、涼しい風に身を委ねた。
部屋着の柔らかな感触と、冷房の静かな風が肌を撫でる。
呼吸はもう浅くなく、胸の奥でゆったりと上下していた。
ベッドに体を預けると、重さが沈み、まぶたが自然と降りてくる。
(……なんでだろ)
少し前まで、奏一に世話をされるのは息苦しいほど嫌だった。
監視され、縛られているようで。
でも今は――ただ、安心する。
あの時、母ではなく、奏一を選んだ理由が、ぼんやりと胸の奥で形になりかけていた。
その“説明できない理由”が、ほんの少しだけ心を温める。
横目で見れば、ベッド脇の椅子に腰を下ろし、腕を組んだままじっとこちらを見守る奏一の姿がある。
無表情なのに、その視線は妙に優しかった。
(……もう少しだけ、このままで)
まぶたが閉じ、暗闇に溶ける直前。
微かに低く、穏やかな声が届く。
「……ゆっくり休んでください」
その一言に包まれながら、琴葉の意識は静かに眠りへと沈んでいった。
——————
体をベッドに横たえた琴葉は、数分も経たないうちに静かな寝息を立て始めた。
細い肩がゆるりと上下し、その安らぎが眠りの深さを物語っている。
額に触れて熱がないことを確かめ、頬の色も問題ないと判断する。
検査結果も、点滴の反応も良好だった。
医学的に見れば――もう心配する要素はない。
それでも。
(……離れがたいな)
頭では“もう大丈夫だ”と理解しているのに、心が言うことを聞かない。
帰宅した安心の反動か、あるいは先ほどの連絡で胸の奥が大きく揺らいだせいなのか。
理由ははっきりしない。
ただ、今は彼女を一人にしたくなかった。
ベッド脇の椅子に腰を下ろし、しばらくその寝顔を見つめる。
医者として確認し続ける動作は、半ば習慣のように自然に行われるが、その奥には別の想いも静かに沈んでいた。
(間に合って……よかった)
そう思った瞬間、胸の奥にわずかな痛みのようなものが広がる。
電話越しの震えた声、途切れそうな呼吸――
全部が、まだ耳に残っている。
“彼女が助けを求めたのは、自分だった。”
その事実が、ひどく重く、そして温かい。
眠る琴葉の髪がわずかに揺れ、頬にかかった一房をそっと指先で払う。
触れたのは一瞬。
それ以上は、越えてはいけない線だとわかっているから。
椅子にもたれたまま、奏一は静かに息をつく。
夜の気配がゆるやかに部屋へ流れ込む中、
彼はしばらく、ただ琴葉の寝息を聞いていた。
ようやく安心したせいか、肌に残る汗のべたつきだけが妙に気になってしまう。
病院で点滴を受けて体は楽になった。
でも、汗をかいたあとの“気持ち悪さ”だけはどうしても抜けきらない。
奏一は琴葉の様子を察したように、彼女の腕をそっと支え寝室へ導いた。
「まずは楽な服に着替えましょう」
そう言って、奏一はクローゼットから部屋着を取り出す。
手渡されると思って、琴葉はそっと手を伸ばした――が、そのまま部屋着は奏一の腕に残された。
代わりに、彼は洗面所からタオルと小さなボウルを持って戻ってくる。
「……あの、自分で――」
それを聞いた瞬間、奏一のまなざしがわずかに強くなった。
怒っているのではない。
“無理をさせない”と決めた人の目だ。
「今日は無理をさせたくありません。
……私に、任せてください」
声は静かで優しいのに、抗う隙間はどこにもない。
琴葉は、ほんの一瞬ためらったが、胸の奥のだるさが返事を代わりにしたように、力が抜けた。
「……うん、わかった」
その言葉を確認すると、奏一は胸元へ慎重に手を伸ばし、ボタンを外していく。
ブラウスがゆっくりと脱がされても、下着とキャミソールはきちんと残されたまま。
露わになった肌に、温かいタオルがそっと当てられた。
「汗でベタついたままだと不快でしょう。すぐ終わります」
首筋から背中へ、そして鎖骨のあたりへ。
一つ一つの動きが驚くほど丁寧で、力も入っていない。
その優しさに、こわばっていた肩が自然とほどけていった。
(……あ、安心……する)
医者として慣れている手つきなのに、そこには“雑さ”も“事務的さ”も一切ない。
触れられているだけなのに、なぜか“守られている”という感覚が残る。
(……こんなに迷惑かけてるのに)
胸の奥が、またじんわり痛んだ。
腕をそっと持ち上げられると、その内側も、布でそっとすくうように拭われる。
「気持ち悪いところはありませんか」
「……ううん、ないよ」
返す声が少し震えるのは、体調ではなく、ただ申し訳なさが胸いっぱいに広がるせいだった。
拭き終えた奏一は、タオルを畳みながらほんの少しだけ息をつく。
そして、ようやく部屋着が手渡された。
「では、これに着替えてください。
そのあとは横になりましょう。眠くなったらそのまま寝ても大丈夫です」
「……そこまでしなくても」
「いいえ。今日みたいな日は体調が急変します。油断しないように」
低く落ち着いた声に、どこか安堵の響きが混じる。
その音を聞きながら、琴葉は少しずつ呼吸を整え、涼しい風に身を委ねた。
部屋着の柔らかな感触と、冷房の静かな風が肌を撫でる。
呼吸はもう浅くなく、胸の奥でゆったりと上下していた。
ベッドに体を預けると、重さが沈み、まぶたが自然と降りてくる。
(……なんでだろ)
少し前まで、奏一に世話をされるのは息苦しいほど嫌だった。
監視され、縛られているようで。
でも今は――ただ、安心する。
あの時、母ではなく、奏一を選んだ理由が、ぼんやりと胸の奥で形になりかけていた。
その“説明できない理由”が、ほんの少しだけ心を温める。
横目で見れば、ベッド脇の椅子に腰を下ろし、腕を組んだままじっとこちらを見守る奏一の姿がある。
無表情なのに、その視線は妙に優しかった。
(……もう少しだけ、このままで)
まぶたが閉じ、暗闇に溶ける直前。
微かに低く、穏やかな声が届く。
「……ゆっくり休んでください」
その一言に包まれながら、琴葉の意識は静かに眠りへと沈んでいった。
——————
体をベッドに横たえた琴葉は、数分も経たないうちに静かな寝息を立て始めた。
細い肩がゆるりと上下し、その安らぎが眠りの深さを物語っている。
額に触れて熱がないことを確かめ、頬の色も問題ないと判断する。
検査結果も、点滴の反応も良好だった。
医学的に見れば――もう心配する要素はない。
それでも。
(……離れがたいな)
頭では“もう大丈夫だ”と理解しているのに、心が言うことを聞かない。
帰宅した安心の反動か、あるいは先ほどの連絡で胸の奥が大きく揺らいだせいなのか。
理由ははっきりしない。
ただ、今は彼女を一人にしたくなかった。
ベッド脇の椅子に腰を下ろし、しばらくその寝顔を見つめる。
医者として確認し続ける動作は、半ば習慣のように自然に行われるが、その奥には別の想いも静かに沈んでいた。
(間に合って……よかった)
そう思った瞬間、胸の奥にわずかな痛みのようなものが広がる。
電話越しの震えた声、途切れそうな呼吸――
全部が、まだ耳に残っている。
“彼女が助けを求めたのは、自分だった。”
その事実が、ひどく重く、そして温かい。
眠る琴葉の髪がわずかに揺れ、頬にかかった一房をそっと指先で払う。
触れたのは一瞬。
それ以上は、越えてはいけない線だとわかっているから。
椅子にもたれたまま、奏一は静かに息をつく。
夜の気配がゆるやかに部屋へ流れ込む中、
彼はしばらく、ただ琴葉の寝息を聞いていた。
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