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第22話・灯りの向こうのあなたへ
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リビングに移動してからも、奏一は落ち着かなかった。
ノートパソコンを開き、書類に目を通し、必要な返信だけ淡々と片付けていく。
いつもなら集中し始めれば時間を忘れるのに、今日はまるで思考の底に薄い膜が張られたようで、どこか上の空だった。
カチ、カチ、と静かに押されるキーの音。
照明は落とし、手元を照らすランプだけを点けている。
寝室の引き戸は半分開けたまま。
(……眠っていますね)
ふと顔を上げれば、開けた隙間の向こうに、布団の小さなふくらみが見える。
呼吸も寝返りも確認できない距離なのに、ただそこに琴葉がいる――それだけで、胸の強張りが少し和らいだ。
仕事の画面を見ているはずなのに、意識の半分以上は琴葉へと向けられている。
「……」
奏一はそっと目を閉じ、額を指先で押さえて静かに呼吸を整えた。
(――明日、少しでも楽になりますように)
祈りに似た想いが、胸の底に静かに沈んでいった。
どれくらい時間が経ったのか。
奏一がふと時計を見れば、針は20時過ぎを指している。
寝室は変わらず静かに沈んでいた。
ちょうどその時だった。
「……せん、せい……?」
かすれた声が寝室から聞こえた瞬間、奏一は反射的に立ち上がる。
数時間ぶりに呼ばれたその声に、胸の奥がきゅっと締まった。
「琴葉さん?」
扉を開けると、琴葉がゆっくりと目を開けていた。
呼吸は落ち着き、顔色も悪くない。
奏一はベッド脇に膝をつくように身を屈め、琴葉の額に手を当てる。
「大丈夫ですか。気分はどうですか?」
「……うん、大丈夫そう」
ゆっくりと上体を支えると、琴葉はぼんやりした表情のまま呟く。
「……ちょっと、喉乾いた……」
「すぐ持ってきます」
一度部屋を出て、すぐに水を用意して戻ってくる。
ベッド脇に腰を下ろし、コップを琴葉の手に添えた。
琴葉はゆっくりと口元に運び、ほんの少しずつ喉を潤す。
飲み終えると、奏一は軽く呼吸を整えてから尋ねた。
「食欲はありますか? 少しでも食べられそうなら、用意しますよ」
だが琴葉はすぐに首を横に振った。
「……ううん。お腹、空いてない」
弱い声だが、無理をしているわけではない。
眠って少し体力が戻ったとはいえ、まだ本調子ではないのだとわかる。
奏一は、穏やかな声で言った。
「わかりました。では、先に体調をみますね」
一度頷くと、ベッド脇に置いていた医療用ポーチを手に取る。
その動作に、琴葉は「あ……」と小さく身じろぎした。
「……診察、するの?」
「念のためです。すぐ終わります」
静かな声だが、揺るぎない。
“問題ない”と理解していても、確認せずにはいられない――そんな気配が照明の下で淡く漂った。
体温計を渡され、その間に血圧計を腕に巻かれる。
機械が作動し始めると、琴葉は少し緊張したように視線を落とす。
「脈をみますね」
指先がそっと手首に触れた。
医者としての正確な圧と、彼個人の優しさが共存する温度。
そして――奏一は、ポーチの中から迷いなく聴診器を取り出した。
琴葉がわずかに目を丸くする。
「……持ち歩いてるの?」
「必要なとき、持っていない方が問題なので」
淡々と返しながらも、その声の底には“今日の不安”の余韻がわずかに残っていた。
「胸に当てますね。深呼吸しなくて大丈夫です。そのまま、普通の呼吸で」
冷たさを感じさせないよう、一瞬だけ手の中で温め、胸元にそっと当てる。
しん、と静まり返る室内。
鼓動のリズムを追う奏一の気配は、息をひそめるほど繊細だった。
数秒の沈黙のあと――
「……大丈夫です。心音も安定しています」
その声には、ほんのわずかに安堵が混ざっていた。
続いて体温計を確認し、血圧計を外し、最後にもう一度、脈を触れて確かめる。
「体温も平常、血圧も問題なし。脱水の改善も早いですね」
淡々とした言葉の端に、明らかにほっとした気配が漂う。
その表情を見た途端、琴葉の胸の奥がきゅっと痛んだ。
(……こんなに、心配させて……)
眠って体力が戻り、少し冷静になった分だけ、罪悪感が胸にじわりと押し寄せる。
「……ごめんなさい」
小さな声がこぼれ落ちた。
視線を落としたまま、小さく、けれどはっきりとした謝罪。
奏一は少しだけ首を傾けた。
顔を上げられないまま、琴葉は指先をぎゅっと握りしめる。
「今日……予定より早く終わったのに……連絡しなくて…約束破って、ごめんなさい……」
本来なら連絡して、迎えに来てもらうはずだった。
それなのに、勝手に動いてしまった。
「……それと……こんなに暑いのに……出歩いてしまって……」
声が震え、言葉が細くなる。
「夏は……体調を崩しやすいって……昔からママに、何度も言われていたのに……。
でも、今日は体調もよかったから……。課題に使うもの、早めに買っておいた方がいいと思って、つい……」
ひとつ説明するたびに、罪悪感が胸の奥で膨らんでいく。
最後に、琴葉はさらに深く俯いた。
喉の奥がつまる。
言葉にするのが苦しいほど、胸が痛い。
「先生に……迷惑をかけて、しまって……」
膝の上で握りしめた拳が、細く震えていた。
顔を上げる勇気はなく、ただ俯いたまま、何度も小さく呼吸を整えようとしていた。
ノートパソコンを開き、書類に目を通し、必要な返信だけ淡々と片付けていく。
いつもなら集中し始めれば時間を忘れるのに、今日はまるで思考の底に薄い膜が張られたようで、どこか上の空だった。
カチ、カチ、と静かに押されるキーの音。
照明は落とし、手元を照らすランプだけを点けている。
寝室の引き戸は半分開けたまま。
(……眠っていますね)
ふと顔を上げれば、開けた隙間の向こうに、布団の小さなふくらみが見える。
呼吸も寝返りも確認できない距離なのに、ただそこに琴葉がいる――それだけで、胸の強張りが少し和らいだ。
仕事の画面を見ているはずなのに、意識の半分以上は琴葉へと向けられている。
「……」
奏一はそっと目を閉じ、額を指先で押さえて静かに呼吸を整えた。
(――明日、少しでも楽になりますように)
祈りに似た想いが、胸の底に静かに沈んでいった。
どれくらい時間が経ったのか。
奏一がふと時計を見れば、針は20時過ぎを指している。
寝室は変わらず静かに沈んでいた。
ちょうどその時だった。
「……せん、せい……?」
かすれた声が寝室から聞こえた瞬間、奏一は反射的に立ち上がる。
数時間ぶりに呼ばれたその声に、胸の奥がきゅっと締まった。
「琴葉さん?」
扉を開けると、琴葉がゆっくりと目を開けていた。
呼吸は落ち着き、顔色も悪くない。
奏一はベッド脇に膝をつくように身を屈め、琴葉の額に手を当てる。
「大丈夫ですか。気分はどうですか?」
「……うん、大丈夫そう」
ゆっくりと上体を支えると、琴葉はぼんやりした表情のまま呟く。
「……ちょっと、喉乾いた……」
「すぐ持ってきます」
一度部屋を出て、すぐに水を用意して戻ってくる。
ベッド脇に腰を下ろし、コップを琴葉の手に添えた。
琴葉はゆっくりと口元に運び、ほんの少しずつ喉を潤す。
飲み終えると、奏一は軽く呼吸を整えてから尋ねた。
「食欲はありますか? 少しでも食べられそうなら、用意しますよ」
だが琴葉はすぐに首を横に振った。
「……ううん。お腹、空いてない」
弱い声だが、無理をしているわけではない。
眠って少し体力が戻ったとはいえ、まだ本調子ではないのだとわかる。
奏一は、穏やかな声で言った。
「わかりました。では、先に体調をみますね」
一度頷くと、ベッド脇に置いていた医療用ポーチを手に取る。
その動作に、琴葉は「あ……」と小さく身じろぎした。
「……診察、するの?」
「念のためです。すぐ終わります」
静かな声だが、揺るぎない。
“問題ない”と理解していても、確認せずにはいられない――そんな気配が照明の下で淡く漂った。
体温計を渡され、その間に血圧計を腕に巻かれる。
機械が作動し始めると、琴葉は少し緊張したように視線を落とす。
「脈をみますね」
指先がそっと手首に触れた。
医者としての正確な圧と、彼個人の優しさが共存する温度。
そして――奏一は、ポーチの中から迷いなく聴診器を取り出した。
琴葉がわずかに目を丸くする。
「……持ち歩いてるの?」
「必要なとき、持っていない方が問題なので」
淡々と返しながらも、その声の底には“今日の不安”の余韻がわずかに残っていた。
「胸に当てますね。深呼吸しなくて大丈夫です。そのまま、普通の呼吸で」
冷たさを感じさせないよう、一瞬だけ手の中で温め、胸元にそっと当てる。
しん、と静まり返る室内。
鼓動のリズムを追う奏一の気配は、息をひそめるほど繊細だった。
数秒の沈黙のあと――
「……大丈夫です。心音も安定しています」
その声には、ほんのわずかに安堵が混ざっていた。
続いて体温計を確認し、血圧計を外し、最後にもう一度、脈を触れて確かめる。
「体温も平常、血圧も問題なし。脱水の改善も早いですね」
淡々とした言葉の端に、明らかにほっとした気配が漂う。
その表情を見た途端、琴葉の胸の奥がきゅっと痛んだ。
(……こんなに、心配させて……)
眠って体力が戻り、少し冷静になった分だけ、罪悪感が胸にじわりと押し寄せる。
「……ごめんなさい」
小さな声がこぼれ落ちた。
視線を落としたまま、小さく、けれどはっきりとした謝罪。
奏一は少しだけ首を傾けた。
顔を上げられないまま、琴葉は指先をぎゅっと握りしめる。
「今日……予定より早く終わったのに……連絡しなくて…約束破って、ごめんなさい……」
本来なら連絡して、迎えに来てもらうはずだった。
それなのに、勝手に動いてしまった。
「……それと……こんなに暑いのに……出歩いてしまって……」
声が震え、言葉が細くなる。
「夏は……体調を崩しやすいって……昔からママに、何度も言われていたのに……。
でも、今日は体調もよかったから……。課題に使うもの、早めに買っておいた方がいいと思って、つい……」
ひとつ説明するたびに、罪悪感が胸の奥で膨らんでいく。
最後に、琴葉はさらに深く俯いた。
喉の奥がつまる。
言葉にするのが苦しいほど、胸が痛い。
「先生に……迷惑をかけて、しまって……」
膝の上で握りしめた拳が、細く震えていた。
顔を上げる勇気はなく、ただ俯いたまま、何度も小さく呼吸を整えようとしていた。
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