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第1話・決められた命、選べない人生
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春の陽射しが差し込む病室に、消毒液の匂いがほのかに漂っていた。
窓の外では桜が揺れている。
「白崎さん、今日から主治医の先生が変わります。ご挨拶に来てくださっていますよ」
顔なじみの看護師が、少しだけ言いにくそうな様子で告げた。
その優しい笑顔に安心するどころか、胸の奥に不安がじわりと広がっていく。
(……先生が変わるの?)
去年の夏のことが、胸の奥にざわりと蘇る。
あの、残暑の午後。
教室で突然息が乱れ、胸が締めつけられ、そのまま意識が遠のいていった。
――次、同じことが起きたら助かるかわからない。
医者にそう言われたあの日の空気は、いまだに体のどこかに張り付いている。
両親が青ざめて泣いていたのも覚えている。
(だから、だよね……きっと、また“大人たちの判断”なんだ)
そんな思いを抱えたまま、琴葉はゆっくり顔を上げた。
ちょうどそのタイミングで、部屋の扉が静かに開く。
「初めまして。遠野奏一と申します」
低く落ち着いた声だった。白衣をまとった長身の男性が、一礼する。
黒髪に眼鏡、整った顔立ち――けれど、その瞳には体温が感じられなかった。
まるで、琴葉という“人”ではなく、“リスクの高い症例”を淡々と観察しているような冷たい目。
「本日より、琴葉さんの診療を担当させていただくことになりました。以後、よろしくお願いいたします」
奏一は丁寧に、しかしどこか事務的な口調でそう言った。
そのとき、母がすっと前に出て、言いにくそうに言葉を重ねる。
「それと……もう一つ、大事なお話があるの」
琴葉は嫌な予感がした。
母の声はどこか緊張していて、視線が逸れている。
「パパとも相談してね……この方、遠野先生が……あなたの結婚相手になる方よ」
頭が真っ白になった。
「……は?」
「正式な入籍は、20歳を過ぎてからになるけど…それまでに少しずつ関係を築いていければと、先生ともお話していて――」
「意味わかんない! ふざけないでよ!!」
声が震える。
怒りと戸惑いと、理解できない現実が一気に押し寄せた。
「なんで勝手に決めるの! 私、そんなの聞いてないし、嫌に決まってる!」
「落ち着いて、琴葉……あなたの体のことも考えて――」
「関係ない!! なんで私の人生を、私抜きで決めるの!?そんなの自由じゃない!」
言葉を吐くたびに、息が苦しくなっていく。
喉が締めつけられ、視界が歪む。
(あ……苦しい…息が………)
「琴葉さん!深呼吸してください!ゆっくり! ストレッチャー、すぐに持ってきて!」
誰かの声が遠くに聞こえる。
腕を支えられる感覚。
何かが口元に当てられる。
でももう、体はいうことをきかなかった。
そうして、琴葉の意識は、深い闇へと沈んでいった。
目を覚ましたとき、病室の照明はやわらかく灯っていた。
清潔なリネンの香りと、規則的に鳴る心電図の音。
すぐにここが自分の部屋ではなく、病院の個室であると気づく。
(……ここ、病室… 昨日……私……)
曖昧な記憶の断片が、胸の痛みとともに蘇る。
母と、知らない医者。
そして突然言い渡された婚約。
怒鳴った。叫んだ。息ができなくなって――
(倒れたんだ……)
まどろみから目覚めたばかりの頭には、まだ靄がかかっている。
けれど「昨日のこと」が現実であることだけは、嫌というほど理解できた。
点滴が刺さった腕。
もう外されている酸素マスク。
それでも、胸には重くのしかかる何かが残っていた。
「おはよう、琴葉。目が覚めたのね」
扉が開き、母が入ってくる。
スープの入った保温カップを手に、表情には安堵と気まずさが混じっていた。
琴葉は視線を逸らす。
「勝手に入らないで」
「昨日、倒れたのよ。心配したの」
「じゃあ、私の話くらい聞いてよ。私、あんなの望んでない。結婚も、あの人も」
母は言葉を失ったように黙り、スープをテーブルに置いた。
「琴葉……あなたを、守るためなの」
琴葉はしばらく黙ったまま、視線を窓の方に逃がした。
桜の花びらが揺れるのを見つめながら、ぽつりと言う。
「……私って、長く生きられないんでしょ?」
声は小さいのに、刺があった。
「だったら……せめて、私の好きにさせてよ。
結婚相手まで勝手に決められるなんて……そんなの、いや」
最後だけ僅かに震えていた。
母は黙ったまま立ち上がり、そっと背を向けた。
「…少し休みなさい。熱も下がってないし……」
「……うん。寝るから、出てって」
扉が閉まり、病室に静寂が戻る。
(……なんなの、これ)
誰もが「私のため」と言う。
でもそれは、結局「大人の都合」でしかない。
病気だから。弱いから。
だから私の人生は、大人たちの管理下にある。
それがずっと、当たり前のように続いてきた。
(だったらいっそ、誰にも期待されない方がマシ……)
そう思いながらも、本当はわかっている。
親は私を愛してくれている。
誰より私の身体を心配していて守りたいだけ。
――でも、それが時として“檻”になることもある。
数時間後。再びノックの音がした。
「琴葉さん、失礼します」
聞き慣れない低い声。
昨日見た、あの男――遠野奏一が、白衣の襟元を正したまま静かに立っていた。
機械のように隙がなく、冷静で、感情が読めない。
「改めまして、今後の琴葉さんの診療を担当させていただく遠野です。容体は落ち着かれましたか」
「……どうでもいいです。先生の顔なんて見たくない」
「……昨日は突然のことで、驚かせてしまい申し訳ありませんでした。
ですが、あなたの命を預かる立場として、私は最善を尽くす責任があります」
「じゃあ結婚の話なんて、断ってくれればよかったのに」
その言葉に、奏一の目がわずかに揺れた。
けれどすぐに、その表情は無へと戻る。
「あなたが望まないのであれば、私はいつでも身を引きます。
――ただ、医者としてあなたの命を守る意志は、変わりません」
「……言ってること、矛盾してるの気づいてます?
それってつまり、“逃げても監視は続ける”ってことですよね」
沈黙が落ちる。彼は何も言い返さなかった。
(この人、何考えてるか、全然わからない……)
怒るわけでも、情に訴えるわけでもない。
ただ、冷静にすべてを受け止めるような態度が、逆に琴葉の不安を煽った。
(私の人生、もう全部……決められてしまってるの?)
そう思った瞬間、喉の奥が苦く締めつけられた。
窓の外では桜が揺れている。
「白崎さん、今日から主治医の先生が変わります。ご挨拶に来てくださっていますよ」
顔なじみの看護師が、少しだけ言いにくそうな様子で告げた。
その優しい笑顔に安心するどころか、胸の奥に不安がじわりと広がっていく。
(……先生が変わるの?)
去年の夏のことが、胸の奥にざわりと蘇る。
あの、残暑の午後。
教室で突然息が乱れ、胸が締めつけられ、そのまま意識が遠のいていった。
――次、同じことが起きたら助かるかわからない。
医者にそう言われたあの日の空気は、いまだに体のどこかに張り付いている。
両親が青ざめて泣いていたのも覚えている。
(だから、だよね……きっと、また“大人たちの判断”なんだ)
そんな思いを抱えたまま、琴葉はゆっくり顔を上げた。
ちょうどそのタイミングで、部屋の扉が静かに開く。
「初めまして。遠野奏一と申します」
低く落ち着いた声だった。白衣をまとった長身の男性が、一礼する。
黒髪に眼鏡、整った顔立ち――けれど、その瞳には体温が感じられなかった。
まるで、琴葉という“人”ではなく、“リスクの高い症例”を淡々と観察しているような冷たい目。
「本日より、琴葉さんの診療を担当させていただくことになりました。以後、よろしくお願いいたします」
奏一は丁寧に、しかしどこか事務的な口調でそう言った。
そのとき、母がすっと前に出て、言いにくそうに言葉を重ねる。
「それと……もう一つ、大事なお話があるの」
琴葉は嫌な予感がした。
母の声はどこか緊張していて、視線が逸れている。
「パパとも相談してね……この方、遠野先生が……あなたの結婚相手になる方よ」
頭が真っ白になった。
「……は?」
「正式な入籍は、20歳を過ぎてからになるけど…それまでに少しずつ関係を築いていければと、先生ともお話していて――」
「意味わかんない! ふざけないでよ!!」
声が震える。
怒りと戸惑いと、理解できない現実が一気に押し寄せた。
「なんで勝手に決めるの! 私、そんなの聞いてないし、嫌に決まってる!」
「落ち着いて、琴葉……あなたの体のことも考えて――」
「関係ない!! なんで私の人生を、私抜きで決めるの!?そんなの自由じゃない!」
言葉を吐くたびに、息が苦しくなっていく。
喉が締めつけられ、視界が歪む。
(あ……苦しい…息が………)
「琴葉さん!深呼吸してください!ゆっくり! ストレッチャー、すぐに持ってきて!」
誰かの声が遠くに聞こえる。
腕を支えられる感覚。
何かが口元に当てられる。
でももう、体はいうことをきかなかった。
そうして、琴葉の意識は、深い闇へと沈んでいった。
目を覚ましたとき、病室の照明はやわらかく灯っていた。
清潔なリネンの香りと、規則的に鳴る心電図の音。
すぐにここが自分の部屋ではなく、病院の個室であると気づく。
(……ここ、病室… 昨日……私……)
曖昧な記憶の断片が、胸の痛みとともに蘇る。
母と、知らない医者。
そして突然言い渡された婚約。
怒鳴った。叫んだ。息ができなくなって――
(倒れたんだ……)
まどろみから目覚めたばかりの頭には、まだ靄がかかっている。
けれど「昨日のこと」が現実であることだけは、嫌というほど理解できた。
点滴が刺さった腕。
もう外されている酸素マスク。
それでも、胸には重くのしかかる何かが残っていた。
「おはよう、琴葉。目が覚めたのね」
扉が開き、母が入ってくる。
スープの入った保温カップを手に、表情には安堵と気まずさが混じっていた。
琴葉は視線を逸らす。
「勝手に入らないで」
「昨日、倒れたのよ。心配したの」
「じゃあ、私の話くらい聞いてよ。私、あんなの望んでない。結婚も、あの人も」
母は言葉を失ったように黙り、スープをテーブルに置いた。
「琴葉……あなたを、守るためなの」
琴葉はしばらく黙ったまま、視線を窓の方に逃がした。
桜の花びらが揺れるのを見つめながら、ぽつりと言う。
「……私って、長く生きられないんでしょ?」
声は小さいのに、刺があった。
「だったら……せめて、私の好きにさせてよ。
結婚相手まで勝手に決められるなんて……そんなの、いや」
最後だけ僅かに震えていた。
母は黙ったまま立ち上がり、そっと背を向けた。
「…少し休みなさい。熱も下がってないし……」
「……うん。寝るから、出てって」
扉が閉まり、病室に静寂が戻る。
(……なんなの、これ)
誰もが「私のため」と言う。
でもそれは、結局「大人の都合」でしかない。
病気だから。弱いから。
だから私の人生は、大人たちの管理下にある。
それがずっと、当たり前のように続いてきた。
(だったらいっそ、誰にも期待されない方がマシ……)
そう思いながらも、本当はわかっている。
親は私を愛してくれている。
誰より私の身体を心配していて守りたいだけ。
――でも、それが時として“檻”になることもある。
数時間後。再びノックの音がした。
「琴葉さん、失礼します」
聞き慣れない低い声。
昨日見た、あの男――遠野奏一が、白衣の襟元を正したまま静かに立っていた。
機械のように隙がなく、冷静で、感情が読めない。
「改めまして、今後の琴葉さんの診療を担当させていただく遠野です。容体は落ち着かれましたか」
「……どうでもいいです。先生の顔なんて見たくない」
「……昨日は突然のことで、驚かせてしまい申し訳ありませんでした。
ですが、あなたの命を預かる立場として、私は最善を尽くす責任があります」
「じゃあ結婚の話なんて、断ってくれればよかったのに」
その言葉に、奏一の目がわずかに揺れた。
けれどすぐに、その表情は無へと戻る。
「あなたが望まないのであれば、私はいつでも身を引きます。
――ただ、医者としてあなたの命を守る意志は、変わりません」
「……言ってること、矛盾してるの気づいてます?
それってつまり、“逃げても監視は続ける”ってことですよね」
沈黙が落ちる。彼は何も言い返さなかった。
(この人、何考えてるか、全然わからない……)
怒るわけでも、情に訴えるわけでもない。
ただ、冷静にすべてを受け止めるような態度が、逆に琴葉の不安を煽った。
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