病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな

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第9話・整えられた、不自由

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2日後、退院の日。
外来の出口には黒い車が止まっていた。
運転席にいたのは、見慣れた白衣ではなく、スーツ姿の奏一だった。

「どうぞ、荷物はこちらへ」

「……先生が運転?」

「ええ。今日は暑いですし、徒歩は負担になりますから。車で行きましょう。5分ほどで着きます」

「……病院の近くなんだ」

「はい。大学へもバス一本で行けます。必要であれば時刻表もお渡ししますよ」

車内には、かすかにクラシックが流れていた。
アクセルの踏み込みも慎重で、まるで“病人用”に調律された空間のようだった。

数分後、車はマンションの駐車場に滑り込む。
エレベーターで上がった先、案内されたのは白を基調とした整然とした部屋だった。

清潔で、整っていて――それなのに、どこか温度のない空間。

「……誰か住んでるの? ここ」

「私が住んでいますよ。基本は病院におりますが、必要な物があれば手配しますので教えてください」

「……人が住んでるって感じ、しない」

「以前、妹と弟にも同じことを言われましたね」

微笑のようなものを浮かべたが、それ以上は何も言わなかった。

一通りの説明のあと、琴葉にあてがわれたのは、リビング横の一室。
ベッド、机、クローゼット、緊急用ボタン――無機質に揃えられたそれは、まるで“自宅の形をした病室”のようだった。

「ここが、私の部屋?」

「はい。ベッドは医療対応可能な低床型です。
呼び鈴とナースコールはこのボタンに。
トイレは廊下のすぐ横にありますが、夜間は転倒に注意してください」

「病室みたい……」

思わず漏れた言葉が、静かな部屋に響く。
振り返ると、奏一は相変わらず淡々とした表情で立っていた。

「あなたの命を守るための設備です。
過保護だと感じても、それは“命を失うリスク”と天秤にかけた上での判断です」

反論の余地は、ない。
でも、胸の奥に残ったわだかまりだけは消えなかった。

(結局、私は“誰かの管理下”じゃないと、生きられないんだ)

夜。
寝つけずに天井を見上げながら、琴葉はぼんやりと思う。

(自由って、なんなんだろう……)

音もない部屋に、ただ冷房の風だけが静かに流れていた。


翌朝。
窓の外はどんよりと曇っていた。
梅雨の重たい空気が、静かに街を包んでいる。

目を覚ますと、身体のだるさと一緒に「ここは病院ではない」という違和感が遅れてやってきた。
白く整った天井、無機質な家具、清潔なリネンの匂い。

起き上がると、サイドテーブルには体温計と血圧計。
その光景に、思わず顔をしかめた。

「……管理されてる、って感じ」

呟きが、静かな空気に吸い込まれていく。

数分後、ノックの音と共に奏一が現れた。
ネクタイを締めたスーツ姿。
整った顔に、いつもの穏やかな声。

「おはようございます。体調はいかがですか?」

「……普通。ちょっとだるいだけ」

「まだ本調子ではないようですね。今日も安静に過ごしてください」

奏一は体温計と血圧計を手に取り、手際よく測定を済ませ、数値を記録していく。

リビングに出ると、テーブルにはヨーグルトとスープ、軽めのパン。
油分も糖分も控えめな朝食に、琴葉は小さくため息をついた。

「なんか……朝ごはんまで病院みたい」

「あなたの心臓に負担が少ないように、管理栄養士と相談して決めています」

「先生って……なんなの? 婚約者? 保護者?」

「――“管理者”、でしょうか」

「……は?」

茶化す様子も、冗談めかした気配もない。
ただ淡々と放たれたその言葉に、琴葉は言葉を失った。

「あなたが生きるために、私は必要です。
たとえあなたがそれを望まなくても、私の役割は変わりません」

その声は、命令でも忠誠でもなく――“義務”を口にする人間の、冷静な響きだった。


食事を終え、ソファに腰を下ろす。
テレビはつけず、ラジオだけが小さく流れている。
スマホを取り出しても、連絡を取る相手はいない。

“自由”とは何なのか。
実家を出ても、何も変わらない。
むしろ静かで、なおさら息苦しい。

それでも、ここにいるのは自分が選んだ結果だ。

(……もう少しだけ、様子を見てみよう)

そう思えたのは、体調がわずかに戻り、心にもほんの少し余白ができたからだった。
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