【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな

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第1話・—限界、告げた決意

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「結城さん、この資料のまとめ、お願いできる?」

「結城、ごめんけど、午後の打ち合わせ、代わってもらってもいいか?」

返事をする前に、
自分のタスクがまだ山積みだと気づいた。

でも、断れない。
気づけば「大丈夫です」と微笑んでいた。

——また、やってしまった。

結城澪。
新卒で入社して5年目。
この部署に異動してきて2年。

わかっていた。
ここが”花形”と呼ばれる理由も、
誰もが憧れるけれど、誰もが心を擦り減らす場所だということも。

(……もう、限界かもしれない)

心のどこかで、そんな考えがちらつき始めていた。


資料を手に戻る途中、
後輩の女の子がそっと声をかけてくる。

「結城先輩、…大丈夫ですか?
何かお手伝いできることがあれば……」

「ううん、気にしないで、大丈夫だよ。ありがとう」

そう言って笑ったけど、
正直、しんどい。

昼休みー。
いつも何人かと一緒に食べて過ごす。
男女問わず話しかけやすいとよく言われるけれど、その分、頼られることも多い。

私はずっと、“いい人”でいなきゃいけなかった。


午後、デスクに戻ると、
視線の先に、背筋を伸ばしてパソコンに向かう男性の姿があった。

東條崇雅。35歳。
非常に優秀で、30代という若さにも関わらず部長に抜擢されたと聞いたことがある。
私の直属の上司であり、この部署の部長。

完璧な仕事ぶり。
的確な判断力。
常に冷静で、誰に対しても感情を見せない。

怖い、というのが第一印象だった。

でも、私は——
そんな彼に、どこか憧れのような感情を抱いていた。

真面目で、淡々としていて、
近寄りがたいけれど、不思議と安心感がある。

……そう思っていたのに。

実際に直属の上司としてついてから、
その感情は少しずつ変わってきていた。

叱責されるわけじゃない。
でも、フォローもない。
いつも淡々としていて、
私がどんなに頑張っても、それが届いていないように感じる。

言葉が少なすぎて、何を考えているのか分からない。
指示は簡潔すぎて、冷たく響く。

(褒められたことなんて、一度もない)

どれだけ頑張っても、
どれだけ必死に食らいついても、

あの人は、ただ
「次」とだけ言う。

ミスを叱られるよりも、
感情をぶつけられるよりも、

なにもない、
まっさらな対応が、
心にじわじわと堪えた。

彼の期待に応えたい。
そう思ってやってきたけれど、
その気持ちはもう、私の中で疲弊に変わりつつあった。

(こんなに頑張っても………私、何やってるんだろ)

帰り道、ふとそう思ってしまった瞬間、
自分が限界に近いことに気づく。

(……もう、無理かもしれない)

心が、ポキっと音を立てた気がした。

何もかもを投げ出したくなる衝動を、
私は必死に押し殺す。

でも、その先に――

「辞めたい」という言葉が、
静かに、確かに、浮かび上がっていた。



1週間後。
出社して、席に着くと、
頭の中は一つのことでいっぱいだった。

(今日、ちゃんと伝えよう)

このままじゃいけない。
ずるずると先延ばしにしたら、また自分をごまかしてしまう。

辞めたい――
そんな弱音を、もう誤魔化したくなかった。

だから。
今日、ちゃんと、伝える。

胸の奥で何度も繰り返しながら、
私は淡々と業務をこなしていった。

そして、終業時間が近づく頃。

フロアのざわめきが少し落ち着いたタイミングで、私は意を決して席を立った。

向かう先は、直属の上司――東條部長、崇雅のもと。

(……怖い)

ただ話すだけなのに、
心臓が嫌な音を立てている。

崇雅は、モニターを見つめたまま、
指先でキーボードを淡々と打っていた。

近づくと、
私に気づき、顔を上げる。

無表情。
感情を見せない、冷たい仮面。

それでも、
私は、逃げずに声をかけた。

「……部長。少し、お時間をいただけますか」

声が震えないよう、必死で押し殺した。
崇雅は、短く頷く。

「……ああ」

それだけ。

そのまま、無言で立ち上がり、
フロアの奥にある会議室へ向かう。

私は慌てて、後を追った。

会議室に入ると、
彼は無言で、すりガラスのスイッチを押す。

外から見えない、二人きりの空間。

空気が、ぐっと重くなる。

私は、両手をぎゅっと握りしめた。
そして、顔を上げる。

「……その、私……」

喉が、ひりつく。

「…突然で申し訳ありませんが、退職を考えています」

絞り出すように、そう告げた。
崇雅は、一瞬だけ、目を細めた。

でも、
表情はすぐに元に戻る。

「……そうか。わかった」

低く、淡々とした声。
それだけだった。

引き止めも、驚きも、
怒りもない。

ただ、冷静に、
私の言葉を受け止めただけだった。

胸が、きゅっと締めつけられる。

(……そうだよね)

私は、必死で笑顔を作った。

「ご迷惑をおかけして、申し訳ありません。
正式な手続きについては、改めてご指示をいただければと思います」

精一杯、筋を通したつもりだ。
それが、今の私にできる、最後の誠意だった。

崇雅は、何も言わなかった。
ただ、静かに、私を見ていた。

視線が痛いほど強くて、
でも、そこにあるものの正体は、
私にはわからなかった。

私は深く頭を下げ、
会議室を出た。
崩れそうになる足取りを必死に整えて、デスクへ戻る。

——こんなにあっさり、終わってしまうんだ。

ほんの少し、期待していたのかもしれない。
何か、言葉をかけてくれるのではないかと。

でも、現実は変わらなかった。
やっぱりこの人は、私にとって遠い人だった。
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