【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな

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第9話・揺らぐ気持ち

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帰り道、気がつけば駅までの道をゆっくりと歩いていた。

いつもなら時間を気にして早足になるのに、
今日は、なぜか歩みが重たかった。

胸の奥が、ずっとざわついている。

(どうして、あんなことを言われたんだろう…)

「昼は、楽しそうだったな」
あれは、どういう意味だったのか。

私が誰と何を話そうが、部長には関係ない。
でも、あの言い方は……まるで――

(そんなこと、思いたくない)

でももう、わからなくなっていた。


家に着き、玄関の鍵を閉めた瞬間、
全身の力が抜けて、壁にもたれかかる。

(……限界かもしれない)

仕事の疲れ。
退職話が、何も進まない不安。
それに加えて、崇雅の無言の干渉。

助けてくれているのはわかっている。
でも、その理由がわからないから、余計に苦しい。

きっと――期待してしまったから。

ほんの少しでも、
“私を手放したくないと思ってくれているのかも”
なんて。

(でも、それって何?)

優しさなのか、ただの上司としての責任なのか。
それとも――私が、勘違いしているだけなのか。

グルグルと思考だけが巡る。
どんなに繰り返しても答えは出なかった。



翌朝。

いつも通りに出社し、席に座る。
でも、何を見ても頭に入ってこなかった。

メールを開いても、目が滑る。
資料を読んでも、何も入ってこない。

(ちゃんとしないと……)

そう思うのに、指先が動かない。

隣の同僚が何か話しかけてきたけれど、
上手く返すこともできなかった。


昼休み、誰かと一緒に食べる余裕もなく、
澪は空いていた会議室にひとりで入った。

ドアを閉めた瞬間、心が崩れる音がした。

ぽろりと、声がこぼれる。

「もう、どうしたらいいかわかんない……」

知らないうちに涙が頬を伝っていた。

辞めたいと思っていたのに、
優しくされて、助けられて、守られて――

気づけば、心が揺れていた。

(この人が好きなのかもしれない)

認めたくなくて、ずっと目を逸らしてきた気持ち。
でももう、誤魔化せなかった。

涙を拭いながら、澪は小さく息を吐いた。

(それでも……私は辞めるべきなのかな)

何が正しいのかわからなくなったまま、
澪は、会議室の静けさの中で、ひとり目を閉じた。


——————

数日後ー。
最近、よくぼーっとしてしまう。

仕事中、手は動かしているのに、意識がどこかに浮いているような感覚。
気づけば、今日もまた、午前中が過ぎていた。

退職の意向を伝えてから、ひと月近くが経つ。

でも、何も起きない。
人事からの呼び出しも、引き継ぎの話も一切なく、
崇雅からは相変わらず、何も言われていない。

(私、本当に、辞めるんだよね?)

そう自分に問いかけても、確信を持って頷けない。

“辞めたい”と口にしたときの気持ちは、嘘じゃなかった。
だけど――あのときとは、少し違う何かが胸にある。


昼休み、いつものメンバーで空いている打ち合わせスペースを使ってランチを取っていた。

数人で話していると、向かいに座った先輩がふと眉を寄せて、私を見た。

「結城ちゃん、なんか最近、元気ないね」

「え?」

「いや、気のせいならいいんだけど。前よりちょっと、ぼーっとしてる時あるなーって」

「そ、そんなことないです。大丈夫ですよ」

慌てて笑顔を作る。
けれど、誤魔化しきれていない自覚もあった。

先輩は気遣うように微笑んだ。

「無理しないでね。うちの部署、ほんと激務だし」

「東條部長、すごい人だけど、張り詰めすぎてしんどくなるっていうか…分かるよ」

(……分かってくれてるんだ)

そう思った瞬間、少しだけ肩の力が抜けた。

「…ありがとうございます」

けれど、やっぱり“退職”の話をできる雰囲気ではなかった。


午後の仕事に戻っても、意識はふわふわしていた。

資料をまとめながら、ふと考える。

(私がここを辞めたら……どうなるんだろう)

毎日過ごしたこの席も、ランチで集まるメンバーとの会話も。
そして――彼のいる、この職場も。

(もう、戻れなくなる)

そう考えた瞬間、胸の奥にひやりとした風が吹いた。


帰り際、エレベーター前で立ち止まっていたときだった。
ちょうど扉が開いて、崇雅が降りてくる。

「……お疲れ様です」

自然と口が動いた。

彼は少しだけ間を置いて、いつもの低い声で答える。

「お疲れ」

たったそれだけなのに。
その言葉が、なぜか胸の奥にあたたかく染みた。

言葉は少ないけれど、
彼なりに、ずっと私を見ていてくれた。

仕事の負担も、精神的な負荷も。
何も言わずに、少しずつ、私の周りから取り除いてくれた。

それが上司としての配慮だとしても――
私は、嬉しかった。


夜、布団に入ってからも、崇雅の言葉が耳に残っていた。

まだ、はっきりした答えは出ない。
でも、あの人が“ちゃんと見てくれている”と思えた瞬間から――
“もう少し、ここにいたい”と思ったのは確かだった。

明日、ちゃんと伝えよう。

私は、まだここで頑張りたい。
その気持ちに、嘘はつきたくないから。
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