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第40話・優しさに包まれて
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額に触れたキスの余韻がまだ残るなか、
「そろそろ起きられるか」と崇雅に声をかけられ、澪はゆっくりとベッドを抜け出した。
身体はまだ少し重いけれど、意識ははっきりしている。
熱が少し下がっただけで、ずいぶんと楽になるものだと、あらためて実感した。
リビングに出ると、ダイニングテーブルには
おかゆと野菜のスープ、果物を添えた簡単な朝食が並んでいた。
「……こんなに用意してくれたんですか?」
「ああ。薬を飲むなら、少し食べた方がいい」
澪は崇雅に促されて、そっとダイニングチェアに腰を下ろす。
目の前に並ぶ湯気の立った料理たちに、自然と背筋が伸びる。
崇雅は向かいに座り、無言で薬と水の入ったグラスをテーブルに置いた。
「……いただきます」
おかゆをひと口、スープをひと口。
やさしい味が、胃と喉に静かに染みていった。
温かさに、心の隙間までほぐされていく気がする。
(……でも)
その温かさに甘えていることに、やはりどこかで申し訳なさも感じてしまう。
「……あの、崇雅さん」
食べる手を止めて、澪はゆっくりと口を開いた。
「今日は、ちゃんとお休みします。でも……」
言いながら、自分の服の袖を見下ろす。
大きめのTシャツとスウェットは、明らかに崇雅のもの。
そして、崇雅がこのあと仕事に行くことはわかっている。
その間、自分ひとりがこの家にいるのは――どうにも落ち着かない。
「……その、崇雅さんがいないのに、ここにいるのも申し訳ないし……。
着替えもしたいんです。昨日いっぱい汗かいちゃったので……」
恥ずかしさに思わず声がしぼんで、澪は視線をそらした。
崇雅は少しだけ黙ったのち、まっすぐに言葉を返す。
「澪をこの状態でひとりで帰らせるわけにはいかない。
だが、着替えたい気持ちもわかる」
「……っ」
「午後、俺が戻る。そしたら一緒に澪の家に行こう」
「え……でも、それじゃ……崇雅さん、仕事……!」
「前から、人事に有給を使えと言われていた。ちょうどいい」
「……でも、それで崇雅さんの負担が増えたら……」
「俺の判断だ。気にするな」
その一言に、澪は何も言えなくなった。
崇雅は、澪が“申し訳ない”と感じるたびに、
それをあっさり打ち消してくる。
強引ではないのに、逃げ場がないくらいに本気だった。
「……ありがとうございます」
崇雅が言葉を付け足すように言った。
「鍵を預かって、俺が勝手に着替えを探すわけにはいかないだろ」
「……っ、そ、それは、まぁ……そうですけど……」
動揺して顔を赤くする澪に、崇雅は平然としたままだ。
「だから、一緒に行こう。必要なものをまとめて、うちに戻ればいい」
「……戻ってきても、いいんですか……?」
「俺の家だ。俺がいいっと言えばいい」
当たり前のように告げられて、
澪はそれ以上言葉が出なかった。
「午前中はしっかり休め。冷えないようにして、寝てろ」
「……はい」
それだけ言って、崇雅は玄関に向かい、
スーツのジャケットを羽織る。
ドアを開ける直前、ふと振り返った。
「何かあったら、すぐ連絡してくれ」
「……わかりました。気をつけて、行ってらっしゃい」
崇雅は静かにうなずき、扉を閉めて出ていった。
玄関が静かに閉まったあと、
しばらくソファに座っていた澪は、そっと体を起こした。
(……やっぱり、ベッドに戻ろうかな)
崇雅から言われた通り、午前中はしっかり休まなきゃと思いつつ、
ふらりと立ち上がり、寝室へと足を運ぶ。
ゆっくりとベッドにもぐり込むと、
やわらかなシーツと枕に身体がすっと沈んだ。
(……あれ)
昨日は熱でほとんど意識もなくて気づかなかったけど——
枕にも、シーツにも、どこかほのかに崇雅の匂いがした。
香水でも柔軟剤でもなく、
彼そのものの、落ち着いた、深い空気のような匂い。
(……本人はいないのに、安心する……なんて)
思わず小さく笑ってしまいそうになる。
体の奥にはまだだるさが残っていて、
まぶたの裏も、熱の余韻でじんわりと重たい。
でも、さっきまでと違うのは、
ひとりじゃないと思える心の静けさだった。
(……少しだけ……寝よう)
布団を引き寄せて、ぎゅっと抱きしめる。
そのまま、ほんの少しの時間で——
澪は再び、静かな眠りに落ちていった。
会社にいるはずの彼の存在に、
見守られているような気持ちを抱きながら。
「そろそろ起きられるか」と崇雅に声をかけられ、澪はゆっくりとベッドを抜け出した。
身体はまだ少し重いけれど、意識ははっきりしている。
熱が少し下がっただけで、ずいぶんと楽になるものだと、あらためて実感した。
リビングに出ると、ダイニングテーブルには
おかゆと野菜のスープ、果物を添えた簡単な朝食が並んでいた。
「……こんなに用意してくれたんですか?」
「ああ。薬を飲むなら、少し食べた方がいい」
澪は崇雅に促されて、そっとダイニングチェアに腰を下ろす。
目の前に並ぶ湯気の立った料理たちに、自然と背筋が伸びる。
崇雅は向かいに座り、無言で薬と水の入ったグラスをテーブルに置いた。
「……いただきます」
おかゆをひと口、スープをひと口。
やさしい味が、胃と喉に静かに染みていった。
温かさに、心の隙間までほぐされていく気がする。
(……でも)
その温かさに甘えていることに、やはりどこかで申し訳なさも感じてしまう。
「……あの、崇雅さん」
食べる手を止めて、澪はゆっくりと口を開いた。
「今日は、ちゃんとお休みします。でも……」
言いながら、自分の服の袖を見下ろす。
大きめのTシャツとスウェットは、明らかに崇雅のもの。
そして、崇雅がこのあと仕事に行くことはわかっている。
その間、自分ひとりがこの家にいるのは――どうにも落ち着かない。
「……その、崇雅さんがいないのに、ここにいるのも申し訳ないし……。
着替えもしたいんです。昨日いっぱい汗かいちゃったので……」
恥ずかしさに思わず声がしぼんで、澪は視線をそらした。
崇雅は少しだけ黙ったのち、まっすぐに言葉を返す。
「澪をこの状態でひとりで帰らせるわけにはいかない。
だが、着替えたい気持ちもわかる」
「……っ」
「午後、俺が戻る。そしたら一緒に澪の家に行こう」
「え……でも、それじゃ……崇雅さん、仕事……!」
「前から、人事に有給を使えと言われていた。ちょうどいい」
「……でも、それで崇雅さんの負担が増えたら……」
「俺の判断だ。気にするな」
その一言に、澪は何も言えなくなった。
崇雅は、澪が“申し訳ない”と感じるたびに、
それをあっさり打ち消してくる。
強引ではないのに、逃げ場がないくらいに本気だった。
「……ありがとうございます」
崇雅が言葉を付け足すように言った。
「鍵を預かって、俺が勝手に着替えを探すわけにはいかないだろ」
「……っ、そ、それは、まぁ……そうですけど……」
動揺して顔を赤くする澪に、崇雅は平然としたままだ。
「だから、一緒に行こう。必要なものをまとめて、うちに戻ればいい」
「……戻ってきても、いいんですか……?」
「俺の家だ。俺がいいっと言えばいい」
当たり前のように告げられて、
澪はそれ以上言葉が出なかった。
「午前中はしっかり休め。冷えないようにして、寝てろ」
「……はい」
それだけ言って、崇雅は玄関に向かい、
スーツのジャケットを羽織る。
ドアを開ける直前、ふと振り返った。
「何かあったら、すぐ連絡してくれ」
「……わかりました。気をつけて、行ってらっしゃい」
崇雅は静かにうなずき、扉を閉めて出ていった。
玄関が静かに閉まったあと、
しばらくソファに座っていた澪は、そっと体を起こした。
(……やっぱり、ベッドに戻ろうかな)
崇雅から言われた通り、午前中はしっかり休まなきゃと思いつつ、
ふらりと立ち上がり、寝室へと足を運ぶ。
ゆっくりとベッドにもぐり込むと、
やわらかなシーツと枕に身体がすっと沈んだ。
(……あれ)
昨日は熱でほとんど意識もなくて気づかなかったけど——
枕にも、シーツにも、どこかほのかに崇雅の匂いがした。
香水でも柔軟剤でもなく、
彼そのものの、落ち着いた、深い空気のような匂い。
(……本人はいないのに、安心する……なんて)
思わず小さく笑ってしまいそうになる。
体の奥にはまだだるさが残っていて、
まぶたの裏も、熱の余韻でじんわりと重たい。
でも、さっきまでと違うのは、
ひとりじゃないと思える心の静けさだった。
(……少しだけ……寝よう)
布団を引き寄せて、ぎゅっと抱きしめる。
そのまま、ほんの少しの時間で——
澪は再び、静かな眠りに落ちていった。
会社にいるはずの彼の存在に、
見守られているような気持ちを抱きながら。
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