41 / 168
第39話・静かに交わる心と体温
しおりを挟む
ベッドのドア越しに感じていた澪の気配が、ふいに変わった気がした。
(……熱があがってきたか)
崇雅は立ち上がり、音を立てないように寝室のドアを開ける。
薄暗い照明の中、ベッドで眠る澪の額に汗が浮かんでいた。
頬が赤く、眉間にはかすかな痛みの痕。
唇は乾き、息は浅く、熱がぶり返しているのは明らかだった。
静かに近づき、額に手を当てる。
熱い。
(薬が切れたか)
タオルを濡らし直し、冷えピタを取り替え、
崇雅は無言で手際よく処置を進めた。
それは誰に教わったわけでもない。
ただ、“今できる最善”を、彼なりにやっているだけだった。
「……ん……」
小さな声とともに、澪が寝返りを打つ。
そのまま、かすかに唇が動いた。
「……たか…まさ、さん……」
その呼び方が、やけに弱々しくて、崇雅の胸を刺した。
「ここにいる」
即座に返しながら、そっと彼女の手を取った。
火照ったその指は、力なく崇雅の手のひらに包まれる。
崇雅の中に、言いようのない感情が滲んでいく。
澪は強い。
人に弱さを見せず、なんでも一人で抱えようとする。
——けれど今、こうして熱に浮かされて、自分の名前を呼んだ。
(頼ってくれた)
たったそれだけのことが、ひどく嬉しかった。
「もう、ひとりで無理するな。……俺がいる」
低く、囁くような声が、自分でも驚くほど優しくて。
澪の手がわずかに動いた気がして、
そのまま、崇雅は彼女の枕元に腰を下ろした。
夜はまだ深い。
けれど、もう一人きりで戦わせるつもりはなかった。
どれだけ頑張っても、強がっても、
この手だけは、離さないと決めた。
——————
うっすらとまぶたの裏に、やわらかな光が差し込んでくる。
それに気づいた瞬間、澪はゆっくりとまぶたを持ち上げた。
見慣れない天井。けれど、どこか安心する空気。
体を少しだけ動かすと、鈍いだるさはまだ残っていたが、
昨日までの熱の芯が少しだけ和らいでいるのがわかった。
(……少し、楽……)
息を整えて横を向いたそのとき——
すぐそばの椅子に、浅く腰掛けて眠っている人の姿が目に入った。
「……崇雅さん……?」
声をかけると、すぐに彼は目を開けた。
「起きたか」
「……はい。崇雅さん……ずっとここに……?」
「ああ」
それだけ言って、崇雅はそっと立ち上がり、
澪の額に手をあてて体温を確かめた。
「少し下がったな。熱はもう高くない」
「……そうですね。頭も少し軽いです」
そう笑った澪に、崇雅は眉を寄せて言う。
「だが、今日は会社を休め。これは上司命令だ」
「……え?」
「診断書もある。微熱は残ってる。
澪が出社したら、俺が、判断を誤った部長になる」
静かに、けれど強い口調で言い切られて、
澪は言葉を飲んだ。
「でも……」
「言い訳も責任感も、いらない。
今日の澪の仕事は、きちんと休むことだ」
部長としての声。
けれど、その奥に、恋人としての想いも確かに宿っていた。
「……私、こんなに迷惑かけてばかりで……」
「迷惑じゃない。むしろ、かけてくれていい」
そう言って、崇雅はベッドサイドにしゃがみこみ、
澪の頬にかかった髪をそっと払った。
「……澪が倒れるくらい無理をするなら、もっと早く止める。だから、黙って頼れ」
その一言が、深く、やさしく胸に染みていく。
「…そんなこと言われたら……甘えっぱなしになりそうです」
「むしろ、そうしてくれ」
静かな声で言われて、澪は笑いそうになる。
でも、笑うより先に——
涙が、ほんの少し滲んだ。
(こんなふうに、守られる日が来るなんて)
崇雅はそれには触れず、ただ静かに、
キッチンへと向かい、
数分後にはコップに白湯を注いで戻ってきた。
「喉乾いているだろう」
「……ありがとうございます」
澪はゆっくりと起き上がり、両手でコップを包み込むように持つ。
そのまま一口、口に含む。
熱すぎないやさしい温度が喉を通っていき、
ほんの少しだけ身体が軽くなった気がした。
「……落ち着きました」
そう言った澪に、崇雅の視線がふと揺れた。
その表情は、どこまでも静かで、冷静で。
けれど——ふとした瞬間、まなざしの熱が変わる。
「……な、に……?」
澪が問いかけるより早く、
崇雅はわずかに身をかがめて、彼女の額にそっと唇を落とした。
驚きに目を見開いた澪の額に、静かに触れるだけのキス。
それなのに、心臓の音が跳ね上がる。
「っ……!」
触れたのは一瞬だった。
でも、確かに崇雅の体温が、そこに残っていた。
「……熱は下がってきたとはいえ、まだ油断するな」
声はあくまで冷静なのに、どこか、甘さが滲んでいた。
「い、今の……!」
「……“恋人だから”だ。おかしいか?」
その一言に、顔が一気に熱を持つ。
「おかしい……っていうか……まだ心の準備が……!」
「そうか」
崇雅はさらりとそう返して、
空になったコップを持って立ち上がった。
(なんでそんなに平然としてるの!?)
澪はひとりで赤くなったまま、
顔を枕に埋めたくなる衝動と戦っていた。
(……熱があがってきたか)
崇雅は立ち上がり、音を立てないように寝室のドアを開ける。
薄暗い照明の中、ベッドで眠る澪の額に汗が浮かんでいた。
頬が赤く、眉間にはかすかな痛みの痕。
唇は乾き、息は浅く、熱がぶり返しているのは明らかだった。
静かに近づき、額に手を当てる。
熱い。
(薬が切れたか)
タオルを濡らし直し、冷えピタを取り替え、
崇雅は無言で手際よく処置を進めた。
それは誰に教わったわけでもない。
ただ、“今できる最善”を、彼なりにやっているだけだった。
「……ん……」
小さな声とともに、澪が寝返りを打つ。
そのまま、かすかに唇が動いた。
「……たか…まさ、さん……」
その呼び方が、やけに弱々しくて、崇雅の胸を刺した。
「ここにいる」
即座に返しながら、そっと彼女の手を取った。
火照ったその指は、力なく崇雅の手のひらに包まれる。
崇雅の中に、言いようのない感情が滲んでいく。
澪は強い。
人に弱さを見せず、なんでも一人で抱えようとする。
——けれど今、こうして熱に浮かされて、自分の名前を呼んだ。
(頼ってくれた)
たったそれだけのことが、ひどく嬉しかった。
「もう、ひとりで無理するな。……俺がいる」
低く、囁くような声が、自分でも驚くほど優しくて。
澪の手がわずかに動いた気がして、
そのまま、崇雅は彼女の枕元に腰を下ろした。
夜はまだ深い。
けれど、もう一人きりで戦わせるつもりはなかった。
どれだけ頑張っても、強がっても、
この手だけは、離さないと決めた。
——————
うっすらとまぶたの裏に、やわらかな光が差し込んでくる。
それに気づいた瞬間、澪はゆっくりとまぶたを持ち上げた。
見慣れない天井。けれど、どこか安心する空気。
体を少しだけ動かすと、鈍いだるさはまだ残っていたが、
昨日までの熱の芯が少しだけ和らいでいるのがわかった。
(……少し、楽……)
息を整えて横を向いたそのとき——
すぐそばの椅子に、浅く腰掛けて眠っている人の姿が目に入った。
「……崇雅さん……?」
声をかけると、すぐに彼は目を開けた。
「起きたか」
「……はい。崇雅さん……ずっとここに……?」
「ああ」
それだけ言って、崇雅はそっと立ち上がり、
澪の額に手をあてて体温を確かめた。
「少し下がったな。熱はもう高くない」
「……そうですね。頭も少し軽いです」
そう笑った澪に、崇雅は眉を寄せて言う。
「だが、今日は会社を休め。これは上司命令だ」
「……え?」
「診断書もある。微熱は残ってる。
澪が出社したら、俺が、判断を誤った部長になる」
静かに、けれど強い口調で言い切られて、
澪は言葉を飲んだ。
「でも……」
「言い訳も責任感も、いらない。
今日の澪の仕事は、きちんと休むことだ」
部長としての声。
けれど、その奥に、恋人としての想いも確かに宿っていた。
「……私、こんなに迷惑かけてばかりで……」
「迷惑じゃない。むしろ、かけてくれていい」
そう言って、崇雅はベッドサイドにしゃがみこみ、
澪の頬にかかった髪をそっと払った。
「……澪が倒れるくらい無理をするなら、もっと早く止める。だから、黙って頼れ」
その一言が、深く、やさしく胸に染みていく。
「…そんなこと言われたら……甘えっぱなしになりそうです」
「むしろ、そうしてくれ」
静かな声で言われて、澪は笑いそうになる。
でも、笑うより先に——
涙が、ほんの少し滲んだ。
(こんなふうに、守られる日が来るなんて)
崇雅はそれには触れず、ただ静かに、
キッチンへと向かい、
数分後にはコップに白湯を注いで戻ってきた。
「喉乾いているだろう」
「……ありがとうございます」
澪はゆっくりと起き上がり、両手でコップを包み込むように持つ。
そのまま一口、口に含む。
熱すぎないやさしい温度が喉を通っていき、
ほんの少しだけ身体が軽くなった気がした。
「……落ち着きました」
そう言った澪に、崇雅の視線がふと揺れた。
その表情は、どこまでも静かで、冷静で。
けれど——ふとした瞬間、まなざしの熱が変わる。
「……な、に……?」
澪が問いかけるより早く、
崇雅はわずかに身をかがめて、彼女の額にそっと唇を落とした。
驚きに目を見開いた澪の額に、静かに触れるだけのキス。
それなのに、心臓の音が跳ね上がる。
「っ……!」
触れたのは一瞬だった。
でも、確かに崇雅の体温が、そこに残っていた。
「……熱は下がってきたとはいえ、まだ油断するな」
声はあくまで冷静なのに、どこか、甘さが滲んでいた。
「い、今の……!」
「……“恋人だから”だ。おかしいか?」
その一言に、顔が一気に熱を持つ。
「おかしい……っていうか……まだ心の準備が……!」
「そうか」
崇雅はさらりとそう返して、
空になったコップを持って立ち上がった。
(なんでそんなに平然としてるの!?)
澪はひとりで赤くなったまま、
顔を枕に埋めたくなる衝動と戦っていた。
113
あなたにおすすめの小説
『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』
鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、
仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。
厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議――
最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。
だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、
結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。
そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、
次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。
同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。
数々の試練が二人を襲うが――
蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、
結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。
そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、
秘書と社長の関係を静かに越えていく。
「これからの人生も、そばで支えてほしい。」
それは、彼が初めて見せた弱さであり、
結衣だけに向けた真剣な想いだった。
秘書として。
一人の女性として。
結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。
仕事も恋も全力で駆け抜ける、
“冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。
会社のイケメン先輩がなぜか夜な夜な私のアパートにやって来る件について(※付き合っていません)
久留茶
恋愛
地味で陰キャでぽっちゃり体型の小森菜乃(24)は、会社の飲み会で女子一番人気のイケメン社員・五十嵐大和(26)を、ひょんなことから自分のアパートに泊めることに。
しかし五十嵐は表の顔とは別に、腹黒でひと癖もふた癖もある男だった。
「お前は俺の恋愛対象外。ヤル気も全く起きない安全地帯」
――酷い言葉に、菜乃は呆然。二度と関わるまいと決める。
なのに、それを境に彼は夜な夜な菜乃のもとへ現れるようになり……?
溺愛×性格に難ありの執着男子 × 冴えない自分から変身する健気ヒロイン。
王道と刺激が詰まったオフィスラブコメディ!
*全28話完結
*辛口で過激な発言あり。苦手な方はご注意ください。
*他誌にも掲載中です。
【完結】あなた専属になります―借金OLは副社長の「専属」にされた―
七転び八起き
恋愛
『借金を返済する為に働いていたラウンジに現れたのは、勤務先の副社長だった。
彼から出された取引、それは『専属』になる事だった。』
実家の借金返済のため、昼は会社員、夜はラウンジ嬢として働く優美。
ある夜、一人でグラスを傾ける謎めいた男性客に指名される。
口数は少ないけれど、なぜか心に残る人だった。
「また来る」
そう言い残して去った彼。
しかし翌日、会社に現れたのは、なんと店に来た彼で、勤務先の副社長の河内だった。
「俺専属の嬢になって欲しい」
ラウンジで働いている事を秘密にする代わりに出された取引。
突然の取引提案に戸惑う優美。
しかし借金に追われる現状では、断る選択肢はなかった。
恋愛経験ゼロの優美と、完璧に見えて不器用な副社長。
立場も境遇も違う二人が紡ぐラブストーリー。
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。
苦手な冷徹専務が義兄になったかと思ったら極あま顔で迫ってくるんですが、なんででしょう?~偽家族恋愛~
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「こちら、再婚相手の息子の仁さん」
母に紹介され、なにかの間違いだと思った。
だってそこにいたのは、私が敵視している専務だったから。
それだけでもかなりな不安案件なのに。
私の住んでいるマンションに下着泥が出た話題から、さらに。
「そうだ、仁のマンションに引っ越せばいい」
なーんて義父になる人が言い出して。
結局、反対できないまま専務と同居する羽目に。
前途多難な同居生活。
相変わらず専務はなに考えているかわからない。
……かと思えば。
「兄妹ならするだろ、これくらい」
当たり前のように落とされる、額へのキス。
いったい、どうなってんのー!?
三ツ森涼夏
24歳
大手菓子メーカー『おろち製菓』営業戦略部勤務
背が低く、振り返ったら忘れられるくらい、特徴のない顔がコンプレックス。
小1の時に両親が離婚して以来、母親を支えてきた頑張り屋さん。
たまにその頑張りが空回りすることも?
恋愛、苦手というより、嫌い。
淋しい、をちゃんと言えずにきた人。
×
八雲仁
30歳
大手菓子メーカー『おろち製菓』専務
背が高く、眼鏡のイケメン。
ただし、いつも無表情。
集中すると周りが見えなくなる。
そのことで周囲には誤解を与えがちだが、弁明する気はない。
小さい頃に母親が他界し、それ以来、ひとりで淋しさを抱えてきた人。
ふたりはちゃんと義兄妹になれるのか、それとも……!?
*****
千里専務のその後→『絶対零度の、ハーフ御曹司の愛ブルーの瞳をゲーヲタの私に溶かせとか言っています?……』
*****
表紙画像 湯弐様 pixiv ID3989101
Melty romance 〜甘S彼氏の執着愛〜
yuzu
恋愛
人数合わせで強引に参加させられた合コンに現れたのは、高校生の頃に少しだけ付き合って別れた元カレの佐野充希。適当にその場をやり過ごして帰るつもりだった堀沢真乃は充希に捕まりキスされて……
「オレを好きになるまで離してやんない。」
定時で帰りたい私と、残業常習犯の美形部長。秘密の夜食がきっかけで、胃袋も心も掴みました
藤森瑠璃香
恋愛
「お先に失礼しまーす!」がモットーの私、中堅社員の結城志穂。
そんな私の天敵は、仕事の鬼で社内では氷の王子と恐れられる完璧美男子・一条部長だ。
ある夜、忘れ物を取りに戻ったオフィスで、デスクで倒れるように眠る部長を発見してしまう。差し入れた温かいスープを、彼は疲れ切った顔で、でも少しだけ嬉しそうに飲んでくれた。
その日を境に、誰もいないオフィスでの「秘密の夜食」が始まった。
仕事では見せない、少しだけ抜けた素顔、美味しそうにご飯を食べる姿、ふとした時に見せる優しい笑顔。
会社での厳しい上司と、二人きりの時の可愛い人。そのギャップを知ってしまったら、もう、ただの上司だなんて思えない。
これは、美味しいご飯から始まる、少し大人で、甘くて温かいオフィスラブ。
憧れの小説作家は取引先のマネージャーだった
七転び八起き
恋愛
ある夜、傷心の主人公・神谷美鈴がバーで出会った男は、どこか憧れの小説家"翠川雅人"に面影が似ている人だった。
その男と一夜の関係を結んだが、彼は取引先のマネージャーの橘で、憧れの小説家の翠川雅人だと知り、美鈴も本格的に小説家になろうとする。
恋と創作で揺れ動く二人が行き着いた先にあるものは──
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる