【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな

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第45話・ふたりで眠る夜、ひとつの布団の中で

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20時を少し過ぎたころ、
玄関の扉が静かに開く音がした。

澪はソファから立ち上がり、リビングの間で出迎える。

「……おかえりなさい」

「ただいま」

崇雅はコートを脱ぎ、スーツのネクタイをゆるめながら澪に目を向ける。

「体調はどうだ」

「大丈夫です。今日はちゃんとお仕事できました。……ありがとうございました、色々と」

「……無理しなかったか」

「はい。ちょっと疲れましたけど……気づいたら、ほとんどの仕事を引き継いでくれてて。
おかげで、思ったよりスムーズに戻れました」

崇雅は一歩近づいて、澪の髪をひと撫でしながら、短く言う。

「……ならいい」

その言葉だけで、また心がふわっとあたたかくなる。

崇雅は腕まくりをしながら、キッチンの方へと向かう。

「今夜は、ちゃんと食べれそうか」

「……はい。大丈夫です」

「うどんと、やわらかい野菜と、あたためるだけにしてある。座ってろ」

「……ほんとに、何もかもお世話になってて…なんか……申し訳ないです…」

「甘やかしてるだけだ。黙って頼れ」

崇雅はあくまで淡々としながらも、
どこか声音にはやさしさがにじんでいた。

湯気の立つ鍋の音と、静かに響く包丁の音。

そのひとつひとつが、澪の胸にじんわりと染み込んでいく。

(……この空気、すごく好きだな)

何でもない夜の、何でもないやり取り。
けれどそのすべてが、澪にとっては“かけがえのないもの”になりつつあった。


夕食を終えて、食器を片付けたあと。
澪はお風呂でゆっくりと温まり、心身ともに一日の疲れを流していた。

上がってきたあと、タオルで水気を取った髪を手にしたままリビングに戻ると、
ソファに座っていた崇雅が自然に手を伸ばす。

「俺がやる。風邪がぶり返したら意味がない」

「……はい」

促されるまま、崇雅の前にちょこんと座り、
ドライヤーのやわらかな風に髪をなでられながら、澪は少しずつ眠気を感じ始めていた。

温風と、指先のやさしい動き。
それに包まれているだけで、心がふわふわとほどけていく。

(……今日も、すごく幸せだったな)

けれどその反面、胸の奥には、
ずっと引っかかっている気持ちもあった。

(……私ばっかり、ベッドで寝てる)

ドライヤーが終わり、
崇雅がソファにブランケットを敷いて準備している音が聞こえる。

いつもみたいに、当然のように。

けれど——

「……崇雅さん」

少しだけ声が上ずる。

「ソファ……今日は、やめませんか?」

崇雅はふと手を止めて、澪を見る。

「どういう意味だ」

「……その……ずっと、私ばかりベッドで寝てて……。
崇雅さんが嫌じゃなければ……い、一緒に……」

言いながら、自分でもどこまで言ってるのか分からなくなってきて、
澪は慌てて手で顔を覆った。

「っ……やっぱり、今の忘れてください……!
す、すみません、なんかもう、ほんとに……!」

視界の隅に立つ崇雅は、なぜか無言のまま動かない。

(やっぱり変なこと言っちゃった……!?)

頭が真っ白になりそうなそのとき、
崇雅は何も言わずに、近づき、澪を手を握る。

「……俺も、そうしたいと思ってた」

「……えっ?」

「無理させたくなかったから、言わなかった。だが、澪がそう言うなら、遠慮しない」

「……っ」

顔がどんどん熱くなる。
けれどそれと同時に、どこか心の奥にあった引っかかりがすっと溶けていく。

(……一緒に眠れる)

それだけで、体温が上がったみたいに、胸がぽかぽかしてきた。


寝室に移動し、照明が落とされる。

ベッドの両側からそれぞれ入り、崇雅が静かに息をついた。

「今日は……何もしない」

ぽつりと落とされた言葉に、澪は一瞬びくりと肩を揺らす。

「……っ、な、なに言ってるんですか……!?」

「そのままの意味だ。体調は完全じゃない。今は、ちゃんと休め」

「わ、わかってますけど……そんな、言い方……」

恥ずかしさが一気に顔にのぼっていくのがわかって、
澪は思わず布団をぎゅっと握りしめる。

(……変な意味じゃないってわかってるのに……)

でも、何も起こらないと宣言されて、少しホッとしたのも本音で。
その“安心感”と“恥ずかしさ”が混ざったまま、
目を閉じようとしたそのとき——

額に、ふわりと何かが触れた。

「……っ」

びっくりして目を開けると、崇雅がごく近くにいた。

「な、なにを……!? “今日は何もしない”って……!」

「キスは別だ」

「えっ、えぇ……!」

「嫌か?」

その問いに、澪はぎゅっと唇を結んでから、小さく首を振った。

「……嫌じゃ、ないです」

「なら、よかった」

再び、そっと。
今度は少しだけ長く、崇雅の唇が額に触れた。

そして、彼は少し距離を取って、隣に横たわる。

「もう寝ろ」

「……は、はい……」

(ほんとにもう……ずるい人……)

恥ずかしくて顔は枕にうずめたまま。
でもその奥で、心臓は静かに跳ね続けていた。

あたたかく、静かな夜の空気の中。
ふたりは同じ布団の中で、それぞれの眠りへとゆっくり落ちていった。
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