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第57話・離れても、君を選ぶ
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時計の針が、1日の終わりを告げようとしていた。
外はもう静まり返っていて、カーテンの隙間から覗く街灯だけが、かすかな明かりを室内に落としていた。
「……澪」
低く、よく知っている声が、玄関のインターホンの音の後に聞こえた。
身体がピクリと反応する。
心臓が、大きく跳ねた。
——崇雅さん。
メッセージを送った昨日から、返事はなかった。
でも、それで終わりにしたはずだった。
そう、終わらせた“つもり”だった。
(なんで……)
玄関のドア越しに、もう一度声が響いた。
「少しだけでいい。顔を見せてくれ」
その声音はいつもより少しだけ低く、けれどどこまでも真剣で。
開けたら、全部が壊れてしまいそうだった。
(私が送ったあの言葉、読んだよね……?)
(“私じゃ、釣り合わないと思います”って……)
手元の右腕には、固定されたギプスが巻かれている。
痛み止めを飲み、痛みは徐々に和らいできたけれど、心は痛みっぱなしだった。
(骨折なんて、予想してなかった……でも、それは私のことで、崇雅さんには関係ない)
関係ない。そう思おうとするたびに、
あの人の声や手の温度が蘇ってくる。
(会いたいって、言ってくれる人がいるのに)
(私は、自分から手放そうとしてる)
ドアの前で、澪は立ち尽くしたまま、動けなかった。
もう一度、インターホンの通話ボタンが光る。
けれど、澪は指一本動かさず、その光が消えるのを待った。
(……ごめんなさい)
玄関を開けることはできなかった。
金曜の朝。
昨日は、何もかもが重くのしかかった一日だった。
骨折の痛みも、心のざわつきも、ひと晩寝たくらいで癒えるわけもなく、
澪はギプスを気にしながら、スーツを着て、ゆっくりと鞄を肩にかけた。
(会社……行かないと)
昨日のことを思い返せば、胸がざわつく。
けれど、休んでばかりもいられない。
覚悟を決めて玄関のドアを開けた——その瞬間だった。
「……おはよう」
静かな低音が、すぐ目の前から響いた。
「——っ!」
驚いて顔を上げると、そこに立っていたのは、
紛れもなく、崇雅だった。
スーツ姿のまま、澪の部屋のドアの前に立ち尽くしている。
寝癖はないが、どこか髪が乱れていて、目の下にはうっすらと疲労の影が浮かんでいた。
「……なんで……」
言葉が出なかった。
喉が詰まったように、呼吸が止まる。
「車で近くにいた」
「……え?」
「昨日の夜、澪が出なかったから……帰った。だが……」
言葉を探すようにして一度目を伏せ、
崇雅はふたたび澪の目を見据えた。
「澪の出勤時間は、だいたい把握してる。だから……ここで待っていた」
その声は、静かで、でも決して譲らない意思を孕んでいた。
「俺は終わらせるつもりはない。話をしにきた」
澪は、その場に立ち尽くしたまま、
崇雅のその姿に、何も言えなかった。
寝ずに、ここまで来たのか。
本当に、ずっと待っていたのか。
——そんなわけない。
そんなこと、誰がするの。
でも、目の前に立っているこの人は——本当に、そうしていた。
「……なんで」
絞り出すように問うと、崇雅は答えた。
「“澪がいい”って、言っただろ。まだ伝えきれてないことが、たくさんある」
その言葉に、澪の心がふるえた。
でも同時に——現実が頭をよぎる。
(……でも、今は会社に……)
澪がそう言おうとした瞬間、崇雅の手がすっと伸びてきた。
「……っ」
驚く間もなく、彼の手が澪の左腕を掴む。
骨折していないほうの腕を、まるで「もう二度と離すつもりはない」と言わんばかりに、しっかりと。
「行くぞ。車に乗れ」
澪のカバンを片手で持ち、
近くに停めていた自分の車へと、何のためらいもなく歩き出す。
「ま、待って、崇雅さん……!」
「待たない。澪をまた一人にしたら、今度こそ俺が壊れる」
その言葉に、澪は立ち止まることもできなかった。
ドアを開けられ、助手席に押し込まれるように乗せられる。
崇雅の手がドアを閉めた音が、乾いた朝の空気に響いた。
エンジンがかかると同時に、車は滑るように発進する。
「……会社、行くんですか?」
「ああ。仕事は山ほどある。けど、それ以上に——澪に会いに来ることが、俺には優先すべきことだった」
その横顔は冷静に見えて、どこか張り詰めていた。
言葉が、出なかった。
澪の視線は、右腕に巻かれたギプスに落ちる。
心の中に広がっていたざわめきが、少しだけ、形になり始めていた。
崇雅の「優しさ」は、ただの思いやりじゃない。
これは——
「逃がさない」と決めた人間の、決意だった。
外はもう静まり返っていて、カーテンの隙間から覗く街灯だけが、かすかな明かりを室内に落としていた。
「……澪」
低く、よく知っている声が、玄関のインターホンの音の後に聞こえた。
身体がピクリと反応する。
心臓が、大きく跳ねた。
——崇雅さん。
メッセージを送った昨日から、返事はなかった。
でも、それで終わりにしたはずだった。
そう、終わらせた“つもり”だった。
(なんで……)
玄関のドア越しに、もう一度声が響いた。
「少しだけでいい。顔を見せてくれ」
その声音はいつもより少しだけ低く、けれどどこまでも真剣で。
開けたら、全部が壊れてしまいそうだった。
(私が送ったあの言葉、読んだよね……?)
(“私じゃ、釣り合わないと思います”って……)
手元の右腕には、固定されたギプスが巻かれている。
痛み止めを飲み、痛みは徐々に和らいできたけれど、心は痛みっぱなしだった。
(骨折なんて、予想してなかった……でも、それは私のことで、崇雅さんには関係ない)
関係ない。そう思おうとするたびに、
あの人の声や手の温度が蘇ってくる。
(会いたいって、言ってくれる人がいるのに)
(私は、自分から手放そうとしてる)
ドアの前で、澪は立ち尽くしたまま、動けなかった。
もう一度、インターホンの通話ボタンが光る。
けれど、澪は指一本動かさず、その光が消えるのを待った。
(……ごめんなさい)
玄関を開けることはできなかった。
金曜の朝。
昨日は、何もかもが重くのしかかった一日だった。
骨折の痛みも、心のざわつきも、ひと晩寝たくらいで癒えるわけもなく、
澪はギプスを気にしながら、スーツを着て、ゆっくりと鞄を肩にかけた。
(会社……行かないと)
昨日のことを思い返せば、胸がざわつく。
けれど、休んでばかりもいられない。
覚悟を決めて玄関のドアを開けた——その瞬間だった。
「……おはよう」
静かな低音が、すぐ目の前から響いた。
「——っ!」
驚いて顔を上げると、そこに立っていたのは、
紛れもなく、崇雅だった。
スーツ姿のまま、澪の部屋のドアの前に立ち尽くしている。
寝癖はないが、どこか髪が乱れていて、目の下にはうっすらと疲労の影が浮かんでいた。
「……なんで……」
言葉が出なかった。
喉が詰まったように、呼吸が止まる。
「車で近くにいた」
「……え?」
「昨日の夜、澪が出なかったから……帰った。だが……」
言葉を探すようにして一度目を伏せ、
崇雅はふたたび澪の目を見据えた。
「澪の出勤時間は、だいたい把握してる。だから……ここで待っていた」
その声は、静かで、でも決して譲らない意思を孕んでいた。
「俺は終わらせるつもりはない。話をしにきた」
澪は、その場に立ち尽くしたまま、
崇雅のその姿に、何も言えなかった。
寝ずに、ここまで来たのか。
本当に、ずっと待っていたのか。
——そんなわけない。
そんなこと、誰がするの。
でも、目の前に立っているこの人は——本当に、そうしていた。
「……なんで」
絞り出すように問うと、崇雅は答えた。
「“澪がいい”って、言っただろ。まだ伝えきれてないことが、たくさんある」
その言葉に、澪の心がふるえた。
でも同時に——現実が頭をよぎる。
(……でも、今は会社に……)
澪がそう言おうとした瞬間、崇雅の手がすっと伸びてきた。
「……っ」
驚く間もなく、彼の手が澪の左腕を掴む。
骨折していないほうの腕を、まるで「もう二度と離すつもりはない」と言わんばかりに、しっかりと。
「行くぞ。車に乗れ」
澪のカバンを片手で持ち、
近くに停めていた自分の車へと、何のためらいもなく歩き出す。
「ま、待って、崇雅さん……!」
「待たない。澪をまた一人にしたら、今度こそ俺が壊れる」
その言葉に、澪は立ち止まることもできなかった。
ドアを開けられ、助手席に押し込まれるように乗せられる。
崇雅の手がドアを閉めた音が、乾いた朝の空気に響いた。
エンジンがかかると同時に、車は滑るように発進する。
「……会社、行くんですか?」
「ああ。仕事は山ほどある。けど、それ以上に——澪に会いに来ることが、俺には優先すべきことだった」
その横顔は冷静に見えて、どこか張り詰めていた。
言葉が、出なかった。
澪の視線は、右腕に巻かれたギプスに落ちる。
心の中に広がっていたざわめきが、少しだけ、形になり始めていた。
崇雅の「優しさ」は、ただの思いやりじゃない。
これは——
「逃がさない」と決めた人間の、決意だった。
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