【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな

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第97話・一区切りの夜、心ほどけて

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12月28日、仕事納めの日。

社内には、年末らしいゆるやかな空気が漂っていた。
受付やエントランスには正月飾りが並び、資料室からは大掃除のざわめきが聞こえてくる。
だが澪達の部署だけは、最後の調整作業でまだ少しだけ慌ただしさを残していた。


(……ようやく、終わった)

澪はノートパソコンを閉じ、小さく息をついた。
納期ギリギリの調整も、年始案件の準備も、全部間に合った。
やり切った――その事実が胸に温かく染みる。

一方で、部長席では崇雅も静かに端末を閉じ、立ち上がっていた。
部下たちに声をかけ、労いの言葉を投げかけながら、最後まで気を抜かずフロアを見回している。

(……いつも通りの崇雅さん、だな)

そんな彼の姿を見ながら、澪はこっそり微笑んだ。

夕方。
社内の食堂では、簡単なお疲れ様会が開かれていた。
軽食と飲み物が用意された立食形式で、部署ごとに人が集まり、あちこちから「おつかれさま」の声が飛び交っている。

澪も先輩に誘われ、ペットボトルのジュースと紙皿を手に会話の輪に加わっていた。
同期や他部署の顔もあり、どこかほっとしたような笑顔があふれている。

ふと視線を感じて振り向くと、少し離れた場所に崇雅の姿があった。
彼は澪と目が合うと、誰にも気づかれないように小さくうなずく。
澪も、それに気づかれないようにそっと微笑みを返した。


──会がお開きになる頃、
人々の流れが徐々に帰宅へ向かい始めたところで、崇雅がそっと澪に近づいた。

「……そろそろ出ようか」

「はい。おつかれさまでした」

ふたりは連れ立って食堂を後にし、並んでエレベーターに乗り込んだ。

夜風は冷たく、ビルの外はすでに静かだった。
車に乗り込むと、車内にはほんのりと暖房の温もりが広がる。
街は年末らしく浮き足立ちつつも、どこか寂しげな灯りをともしていた。

「……今年もいろいろあったな」

「はい。ほんとに、あっという間でした」

信号待ちの間、崇雅が何気なく言う。

「澪も、お疲れさま。よく頑張ったな」

その言葉に、澪は一瞬黙って、

「……部長こそ、です。……いえ……崇雅さんも、お疲れさまでした」

頬を染めながら、言い直す。
崇雅はハンドルの向こうで、ほんの少し口角を上げた。

不意に落ちた沈黙が、妙に心地いい。
ふたりの間を、静かな年末の夜がやさしく包んでいた。


澪がバスルームから出てくると、リビングにはやわらかな灯りが灯り、ソファの背にはブランケットが掛けられていた。
濡れた髪をタオルで押さえながら、澪は小さく息を吐く。

「……あれ? 崇雅さん?」

キッチンを覗けば、崇雅はマグカップにハーブティーを注いでいるところだった。

「おかえり。あったかいの淹れてる。飲むだろ?」

「……はい。ありがとうございます」

澪は自然とその横に立ち、そっとハーブティーを受け取る。
湯気の立つマグカップは、手に持つだけでじんわりと指先を温めてくれた。

その後、澪の髪を乾かした崇雅と並んでソファに腰を下ろす。
その隣に座っているだけで、不思議と心がほどけていく。

「……今日で、やっと一区切りですね」

そう呟いた澪に、崇雅は少しだけ肩を緩めるようにしてうなずいた。

「澪、よく頑張った。……最後まで、ほんとによくやりきったな」

「……崇雅さんこそ。ずっと支えてくださって、ありがとうございました」

崇雅は少しだけ目を細め、澪の頭をそっと撫でる。
その手の優しさに、澪は目を伏せるようにして小さく笑った。

「明日から、ようやく年末年始休暇ですね。……なんだか、変な感じです。まだ実感がなくて」

「まあ、ついさっきまで仕事漬けだったからな。明日、起きてやっと休みを実感するんだろう」

崇雅の言葉に、澪はこくりと頷いた。
静かな部屋に、ハーブティーの香りと暖房の音だけが心地よく響く。


「そういえば――澪は年末年始、実家に帰るのか?」

「……いえ。今年は帰らないです。妹がちょうど出産したばかりで、家の中がバタバタしてるみたいで。母と話して、落ち着いたらまた顔出せばいいって言ってくれて」

「……そうか」

崇雅は、ふと視線を逸らしてマグカップを口に運んだ。
その横顔を見つめながら、澪は問い返す。

「崇雅さんは、ご実家に?」

「いや。帰らない」

あっさりとした答えだったが、それはどこか当然のことのように聞こえた。

「……親族付き合いはほとんどないし、両親とは……まあ、昔からあまりうまくいってない」

「……」

澪は小さく瞬きし、胸の奥に淡く沈むものを感じた。
けれど、すぐに崇雅は言葉を続ける。

「だから――今年の年末年始は、ずっと家にいる。澪がいるなら、ずっと一緒に過ごせる」

その言葉に、胸の奥がぽっとあたたかくなる。

「……はい。私も、そう思ってました」

崇雅が隣にいてくれるなら、寂しくない。
むしろ、こんなふうに穏やかに年末を迎えられることが、澪にはとても幸せだった。

「じゃあ、明日は……朝はゆっくりで?」

「そうだな。……昼くらいから食材の買い出しにでも行くか。年末年始用に少し多めに買っておいたほうがいい」

「はい。私もちゃんと、献立考えますね」

ハーブティーの残りをひと口含みながら、澪はそっと笑った。

明日も、その先も。
こうして、隣にいられるなら――それだけで、十分だった。
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