99 / 168
第97話・一区切りの夜、心ほどけて
しおりを挟む
12月28日、仕事納めの日。
社内には、年末らしいゆるやかな空気が漂っていた。
受付やエントランスには正月飾りが並び、資料室からは大掃除のざわめきが聞こえてくる。
だが澪達の部署だけは、最後の調整作業でまだ少しだけ慌ただしさを残していた。
(……ようやく、終わった)
澪はノートパソコンを閉じ、小さく息をついた。
納期ギリギリの調整も、年始案件の準備も、全部間に合った。
やり切った――その事実が胸に温かく染みる。
一方で、部長席では崇雅も静かに端末を閉じ、立ち上がっていた。
部下たちに声をかけ、労いの言葉を投げかけながら、最後まで気を抜かずフロアを見回している。
(……いつも通りの崇雅さん、だな)
そんな彼の姿を見ながら、澪はこっそり微笑んだ。
夕方。
社内の食堂では、簡単なお疲れ様会が開かれていた。
軽食と飲み物が用意された立食形式で、部署ごとに人が集まり、あちこちから「おつかれさま」の声が飛び交っている。
澪も先輩に誘われ、ペットボトルのジュースと紙皿を手に会話の輪に加わっていた。
同期や他部署の顔もあり、どこかほっとしたような笑顔があふれている。
ふと視線を感じて振り向くと、少し離れた場所に崇雅の姿があった。
彼は澪と目が合うと、誰にも気づかれないように小さくうなずく。
澪も、それに気づかれないようにそっと微笑みを返した。
──会がお開きになる頃、
人々の流れが徐々に帰宅へ向かい始めたところで、崇雅がそっと澪に近づいた。
「……そろそろ出ようか」
「はい。おつかれさまでした」
ふたりは連れ立って食堂を後にし、並んでエレベーターに乗り込んだ。
夜風は冷たく、ビルの外はすでに静かだった。
車に乗り込むと、車内にはほんのりと暖房の温もりが広がる。
街は年末らしく浮き足立ちつつも、どこか寂しげな灯りをともしていた。
「……今年もいろいろあったな」
「はい。ほんとに、あっという間でした」
信号待ちの間、崇雅が何気なく言う。
「澪も、お疲れさま。よく頑張ったな」
その言葉に、澪は一瞬黙って、
「……部長こそ、です。……いえ……崇雅さんも、お疲れさまでした」
頬を染めながら、言い直す。
崇雅はハンドルの向こうで、ほんの少し口角を上げた。
不意に落ちた沈黙が、妙に心地いい。
ふたりの間を、静かな年末の夜がやさしく包んでいた。
澪がバスルームから出てくると、リビングにはやわらかな灯りが灯り、ソファの背にはブランケットが掛けられていた。
濡れた髪をタオルで押さえながら、澪は小さく息を吐く。
「……あれ? 崇雅さん?」
キッチンを覗けば、崇雅はマグカップにハーブティーを注いでいるところだった。
「おかえり。あったかいの淹れてる。飲むだろ?」
「……はい。ありがとうございます」
澪は自然とその横に立ち、そっとハーブティーを受け取る。
湯気の立つマグカップは、手に持つだけでじんわりと指先を温めてくれた。
その後、澪の髪を乾かした崇雅と並んでソファに腰を下ろす。
その隣に座っているだけで、不思議と心がほどけていく。
「……今日で、やっと一区切りですね」
そう呟いた澪に、崇雅は少しだけ肩を緩めるようにしてうなずいた。
「澪、よく頑張った。……最後まで、ほんとによくやりきったな」
「……崇雅さんこそ。ずっと支えてくださって、ありがとうございました」
崇雅は少しだけ目を細め、澪の頭をそっと撫でる。
その手の優しさに、澪は目を伏せるようにして小さく笑った。
「明日から、ようやく年末年始休暇ですね。……なんだか、変な感じです。まだ実感がなくて」
「まあ、ついさっきまで仕事漬けだったからな。明日、起きてやっと休みを実感するんだろう」
崇雅の言葉に、澪はこくりと頷いた。
静かな部屋に、ハーブティーの香りと暖房の音だけが心地よく響く。
「そういえば――澪は年末年始、実家に帰るのか?」
「……いえ。今年は帰らないです。妹がちょうど出産したばかりで、家の中がバタバタしてるみたいで。母と話して、落ち着いたらまた顔出せばいいって言ってくれて」
「……そうか」
崇雅は、ふと視線を逸らしてマグカップを口に運んだ。
その横顔を見つめながら、澪は問い返す。
「崇雅さんは、ご実家に?」
「いや。帰らない」
あっさりとした答えだったが、それはどこか当然のことのように聞こえた。
「……親族付き合いはほとんどないし、両親とは……まあ、昔からあまりうまくいってない」
「……」
澪は小さく瞬きし、胸の奥に淡く沈むものを感じた。
けれど、すぐに崇雅は言葉を続ける。
「だから――今年の年末年始は、ずっと家にいる。澪がいるなら、ずっと一緒に過ごせる」
その言葉に、胸の奥がぽっとあたたかくなる。
「……はい。私も、そう思ってました」
崇雅が隣にいてくれるなら、寂しくない。
むしろ、こんなふうに穏やかに年末を迎えられることが、澪にはとても幸せだった。
「じゃあ、明日は……朝はゆっくりで?」
「そうだな。……昼くらいから食材の買い出しにでも行くか。年末年始用に少し多めに買っておいたほうがいい」
「はい。私もちゃんと、献立考えますね」
ハーブティーの残りをひと口含みながら、澪はそっと笑った。
明日も、その先も。
こうして、隣にいられるなら――それだけで、十分だった。
社内には、年末らしいゆるやかな空気が漂っていた。
受付やエントランスには正月飾りが並び、資料室からは大掃除のざわめきが聞こえてくる。
だが澪達の部署だけは、最後の調整作業でまだ少しだけ慌ただしさを残していた。
(……ようやく、終わった)
澪はノートパソコンを閉じ、小さく息をついた。
納期ギリギリの調整も、年始案件の準備も、全部間に合った。
やり切った――その事実が胸に温かく染みる。
一方で、部長席では崇雅も静かに端末を閉じ、立ち上がっていた。
部下たちに声をかけ、労いの言葉を投げかけながら、最後まで気を抜かずフロアを見回している。
(……いつも通りの崇雅さん、だな)
そんな彼の姿を見ながら、澪はこっそり微笑んだ。
夕方。
社内の食堂では、簡単なお疲れ様会が開かれていた。
軽食と飲み物が用意された立食形式で、部署ごとに人が集まり、あちこちから「おつかれさま」の声が飛び交っている。
澪も先輩に誘われ、ペットボトルのジュースと紙皿を手に会話の輪に加わっていた。
同期や他部署の顔もあり、どこかほっとしたような笑顔があふれている。
ふと視線を感じて振り向くと、少し離れた場所に崇雅の姿があった。
彼は澪と目が合うと、誰にも気づかれないように小さくうなずく。
澪も、それに気づかれないようにそっと微笑みを返した。
──会がお開きになる頃、
人々の流れが徐々に帰宅へ向かい始めたところで、崇雅がそっと澪に近づいた。
「……そろそろ出ようか」
「はい。おつかれさまでした」
ふたりは連れ立って食堂を後にし、並んでエレベーターに乗り込んだ。
夜風は冷たく、ビルの外はすでに静かだった。
車に乗り込むと、車内にはほんのりと暖房の温もりが広がる。
街は年末らしく浮き足立ちつつも、どこか寂しげな灯りをともしていた。
「……今年もいろいろあったな」
「はい。ほんとに、あっという間でした」
信号待ちの間、崇雅が何気なく言う。
「澪も、お疲れさま。よく頑張ったな」
その言葉に、澪は一瞬黙って、
「……部長こそ、です。……いえ……崇雅さんも、お疲れさまでした」
頬を染めながら、言い直す。
崇雅はハンドルの向こうで、ほんの少し口角を上げた。
不意に落ちた沈黙が、妙に心地いい。
ふたりの間を、静かな年末の夜がやさしく包んでいた。
澪がバスルームから出てくると、リビングにはやわらかな灯りが灯り、ソファの背にはブランケットが掛けられていた。
濡れた髪をタオルで押さえながら、澪は小さく息を吐く。
「……あれ? 崇雅さん?」
キッチンを覗けば、崇雅はマグカップにハーブティーを注いでいるところだった。
「おかえり。あったかいの淹れてる。飲むだろ?」
「……はい。ありがとうございます」
澪は自然とその横に立ち、そっとハーブティーを受け取る。
湯気の立つマグカップは、手に持つだけでじんわりと指先を温めてくれた。
その後、澪の髪を乾かした崇雅と並んでソファに腰を下ろす。
その隣に座っているだけで、不思議と心がほどけていく。
「……今日で、やっと一区切りですね」
そう呟いた澪に、崇雅は少しだけ肩を緩めるようにしてうなずいた。
「澪、よく頑張った。……最後まで、ほんとによくやりきったな」
「……崇雅さんこそ。ずっと支えてくださって、ありがとうございました」
崇雅は少しだけ目を細め、澪の頭をそっと撫でる。
その手の優しさに、澪は目を伏せるようにして小さく笑った。
「明日から、ようやく年末年始休暇ですね。……なんだか、変な感じです。まだ実感がなくて」
「まあ、ついさっきまで仕事漬けだったからな。明日、起きてやっと休みを実感するんだろう」
崇雅の言葉に、澪はこくりと頷いた。
静かな部屋に、ハーブティーの香りと暖房の音だけが心地よく響く。
「そういえば――澪は年末年始、実家に帰るのか?」
「……いえ。今年は帰らないです。妹がちょうど出産したばかりで、家の中がバタバタしてるみたいで。母と話して、落ち着いたらまた顔出せばいいって言ってくれて」
「……そうか」
崇雅は、ふと視線を逸らしてマグカップを口に運んだ。
その横顔を見つめながら、澪は問い返す。
「崇雅さんは、ご実家に?」
「いや。帰らない」
あっさりとした答えだったが、それはどこか当然のことのように聞こえた。
「……親族付き合いはほとんどないし、両親とは……まあ、昔からあまりうまくいってない」
「……」
澪は小さく瞬きし、胸の奥に淡く沈むものを感じた。
けれど、すぐに崇雅は言葉を続ける。
「だから――今年の年末年始は、ずっと家にいる。澪がいるなら、ずっと一緒に過ごせる」
その言葉に、胸の奥がぽっとあたたかくなる。
「……はい。私も、そう思ってました」
崇雅が隣にいてくれるなら、寂しくない。
むしろ、こんなふうに穏やかに年末を迎えられることが、澪にはとても幸せだった。
「じゃあ、明日は……朝はゆっくりで?」
「そうだな。……昼くらいから食材の買い出しにでも行くか。年末年始用に少し多めに買っておいたほうがいい」
「はい。私もちゃんと、献立考えますね」
ハーブティーの残りをひと口含みながら、澪はそっと笑った。
明日も、その先も。
こうして、隣にいられるなら――それだけで、十分だった。
135
あなたにおすすめの小説
【完結】あなた専属になります―借金OLは副社長の「専属」にされた―
七転び八起き
恋愛
『借金を返済する為に働いていたラウンジに現れたのは、勤務先の副社長だった。
彼から出された取引、それは『専属』になる事だった。』
実家の借金返済のため、昼は会社員、夜はラウンジ嬢として働く優美。
ある夜、一人でグラスを傾ける謎めいた男性客に指名される。
口数は少ないけれど、なぜか心に残る人だった。
「また来る」
そう言い残して去った彼。
しかし翌日、会社に現れたのは、なんと店に来た彼で、勤務先の副社長の河内だった。
「俺専属の嬢になって欲しい」
ラウンジで働いている事を秘密にする代わりに出された取引。
突然の取引提案に戸惑う優美。
しかし借金に追われる現状では、断る選択肢はなかった。
恋愛経験ゼロの優美と、完璧に見えて不器用な副社長。
立場も境遇も違う二人が紡ぐラブストーリー。
黒瀬部長は部下を溺愛したい
桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。
人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど!
好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。
部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。
スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。
会社のイケメン先輩がなぜか夜な夜な私のアパートにやって来る件について(※付き合っていません)
久留茶
恋愛
地味で陰キャでぽっちゃり体型の小森菜乃(24)は、会社の飲み会で女子一番人気のイケメン社員・五十嵐大和(26)を、ひょんなことから自分のアパートに泊めることに。
しかし五十嵐は表の顔とは別に、腹黒でひと癖もふた癖もある男だった。
「お前は俺の恋愛対象外。ヤル気も全く起きない安全地帯」
――酷い言葉に、菜乃は呆然。二度と関わるまいと決める。
なのに、それを境に彼は夜な夜な菜乃のもとへ現れるようになり……?
溺愛×性格に難ありの執着男子 × 冴えない自分から変身する健気ヒロイン。
王道と刺激が詰まったオフィスラブコメディ!
*全28話完結
*辛口で過激な発言あり。苦手な方はご注意ください。
*他誌にも掲載中です。
契約結婚のはずなのに、冷徹なはずのエリート上司が甘く迫ってくるんですが!? ~結婚願望ゼロの私が、なぜか愛されすぎて逃げられません~
猪木洋平@【コミカライズ連載中】
恋愛
「俺と結婚しろ」
突然のプロポーズ――いや、契約結婚の提案だった。
冷静沈着で完璧主義、社内でも一目置かれるエリート課長・九条玲司。そんな彼と私は、ただの上司と部下。恋愛感情なんて一切ない……はずだった。
仕事一筋で恋愛に興味なし。過去の傷から、結婚なんて煩わしいものだと決めつけていた私。なのに、九条課長が提示した「条件」に耳を傾けるうちに、その提案が単なる取引とは思えなくなっていく。
「お前を、誰にも渡すつもりはない」
冷たい声で言われたその言葉が、胸をざわつかせる。
これは合理的な選択? それとも、避けられない運命の始まり?
割り切ったはずの契約は、次第に二人の境界線を曖昧にし、心を絡め取っていく――。
不器用なエリート上司と、恋を信じられない女。
これは、"ありえないはずの結婚"から始まる、予測不能なラブストーリー。
苦手な冷徹専務が義兄になったかと思ったら極あま顔で迫ってくるんですが、なんででしょう?~偽家族恋愛~
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「こちら、再婚相手の息子の仁さん」
母に紹介され、なにかの間違いだと思った。
だってそこにいたのは、私が敵視している専務だったから。
それだけでもかなりな不安案件なのに。
私の住んでいるマンションに下着泥が出た話題から、さらに。
「そうだ、仁のマンションに引っ越せばいい」
なーんて義父になる人が言い出して。
結局、反対できないまま専務と同居する羽目に。
前途多難な同居生活。
相変わらず専務はなに考えているかわからない。
……かと思えば。
「兄妹ならするだろ、これくらい」
当たり前のように落とされる、額へのキス。
いったい、どうなってんのー!?
三ツ森涼夏
24歳
大手菓子メーカー『おろち製菓』営業戦略部勤務
背が低く、振り返ったら忘れられるくらい、特徴のない顔がコンプレックス。
小1の時に両親が離婚して以来、母親を支えてきた頑張り屋さん。
たまにその頑張りが空回りすることも?
恋愛、苦手というより、嫌い。
淋しい、をちゃんと言えずにきた人。
×
八雲仁
30歳
大手菓子メーカー『おろち製菓』専務
背が高く、眼鏡のイケメン。
ただし、いつも無表情。
集中すると周りが見えなくなる。
そのことで周囲には誤解を与えがちだが、弁明する気はない。
小さい頃に母親が他界し、それ以来、ひとりで淋しさを抱えてきた人。
ふたりはちゃんと義兄妹になれるのか、それとも……!?
*****
千里専務のその後→『絶対零度の、ハーフ御曹司の愛ブルーの瞳をゲーヲタの私に溶かせとか言っています?……』
*****
表紙画像 湯弐様 pixiv ID3989101
不埒な一級建築士と一夜を過ごしたら、溺愛が待っていました
入海月子
恋愛
有本瑞希
仕事に燃える設計士 27歳
×
黒瀬諒
飄々として軽い一級建築士 35歳
女たらしと嫌厭していた黒瀬と一緒に働くことになった瑞希。
彼の言動は軽いけど、腕は確かで、真摯な仕事ぶりに惹かれていく。
ある日、同僚のミスが発覚して――。
ダブル シークレットベビー ~御曹司の献身~
菱沼あゆ
恋愛
念願のランプのショップを開いた鞠宮あかり。
だが、開店早々、植え込みに猫とおばあさんを避けた車が突っ込んでくる。
車に乗っていたイケメン、木南青葉はインテリアや雑貨などを輸入している会社の社長で、あかりの店に出入りするようになるが。
あかりには実は、年の離れた弟ということになっている息子がいて――。
再会した御曹司は 最愛の秘書を独占溺愛する
猫とろ
恋愛
あらすじ
青樹紗凪(あおきさな)二十五歳。大手美容院『akai』クリニックの秘書という仕事にやりがいを感じていたが、赤井社長から大人の関係を求められて紗凪は断る。
しかしあらぬ噂を立てられ『akai』を退社。
次の仕事を探すものの、うまく行かず悩む日々。
そんなとき。知り合いのお爺さんから秘書の仕事を紹介され、二つ返事で飛びつく紗凪。
その仕事場なんと大手老舗化粧品会社『キセイ堂』 しかもかつて紗凪の同級生で、罰ゲームで告白してきた黄瀬薫(きせかおる)がいた。
しかも黄瀬薫は若き社長になっており、その黄瀬社長の秘書に紗凪は再就職することになった。
お互いの過去は触れず、ビジネスライクに勤める紗凪だが、黄瀬社長は紗凪を忘れてないようで!?
社長×秘書×お仕事も頑張る✨
溺愛じれじれ物語りです!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる