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第116話・サプライズにならない想いでも
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休日の朝。
寝室の窓から差し込む光が、テーブルの上をやわらかく照らしていた。
テーブルの上に置かれたスマホが示す時刻は、午前9時半。
澪はふと手を止めて、カレンダーアプリを開いた。
(……そうだ、もうホワイトデーの時期なんだ)
その瞬間、胸の奥にわずかな罪悪感がよぎる。
(バレンタイン……結局、何もできなかった)
思い返せば、2月は目が回るような忙しさだった。
C社のプロジェクトが佳境を迎え、ただ目の前のことをこなすので精一杯だった日々。
崇雅には「ごめんなさい」と口では伝えていたけれど――それだけだった。
(落ち着いたら、何か作るって……私、言ったよね)
今まで、一緒にカフェなどでケーキを食べることはあっても、崇雅のために手作りのお菓子を渡したことはなかった。
余裕がなくて、そんな時間を取ろうとすら思えなかった。
けれど、今――少しだけ心と時間に余裕ができたこのタイミングなら。
感謝とお詫び、それから想いも込めて。
崇雅のために、何か特別なものを贈りたいと思った。
(きっと、喜んでくれる……よね)
澪は部屋着のまま椅子に腰掛け、小さなメモ帳にペンを走らせる。
(チョコレート、バター、薄力粉……と、生クリームも……)
レシピ本を確認しながら、必要な材料を一つずつ書き出していく。
「よし……こんな感じかな」
小さく呟き、澪はメモ帳を手に立ち上がった。
(サプライズで、ひとりで買い出しに行って……こっそり作って、びっくりさせよう)
玄関先でスニーカーに足を通そうとしたそのとき、背後から声がかかった。
「どこに行くんだ?」
振り返ると、崇雅がリビングから出てきたところだった。
寝癖もなく、シャツのボタンまできっちり留めた姿は、休日とは思えないほど整っている。
「ちょっとだけ、買い物に。すぐ戻るので……」
「一人で?」
「はい。大丈夫ですよ、本当に」
少し慌てて言い繕う澪を、崇雅は静かに見つめた。
そのまま短い沈黙が落ちたあと――
「何を隠してる?」
「っ……か、隠してなんて……!」
視線が泳ぐ。
それだけで、崇雅には十分だったらしい。
「車出す。準備するから待ってろ」
「ま、待ってください!ひとりで行こうとしたのには理由が……」
上着を手に取ろうとする崇雅の背に、澪は観念したように呟いた。
「……バレンタイン、できなかったから。だから、改めて何か作ろうと思って」
崇雅の手が止まる。
「甘いもの……苦手だったら、あれなんですけど…一緒にケーキ食べたりしてるし、大丈夫かなって」
「……嫌いじゃない。むしろ、けっこう好きだ」
「……そうなんですか?」
「言ってなかったな。
……気づかれたくないわけじゃなかったけど」
崇雅は、澪の方をちらりと見る。
まっすぐ見つめ返せないまま、澪は小さく笑った。
「……よかった。何作るかは、帰ってからのお楽しみです」
「じゃあ、俺は運転と荷物持ち担当だな」
「……それ、もうサプライズじゃないですよ」
「一緒に住んでる以上、無理だろ」
そう淡々と告げて、崇雅は玄関を開けた。
その背中が、ほんの少しだけ――いつもより優しく見えた。
昼前。
ふたりは製菓用品店に足を運んでいた。
ホワイトデーの季節ということもあり、店内にはパステルカラーのラッピングや春限定アイテムが並んでいる。
澪は入口で小さく深呼吸をし、目を輝かせながら材料棚へと向かった。
「……あ、これ前に使って美味しかったやつ」
つぶやきながら、ココアパウダーを一袋カゴへ入れる。
そのカゴを持っているのは、もちろん崇雅だ。
彼は邪魔にならないよう少し後ろから澪に寄り添い、彼女が手に取ったものを無言で受け取ってカゴに収めていく。
「卵白余るから、フィナンシェも作ろうかな。アーモンドパウダーも買わなきゃ……あ、無塩のバターも……」
素材を吟味しながら、次々と材料を選んでいく澪。
その後ろ姿を、崇雅は静かに見守っていた。
ふだんは仕事のことで頭がいっぱいだった彼女が、こんな風に嬉しそうに買い物している姿は、なんだか新鮮で――そして、とても愛おしい。
「……これで最後、かな。あとラッピングも少し見ていいですか?」
「ああ」
澪が選んだのは、淡いベージュに金の細いリボンがついたラッピング袋だった。
仲の良い先輩たちに渡す分だろうと察していたが、崇雅は何も言わない。
「……はい、これで本当に全部です」
「じゃあ、会計して帰ろう」
ふたり並んでレジに並ぶ。
澪は何度も「ちゃんと作れるかな……」と呟きながらも、どこか楽しげだった。
その横顔を見て、崇雅はふと目を細める。
(――バレンタインじゃなくても、十分すぎるほど、もらってる)
けれど、その言葉は口にせず、ただ静かに微笑んだ。
寝室の窓から差し込む光が、テーブルの上をやわらかく照らしていた。
テーブルの上に置かれたスマホが示す時刻は、午前9時半。
澪はふと手を止めて、カレンダーアプリを開いた。
(……そうだ、もうホワイトデーの時期なんだ)
その瞬間、胸の奥にわずかな罪悪感がよぎる。
(バレンタイン……結局、何もできなかった)
思い返せば、2月は目が回るような忙しさだった。
C社のプロジェクトが佳境を迎え、ただ目の前のことをこなすので精一杯だった日々。
崇雅には「ごめんなさい」と口では伝えていたけれど――それだけだった。
(落ち着いたら、何か作るって……私、言ったよね)
今まで、一緒にカフェなどでケーキを食べることはあっても、崇雅のために手作りのお菓子を渡したことはなかった。
余裕がなくて、そんな時間を取ろうとすら思えなかった。
けれど、今――少しだけ心と時間に余裕ができたこのタイミングなら。
感謝とお詫び、それから想いも込めて。
崇雅のために、何か特別なものを贈りたいと思った。
(きっと、喜んでくれる……よね)
澪は部屋着のまま椅子に腰掛け、小さなメモ帳にペンを走らせる。
(チョコレート、バター、薄力粉……と、生クリームも……)
レシピ本を確認しながら、必要な材料を一つずつ書き出していく。
「よし……こんな感じかな」
小さく呟き、澪はメモ帳を手に立ち上がった。
(サプライズで、ひとりで買い出しに行って……こっそり作って、びっくりさせよう)
玄関先でスニーカーに足を通そうとしたそのとき、背後から声がかかった。
「どこに行くんだ?」
振り返ると、崇雅がリビングから出てきたところだった。
寝癖もなく、シャツのボタンまできっちり留めた姿は、休日とは思えないほど整っている。
「ちょっとだけ、買い物に。すぐ戻るので……」
「一人で?」
「はい。大丈夫ですよ、本当に」
少し慌てて言い繕う澪を、崇雅は静かに見つめた。
そのまま短い沈黙が落ちたあと――
「何を隠してる?」
「っ……か、隠してなんて……!」
視線が泳ぐ。
それだけで、崇雅には十分だったらしい。
「車出す。準備するから待ってろ」
「ま、待ってください!ひとりで行こうとしたのには理由が……」
上着を手に取ろうとする崇雅の背に、澪は観念したように呟いた。
「……バレンタイン、できなかったから。だから、改めて何か作ろうと思って」
崇雅の手が止まる。
「甘いもの……苦手だったら、あれなんですけど…一緒にケーキ食べたりしてるし、大丈夫かなって」
「……嫌いじゃない。むしろ、けっこう好きだ」
「……そうなんですか?」
「言ってなかったな。
……気づかれたくないわけじゃなかったけど」
崇雅は、澪の方をちらりと見る。
まっすぐ見つめ返せないまま、澪は小さく笑った。
「……よかった。何作るかは、帰ってからのお楽しみです」
「じゃあ、俺は運転と荷物持ち担当だな」
「……それ、もうサプライズじゃないですよ」
「一緒に住んでる以上、無理だろ」
そう淡々と告げて、崇雅は玄関を開けた。
その背中が、ほんの少しだけ――いつもより優しく見えた。
昼前。
ふたりは製菓用品店に足を運んでいた。
ホワイトデーの季節ということもあり、店内にはパステルカラーのラッピングや春限定アイテムが並んでいる。
澪は入口で小さく深呼吸をし、目を輝かせながら材料棚へと向かった。
「……あ、これ前に使って美味しかったやつ」
つぶやきながら、ココアパウダーを一袋カゴへ入れる。
そのカゴを持っているのは、もちろん崇雅だ。
彼は邪魔にならないよう少し後ろから澪に寄り添い、彼女が手に取ったものを無言で受け取ってカゴに収めていく。
「卵白余るから、フィナンシェも作ろうかな。アーモンドパウダーも買わなきゃ……あ、無塩のバターも……」
素材を吟味しながら、次々と材料を選んでいく澪。
その後ろ姿を、崇雅は静かに見守っていた。
ふだんは仕事のことで頭がいっぱいだった彼女が、こんな風に嬉しそうに買い物している姿は、なんだか新鮮で――そして、とても愛おしい。
「……これで最後、かな。あとラッピングも少し見ていいですか?」
「ああ」
澪が選んだのは、淡いベージュに金の細いリボンがついたラッピング袋だった。
仲の良い先輩たちに渡す分だろうと察していたが、崇雅は何も言わない。
「……はい、これで本当に全部です」
「じゃあ、会計して帰ろう」
ふたり並んでレジに並ぶ。
澪は何度も「ちゃんと作れるかな……」と呟きながらも、どこか楽しげだった。
その横顔を見て、崇雅はふと目を細める。
(――バレンタインじゃなくても、十分すぎるほど、もらってる)
けれど、その言葉は口にせず、ただ静かに微笑んだ。
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