【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな

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第126話・東條の未来を問う日

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東條家の書斎。
重厚な静寂が支配する空間。
天井のシャンデリアすら、音を立てることを拒まれているようだった。

「……で、何の話だ?」

父の声は低く、怒気こそ帯びていなかったが、先日の決裂をまだ尾を引いていることが明白だった。

正面に座る崇徳は、その冷たい視線を真正面から受け止めると、間を置かずに口を開く。

「今日は結論を迫るために来たわけではありません。ひとつだけ、事実を整理しに来ました」

「……ふん。聞くだけ聞こう」

父の目が冷たく細められる。
それでも崇徳は一歩も引かず、淡々と続けた。

「俺には後継ぎがいません。元妻の子は――俺の子ではなかった。あれからの再婚話も、すべて断っています」

一瞬、父の眉が動いた。だが言葉は返さない。

「もう、誰かの顔色を伺いながら家庭を築く気もありません。そう思わせるだけの代償を払いました。
だから――俺から東條の血を継ぐ孫は、生まれません」

「……それを、今ここで言う必要があるのか」

「あります。父さんが望んでいた“正当な血筋”による後継者。それを手に入れる道は、もはや一つしかない」

崇徳の声が、わずかに低くなる。

「崇雅と、澪さんの間に生まれる子供だけです」

「……婿入りなど認められるものか。東條の名を捨てるに等しい」

父の語気が強まる。
しかし、崇徳は静かに言葉を重ねた。

「名は形です。大事なのは中身でしょう。崇雅は澪さんとの結婚を決め、自分から東條を背負う覚悟であの場に立った。
あの一言は、あなたが結城家を侮辱したその瞬間に出たものです。崇雅が澪さんを守るために」

父の眉間に、深いしわが刻まれる。

「結婚相手の家柄を気にするのはわかります。ですが、清廉潔白と言い切れますか?この家の、すべてが」

その一言に、父の目が鋭く光る。
だが反論の言葉は出ない。
沈黙の裏で、答えを探しているのが、崇徳にははっきりとわかった。

「澪さんを拒み、崇雅を否定して、あなたはまた別の“都合のいい娘”を用意するつもりかもしれません。
でも、崇雅は受け入れませんよ。あいつは澪さんしか見ていない。
無理に引き離しても、崇雅が別の誰かを選ぶことはありません。…父さんが望む“未来”は手に入らない」

崇徳は背筋を正し、はっきりと言い切った。

「あなたの望みが“東條の血を継ぐ後継者”なら、それを叶えられるのは、崇雅と澪さんの子だけです。彼らを認めずして東條に未来はありません」

書斎に、深い沈黙が落ちた。

父はしばらく目を閉じていた。
沈黙の奥に、葛藤と計算が入り混じっているのが、空気ごしに伝わってくる。

やがて、かすかに呻くような声が漏れた。

「……わかった。もう一度会って話そう」

崇徳は、静かに一度だけ頷く。

「では、5月末に調整しましょう。こちらから改めて連絡します」

その声には、静かながらも揺るぎない圧と決意が宿っていた。


——————

前回の訪問から2週間後ー。
週末の午後、再び重厚な東條邸の扉が、崇雅と澪を迎え入れた。

静かな空気が屋敷全体を包んでいる。

ふたりが通された応接室には、前回と同じ顔ぶれがそろっていた。
父と母、そして崇徳。
すでに全員が席に着いている。

部屋に足を踏み入れた瞬間、澪はわずかに息を呑んだ。
前回よりも、冷たく張り詰めた空気が漂っている気がした。

「……2人ともよく来たな」

崇徳が立ち上がり、ふたりに向かって小さく頷くと、手で空いた席を示した。

崇雅は、澪の背にそっと手を添えながら席につき、澪も丁寧に頭を下げてから隣に腰を下ろした。

父は無言のまま、まっすぐ前だけを見据えている。
崇雅も、言葉を発さず、その視線をまっすぐに受け止めていた。

「……では、始めましょうか」

崇徳が口を開き、手元の封筒を取り出す。
厚みのあるそれを、無言の父の前に差し出した。

父は目線だけでそれを見やったが、すぐには手を伸ばさない。

「ご覧いただければ分かると思います。澪さんの、学歴と経歴、それから現在に至るまでの実績をまとめたものです」

崇徳は淡々と告げ、父の反応を待つことなく言葉を続けた。

「国立の文系トップ校を卒業し、逢坂グループ傘下の上場企業で数々の案件を任されてきた。特に、今年2月まで責任者を務めていたC社との大型プロジェクト――これは我々東條グループとも関わりの深い取引先です」

父の目がわずかに動く。
崇徳は、それを見逃さない。

「そのC社から、“名指し“で彼女に指名があったそうです。それも責任者として。
東條の人間として言わせてもらえば……彼女は、今すぐにでもうちの会社に迎え入れたいほどの人材です」

崇徳の声は淡々としているが、その語調には確信と信頼が込められていた。

「家柄も、財産も、後ろ盾もない。けれど、真面目に努力を重ね、その結果、彼女はここまで辿り着いた。
崇雅の隣に立つにふさわしい、そう断言できます」

沈黙の中、崇雅は何も言わずに、そっと澪の手を握る。
澪はその温もりに助けられるように、目を伏せた。

「それでも、なお彼女を認められないとおっしゃいますか?」

応接室に、深い静寂が満ちる。

崇徳の問いは、挑発ではなかった。
ただ静かに、正面から投げかけられた“確認”。

その答えを、父の口から引き出すための――静かで、決定的な問いだった。
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