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第130話・入籍の報告を
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6月10日。
始業のチャイムが鳴ると同時に、崇雅の指示で部署のメンバー全員が会議室に集められた。
「え、なんだろう……」
「まさか、また新規プロジェクト……?」
ざわつく声があちこちでささやかれる中、澪はそっと一番後ろの席に腰を下ろした。
空気はどこか緊張を帯び、普段の定例とは違う雰囲気が流れている。
やがて、会議室の前方に立った崇雅が、静かに一同を見渡して口を開いた。
「突然時間を取ってもらってすまない。今日は一つ、私的な報告をさせてもらう」
その言葉に、ざわついていた空気が少しだけ落ち着き、全員の視線が前へと集中する。
「一昨日、結城と入籍した。正式に夫婦になったことを、まずはここで報告しておく」
静まり返った空間に、その言葉がはっきりと響いた。
一瞬、場の空気が凍りつくような静寂が訪れる。
けれど次の瞬間には、控えめながら拍手が起こる。
誰からともなく、祝福の空気がじわじわと広がり始めていた。
そのまま崇雅はもう一つ、静かに口を開く。
「加えて、俺の姓は今後、“結城”になる。彼女の姓は変わらない。俺のほうが婿入りした形だ」
「……えっ、えっ? 婿入りって、部長が……?」
「澪ちゃんじゃなくて……部長が“結城”さんに……?」
ざわっ――と、再びどよめきが走る。
社内の誰もが、澪が“東條”姓になると疑わずにいた。
まさか逆だとは思っていなかったようで、驚きの声があちこちで小さく広がっていく。
そんな空気の中、崇雅がぼそりと呟いた。
「……おい、顔がすごいぞ、お前ら」
その一言に、会議室の空気がふっと緩み、笑いが起こった。
「社内ではこれまで通り“東條”と呼んでくれて構わない。仕事に支障が出ないよう努めるつもりだ。……以上、これからもよろしく頼む」
ぴたりと本題を締めて、崇雅は自席に戻るようにその場を後にした。
会議室の一番後ろの席で、その姿を見届けていた澪は、そっと胸に手を当てる。
堂々と自分たちの関係を言葉にした彼の姿は、やっぱり崇雅らしくて――
変わらず静かで、でもとても強くて。
その背中を見つめながら、澪の胸の奥にはじんわりと温かい感情が広がっていく。
恥ずかしいより、嬉しかった。
戸惑いよりも、誇らしかった。
“彼と夫婦になれたこと”――その実感が、静かに、けれど確かに胸に刻まれていった。
——————
金曜の夜ー。
仕事から帰宅した澪は、久しぶりに実家へ電話をかけた。
スマホの画面に「母」と表示される。
通話ボタンを押すと、すぐに明るい声が返ってきた。
「もしもし、澪? どうしたの、元気にしてる?」
「うん、元気だよ。あのね、ちょっと報告があって」
いつも通りの声色に、ほっとする気持ちと、これからの言葉に対する緊張が入り混じる。
「……あら?」
声のトーンが少し変わったのを感じながら、澪はひと呼吸置いてから続けた。
「崇雅さんと、入籍したの。6月8日付けで」
一瞬の沈黙――
すぐに、弾むような声が返ってきた。
「……ほんとに!?まあ、それはおめでとう!」
明るい驚きとともに、返ってきた祝福の言葉。
澪は思わず笑みをこぼしながら、「ありがとう」と返した。
「うん……それでね、いろいろあって――崇雅さんが“結城”の姓を名乗ることになったの。婿入りって形で」
「……えっ? 婿入りって……!?」
驚いたように声が高くなる母に、澪は苦笑しながら頷いた。
「びっくりだよね。でも、ちゃんとふたりで話し合って決めたことなの。いろいろあって……詳しくは言えないけど、今のかたちが、私たちにとっていちばん良いって思ったから」
「……てっきり、東條さんのほうに嫁ぐものだと思ってたけど……まさか、そうなるなんて……
でも、2人で決めたことなら、それが一番よ」
母の言葉に、澪はそっと息をつきながら、小さな声で続けた。
「ありがと。……それから、一つ謝りたいことがあって」
「……どうしたの?」
「本当は……ちゃんと両家で顔合わせをしてから入籍するのが礼儀だって、わかってたんだけど……いろんな事情が重なって、それが叶わなくて。だから、ごめんなさい」
少しだけ緊張を滲ませながら、丁寧に言葉を紡ぐ。
母は少しだけ間を置いてから、やわらかく答えた。
「……澪。あなたが謝ることじゃないわ。きっと、何か事情があったんでしょう?」
その言い方は、まるですべてを見透かしているかのようで、けれど、それ以上は何も聞かないという意志が含まれていた。
「何があったかはわからないけれど、あなたの声を聞いてたら、ちゃんと自分の足で前に進んだんだなってわかる。……母親って、そういうところは敏感なのよ」
「……うん」
「本当に、おめでとう。澪を大切にしてくれる人と出会えて、よかったわ」
電話越しでも、その言葉の温度はじんわりと胸に沁みる。
「ありがとう。……また、ちゃんと改めてふたりで帰るから」
「ええ。いつでも帰ってきなさいね。ふたりで、ね」
優しさと強さが同居する母の言葉に、澪は思わず「うん」と深く頷いた。
電話を切ったあと、スマホをそっとテーブルに置き、澪は小さく深呼吸する。
不安の名残が、すっと胸から抜けていく。
それは、母という存在が与えてくれる、静かで確かな安心だった。
始業のチャイムが鳴ると同時に、崇雅の指示で部署のメンバー全員が会議室に集められた。
「え、なんだろう……」
「まさか、また新規プロジェクト……?」
ざわつく声があちこちでささやかれる中、澪はそっと一番後ろの席に腰を下ろした。
空気はどこか緊張を帯び、普段の定例とは違う雰囲気が流れている。
やがて、会議室の前方に立った崇雅が、静かに一同を見渡して口を開いた。
「突然時間を取ってもらってすまない。今日は一つ、私的な報告をさせてもらう」
その言葉に、ざわついていた空気が少しだけ落ち着き、全員の視線が前へと集中する。
「一昨日、結城と入籍した。正式に夫婦になったことを、まずはここで報告しておく」
静まり返った空間に、その言葉がはっきりと響いた。
一瞬、場の空気が凍りつくような静寂が訪れる。
けれど次の瞬間には、控えめながら拍手が起こる。
誰からともなく、祝福の空気がじわじわと広がり始めていた。
そのまま崇雅はもう一つ、静かに口を開く。
「加えて、俺の姓は今後、“結城”になる。彼女の姓は変わらない。俺のほうが婿入りした形だ」
「……えっ、えっ? 婿入りって、部長が……?」
「澪ちゃんじゃなくて……部長が“結城”さんに……?」
ざわっ――と、再びどよめきが走る。
社内の誰もが、澪が“東條”姓になると疑わずにいた。
まさか逆だとは思っていなかったようで、驚きの声があちこちで小さく広がっていく。
そんな空気の中、崇雅がぼそりと呟いた。
「……おい、顔がすごいぞ、お前ら」
その一言に、会議室の空気がふっと緩み、笑いが起こった。
「社内ではこれまで通り“東條”と呼んでくれて構わない。仕事に支障が出ないよう努めるつもりだ。……以上、これからもよろしく頼む」
ぴたりと本題を締めて、崇雅は自席に戻るようにその場を後にした。
会議室の一番後ろの席で、その姿を見届けていた澪は、そっと胸に手を当てる。
堂々と自分たちの関係を言葉にした彼の姿は、やっぱり崇雅らしくて――
変わらず静かで、でもとても強くて。
その背中を見つめながら、澪の胸の奥にはじんわりと温かい感情が広がっていく。
恥ずかしいより、嬉しかった。
戸惑いよりも、誇らしかった。
“彼と夫婦になれたこと”――その実感が、静かに、けれど確かに胸に刻まれていった。
——————
金曜の夜ー。
仕事から帰宅した澪は、久しぶりに実家へ電話をかけた。
スマホの画面に「母」と表示される。
通話ボタンを押すと、すぐに明るい声が返ってきた。
「もしもし、澪? どうしたの、元気にしてる?」
「うん、元気だよ。あのね、ちょっと報告があって」
いつも通りの声色に、ほっとする気持ちと、これからの言葉に対する緊張が入り混じる。
「……あら?」
声のトーンが少し変わったのを感じながら、澪はひと呼吸置いてから続けた。
「崇雅さんと、入籍したの。6月8日付けで」
一瞬の沈黙――
すぐに、弾むような声が返ってきた。
「……ほんとに!?まあ、それはおめでとう!」
明るい驚きとともに、返ってきた祝福の言葉。
澪は思わず笑みをこぼしながら、「ありがとう」と返した。
「うん……それでね、いろいろあって――崇雅さんが“結城”の姓を名乗ることになったの。婿入りって形で」
「……えっ? 婿入りって……!?」
驚いたように声が高くなる母に、澪は苦笑しながら頷いた。
「びっくりだよね。でも、ちゃんとふたりで話し合って決めたことなの。いろいろあって……詳しくは言えないけど、今のかたちが、私たちにとっていちばん良いって思ったから」
「……てっきり、東條さんのほうに嫁ぐものだと思ってたけど……まさか、そうなるなんて……
でも、2人で決めたことなら、それが一番よ」
母の言葉に、澪はそっと息をつきながら、小さな声で続けた。
「ありがと。……それから、一つ謝りたいことがあって」
「……どうしたの?」
「本当は……ちゃんと両家で顔合わせをしてから入籍するのが礼儀だって、わかってたんだけど……いろんな事情が重なって、それが叶わなくて。だから、ごめんなさい」
少しだけ緊張を滲ませながら、丁寧に言葉を紡ぐ。
母は少しだけ間を置いてから、やわらかく答えた。
「……澪。あなたが謝ることじゃないわ。きっと、何か事情があったんでしょう?」
その言い方は、まるですべてを見透かしているかのようで、けれど、それ以上は何も聞かないという意志が含まれていた。
「何があったかはわからないけれど、あなたの声を聞いてたら、ちゃんと自分の足で前に進んだんだなってわかる。……母親って、そういうところは敏感なのよ」
「……うん」
「本当に、おめでとう。澪を大切にしてくれる人と出会えて、よかったわ」
電話越しでも、その言葉の温度はじんわりと胸に沁みる。
「ありがとう。……また、ちゃんと改めてふたりで帰るから」
「ええ。いつでも帰ってきなさいね。ふたりで、ね」
優しさと強さが同居する母の言葉に、澪は思わず「うん」と深く頷いた。
電話を切ったあと、スマホをそっとテーブルに置き、澪は小さく深呼吸する。
不安の名残が、すっと胸から抜けていく。
それは、母という存在が与えてくれる、静かで確かな安心だった。
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