俺の人生をめちゃくちゃにする人外サイコパス美形の魔性に、執着されています

フルーツ仙人

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番外 七  マルチバース 不仲世界編

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 アディラ・ハントがクラブに訪ねて来た晩のことだ。
 ダリオはアルバイトのはしごで、建付けの悪いオンボロアパートへの帰宅は午前を回っていた。
 インフルエンザにかかって、その頃の収入が途絶え、更にバイト先を首になったのが現在まで響いている。クリスが声をかけてくれなければ、からだを売る羽目になったかもなどとけっこう本気で思いつめていた可能性があった。
 可能性というか、片足をつっこんでいた感がある。インフルエンザが激悪化した後、なんとか大学に復帰したが、授業もアルバイトも遅れを取り戻すのは本当に大変だった。
 半ば死んだ目で、金回りのいい、マッチョ好きのマダムか、爺さんでも紹介してくれないかな……などと独り言が口をついて出ていたのを、第二言語講義で同じ語学をとっているクリスが「待って待って待って待って、目が死んでるから、待って。そこまで覚悟あるなら、もうちょっとマシな時給いいバイトあるから、道踏み外さないで」とラビット・ホールのバイトを紹介してくれたのである。
 インフルエンザでしばらく講義を休んでいたダリオは、この時点さほどクリスとは親しくなかったのだが、「ダリオくんの目つきがヤバ過ぎて、あの時は止めないといけないと思った」とクリス曰く見過ごせない状態だったらしい。すまんな……とダリオは思った。でもおかげでよいアルバイトを紹介してもらえたので、プラスマイナス収支プラスである。
 一時期のクソヤバ自転車操業状態は脱したものの、健康状態が回復した今、少しばかりの無理は効く状態で、夜間の割のいいバイトをすることもある。
 体が資本で、優先は学業と思い定めているが、多少の無理はしないと、格安の学生寮に入れなかったことに始まり、インフルエンザのダメージが大き過ぎた。
 色々うまくいかないが、人には恵まれてるよな、俺、とダリオは思って、今日も夜間バイトの帰り、セントラルパークを足早にアパート目指して歩いていたのだ。
 あ、やばいな。
 と思ったのは、前方から痩せた男が歩いて来るのに気づいた時だった。
 ぎょろりと目がやたら大きく見える。
 目を合わせないようにとは思っていたのだが、近づいてきて、内面の緊張水位が上がるのを感じた。自然に、自然にすれ違うんだ、と自分に言い聞かせる。だが、うまく視線を合わせないように意識し過ぎて、逆に相手の大きな目が、こちらを『見て』、ダリオもかすかに目が合ってしまい、『気づかれた』。
 あー、とダリオは内心目をつむる。
 失敗した。
 公園の広葉樹が、街灯に黒いまだらの影を落としている。すれ違ってしばらくしてから、足を少しだけはやめた。距離がもう少し取れたと思ったので、更にはやめる。
 アパートの明かりが見えて来た。ほとんどの号室は電灯が消えている。
 目指すは302号室だ。
 カンカン、と赤錆の浮いた外付け鉄骨階段を上っていって、肩越しに暗闇を振り返り確認した。
 いない。大丈夫か。
 鍵を急いで取り出し、号室前でノータイムに差し込むと、ダリオは素早く扉の中にもぐりこんだ。閉める。汗で滑る手で、鍵を閉め、旧式のチェーンロックを左から右に、じゃっ、とかけた。
 ふう、と大胸筋が緊張に上下する。そのまま、玄関脇の電灯スイッチをオンにした。視界が一気に明るくなる。帰って来た。無事に我が家だ。はあ、と再度深いため息が漏れ、筋肉がゆっくりと弛緩していくのを感じた。玄関の壁に拳を当てて、深呼吸する。
 ひとまず大丈夫だ。
 ——人間じゃなかった。
 かぎりなく人間に近い形をとっていたが、人間ではなかった。
 目が合っただけで、逆上するタイプの怪異だ。
 家までついて来られなくてよかった。遠回りして、まくか一瞬悩んだが、さっさと帰宅した方が結果的に安全だろうと急いだのは正解だったようだ。
 こうしたことは、誰にも助けを求められない。
 何かあっても、警察に通報してどうにかなることではなかった。自分で対処し、気づかれないようにふるまい、あとはお祈りするだけだ。
 ダリオが他人を助けるのは、自分が助けてもらえないからかもしれない。自分より強い相手につけ回され、危害を加えられそうになった時に、周囲の人間に誰にも助けを求められない。誰にも助けてもらえないのは辛いことだ。
 そう感じて、絶望している人の目を見ると、ダリオはリスクを考えて、結局介入してしまう。つまり俺は、自分を助けてるのかもしれないなとも思う。相手の中に自分を投影し、助ける。代替行為だ。自虐ではなく、ダリオ自身が日常に他者から助けてもらうことも多いし、まあそんなもんかなと軽い気持ちで考えている。
 そうは言っても、怪異関連は一人で対処するのはけっこうきついが――
 ――ぴんぽーん、
 ダリオは瞠目した。固まる。
 それは場違いな間抜けな音に聞こえた。拳を壁に当てたまま、ダリオは顔を上げる。呼び鈴が鳴らされた。
 真夜中も過ぎて、午前のこの時刻に。
 ぴんぽーん、ぴんぽーん、と何度も執拗に鳴らされる。近所迷惑だが、誰も騒ぐ様子もない。いつの間にか、異様な静けさの中、呼び鈴を鳴らす音だけが繰り返されている。
 ダリオは息を吐いた。
 あー、と思う。目が合った時感じたことだ。やっぱ駄目だったか、という悪い予感が当たってしまった。
 ついて来た。
 咄嗟に思ったのは、金がない、ということだ。金がないから引っ越しができない。
 ヒト型だったが、あれはやばい。ついて来た。家を知られた。薄いドア越しに、動けなくなる。呼吸も控え目になった。今更だが、動揺しているそぶりを見せるとやばい。
 ドア大丈夫かね、真面目にうっすいんだが、と懸念する。
 どうしよう。金がない――と思考がまた堂々巡りに戻って来る。
 相手が人間なら、通報すればよい。籠城していても、イーストシティ・ポリスが駆けつけてくれるだろう。なんなら、今後も巡回してくれるかもしれない。
 だが、怪異はそうはいかない。
 どこにも助けがない。助けを求めるところがない。
 ああ、金がないな、とまた思った。
 変な浮遊感を覚える。疲れてんのかな、俺、とダリオは現実にうまく対処思考が働かない自分を危険に思う。しかし、それも、恐怖を直視しないための防衛機制の働きかもしれなかった。
 助けがないことを絶望したり、期待したりは今更もうとっくに通過点を後方に置いてきている。ただ、なんだかふわふわとした。どうしようかなと考えているふりをして考えていない。
 考えると辛かったからかもしれない。
 やはり、こういう時に誰にも助けてもらえないのは辛いことだと思うから。だからダリオは人間間のトラブルを見かけると、足を踏み出す。そうすることで、悲しい思いをした過去の自分が、そのつどひとり浮かばれる気がする。助けてもらえなかった過去のダリオたちが、ダリオの現在の行動で、同じ思いをする人間を一人減らせたのはよかったなと肩を叩いて、昇華される。
 しかし、問題は『今』だ。
 やり過ごせるだろうか――現実的にようやく考え始めて、それから。
 ドアノブが激しくガチャガチャといじられる。
『俺だよ俺俺だよ俺おれおれ俺おれおれ俺おれおれ俺俺おれおれ俺だよおれ』
 ガコッ、と凄まじい異音がした。
 扉の外で、何かが、がこがぎがごぐぎ、と悲鳴も許さぬように圧縮されていく音だ。
 ダリオは一歩後ろに引いた。
 体が硬直する。
 いつの間にか呼び鈴の音は止んでいた。
 外に何かいる。公園で目が合ったやせ型の男の姿をした怪異ではない。違う。もっと大きい、もっと恐ろしい。
「……」
 外の何かは沈黙した。薄い扉越しだ。ダリオは孔があくほどに扉を凝視した。ドアスコープをのぞかなくても分かる。
 何かしゃべるかと思った。ダリオのけはいをそれは沈黙して強く痺れるほどに伺っている。だが結局、その沈黙は解かれることはなかった。
 何一つそれは言葉を発することもなく、やがてその強いけはいは、はじめからなかったかのように遠ざかった。
 ダリオは言葉を失ったように、しばしその場に根を下ろして動かずドアを見つめる。
「なんだよ……」
 ようやく小さな声を漏らした時には、彼は打ちのめされていた。恐怖にではない。恐怖ではなかった。
 最初は恐ろしく思い、怒り、忌避して、相手が理性のある言葉の通じるタイプの怪異とわかってからは、とにかく無視することに決めた。
 当初、困惑しているように見えた――何故拒否されるのか分からないような。
 力のある連中にありがちなしぐさだ。
 ダリオが抵抗すると、何故そうするのか分からないような顔をする。下手すると逆上される。
 でも、そうじゃなかったよな。
 拉致監禁後解放された後、けろっと近づいて来た時には、思い切り嫌な顔をした。
 それもやっぱり困惑しているようで、特に危害を加えてくることはなく、いつの間にか姿を現さなくなった。
 時折、見られているようなけはいは感じて、不快だという態度を隠さなければ、そちらも遠ざかった。
 誰も助けてくれなかった。
 誰も。
 今更、こんな風に黙って助けられ、何も言わずに献身的なことをされると、いやストーカーを別のストーカーが退治したからって心許すのやばいぞという思いとは裏腹に、胸に重い石がいくつもつまって、まるで誰からも助けてもらえないことよりももっと悲しくなってしまう。
 あの青年は、黙ってドアの外に立っていたのだろうか。
 その姿を考えるだけで、ダリオは扉を開けて、中に入ってくれとどうして言わなかったのだろうかと。
 いや、でも相手は拉致監禁してきた奴だぞ、と相反する声に、頭を振った。
 どうしても、青年の立ち尽くす姿が脳裏から消えなくて、とにかく風呂に入って明日の――もう今日の準備をしなければと無理やり気持ちを切り替えた。
 それから、翌日、もといその日に、イーストシティ・ポリスの刑事二人組が、ダリオを訪ねてくることになる。
 つまり、こなれた一級刑事がグレードバッジを見せつけるようにして、アディラ・ハントの昨晩殺害と聞き取り調査に訪れたのだった――
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