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その後
小石と持ち主 後編
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至さんは次の日、考え込みモードのまま出社していった。
いってらっしゃいのちゅーのときだけいきなり自我を取り戻し、舌を入れてこようとしたので、両頬をぺちんとやってもぎ離した。
至さんは残念そうな顔で出て行った。残念なコワモテ美形だ。
「就職かぁ……」
大学の講義を三限まで受けてからバイト先へ出勤した。
ブラインドカーテン越しでもあたたかいとわかる日差しを感じながら、任されたデータ入力を進める。
この作業はとても単調なので、時折考えごとが挟まる。キーボードをかたことやりながら、将来に思考を散逸させていく。
至さんの口ぶりからして、彼のいる事務所に就職するとすれば、ぼくの仕事自体はあまり変わりなさそうだ。至さんの就職した建築事務所で役立てそうな資格をぼくは持っていないし、取れそうもない。たぶん事務員。
でも今のご時世、特筆すべきスキルのない平凡な大学生を競争もなく内定出してくれるところ、実在するだろうか。至さんが勝手に言ってるだけじゃない?
年齢を重ねてますます反社会的組織構成員みに拍車がかかってきたぼくの同居人は、いかにも他人を騙してお金を得ていそうだが、実は意外と真っ当なのだ。ちなみにいっしょに出かけるとそうでもないが、至さん単品だとまぁまぁ職務質問されるらしい。
仮に至さんの言う職場と内定が実在しているとして、職務内容がほとんど同じだとする。
そうなると、今の事務所でそのまま正社員にしてもらうほうが、覚えることもやることもわかっているし、仲間も顔見知りだ。
転職する利点としては、向こうには至さんがいる、という点だが。
……これ以上ないメリットだ。ちょっとよだれ出そうになった。
いや待て、欲に流されて新卒という貴重なパイをなげうつわけにいかない。やっぱり詳細を聞かないことには。
「律紀、入力終わった?」
「終わりました」
悶々と考え込んでいても、仕事は終わらせる。すでに社会人としての素養が華開きつつある。
入力済みのファイルを共有にアップロードすると、ぼくに話しかけてきた社員……ぼくの縁故採用元である、叔父さんがにこにこしながら紙コップを差し出してきた。
叔父さんのデザイン事務所は、規模は小さいけどそのぶん隅々まで行き届いていて、おしゃれな内装やこだわった照明、備えつけのコーヒーマシンからはカフェオレもエスプレッソも出る。置き菓子コーナーも年内設置予定。
いかにも新進気鋭なデザイン事務所の所長は、ばりばり仕事できるわりにふんわり笑うひとで、そこは父に似ている。一方で趣味がキャンプとスノボ。インドアの父とは顔しか血のつながりがない。
「そうだ律紀。例の件、考えてくれたか?」
「あ……それが、その」
ぼくはなるべく詳細をぼかして、内定を出してくれるかもしれないところがあると伝えた。
お付き合いしている男に関する事柄は、男の存在ごとすべて削除した。
隠しごとのあるコーヒーはほろ苦い。
叔父さんはひとしきり感心して、甥っ子が優秀で嬉しいなどとお世辞でおだて、紙コップコーヒーをすする。
「選択肢は多いほうがいい。でも律紀、建築なんて思い切ったね。なにか勉強してたの?」
「うぅん。その会社に先輩が勤めてて、面倒見てくれるって言うから。でも、迷ってる」
「なるほどなぁ」
叔父は一瞬だけ渋い顔をしたように見えた。
「でもさ、律紀……」
そのとき叔父さんと話したことを、自分なりに咀嚼した。
やりたいこと、やれること、やらなきゃいけないこと。考えるべきことはたくさんあるのに、なにも考えず大学を決め、就活もはじめようとしていたように思う。
大学入学前にこの結論にたどり着くのは無理だったろう。
ぼくは矮小な小石で、将来のことなんて一週間先すらよくわかっていなかった。やりたいことはわからず、やれることもないと思い込み、やらなきゃいけないことだけ追いかけてた。
でも今ならば。やれることが増えて、やれるという自信もついて、やりたいことが見つかった。
そのうえでやらなきゃいけないのは、小さな小石であっても、転がるための向きだけは自分で決めなきゃいけないということ。
だからぼくは、至さんときちんと話さなきゃいけない。
「至さん。お話があります」
「いやだ別れない」
「えっ」
ラグの上に正座でお迎えしたぼくに向けられた第一声がそれ。
至さんはなにかを盛大に勘違いしているようで、ぼくの両肩を馬鹿力でわし掴み「なんで急にそんなこと言うの、なにが不満なの」とまくしたてる。
「やっぱり最後までするのが負担だった? 気持ちよくなかった?」
「気持ちよかったよ」
なんてこと言わすんだ。そうじゃなくて。
「あのね至さん。別れ話じゃないよ。こないだ言ってた、就活の話」
「……あぁ、なんだ」
至さんはいきなりトーンダウンしてラグに座り込んだ。
というか、もし別れ話をするつもりで待ってたとしたら、正座で三つ指ついてたらもう三行半確定演出でしょ。今さら回避無理だよ。
「結論から言うと、至さんの職場で内定出してもらうって話をお断りしたいってことなんです」
「理由、聞いていい?」
「今のところでやりたいことあるんだ」
ぼくは一般的な文系学部生で、事務はできてもデザインはまるきり素人だ。
でも叔父さんはぼくがデザインをやってみたいなら応援できると言ってくれた。ぼく自身、以前よりずっとデザイナーの仕事に興味がある。
叔父さんみたいに、ひとりで身を立ててひとを率いることができるくらいの存在になれるとまでは驕らないけれど、チャレンジしてみたいと思っている自分に、気づいてしまった。
「だから、今のバイト先で社員採用を目指したいと思う。至さんのくれたお話は嬉しかったけど……ごめんなさい」
「いいよ。やりたいこと見つかったんだな」
「はい」
至さんはぼくに合わせて正座していた足をあぐらに崩した。
気負いのない声で「あれから考えた」とつぶやく。
「俺、空回ってたなって。リツをなにがなんでも手元に置かなきゃって、それしか見えてなかった」
「ぼく、ずっと至さんのものだよ」
「それを心配してるんじゃないけど、なんかなぁ、どうしても安心しきれない。がんじがらめに縛って、どこへも行かないようにしたくなる」
指先を合わせて組まれていた至さんの手が、そっとなにかを押し包むように閉じられる。
それがまるで、ジュエリーボックスのなかに宝物を閉じ込めるような仕草で、ぼくはなぜだか背筋が震えた。
「俺が建築士になろうとしたきっかけ、言ったっけ」
「聞いたことないかも」
「うん……父親がそうでさ、昔は憧れてた。でも浮気して母さんを捨てて出て行った。だから目指す気が失せて、進む道も見失ってた。……リツに会うまでは」
職に色も貴賎もないけれど、人には色がある。強く憧れていたからこそ、人への失望といっしょに夢も色褪せてしまった。
信じて追いかけていたものを同時に失って、荒れていた時期がちょうど、ぼくが至さんと初めて会った頃。
立っても歩いても女の子のアピールにぶつかる至さんはそっちのほうでも疲れ果てていて、なにもかも投げやりになっていたという。
「リツは男だし、そばには寄らせるくせにいつまでも警戒してくるから、女みたいなトラブルにならなそうだと思って安心できたのが最初だった」
「ぼく、近寄らないでって言ってなかったっけ?」
「そういえば言ってたな。聞かなかったけど」
「ひどい」
ぼくはその頃からもう至さんの包囲網に囲われつつあって怯えていた。
心もかたことかたこと鳴って不安で、近づきたくなかった。無駄な努力だったけど。
「あまりにもリツが怯えるもんだから、こいつかわいいなと思って」
「ひどすぎる」
「そういう目線で見てみると、外見も中身も好みだし、こりゃ逃す手はねぇと思って色々やったのに、気づかねーし、相変わらず逃げようとするし」
「だって先輩怖いんだもん。顔も雰囲気も」
「だから、閉じ込めようと思ったんだよ。物理的に」
ぼく今ぼくが主人公のホラーストーリーを聞かされてる?
「ひとひとり閉じ込めるためにはさ、金がいるじゃん。できれば地位も。んで、建築士ならどっちも早い段階で手に入るなと考え直して。なんなら箱も。少し前に一級の資格が早く取れるようになったのと、身内に実物がいるのも後押しになった」
半分くらい身の毛がよだつ恐怖エピソードだけど、もう半分はとても興味深い話だった。
動機はどうあれ、至さんが再び夢を追いかけることができて、そのきっかけになれたというのなら光栄だ。ポジティブな面だけ捉えれば、だけど。
「けどリツが、大学とかバイトとかでのびのび過ごしてるの見て焦った。俺が出かけてる間に、俺のことなんて忘れてどっか行っちまいそうで。だからせめて仕事場をいっしょにしちまえば安心できるかも、ってな」
「ぼくは至さんのなんだから、至さんのこと忘れて出かけたりしないよ」
「そか。かわいいなリツは」
髪をわしわし撫でられる。ぼくはその手を捕まえて、指先にちゅっとやった。
「ぼく、ごくつぶしにならないように仕事はしなきゃだから、閉じ込められてあげるのはできないけど、至さんとこに帰ってくるよ。絶対」
「俺が閉じ込めてやるならごくつぶしとは呼ばないと思うが、それでもだめか?」
「んー。大学行くの楽しいし、仕事もやってみたいし」
「やっぱだめか」
残念そうに笑う至さんを見て、これはわりと本気で言っているのかもしれない、と思い直す。
本気でぼくを外に出したくないのに、我慢して譲ってくれているのだとしたら、ぼくも相応の気持ちを返したい。
「至さんが本当にぼくを閉じ込めても生活が成り立つようになったら、閉じ込めていいよ」
至さんの目の色が変わった。
「……本気か、リツ。そんなこと言ったら、俺は……」
「いーよ、ぼくは至さんのだから。でもぼくをごくつぶしにするなら、至さんもぼくだけ見てお世話するって約束してほしいな」
なんの役にも立たない小石にされてしまったら、至さんに見捨てられた時点でぼくに未来はない。
それなら、至さん専用のぼくと対等に、ぼく専用の至さんであってほしい。
でも、ぼくには過ぎた望みかもしれない。不安になってちらりと垣間見ると、至さんは「その手があったか」などとぼそぼそつぶやいて、それから向き直った。真剣なひと呼吸、ぎらぎらした目。
「リツ、約束する。リツが俺のものであるように、俺もリツのものだ」
「ほんと?」
「ずっと言ってるのに信じてないのはリツだけだ」
至さんの言葉がじんわりと沁み入ってきて、ぼくはほわんと夢見心地になった。
なんて素敵なんだろう。至さんがぼくだけ、だなんて。
ぼくと至さんだけで完結する世界。
そしたらぼくは排水溝の底へ落ちることもなく、ずっと捨てられずに、あの大きな手で包み込んでもらったまま、幸せに朽ちていくことができる。
思い浮かべる。
至さんがぼくをベルベットの小箱にしまって、大事に大事にしてくれるところを。
手のひらのうえに乗せられて、ほんのり至さんの体温になじませられて、わずかにかさつく指先で撫でてもらいながら、少しずつ剥落して磨耗して、小さく削れていくぼくを。
なんて嬉しい未来だろう。
空想を描いて心をあたためていたら、なんだか体まであたたかくなってきた。ほっぺたがあつい。
「至さん、ぼく熱が出たみたいだから寝るね」
「はっ!? え、な、この短時間でなにがあった!?」
ぼくはさらっと事実だけを述べたのだけど、至さんはとても慌てた。
おでこにおでこをぶつけて「たしかにほんのり熱い。なんでだ?」と首を傾げ、念のため体温計を引っ張り出してきたけど、ぼくのこれは知恵熱みたいなもので、計器に出るほどの発熱はないようだった。
頬を赤くしているぼくをそっとベッドに連れていって、毛布にくるくる包んでくれる。
「はぁ。せっかく最高の雰囲気だったのに、これじゃお預けだな」
「えっちする?」
「するわけないだろ、寝ろ」
「でも至さん、ぼくたぶん興奮してるから熱が出てるんだと思うよ」
まったく不可解で理解できないという顔をされたので解説した。至さんの言葉が嬉しくて、幸せな未来を想像して、体がかーっと熱くなったことを。
至さんは溜め息をついて頭を振っていた。
理解はしたけど理解できない、みたいな歯にものが挟まった顔だ。
「じゃあ、まぁ……するか?」
「する」
手を伸ばすとひんやり温度差のある至さんが腕の中に転がり落ちてきた。
唇も舌も、いつもは至さんのほうが熱いのに今日はふしぎ。
もそもそと服を脱ぐと、どこまでも触られて、次第に体温の差がなくなる。
あったかい至さんにぎゅっとされたまま、熱い至さんをねじ込まれて身もだえる。
中に入ってくる感覚にぼくの気持ちはまだ慣れないのに、ぼくの体はすっかりやりかたを把握しているようで、勝手にやわらかくほころんでびくびく跳ねる。
「リツ、きもちいいか?」
「ん……きもちい。至さんすき……ぼくの、ぼくだけの至さん……」
「あぁ、俺たちはこの先もずっとお互いだけ。だからリツが全部受け止めてくれるよな?」
「……えっ」
腰を揺さぶられると、奥の奥がものすごい衝撃を与えてくる。頭が真っ白になる。勝手に変な声が出て、体が勝手に逃げを打ち、力強い腕で引き戻される。
「覚悟しろよ、リツ」
全然覚悟できてませんでした。
さんざん鳴かされて、逃げようとしても大きな体で抱き込まれると逃げようがなく、磔にされるように串刺しにされて揺さぶられて、骨の髄までわからされた。
ぼくが至さんだけの専用になったみたいに、至さんもぼく専用、という事実を。
その代わり、肉欲のほうもぼくが全部負担することになったっぽい。覚悟できてるはずない。
誰かさんと違ってぼくは昨日初貫通したばかりのぽやぽや初心者なのだ。
「うぅ……腰、立たない……足も……」
「悪かったって。ほら腕上げろ」
「んー」
「来週の休みにもするからな。最低4回」
「よ……よんかい……?」
聞かなかったことにしよ。
ぼくは心置きなくだらけて、やりすぎた自覚のある至さんをこき使って体を拭かせたり、家事をさせたりした。
ぼくよりずっと大きくて強い至さんをこのように扱える日があるのなら、腰がたがたにされても許せる、かもしれない。いやでもどうかな。4回だぞ。
「……ふふ」
ちょっとだけ意地悪く笑ってしまう。だってあの至さんが、ぼくの機嫌をうかがいながらくるくると立ち回っている。立ってるだけで偉そうなあのひとが。
そうして、気づく。
いつのまにか、ぼくを至さんに捧げるだけじゃなく、至さんを欲しいと思っていた。
でも叶わないと決めつけて、子どものように拗ねていた。
何度も何度も言葉を尽くして、何度も何度も教え込んでくれた至さんに、ぼくの中の駄々っ子がついに根負けしてしまったのだ。
負かしたからにはぼくのこと、ずっと大事に持っててくれなきゃ困る。
「日当たりのいいところに置いてね」
恋人が駆け回る音を聞きながらゆったりとまどろむ。
眠りに落ちる前のぼくのつぶやきが、至さんを疑問符だらけにしてしまったと気づくのは、午睡のあとのぼくとなった。
いってらっしゃいのちゅーのときだけいきなり自我を取り戻し、舌を入れてこようとしたので、両頬をぺちんとやってもぎ離した。
至さんは残念そうな顔で出て行った。残念なコワモテ美形だ。
「就職かぁ……」
大学の講義を三限まで受けてからバイト先へ出勤した。
ブラインドカーテン越しでもあたたかいとわかる日差しを感じながら、任されたデータ入力を進める。
この作業はとても単調なので、時折考えごとが挟まる。キーボードをかたことやりながら、将来に思考を散逸させていく。
至さんの口ぶりからして、彼のいる事務所に就職するとすれば、ぼくの仕事自体はあまり変わりなさそうだ。至さんの就職した建築事務所で役立てそうな資格をぼくは持っていないし、取れそうもない。たぶん事務員。
でも今のご時世、特筆すべきスキルのない平凡な大学生を競争もなく内定出してくれるところ、実在するだろうか。至さんが勝手に言ってるだけじゃない?
年齢を重ねてますます反社会的組織構成員みに拍車がかかってきたぼくの同居人は、いかにも他人を騙してお金を得ていそうだが、実は意外と真っ当なのだ。ちなみにいっしょに出かけるとそうでもないが、至さん単品だとまぁまぁ職務質問されるらしい。
仮に至さんの言う職場と内定が実在しているとして、職務内容がほとんど同じだとする。
そうなると、今の事務所でそのまま正社員にしてもらうほうが、覚えることもやることもわかっているし、仲間も顔見知りだ。
転職する利点としては、向こうには至さんがいる、という点だが。
……これ以上ないメリットだ。ちょっとよだれ出そうになった。
いや待て、欲に流されて新卒という貴重なパイをなげうつわけにいかない。やっぱり詳細を聞かないことには。
「律紀、入力終わった?」
「終わりました」
悶々と考え込んでいても、仕事は終わらせる。すでに社会人としての素養が華開きつつある。
入力済みのファイルを共有にアップロードすると、ぼくに話しかけてきた社員……ぼくの縁故採用元である、叔父さんがにこにこしながら紙コップを差し出してきた。
叔父さんのデザイン事務所は、規模は小さいけどそのぶん隅々まで行き届いていて、おしゃれな内装やこだわった照明、備えつけのコーヒーマシンからはカフェオレもエスプレッソも出る。置き菓子コーナーも年内設置予定。
いかにも新進気鋭なデザイン事務所の所長は、ばりばり仕事できるわりにふんわり笑うひとで、そこは父に似ている。一方で趣味がキャンプとスノボ。インドアの父とは顔しか血のつながりがない。
「そうだ律紀。例の件、考えてくれたか?」
「あ……それが、その」
ぼくはなるべく詳細をぼかして、内定を出してくれるかもしれないところがあると伝えた。
お付き合いしている男に関する事柄は、男の存在ごとすべて削除した。
隠しごとのあるコーヒーはほろ苦い。
叔父さんはひとしきり感心して、甥っ子が優秀で嬉しいなどとお世辞でおだて、紙コップコーヒーをすする。
「選択肢は多いほうがいい。でも律紀、建築なんて思い切ったね。なにか勉強してたの?」
「うぅん。その会社に先輩が勤めてて、面倒見てくれるって言うから。でも、迷ってる」
「なるほどなぁ」
叔父は一瞬だけ渋い顔をしたように見えた。
「でもさ、律紀……」
そのとき叔父さんと話したことを、自分なりに咀嚼した。
やりたいこと、やれること、やらなきゃいけないこと。考えるべきことはたくさんあるのに、なにも考えず大学を決め、就活もはじめようとしていたように思う。
大学入学前にこの結論にたどり着くのは無理だったろう。
ぼくは矮小な小石で、将来のことなんて一週間先すらよくわかっていなかった。やりたいことはわからず、やれることもないと思い込み、やらなきゃいけないことだけ追いかけてた。
でも今ならば。やれることが増えて、やれるという自信もついて、やりたいことが見つかった。
そのうえでやらなきゃいけないのは、小さな小石であっても、転がるための向きだけは自分で決めなきゃいけないということ。
だからぼくは、至さんときちんと話さなきゃいけない。
「至さん。お話があります」
「いやだ別れない」
「えっ」
ラグの上に正座でお迎えしたぼくに向けられた第一声がそれ。
至さんはなにかを盛大に勘違いしているようで、ぼくの両肩を馬鹿力でわし掴み「なんで急にそんなこと言うの、なにが不満なの」とまくしたてる。
「やっぱり最後までするのが負担だった? 気持ちよくなかった?」
「気持ちよかったよ」
なんてこと言わすんだ。そうじゃなくて。
「あのね至さん。別れ話じゃないよ。こないだ言ってた、就活の話」
「……あぁ、なんだ」
至さんはいきなりトーンダウンしてラグに座り込んだ。
というか、もし別れ話をするつもりで待ってたとしたら、正座で三つ指ついてたらもう三行半確定演出でしょ。今さら回避無理だよ。
「結論から言うと、至さんの職場で内定出してもらうって話をお断りしたいってことなんです」
「理由、聞いていい?」
「今のところでやりたいことあるんだ」
ぼくは一般的な文系学部生で、事務はできてもデザインはまるきり素人だ。
でも叔父さんはぼくがデザインをやってみたいなら応援できると言ってくれた。ぼく自身、以前よりずっとデザイナーの仕事に興味がある。
叔父さんみたいに、ひとりで身を立ててひとを率いることができるくらいの存在になれるとまでは驕らないけれど、チャレンジしてみたいと思っている自分に、気づいてしまった。
「だから、今のバイト先で社員採用を目指したいと思う。至さんのくれたお話は嬉しかったけど……ごめんなさい」
「いいよ。やりたいこと見つかったんだな」
「はい」
至さんはぼくに合わせて正座していた足をあぐらに崩した。
気負いのない声で「あれから考えた」とつぶやく。
「俺、空回ってたなって。リツをなにがなんでも手元に置かなきゃって、それしか見えてなかった」
「ぼく、ずっと至さんのものだよ」
「それを心配してるんじゃないけど、なんかなぁ、どうしても安心しきれない。がんじがらめに縛って、どこへも行かないようにしたくなる」
指先を合わせて組まれていた至さんの手が、そっとなにかを押し包むように閉じられる。
それがまるで、ジュエリーボックスのなかに宝物を閉じ込めるような仕草で、ぼくはなぜだか背筋が震えた。
「俺が建築士になろうとしたきっかけ、言ったっけ」
「聞いたことないかも」
「うん……父親がそうでさ、昔は憧れてた。でも浮気して母さんを捨てて出て行った。だから目指す気が失せて、進む道も見失ってた。……リツに会うまでは」
職に色も貴賎もないけれど、人には色がある。強く憧れていたからこそ、人への失望といっしょに夢も色褪せてしまった。
信じて追いかけていたものを同時に失って、荒れていた時期がちょうど、ぼくが至さんと初めて会った頃。
立っても歩いても女の子のアピールにぶつかる至さんはそっちのほうでも疲れ果てていて、なにもかも投げやりになっていたという。
「リツは男だし、そばには寄らせるくせにいつまでも警戒してくるから、女みたいなトラブルにならなそうだと思って安心できたのが最初だった」
「ぼく、近寄らないでって言ってなかったっけ?」
「そういえば言ってたな。聞かなかったけど」
「ひどい」
ぼくはその頃からもう至さんの包囲網に囲われつつあって怯えていた。
心もかたことかたこと鳴って不安で、近づきたくなかった。無駄な努力だったけど。
「あまりにもリツが怯えるもんだから、こいつかわいいなと思って」
「ひどすぎる」
「そういう目線で見てみると、外見も中身も好みだし、こりゃ逃す手はねぇと思って色々やったのに、気づかねーし、相変わらず逃げようとするし」
「だって先輩怖いんだもん。顔も雰囲気も」
「だから、閉じ込めようと思ったんだよ。物理的に」
ぼく今ぼくが主人公のホラーストーリーを聞かされてる?
「ひとひとり閉じ込めるためにはさ、金がいるじゃん。できれば地位も。んで、建築士ならどっちも早い段階で手に入るなと考え直して。なんなら箱も。少し前に一級の資格が早く取れるようになったのと、身内に実物がいるのも後押しになった」
半分くらい身の毛がよだつ恐怖エピソードだけど、もう半分はとても興味深い話だった。
動機はどうあれ、至さんが再び夢を追いかけることができて、そのきっかけになれたというのなら光栄だ。ポジティブな面だけ捉えれば、だけど。
「けどリツが、大学とかバイトとかでのびのび過ごしてるの見て焦った。俺が出かけてる間に、俺のことなんて忘れてどっか行っちまいそうで。だからせめて仕事場をいっしょにしちまえば安心できるかも、ってな」
「ぼくは至さんのなんだから、至さんのこと忘れて出かけたりしないよ」
「そか。かわいいなリツは」
髪をわしわし撫でられる。ぼくはその手を捕まえて、指先にちゅっとやった。
「ぼく、ごくつぶしにならないように仕事はしなきゃだから、閉じ込められてあげるのはできないけど、至さんとこに帰ってくるよ。絶対」
「俺が閉じ込めてやるならごくつぶしとは呼ばないと思うが、それでもだめか?」
「んー。大学行くの楽しいし、仕事もやってみたいし」
「やっぱだめか」
残念そうに笑う至さんを見て、これはわりと本気で言っているのかもしれない、と思い直す。
本気でぼくを外に出したくないのに、我慢して譲ってくれているのだとしたら、ぼくも相応の気持ちを返したい。
「至さんが本当にぼくを閉じ込めても生活が成り立つようになったら、閉じ込めていいよ」
至さんの目の色が変わった。
「……本気か、リツ。そんなこと言ったら、俺は……」
「いーよ、ぼくは至さんのだから。でもぼくをごくつぶしにするなら、至さんもぼくだけ見てお世話するって約束してほしいな」
なんの役にも立たない小石にされてしまったら、至さんに見捨てられた時点でぼくに未来はない。
それなら、至さん専用のぼくと対等に、ぼく専用の至さんであってほしい。
でも、ぼくには過ぎた望みかもしれない。不安になってちらりと垣間見ると、至さんは「その手があったか」などとぼそぼそつぶやいて、それから向き直った。真剣なひと呼吸、ぎらぎらした目。
「リツ、約束する。リツが俺のものであるように、俺もリツのものだ」
「ほんと?」
「ずっと言ってるのに信じてないのはリツだけだ」
至さんの言葉がじんわりと沁み入ってきて、ぼくはほわんと夢見心地になった。
なんて素敵なんだろう。至さんがぼくだけ、だなんて。
ぼくと至さんだけで完結する世界。
そしたらぼくは排水溝の底へ落ちることもなく、ずっと捨てられずに、あの大きな手で包み込んでもらったまま、幸せに朽ちていくことができる。
思い浮かべる。
至さんがぼくをベルベットの小箱にしまって、大事に大事にしてくれるところを。
手のひらのうえに乗せられて、ほんのり至さんの体温になじませられて、わずかにかさつく指先で撫でてもらいながら、少しずつ剥落して磨耗して、小さく削れていくぼくを。
なんて嬉しい未来だろう。
空想を描いて心をあたためていたら、なんだか体まであたたかくなってきた。ほっぺたがあつい。
「至さん、ぼく熱が出たみたいだから寝るね」
「はっ!? え、な、この短時間でなにがあった!?」
ぼくはさらっと事実だけを述べたのだけど、至さんはとても慌てた。
おでこにおでこをぶつけて「たしかにほんのり熱い。なんでだ?」と首を傾げ、念のため体温計を引っ張り出してきたけど、ぼくのこれは知恵熱みたいなもので、計器に出るほどの発熱はないようだった。
頬を赤くしているぼくをそっとベッドに連れていって、毛布にくるくる包んでくれる。
「はぁ。せっかく最高の雰囲気だったのに、これじゃお預けだな」
「えっちする?」
「するわけないだろ、寝ろ」
「でも至さん、ぼくたぶん興奮してるから熱が出てるんだと思うよ」
まったく不可解で理解できないという顔をされたので解説した。至さんの言葉が嬉しくて、幸せな未来を想像して、体がかーっと熱くなったことを。
至さんは溜め息をついて頭を振っていた。
理解はしたけど理解できない、みたいな歯にものが挟まった顔だ。
「じゃあ、まぁ……するか?」
「する」
手を伸ばすとひんやり温度差のある至さんが腕の中に転がり落ちてきた。
唇も舌も、いつもは至さんのほうが熱いのに今日はふしぎ。
もそもそと服を脱ぐと、どこまでも触られて、次第に体温の差がなくなる。
あったかい至さんにぎゅっとされたまま、熱い至さんをねじ込まれて身もだえる。
中に入ってくる感覚にぼくの気持ちはまだ慣れないのに、ぼくの体はすっかりやりかたを把握しているようで、勝手にやわらかくほころんでびくびく跳ねる。
「リツ、きもちいいか?」
「ん……きもちい。至さんすき……ぼくの、ぼくだけの至さん……」
「あぁ、俺たちはこの先もずっとお互いだけ。だからリツが全部受け止めてくれるよな?」
「……えっ」
腰を揺さぶられると、奥の奥がものすごい衝撃を与えてくる。頭が真っ白になる。勝手に変な声が出て、体が勝手に逃げを打ち、力強い腕で引き戻される。
「覚悟しろよ、リツ」
全然覚悟できてませんでした。
さんざん鳴かされて、逃げようとしても大きな体で抱き込まれると逃げようがなく、磔にされるように串刺しにされて揺さぶられて、骨の髄までわからされた。
ぼくが至さんだけの専用になったみたいに、至さんもぼく専用、という事実を。
その代わり、肉欲のほうもぼくが全部負担することになったっぽい。覚悟できてるはずない。
誰かさんと違ってぼくは昨日初貫通したばかりのぽやぽや初心者なのだ。
「うぅ……腰、立たない……足も……」
「悪かったって。ほら腕上げろ」
「んー」
「来週の休みにもするからな。最低4回」
「よ……よんかい……?」
聞かなかったことにしよ。
ぼくは心置きなくだらけて、やりすぎた自覚のある至さんをこき使って体を拭かせたり、家事をさせたりした。
ぼくよりずっと大きくて強い至さんをこのように扱える日があるのなら、腰がたがたにされても許せる、かもしれない。いやでもどうかな。4回だぞ。
「……ふふ」
ちょっとだけ意地悪く笑ってしまう。だってあの至さんが、ぼくの機嫌をうかがいながらくるくると立ち回っている。立ってるだけで偉そうなあのひとが。
そうして、気づく。
いつのまにか、ぼくを至さんに捧げるだけじゃなく、至さんを欲しいと思っていた。
でも叶わないと決めつけて、子どものように拗ねていた。
何度も何度も言葉を尽くして、何度も何度も教え込んでくれた至さんに、ぼくの中の駄々っ子がついに根負けしてしまったのだ。
負かしたからにはぼくのこと、ずっと大事に持っててくれなきゃ困る。
「日当たりのいいところに置いてね」
恋人が駆け回る音を聞きながらゆったりとまどろむ。
眠りに落ちる前のぼくのつぶやきが、至さんを疑問符だらけにしてしまったと気づくのは、午睡のあとのぼくとなった。
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日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する幼少中高大院までの一貫校だ。しかし学校の規模に見合わず生徒数は一学年300人程の少人数の学院で、他とは少し違う校風の学院でもある。
そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語
姉の男友達に恋をした僕(番外編更新)
turarin
BL
侯爵家嫡男のポールは姉のユリアが大好き。身体が弱くて小さかったポールは、文武両道で、美しくて優しい一つ年上の姉に、ずっと憧れている。
徐々に体も丈夫になり、少しずつ自分に自信を持てるようになった頃、姉が同級生を家に連れて来た。公爵家の次男マークである。
彼も姉同様、何でも出来て、その上性格までいい、美しい男だ。
一目彼を見た時からポールは彼に惹かれた。初恋だった。
ただマークの傍にいたくて、勉強も頑張り、生徒会に入った。一緒にいる時間が増える。マークもまんざらでもない様子で、ポールを構い倒す。ポールは嬉しくてしかたない。
その様子を苛立たし気に見ているのがポールと同級の親友アンドルー。学力でも剣でも実力が拮抗する2人は一緒に行動することが多い。
そんなある日、転入して来た男爵令嬢にアンドルーがしつこくつきまとわれる。その姿がポールの心に激しい怒りを巻き起こす。自分の心に沸き上がる激しい気持に驚くポール。
時が経ち、マークは遂にユリアにプロポーズをする。ユリアの答えは?
ポールが気になって仕方ないアンドルー。実は、ユリアにもポールにも両方に気持が向いているマーク。初恋のマークと、いつも傍にいてくれるアンドルー。ポールが本当に幸せになるにはどちらを選ぶ?
読んでくださった方ありがとうございます😊
♥もすごく嬉しいです。
不定期ですが番外編更新していきます!
【完結】好きじゃないけど、付き合ってみる?
海野雫
BL
大学3年の直人(なおと)は、恋愛経験ゼロ。人付き合いは苦手ではないが、誰かを「好きになる」感情がよくわからない。付き合ってる友人たちを見ても、自分には縁のない話だと思っていた。
ある日、部活の後輩である健(けん)が「一緒にルームシェアしませんか?」と持ちかけてくる。引っ越しを考えていた直人は、悪くない条件にOKを出し、ふたりの同居生活が始まる。
快適すぎる日々。健は料理も掃除もできて、適度に距離を保ってくれる最高のルームメイト。
しかしある夜、健がポツリと呟く。
「……元カレ、まだ忘れられないんです」
「ねえ先輩。付き合ってみませんか?――“好きじゃなくてもいいから”」
からかわれていると思いながらも、冗談めかして了承してしまう直人。
それが、まさかの擬似恋人生活の始まりだった。
恋人ごっこなのに手をつないだり、映画を観に行ったり、肩を貸したり。
最初はただの遊びだったのに、直人はだんだん健が笑うと嬉しくて、泣くと苦しいと感じるようになっていく。
一方、健は「直人に本気になってはいけない」と自分に言い聞かせていたが、直人の優しさや真面目さに、次第に惹かれ始める。
擬似恋人から始まった関係は、本物の「好き」に変わるのか?
本気になったとき、ふたりはどう答えを出すのか――。
【本編完結】才色兼備の幼馴染♂に振り回されるくらいなら、いっそ赤い糸で縛って欲しい。
ホマレ
BL
才色兼備で『氷の王子』と呼ばれる幼なじみ、藍と俺は気づけばいつも一緒にいた。
その関係が当たり前すぎて、壊れるなんて思ってなかった——藍が「彼女作ってもいい?」なんて言い出すまでは。
胸の奥がざわつき、藍が他の誰かに取られる想像だけで苦しくなる。
それでも「友達」のままでいられるならと思っていたのに、藍の言葉に行動に振り回されていく。
運命の赤い糸が見えていれば、この関係を紐解けるのに。
αからΩになった俺が幸せを掴むまで
なの
BL
柴田海、本名大嶋海里、21歳、今はオメガ、職業……オメガの出張風俗店勤務。
10年前、父が亡くなって新しいお義父さんと義兄貴ができた。
義兄貴は俺に優しくて、俺は大好きだった。
アルファと言われていた俺だったがある日熱を出してしまった。
義兄貴に看病されるうちにヒートのような症状が…
義兄貴と一線を超えてしまって逃げ出した。そんな海里は生きていくためにオメガの出張風俗店で働くようになった。
そんな海里が本当の幸せを掴むまで…
好きな人がカッコ良すぎて俺はそろそろ天に召されるかもしれない
豆ちよこ
BL
男子校に通う棚橋学斗にはとってもとっても気になる人がいた。同じクラスの葛西宏樹。
とにかく目を惹く葛西は超絶カッコいいんだ!
神様のご褒美か、はたまた気紛れかは知らないけど、隣同士の席になっちゃったからもう大変。ついつい気になってチラチラと見てしまう。
そんな学斗に、葛西もどうやら気付いているようで……。
□チャラ王子攻め
□天然おとぼけ受け
□ほのぼのスクールBL
タイトル前に◆◇のマークが付いてるものは、飛ばし読みしても問題ありません。
◆…葛西視点
◇…てっちゃん視点
pixivで連載中の私のお気に入りCPを、アルファさんのフォントで読みたくてお引越しさせました。
所々修正と大幅な加筆を加えながら、少しづつ公開していこうと思います。転載…、というより筋書きが同じの、新しいお話になってしまったかも。支部はプロット、こちらが本編と捉えて頂けたら良いかと思います。
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