小石の恋

キザキ ケイ

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その後

小石と持ち主 後編

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 至さんは次の日、考え込みモードのまま出社していった。
 いってらっしゃいのちゅーのときだけいきなり自我を取り戻し、舌を入れてこようとしたので、両頬をぺちんとやってもぎ離した。
 至さんは残念そうな顔で出て行った。残念なコワモテ美形だ。

「就職かぁ……」

 大学の講義を三限まで受けてからバイト先へ出勤した。
 ブラインドカーテン越しでもあたたかいとわかる日差しを感じながら、任されたデータ入力を進める。
 この作業はとても単調なので、時折考えごとが挟まる。キーボードをかたことやりながら、将来に思考を散逸させていく。
 至さんの口ぶりからして、彼のいる事務所に就職するとすれば、ぼくの仕事自体はあまり変わりなさそうだ。至さんの就職した建築事務所で役立てそうな資格をぼくは持っていないし、取れそうもない。たぶん事務員。
 でも今のご時世、特筆すべきスキルのない平凡な大学生を競争もなく内定出してくれるところ、実在するだろうか。至さんが勝手に言ってるだけじゃない? 
 年齢を重ねてますます反社会的組織構成員みに拍車がかかってきたぼくの同居人は、いかにも他人を騙してお金を得ていそうだが、実は意外と真っ当なのだ。ちなみにいっしょに出かけるとそうでもないが、至さん単品だとまぁまぁ職務質問されるらしい。
 仮に至さんの言う職場と内定が実在しているとして、職務内容がほとんど同じだとする。
 そうなると、今の事務所でそのまま正社員にしてもらうほうが、覚えることもやることもわかっているし、仲間も顔見知りだ。
 転職する利点としては、向こうには至さんがいる、という点だが。
 ……これ以上ないメリットだ。ちょっとよだれ出そうになった。
 いや待て、欲に流されて新卒という貴重なパイをなげうつわけにいかない。やっぱり詳細を聞かないことには。

「律紀、入力終わった?」
「終わりました」

 悶々と考え込んでいても、仕事は終わらせる。すでに社会人としての素養が華開きつつある。
 入力済みのファイルを共有にアップロードすると、ぼくに話しかけてきた社員……ぼくの縁故採用元である、叔父さんがにこにこしながら紙コップを差し出してきた。
 叔父さんのデザイン事務所は、規模は小さいけどそのぶん隅々まで行き届いていて、おしゃれな内装やこだわった照明、備えつけのコーヒーマシンからはカフェオレもエスプレッソも出る。置き菓子コーナーも年内設置予定。
 いかにも新進気鋭なデザイン事務所の所長は、ばりばり仕事できるわりにふんわり笑うひとで、そこは父に似ている。一方で趣味がキャンプとスノボ。インドアの父とは顔しか血のつながりがない。

「そうだ律紀りつき。例の件、考えてくれたか?」
「あ……それが、その」

 ぼくはなるべく詳細をぼかして、内定を出してくれるかもしれないところがあると伝えた。
 お付き合いしている男に関する事柄は、男の存在ごとすべて削除した。
 隠しごとのあるコーヒーはほろ苦い。
 叔父さんはひとしきり感心して、甥っ子が優秀で嬉しいなどとお世辞でおだて、紙コップコーヒーをすする。

「選択肢は多いほうがいい。でも律紀、建築なんて思い切ったね。なにか勉強してたの?」
「うぅん。その会社に先輩が勤めてて、面倒見てくれるって言うから。でも、迷ってる」
「なるほどなぁ」

 叔父は一瞬だけ渋い顔をしたように見えた。

「でもさ、律紀……」

 そのとき叔父さんと話したことを、自分なりに咀嚼した。
 やりたいこと、やれること、やらなきゃいけないこと。考えるべきことはたくさんあるのに、なにも考えず大学を決め、就活もはじめようとしていたように思う。
 大学入学前にこの結論にたどり着くのは無理だったろう。
 ぼくは矮小な小石で、将来のことなんて一週間先すらよくわかっていなかった。やりたいことはわからず、やれることもないと思い込み、やらなきゃいけないことだけ追いかけてた。
 でも今ならば。やれることが増えて、やれるという自信もついて、やりたいことが見つかった。
 そのうえでやらなきゃいけないのは、小さな小石であっても、転がるための向きだけは自分で決めなきゃいけないということ。
 だからぼくは、至さんときちんと話さなきゃいけない。

「至さん。お話があります」
「いやだ別れない」
「えっ」

 ラグの上に正座でお迎えしたぼくに向けられた第一声がそれ。
 至さんはなにかを盛大に勘違いしているようで、ぼくの両肩を馬鹿力でわし掴み「なんで急にそんなこと言うの、なにが不満なの」とまくしたてる。

「やっぱり最後までするのが負担だった? 気持ちよくなかった?」
「気持ちよかったよ」

 なんてこと言わすんだ。そうじゃなくて。

「あのね至さん。別れ話じゃないよ。こないだ言ってた、就活の話」
「……あぁ、なんだ」

 至さんはいきなりトーンダウンしてラグに座り込んだ。
 というか、もし別れ話をするつもりで待ってたとしたら、正座で三つ指ついてたらもう三行半確定演出でしょ。今さら回避無理だよ。

「結論から言うと、至さんの職場で内定出してもらうって話をお断りしたいってことなんです」
「理由、聞いていい?」
「今のところでやりたいことあるんだ」

 ぼくは一般的な文系学部生で、事務はできてもデザインはまるきり素人だ。
 でも叔父さんはぼくがデザインをやってみたいなら応援できると言ってくれた。ぼく自身、以前よりずっとデザイナーの仕事に興味がある。
 叔父さんみたいに、ひとりで身を立ててひとを率いることができるくらいの存在になれるとまでは驕らないけれど、チャレンジしてみたいと思っている自分に、気づいてしまった。

「だから、今のバイト先で社員採用を目指したいと思う。至さんのくれたお話は嬉しかったけど……ごめんなさい」
「いいよ。やりたいこと見つかったんだな」
「はい」

 至さんはぼくに合わせて正座していた足をあぐらに崩した。
 気負いのない声で「あれから考えた」とつぶやく。

「俺、空回ってたなって。リツをなにがなんでも手元に置かなきゃって、それしか見えてなかった」
「ぼく、ずっと至さんのものだよ」
「それを心配してるんじゃないけど、なんかなぁ、どうしても安心しきれない。がんじがらめに縛って、どこへも行かないようにしたくなる」

 指先を合わせて組まれていた至さんの手が、そっとなにかを押し包むように閉じられる。
 それがまるで、ジュエリーボックスのなかに宝物を閉じ込めるような仕草で、ぼくはなぜだか背筋が震えた。

「俺が建築士になろうとしたきっかけ、言ったっけ」
「聞いたことないかも」
「うん……父親がそうでさ、昔は憧れてた。でも浮気して母さんを捨てて出て行った。だから目指す気が失せて、進む道も見失ってた。……リツに会うまでは」

 職に色も貴賎もないけれど、人には色がある。強く憧れていたからこそ、人への失望といっしょに夢も色褪せてしまった。
 信じて追いかけていたものを同時に失って、荒れていた時期がちょうど、ぼくが至さんと初めて会った頃。
 立っても歩いても女の子のアピールにぶつかる至さんはそっちのほうでも疲れ果てていて、なにもかも投げやりになっていたという。

「リツは男だし、そばには寄らせるくせにいつまでも警戒してくるから、女みたいなトラブルにならなそうだと思って安心できたのが最初だった」
「ぼく、近寄らないでって言ってなかったっけ?」
「そういえば言ってたな。聞かなかったけど」
「ひどい」

 ぼくはその頃からもう至さんの包囲網に囲われつつあって怯えていた。
 心もかたことかたこと鳴って不安で、近づきたくなかった。無駄な努力だったけど。

「あまりにもリツが怯えるもんだから、こいつかわいいなと思って」
「ひどすぎる」
「そういう目線で見てみると、外見も中身も好みだし、こりゃ逃す手はねぇと思って色々やったのに、気づかねーし、相変わらず逃げようとするし」
「だって先輩怖いんだもん。顔も雰囲気も」
「だから、閉じ込めようと思ったんだよ。物理的に」

 ぼく今ぼくが主人公のホラーストーリーを聞かされてる? 

「ひとひとり閉じ込めるためにはさ、金がいるじゃん。できれば地位も。んで、建築士ならどっちも早い段階で手に入るなと考え直して。なんなら箱も。少し前に一級の資格が早く取れるようになったのと、身内に実物がいるのも後押しになった」

 半分くらい身の毛がよだつ恐怖エピソードだけど、もう半分はとても興味深い話だった。
 動機はどうあれ、至さんが再び夢を追いかけることができて、そのきっかけになれたというのなら光栄だ。ポジティブな面だけ捉えれば、だけど。

「けどリツが、大学とかバイトとかでのびのび過ごしてるの見て焦った。俺が出かけてる間に、俺のことなんて忘れてどっか行っちまいそうで。だからせめて仕事場をいっしょにしちまえば安心できるかも、ってな」
「ぼくは至さんのなんだから、至さんのこと忘れて出かけたりしないよ」
「そか。かわいいなリツは」

 髪をわしわし撫でられる。ぼくはその手を捕まえて、指先にちゅっとやった。

「ぼく、ごくつぶしにならないように仕事はしなきゃだから、閉じ込められてあげるのはできないけど、至さんとこに帰ってくるよ。絶対」
「俺が閉じ込めてやるならごくつぶしとは呼ばないと思うが、それでもだめか?」
「んー。大学行くの楽しいし、仕事もやってみたいし」
「やっぱだめか」

 残念そうに笑う至さんを見て、これはわりと本気で言っているのかもしれない、と思い直す。
 本気でぼくを外に出したくないのに、我慢して譲ってくれているのだとしたら、ぼくも相応の気持ちを返したい。

「至さんが本当にぼくを閉じ込めても生活が成り立つようになったら、閉じ込めていいよ」

 至さんの目の色が変わった。

「……本気か、リツ。そんなこと言ったら、俺は……」
「いーよ、ぼくは至さんのだから。でもぼくをごくつぶしにするなら、至さんもぼくだけ見てお世話するって約束してほしいな」

 なんの役にも立たない小石にされてしまったら、至さんに見捨てられた時点でぼくに未来はない。
 それなら、至さん専用のぼくと対等に、ぼく専用の至さんであってほしい。
 でも、ぼくには過ぎた望みかもしれない。不安になってちらりと垣間見ると、至さんは「その手があったか」などとぼそぼそつぶやいて、それから向き直った。真剣なひと呼吸、ぎらぎらした目。

「リツ、約束する。リツが俺のものであるように、俺もリツのものだ」
「ほんと?」
「ずっと言ってるのに信じてないのはリツだけだ」

 至さんの言葉がじんわりと沁み入ってきて、ぼくはほわんと夢見心地になった。
 なんて素敵なんだろう。至さんがぼくだけ、だなんて。
 ぼくと至さんだけで完結する世界。
 そしたらぼくは排水溝の底へ落ちることもなく、ずっと捨てられずに、あの大きな手で包み込んでもらったまま、幸せに朽ちていくことができる。
 思い浮かべる。
 至さんがぼくをベルベットの小箱にしまって、大事に大事にしてくれるところを。
 手のひらのうえに乗せられて、ほんのり至さんの体温になじませられて、わずかにかさつく指先で撫でてもらいながら、少しずつ剥落して磨耗して、小さく削れていくぼくを。
 なんて嬉しい未来だろう。
 空想を描いて心をあたためていたら、なんだか体まであたたかくなってきた。ほっぺたがあつい。

「至さん、ぼく熱が出たみたいだから寝るね」
「はっ!? え、な、この短時間でなにがあった!?」

 ぼくはさらっと事実だけを述べたのだけど、至さんはとても慌てた。
 おでこにおでこをぶつけて「たしかにほんのり熱い。なんでだ?」と首を傾げ、念のため体温計を引っ張り出してきたけど、ぼくのこれは知恵熱みたいなもので、計器に出るほどの発熱はないようだった。
 頬を赤くしているぼくをそっとベッドに連れていって、毛布にくるくる包んでくれる。

「はぁ。せっかく最高の雰囲気だったのに、これじゃお預けだな」
「えっちする?」
「するわけないだろ、寝ろ」
「でも至さん、ぼくたぶん興奮してるから熱が出てるんだと思うよ」

 まったく不可解で理解できないという顔をされたので解説した。至さんの言葉が嬉しくて、幸せな未来を想像して、体がかーっと熱くなったことを。
 至さんは溜め息をついて頭を振っていた。
 理解はしたけど理解できない、みたいな歯にものが挟まった顔だ。

「じゃあ、まぁ……するか?」
「する」

 手を伸ばすとひんやり温度差のある至さんが腕の中に転がり落ちてきた。
 唇も舌も、いつもは至さんのほうが熱いのに今日はふしぎ。
 もそもそと服を脱ぐと、どこまでも触られて、次第に体温の差がなくなる。
 あったかい至さんにぎゅっとされたまま、熱い至さんをねじ込まれて身もだえる。
 中に入ってくる感覚にぼくの気持ちはまだ慣れないのに、ぼくの体はすっかりやりかたを把握しているようで、勝手にやわらかくほころんでびくびく跳ねる。

「リツ、きもちいいか?」
「ん……きもちい。至さんすき……ぼくの、ぼくだけの至さん……」
「あぁ、俺たちはこの先もずっとお互いだけ。だからリツが全部受け止めてくれるよな?」
「……えっ」

 腰を揺さぶられると、奥の奥がものすごい衝撃を与えてくる。頭が真っ白になる。勝手に変な声が出て、体が勝手に逃げを打ち、力強い腕で引き戻される。

「覚悟しろよ、リツ」

 全然覚悟できてませんでした。
 さんざん鳴かされて、逃げようとしても大きな体で抱き込まれると逃げようがなく、磔にされるように串刺しにされて揺さぶられて、骨の髄までわからされた。
 ぼくが至さんだけの専用になったみたいに、至さんもぼく専用、という事実を。
 その代わり、肉欲のほうもぼくが全部負担することになったっぽい。覚悟できてるはずない。
 誰かさんと違ってぼくは昨日初貫通したばかりのぽやぽや初心者なのだ。

「うぅ……腰、立たない……足も……」
「悪かったって。ほら腕上げろ」
「んー」
「来週の休みにもするからな。最低4回」
「よ……よんかい……?」

 聞かなかったことにしよ。
 ぼくは心置きなくだらけて、やりすぎた自覚のある至さんをこき使って体を拭かせたり、家事をさせたりした。
 ぼくよりずっと大きくて強い至さんをこのように扱える日があるのなら、腰がたがたにされても許せる、かもしれない。いやでもどうかな。4回だぞ。

「……ふふ」

 ちょっとだけ意地悪く笑ってしまう。だってあの至さんが、ぼくの機嫌をうかがいながらくるくると立ち回っている。立ってるだけで偉そうなあのひとが。
 そうして、気づく。
 いつのまにか、ぼくを至さんに捧げるだけじゃなく、至さんを欲しいと思っていた。
 でも叶わないと決めつけて、子どものように拗ねていた。
 何度も何度も言葉を尽くして、何度も何度も教え込んでくれた至さんに、ぼくの中の駄々っ子がついに根負けしてしまったのだ。
 負かしたからにはぼくのこと、ずっと大事に持っててくれなきゃ困る。

「日当たりのいいところに置いてね」

 恋人が駆け回る音を聞きながらゆったりとまどろむ。
 眠りに落ちる前のぼくのつぶやきが、至さんを疑問符だらけにしてしまったと気づくのは、午睡のあとのぼくとなった。
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