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第3部 巴
第45話 夢の話。
しおりを挟むお昼を完全に過ぎると、賑わっていた店内は落ち着きを見せた。
「そうだ、文化祭と言えば、今年もアレ……やるんだって」
「もしかして、アレのことか……?」
俺たちの言う「アレ」とは、2日間にわたって開催される悠楽学園文化祭のメインイベントのことだ。2日目の午後から体育館で開催されるそのイベントの名は、「感謝の叫び」。誰かに感謝を伝えたい生徒がステージに立ち、それを大声で叫ぶ。と言うのは建前で、今日ではもっぱら生徒間の公開告白のイベントと化している。
何を隠そう、俺が小浦に2度目の告白をした舞台がそれなのだ。
「あの時は、ホントびっくりしちゃった……」
「じつは……花火大会で振られてから、ずっとあのタイミングを狙ってた……」
「そうだったの!? 青嶋くんって意外と計画性あるんだね」
「まぁ、結果はご存知の通りだけどな……」
小浦は少し間を置いて、俯きながら口を開いた。
「……あたしもこの際だから打ち明けるけど、実は結構迷ってたんだよ?」
「そうだったのか!?」
「……あの時、うんって言ってたら……今頃どうなってたのかな……」
小浦は、それ以上は話さなかった。すぐに話題を変えられてしまって、気付いたら食材の原価計算の話になっていた。俺からも、それ以上の追及なんて出来る筈なかった。
「もうこんな時間だね……」
たまだのオープン時刻が近づいてきた。随分と長居してしまったお店に感謝を伝えて外に出ると、もう夕日は沈みかかっていた。
「この時期はもうこんなに暗いんだな……」
「たまだに向かう前に、本屋さん寄ってもいい?」
「いいけど……なに買うんだ?」
「あたしも一応、勉強しとこうかなって……焼鳥」
「でも、火傷とかしたら大変だぞ?」
「だって、それじゃあ青嶋くんが休憩できる時間なくなっちゃうよ? せっかくの姫のメイド姿、見たいでしょ?」
「それはそうだけど……」
小浦舞はつくづく、天使だった。無神経に彼女を傷つけた俺に、まだこんなにも優しくしてくれる。俺を手伝ってくれて、支えてくれて、協力するとは口には出さずとも、恋愛のことまで応援してくれようとしているのだろうか。こんなの、天使どころの騒ぎじゃない。俺なんかの為に小浦の時間を使わせることに、拭いきれない罪悪感を感じた。
本屋で見繕った料理本を抱えた彼女は、「お待たせ」と言って俺の元へ小走りで駆け寄ってくる。その距離が縮まるにつれ、心が紐で縛られているかのように、キリキリと痛んだ。
たまだへと向かう道のりは、自転車を押しながら歩いていた。
「青嶋くん、なんか元気ないね? 疲れちゃった……?」
「いや、全然……こっちこそ付き合わせて悪いな、疲れてないか?」
「あたしはすっごく楽しかったよ? それにお客さんとしてバイト先に行くの初めてだし」
「じつは俺も……」
「もう1年くらいになるのに、行った事なかったんだ」
「こっちで晩飯食うなんて、賄い以外ではあんまりないからな……」
小浦は信号もない歩道で立ち止まると、俺の顔を覗き込む。
「やっぱり、なんか元気ない」
「そんなことないって……」
「そんな顔した人と一緒にご飯食べるの、なんか嫌だなー……」
彼女の薄目から送られる眼差しは、今の俺には、ピストルを向けられた方が幾分かマシだとすら思わせた。
「ごめん……じゃあ、また今度にするか?」
「ねぇ青嶋くん……」
「はい……」
「あたしね……? 小さい頃、歌手になりたかったんだぁ」
なんの脈絡もない話しを始めると、彼女は両手を広げて、俺の周りをうろうろと回りだした。
「え? 何の話……?」
「夢の話――でもね、小学校高学年になった頃には、その夢は、もう夢じゃなくなってた。別に……他にやりたい事が見つかった訳でもない。ただ、その思いがどっかにいっちゃったの……」
「唐突だな。俺も、幼稚園の時はパイロットになるって言ってた。どんな仕事なのかもよく分かってなかったけど、響きだけで……」
「ふふ……青嶋くんらしいね。……この間、青嶋くんに歌を褒められて、それを思い出したんだ。その時思ったの。人の想いとか、夢とかって……変わっていくんだって。でもそれは、全然悪いことじゃない。きっと自分が成長した証なんだって、思うことにした。今自分がしたいこととか、想ってる人を大切にするのが、一番なんだよ。過去は所詮、過去なんだから……」
こんなに饒舌に、淡々と自分の意見を述べる小浦を、初めて見た。
「つまり、どういう意味? ごめん俺、馬鹿だから……」
「……過去を振り返って悩むのは、勿体ないってこと。どうせ振り返るなら、楽しい思い出の方がいいでしょう?」
「そう考えると、後悔だらけだ、俺の人生……」
「だから今なんだよ? 今が楽しかったら、振り返った時も、きっと楽しい……」
「そうだな……せめてこれからは後悔のないように、しないとな」
「でもね、この話には続きがあるの」
「ぜひ聞かせてくれ」
「あたし、音楽関係の学校に進学しようと思うんだ。まだ全然何をするかは決めてないけど、みどりちゃんが音大卒で音楽の先生でしょ? 相談もしやすいから、そっちの希望を出すつもり……」
「そっか……応援する! 小浦の歌声には、本当に感動したんだ!」
「あの時、青嶋くんに褒めてもらえたから、それがあたしの原動力になったんだよ?」
そう語ってくれた小浦の笑顔は紛れもなく、俺が恋をしたあの頃よりもずっと、輝いて見えた。
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