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第21話 邂逅
第21話・5 またね、レイラちゃん!
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突如現れた銀色の影──。
その影は一瞬でジキルとレイラの間に割って入り、ナイフを持つレイラの右腕を無造作に掴む。
(……誰……!?)
レイラが目を見開いた瞬間。
──バキィッ!!
「……っ!!」
不快な鋭い音と共に、いとも簡単に肘から先があり得ない方向へ折れ曲がった。
「ぁ……痛、っ、あ゙ああッ……!!?」
「命令が無ければ、殺していた」
低くて、抑揚の無い、感情すら無いその声。
獣のように逆立つ銀髪、毒々しい金の瞳。
荒々しい容姿とは対照的に、ただただ無表情で無機質な顔面のその男からは、人の気配がまるで感じられない。
両頬には横に裂けたような傷があり、その周囲には血のような赤い色素が模様のように走っている。
「やめなよ、スカル。せっかくのお客様なんだから」
「…………」
男──スカルは、全く感情の無い目で冷たくレイラを見下ろしていた。
身に纏っている特徴的な黒衣は普段着とは程遠い雰囲気で、どこかの隊服のようにも見える。
「ジキル様。こいつは貴方に刃を向けました」
「わかってる。でもレイラちゃんはオレの中じゃ、ちょっと特別なんだよ」
レイラは倒れ込みながら、震える指で腕を押さえる。
「はあ……っ、はあ……、……っ、あなたたち……人間じゃない……」
スカルは何も言わない。ただその顔には、敵意も感情も一切浮かんでいなかった。
ジキルはふと膝を折り──。
「ねぇ」
倒れているレイラと視線を合わせる。
「……感情ってさ、不思議だよね」
「……っ……」
「痛み、怒り、恐怖、後悔。そういうのが強いほど、死んだあとに残る未練になる。そして、それが龍を繋ぎ止める鎖になる」
怒りと悲しみが渦巻く、レイラの瞳。
「オレの理論が正しければ……レイラちゃん、君は最高の素材になれるよ」
「……殺、す……っ」
震える声でレイラが絞り出すと、ジキルはニコッと笑った。
「またね、レイラちゃん!」
それは、何事も無かったかのような、屈託の無い笑顔。
ジキルは立ち上がると、くるりと背を向けた。
「スカル、あとは頼むよ」
「……承知しました」
無表情のままスカルはレイラに近付き、片手で軽々と持ち上げる。
「ッ、……離せ……っ!」
か細い声は、空しく宙に消えた。
レイラの体は痛みとショックで完全に抵抗を失っていた。
腕は折れ、目は涙で滲んでいる。震える息が喉でつかえ、叫ぶこともできない。
スカルはそのまま、廊下を無言で進む。
機械音も、人の気配も無い、研究施設の奥へ奥へと。
「…………」
非常用の裏扉を開けると、夜の風が吹き込んだ。
荷物のようにレイラを片手で抱えていたスカルは、躊躇いも無くそのまま屋外へと出ていく。
裏口は鬱蒼とした草木に囲まれた搬出口で、人気は無い。
その奥、足場の悪い傾斜を降り、舗装の剥がれた裏路地に出る。
──街外れ。
夜の灯りがほとんど届かない、廃ビルの影。
「…………っ…………」
レイラの体温がスカルの腕の中で僅かに下がっていく。
スカルはレイラを無言で抱えたまま、舗装の剥がれた道を淡々と歩いていた。
通行人は無く、店の灯りも無い。どこまでも静かで、闇が支配する通路。
「…………」
(……どこに捨てるか、処理するか……)
その金の瞳が、無感情に夜を見据えていた──。
その時だった。
「──レイラ!!」
怒声と共に、前方から誰かが駆けてくる。
風を切る白銀の髪。怒りに燃えた蒼い瞳。
一筋の光のように、夜の闇を裂いてその姿が現れる。
──アシュラだ。
◇
──たった数十分前。
機関に戻らないレイラを心配し、セセラの無線機を借りて外部探索をしていたアシュラは、レイラの通信端末から位置情報の微弱な発信信号が残っているのを発見していた。
「……圏外に近い地下経路、裏路地……か……?」
直感で嫌な予感がしていた。
そして、居ても立ってもいられず、足で追っていた。
そんな中で──聞こえたのだ。
夜の裏通りに響いた、女の子の微かな呻き声が。
◇
「貴様……ッ何をした!!」
怒りと焦燥に突き動かされ、アシュラは一直線にスカルへと突進する。
「その子を今すぐ離せ!!」
渾身の力を込めて拳を振り上げた。
──だが。
「遅い」
スカルはレイラを抱えたまま一瞬の隙をつき、アシュラの拳を躱すと──。
「!!」
逆に腹部へ拳を突き刺す。
「……ゔッ……!!」
腹部に強烈な痛みが走った。
反射的に呻き声が漏れる。
「ぐっ、……ぅ゙………!!」
吹き飛ばされ、地面に背を打ち、アシュラは膝をついたまま倒れ込んだ。
「…………」
スカルはそれを見届けると、何の感情も無くまるでゴミを捨てるかのように──無造作にレイラを片手で放り投げた。
「っ……レイラ……!」
視界の端に、涙と苦痛で濡れたレイラの顔が映る。
「………ふ、……お前とはまた会うことになりそうだ」
スカルは微かに笑い、その場を去っていく──。
銀髪と黒衣の姿は、闇の中へと溶けていった。
「……ッ……!!」
アシュラは歯を食いしばりながら、朦朧とする意識の中でレイラへと手を伸ばす。
「レイラ……大丈夫……もう、大丈夫だから……っ……」
苦痛に顔を歪めながら、震える手でレイラを抱きかかえる。
「…………」
その体は冷たく、けれど確かに、生きていた。
アシュラはズボンのポケットから通信端末を取り出し、震える指で龍調査機関へと発信する。
「……紫苑レイラ、負傷……至急、回収を……!」
通信を送り終えたアシュラは、ゆっくりとその場に崩れ落ちた。
(……腹、いたッ…………)
腹部に走る鈍痛。
それでもアシュラは、か細く息をするレイラを力の限り抱きしめていた。
◇
──そして数時間後。
深夜の龍調査機関、医療棟の一室。
白い天井をぼんやりと見つめながら、レイラはベッドに横たわっていた。
「…………」
痛むはずの腕の感覚よりも、胸の奥の方が──ずっと痛い。
(話さなきゃ……でも、話せない……)
ジキルの狂気、スカルの恐怖、自分の無力。
全部、リルに話したらどう思われるだろう。ショックを与えるのは間違いない。
そして怒らせてしまうんじゃないか。
また、苦しめてしまうんじゃないか──。
「…………っ」
そしてセセラ。あの人にも言ったら、だから関わるなと言ったんだと絶対に怒られる。
(……リルには……言えない……。薊野さんにも……)
レイラは唇を噛みしめ、目を伏せた。
扉の外では、アシュラが腹部を少し気にしながらも小さな声で話をしていた。
「……銀髪で、金の目。無表情で、異常な戦闘力……全く歯が立たなかった」
アシュラの周りには、リルとラショウ。
ふたりに自分が見た“銀髪の男”のことを語っている。
「レイラはそいつに襲われた、と見られる……。だけどレイラは……詳細を何も話してくれない。俺も、この件は慎重に調べる必要があると思う」
「…………」
青ざめたような表情で、ラショウが頷いた。
「兄様……きっと、何か大きなものが動いてる……」
リルは無言だった。表情を変えず、ただ拳を強く握っていた。
──その頃、レイラの病室では。
「…………っ……」
(どうして……信じたのに)
レイラは、あの柔らかいジキルの笑顔を思い出していた。
『またね、レイラちゃん!』
(……全部、嘘だったのかな)
自分でも思っていた以上に、心を許していたのかもしれない。
ジキルという男に。
(……それとも、あの人はべつにそんなわけではなくて、私が勝手に傷ついただけなのかな……)
「……私、どうすれば……」
ベッドの上、静かにレイラの涙が枕を濡らしていた。
そして──。
そっと病室の扉が開かれる。
「レイラちゃん……起きてる……?」
ラショウだった。
「…………!」
レイラは微かに頷くだけ。
「ねえ……何も聞かないよ。聞かないけど……今、レイラちゃんがすごく苦しいってことは……ちゃんとわかってるから」
ラショウはベッドの脇に腰かけると、そっとレイラの手を取った。
「言えないことがあるのって、すごくつらいよね……でも、それでも……私はレイラちゃんの味方だよ」
「…………」
レイラの瞳に、また静かに涙が滲む。
「……ありがと」
「泣きたい時は、泣いていいよ。怒ってもいい。私はここにいるから」
その優しい声が、レイラの震える心を少しずつ撫でてくれているようだった。
◇
──翌日。
特別解析室。
まだ午前中なのに少し薄暗いと思う程の、落ち着いた照明のフロア。
そこには、シエリとセセラ、そしてリルがいた。
「……レイラは右腕を骨折。が、……手遅れになるまでの状態ではない。お前程じゃねえがあいつも自己再生能力が多少ある」
「…………」
「でも、あいつが何をされたのか……それは、まだ本人の口から聞けてねえ」
セセラは椅子を回しながら、低い声で話していた。
「…………っ……」
部屋の隅に立つリルは、何も言わなかった。
ただ、その手のひらが、ぎゅっと握りしめられている。
「アシュラの証言では、“銀髪・金の目・戦闘能力異常”な人物が現れたと」
そしてセセラのその言葉に続けるように、シエリが静かに端末をスライドさせた。
箇条書きで記された仮情報をモニターに映し出しながら、小さな所長は話し出す。
「リル。……レイラが、自分から話そうとしないのは、何か理由があるのだと思う。だが、誰かに……話さない方がいいと、思わせる程の相手なのだとしたら……」
「…………ッ」
リルの喉が僅かに震えた。
「……オレが……知らねえままで、いいわけがねえだろ……」
低く、押し殺した声。
セセラがリルへ視線を向ける。
「リル、お前……何か気になってることあんのか?」
「…………」
一拍の沈黙。
リルは、口を開きかけて──しかし首を横に振った。
「……あいつが話さねえなら……無理に聞かねえよ。でも……独りには……させたくねえ」
その声に、その言葉に、シエリもセセラも何も言えなかった。
リルの瞳は、強く、けれどどこか痛々しい程に不安定に見えた。
──リルの中で、
確かに何かが、静かに蠢いている。
「…………」
そして──静まり返った特別解析室。
直前まで交わされた会話の余韻だけが、空気に残っている。
誰もが黙ったまま、時間だけが過ぎていった。
リルはモニターの明かりを背に、硬く拳を握りしめていた。
その目はどこか遠くを見ているようで、けれど、深く沈んだ内側では感情が激しく揺れている。
(……なんで、オレには何も知らされねぇんだよ)
何も知らなかった。
何もできなかった。
レイラを守れなかった。
あの“銀髪の化け物”の存在も、レイラが抱え込んでる苦しみも──。
自分だけが、置いていかれているような感覚。
(全部……ひとりで抱え込んで、……なのにオレは……)
爪が手のひらに食い込むほど、拳を強く握る。
それでも、暴れるわけじゃない。
ただ、必死に堪えていた。
「……なにか躊躇ってるんだろうな、あいつ」
セセラがぽつりと呟いた。
誰にも向けるでもない声だったが、それを遮るようにリルが低く口を開く。
「……オレ、あの時の──でっけえ女悪魔みてえなやつ……」
セセラとシエリが同時に顔を上げる。
「……クオントワ、か」
「……オレ、あれが出てきてからずっとなにか、嫌な予感がしてる。あれは龍が人間の形をしていて、人間が龍、だった……」
リルはゆっくりと拳を解き、顔を伏せながら言葉を続けるが──。
「……でも、それって……オレもそう、だよな……?」
声が、微かに震えていた。
その一言は、苦悩と恐れと、そして……嫌な予感。
自分が、自分でなくなっていく気がしていた。
皮膚の下で、何かが蠢いているような不快感。
意識の奥で、龍の気配がじっと様子を窺っているような違和感。
「……薊野さん……、先生……。オレ……もう、限界だよ。知らされないまま、怖がってるのが……一番、しんどい」
「…………」
悲痛な色のリルの声音に、セセラは目を伏せた。
そして、長く──重いため息をつき、肩を一度揺らす。
「……リル……」
「…………」
「……今から話すのは、お前にとっちゃ“地獄の入り口”みてえな話だ」
「……ッ」
「でも、お前がそうやって、ちゃんと聞く覚悟を見せてくれたなら──」
シエリが静かに言葉を継ぐ。
「私たちにも、話す責任がある。そう思う」
モニターが落ちる音がした。
そして室内の灯りが僅かに明るくなる。
セセラは座っていた椅子からゆっくりと立ち上がり、無言のままリルの方へと歩いていく。
その目には、いつもの飄々とした色は無かった。
「お前の父親の話を……する」
瞬間。
「……!!」
リルの瞳が、見開かれ──大きく揺れる。
「ジキル──。あいつの名前だ」
第21話 完
その影は一瞬でジキルとレイラの間に割って入り、ナイフを持つレイラの右腕を無造作に掴む。
(……誰……!?)
レイラが目を見開いた瞬間。
──バキィッ!!
「……っ!!」
不快な鋭い音と共に、いとも簡単に肘から先があり得ない方向へ折れ曲がった。
「ぁ……痛、っ、あ゙ああッ……!!?」
「命令が無ければ、殺していた」
低くて、抑揚の無い、感情すら無いその声。
獣のように逆立つ銀髪、毒々しい金の瞳。
荒々しい容姿とは対照的に、ただただ無表情で無機質な顔面のその男からは、人の気配がまるで感じられない。
両頬には横に裂けたような傷があり、その周囲には血のような赤い色素が模様のように走っている。
「やめなよ、スカル。せっかくのお客様なんだから」
「…………」
男──スカルは、全く感情の無い目で冷たくレイラを見下ろしていた。
身に纏っている特徴的な黒衣は普段着とは程遠い雰囲気で、どこかの隊服のようにも見える。
「ジキル様。こいつは貴方に刃を向けました」
「わかってる。でもレイラちゃんはオレの中じゃ、ちょっと特別なんだよ」
レイラは倒れ込みながら、震える指で腕を押さえる。
「はあ……っ、はあ……、……っ、あなたたち……人間じゃない……」
スカルは何も言わない。ただその顔には、敵意も感情も一切浮かんでいなかった。
ジキルはふと膝を折り──。
「ねぇ」
倒れているレイラと視線を合わせる。
「……感情ってさ、不思議だよね」
「……っ……」
「痛み、怒り、恐怖、後悔。そういうのが強いほど、死んだあとに残る未練になる。そして、それが龍を繋ぎ止める鎖になる」
怒りと悲しみが渦巻く、レイラの瞳。
「オレの理論が正しければ……レイラちゃん、君は最高の素材になれるよ」
「……殺、す……っ」
震える声でレイラが絞り出すと、ジキルはニコッと笑った。
「またね、レイラちゃん!」
それは、何事も無かったかのような、屈託の無い笑顔。
ジキルは立ち上がると、くるりと背を向けた。
「スカル、あとは頼むよ」
「……承知しました」
無表情のままスカルはレイラに近付き、片手で軽々と持ち上げる。
「ッ、……離せ……っ!」
か細い声は、空しく宙に消えた。
レイラの体は痛みとショックで完全に抵抗を失っていた。
腕は折れ、目は涙で滲んでいる。震える息が喉でつかえ、叫ぶこともできない。
スカルはそのまま、廊下を無言で進む。
機械音も、人の気配も無い、研究施設の奥へ奥へと。
「…………」
非常用の裏扉を開けると、夜の風が吹き込んだ。
荷物のようにレイラを片手で抱えていたスカルは、躊躇いも無くそのまま屋外へと出ていく。
裏口は鬱蒼とした草木に囲まれた搬出口で、人気は無い。
その奥、足場の悪い傾斜を降り、舗装の剥がれた裏路地に出る。
──街外れ。
夜の灯りがほとんど届かない、廃ビルの影。
「…………っ…………」
レイラの体温がスカルの腕の中で僅かに下がっていく。
スカルはレイラを無言で抱えたまま、舗装の剥がれた道を淡々と歩いていた。
通行人は無く、店の灯りも無い。どこまでも静かで、闇が支配する通路。
「…………」
(……どこに捨てるか、処理するか……)
その金の瞳が、無感情に夜を見据えていた──。
その時だった。
「──レイラ!!」
怒声と共に、前方から誰かが駆けてくる。
風を切る白銀の髪。怒りに燃えた蒼い瞳。
一筋の光のように、夜の闇を裂いてその姿が現れる。
──アシュラだ。
◇
──たった数十分前。
機関に戻らないレイラを心配し、セセラの無線機を借りて外部探索をしていたアシュラは、レイラの通信端末から位置情報の微弱な発信信号が残っているのを発見していた。
「……圏外に近い地下経路、裏路地……か……?」
直感で嫌な予感がしていた。
そして、居ても立ってもいられず、足で追っていた。
そんな中で──聞こえたのだ。
夜の裏通りに響いた、女の子の微かな呻き声が。
◇
「貴様……ッ何をした!!」
怒りと焦燥に突き動かされ、アシュラは一直線にスカルへと突進する。
「その子を今すぐ離せ!!」
渾身の力を込めて拳を振り上げた。
──だが。
「遅い」
スカルはレイラを抱えたまま一瞬の隙をつき、アシュラの拳を躱すと──。
「!!」
逆に腹部へ拳を突き刺す。
「……ゔッ……!!」
腹部に強烈な痛みが走った。
反射的に呻き声が漏れる。
「ぐっ、……ぅ゙………!!」
吹き飛ばされ、地面に背を打ち、アシュラは膝をついたまま倒れ込んだ。
「…………」
スカルはそれを見届けると、何の感情も無くまるでゴミを捨てるかのように──無造作にレイラを片手で放り投げた。
「っ……レイラ……!」
視界の端に、涙と苦痛で濡れたレイラの顔が映る。
「………ふ、……お前とはまた会うことになりそうだ」
スカルは微かに笑い、その場を去っていく──。
銀髪と黒衣の姿は、闇の中へと溶けていった。
「……ッ……!!」
アシュラは歯を食いしばりながら、朦朧とする意識の中でレイラへと手を伸ばす。
「レイラ……大丈夫……もう、大丈夫だから……っ……」
苦痛に顔を歪めながら、震える手でレイラを抱きかかえる。
「…………」
その体は冷たく、けれど確かに、生きていた。
アシュラはズボンのポケットから通信端末を取り出し、震える指で龍調査機関へと発信する。
「……紫苑レイラ、負傷……至急、回収を……!」
通信を送り終えたアシュラは、ゆっくりとその場に崩れ落ちた。
(……腹、いたッ…………)
腹部に走る鈍痛。
それでもアシュラは、か細く息をするレイラを力の限り抱きしめていた。
◇
──そして数時間後。
深夜の龍調査機関、医療棟の一室。
白い天井をぼんやりと見つめながら、レイラはベッドに横たわっていた。
「…………」
痛むはずの腕の感覚よりも、胸の奥の方が──ずっと痛い。
(話さなきゃ……でも、話せない……)
ジキルの狂気、スカルの恐怖、自分の無力。
全部、リルに話したらどう思われるだろう。ショックを与えるのは間違いない。
そして怒らせてしまうんじゃないか。
また、苦しめてしまうんじゃないか──。
「…………っ」
そしてセセラ。あの人にも言ったら、だから関わるなと言ったんだと絶対に怒られる。
(……リルには……言えない……。薊野さんにも……)
レイラは唇を噛みしめ、目を伏せた。
扉の外では、アシュラが腹部を少し気にしながらも小さな声で話をしていた。
「……銀髪で、金の目。無表情で、異常な戦闘力……全く歯が立たなかった」
アシュラの周りには、リルとラショウ。
ふたりに自分が見た“銀髪の男”のことを語っている。
「レイラはそいつに襲われた、と見られる……。だけどレイラは……詳細を何も話してくれない。俺も、この件は慎重に調べる必要があると思う」
「…………」
青ざめたような表情で、ラショウが頷いた。
「兄様……きっと、何か大きなものが動いてる……」
リルは無言だった。表情を変えず、ただ拳を強く握っていた。
──その頃、レイラの病室では。
「…………っ……」
(どうして……信じたのに)
レイラは、あの柔らかいジキルの笑顔を思い出していた。
『またね、レイラちゃん!』
(……全部、嘘だったのかな)
自分でも思っていた以上に、心を許していたのかもしれない。
ジキルという男に。
(……それとも、あの人はべつにそんなわけではなくて、私が勝手に傷ついただけなのかな……)
「……私、どうすれば……」
ベッドの上、静かにレイラの涙が枕を濡らしていた。
そして──。
そっと病室の扉が開かれる。
「レイラちゃん……起きてる……?」
ラショウだった。
「…………!」
レイラは微かに頷くだけ。
「ねえ……何も聞かないよ。聞かないけど……今、レイラちゃんがすごく苦しいってことは……ちゃんとわかってるから」
ラショウはベッドの脇に腰かけると、そっとレイラの手を取った。
「言えないことがあるのって、すごくつらいよね……でも、それでも……私はレイラちゃんの味方だよ」
「…………」
レイラの瞳に、また静かに涙が滲む。
「……ありがと」
「泣きたい時は、泣いていいよ。怒ってもいい。私はここにいるから」
その優しい声が、レイラの震える心を少しずつ撫でてくれているようだった。
◇
──翌日。
特別解析室。
まだ午前中なのに少し薄暗いと思う程の、落ち着いた照明のフロア。
そこには、シエリとセセラ、そしてリルがいた。
「……レイラは右腕を骨折。が、……手遅れになるまでの状態ではない。お前程じゃねえがあいつも自己再生能力が多少ある」
「…………」
「でも、あいつが何をされたのか……それは、まだ本人の口から聞けてねえ」
セセラは椅子を回しながら、低い声で話していた。
「…………っ……」
部屋の隅に立つリルは、何も言わなかった。
ただ、その手のひらが、ぎゅっと握りしめられている。
「アシュラの証言では、“銀髪・金の目・戦闘能力異常”な人物が現れたと」
そしてセセラのその言葉に続けるように、シエリが静かに端末をスライドさせた。
箇条書きで記された仮情報をモニターに映し出しながら、小さな所長は話し出す。
「リル。……レイラが、自分から話そうとしないのは、何か理由があるのだと思う。だが、誰かに……話さない方がいいと、思わせる程の相手なのだとしたら……」
「…………ッ」
リルの喉が僅かに震えた。
「……オレが……知らねえままで、いいわけがねえだろ……」
低く、押し殺した声。
セセラがリルへ視線を向ける。
「リル、お前……何か気になってることあんのか?」
「…………」
一拍の沈黙。
リルは、口を開きかけて──しかし首を横に振った。
「……あいつが話さねえなら……無理に聞かねえよ。でも……独りには……させたくねえ」
その声に、その言葉に、シエリもセセラも何も言えなかった。
リルの瞳は、強く、けれどどこか痛々しい程に不安定に見えた。
──リルの中で、
確かに何かが、静かに蠢いている。
「…………」
そして──静まり返った特別解析室。
直前まで交わされた会話の余韻だけが、空気に残っている。
誰もが黙ったまま、時間だけが過ぎていった。
リルはモニターの明かりを背に、硬く拳を握りしめていた。
その目はどこか遠くを見ているようで、けれど、深く沈んだ内側では感情が激しく揺れている。
(……なんで、オレには何も知らされねぇんだよ)
何も知らなかった。
何もできなかった。
レイラを守れなかった。
あの“銀髪の化け物”の存在も、レイラが抱え込んでる苦しみも──。
自分だけが、置いていかれているような感覚。
(全部……ひとりで抱え込んで、……なのにオレは……)
爪が手のひらに食い込むほど、拳を強く握る。
それでも、暴れるわけじゃない。
ただ、必死に堪えていた。
「……なにか躊躇ってるんだろうな、あいつ」
セセラがぽつりと呟いた。
誰にも向けるでもない声だったが、それを遮るようにリルが低く口を開く。
「……オレ、あの時の──でっけえ女悪魔みてえなやつ……」
セセラとシエリが同時に顔を上げる。
「……クオントワ、か」
「……オレ、あれが出てきてからずっとなにか、嫌な予感がしてる。あれは龍が人間の形をしていて、人間が龍、だった……」
リルはゆっくりと拳を解き、顔を伏せながら言葉を続けるが──。
「……でも、それって……オレもそう、だよな……?」
声が、微かに震えていた。
その一言は、苦悩と恐れと、そして……嫌な予感。
自分が、自分でなくなっていく気がしていた。
皮膚の下で、何かが蠢いているような不快感。
意識の奥で、龍の気配がじっと様子を窺っているような違和感。
「……薊野さん……、先生……。オレ……もう、限界だよ。知らされないまま、怖がってるのが……一番、しんどい」
「…………」
悲痛な色のリルの声音に、セセラは目を伏せた。
そして、長く──重いため息をつき、肩を一度揺らす。
「……リル……」
「…………」
「……今から話すのは、お前にとっちゃ“地獄の入り口”みてえな話だ」
「……ッ」
「でも、お前がそうやって、ちゃんと聞く覚悟を見せてくれたなら──」
シエリが静かに言葉を継ぐ。
「私たちにも、話す責任がある。そう思う」
モニターが落ちる音がした。
そして室内の灯りが僅かに明るくなる。
セセラは座っていた椅子からゆっくりと立ち上がり、無言のままリルの方へと歩いていく。
その目には、いつもの飄々とした色は無かった。
「お前の父親の話を……する」
瞬間。
「……!!」
リルの瞳が、見開かれ──大きく揺れる。
「ジキル──。あいつの名前だ」
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花の妖精のルイは、メジロのモクの背中に乗って旅をしています。ルイは記憶喪失でした。自分が花の妖精だったことしか思い出せません。失くした記憶を探すため、さまざまな世界を冒険します。
『イージス艦長、インパール最前線へ。――牟田口廉也に転生した俺は、地獄の餓死作戦を「鉄壁の兵站要塞」に変える』
月神世一
SF
【あらすじ】
「補給がなければ、戦場に立つ資格すらない」
坂上真一(さかがみ しんいち)、50歳。
かつてイージス艦長として鉄壁の防空網を指揮し、現在は海上自衛隊で次世代艦の兵站システムを設計する男。
背中には若き日の過ちである「仁王」の刺青を隠し持ち、北辰一刀流の達人でもある彼は、ある日、勤務中に仮眠をとる。
目が覚めると、そこは湿気と熱気に満ちた1944年のビルマだった。
鏡に映っていたのは、小太りで口髭の男――歴史の教科書で見た、あの「牟田口廉也」。
しかも時期は、日本陸軍史上最悪の汚点とされる「インパール作戦」決行の直前。
部下たちは「必勝の精神論」を叫び、無謀な突撃を今か今かと待っている。
(……ふざけるな。俺に、部下を餓死させろと言うのか?)
現代の知識と、冷徹な計算、そして海自仕込みのロジスティクス能力。
すべてを駆使して、坂上(中身)は歴史への介入を開始する。
精神論を振りかざすふりをして上層部を欺き、現地改修で兵器を強化し、密かに撤退路を整備する。
これは、「史上最も無能な指揮官」の皮を被った「現代の有能な指揮官」が、確定した敗北の運命をねじ伏せ、数万の命を救うために戦う、逆転の戦記ドラマ。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
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