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コヨタ

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第22話 心

第22話・1 告白

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 ──お前のの話をする。

「…………」

 空調の音だけが、沈黙の中で微かに響く。

「……ジキルという名前、わかるな?」

 セセラの言葉が落ちた瞬間、リルの体が僅かに揺れた。

「……っ……」

 目に見える程の動揺ではない。
 だが、呼吸が、ほんの少しだけ不規則になる。

「ジキルは、かつて龍調査機関ウチにいた。……今とは比べ物にならないくらい、龍のことが解明されてなかった時代に。だが……お前に龍を封じたのは、その後の話だ」

 セセラは静かに続けた。

「奴も『紅崎あかさき』だったが、機関では誰にも苗字すらも名乗らなかったみたいで……それでいて他人と接しないような奴だったから……当時からいる職員ですら、顔も名前も知らないっていう職員もいる」

「…………」

「俺も、つい最近まで奴がお前にやったことを知らなかった。……まさか、退所した後に、自分の息子を……“人体実験”に使ってたなんてな」

「…………っ」

 リルの肩がぴくりと震えた。
 喉の奥が引き攣るような感覚。目の奥に、うっすらと涙が滲む。

「自分のガキに龍を埋め込むなんて、正気の沙汰じゃねえ。人間がどこまで龍を受け入れられるか、その限界を……自分の子供で確かめようなんざ」

 強張っていくセセラの声音。

「あいつは……自分ならできると思ってたんじゃねえかな。“愛”だとか“研究”だとか、そんなもんが、全部ごっちゃになったまま」

「……だから……あの日、オレに……」

 リルの声は掠れていた。

 胸が苦しくて、呼吸が浅くなる。
 それでも顔を伏せず、リルは目の前を見据え続ける。

「リル、大丈夫か?」

 セセラが一歩前に出る。
 だがリルは、苦しそうにしながらも──。

「……っ、大丈夫……聞く……」

 その額に冷や汗が滲む。
 でも逃げなかった。

 セセラのあとに、シエリが続く。

「リル。ある日突然、ジキルは機関から姿を消した。──そして、またある日突然、幼いキミを連れて再びここに来た。それが……全ての始まり」

 シエリの声は冷静だったが、その奥にある沈痛さは隠しきれていない。

「そして、リアさん──。キミの母親の死について、機関は何も知らない。キミに施した実験と、彼女が亡くなったことについて因果関係は不明だ」

「…………ッ………………」

 リルはついに俯き、歯を食いしばっていた。

「……母さんは……」

「……事故死、あるいは殺害されたと推測している。だが、目撃者はいない。遺体も確認されていない」

 するとセセラが近くのテーブルからレポートを取り、それを指で弾く。

「ジキルの失踪後、数年にわたってどこにもあいつの記録は存在しなかった。政府にも、医療にも、研究機関にも。まるで、最初からいなかったみてえにな」

「…………」

「でも、その空白の数年の中で、あいつは……」

 セセラは顔を伏せると、低く吐き捨てるような声に──。

「お前に、んだ。動機は、わからねえ。ただひとつ確実に言えるのは……ジキルはお前を使って、何かを確かめたかった。それだけだ。親とか、倫理とか……一切関係ねえ」

「……っ、……」

 リルの指が小刻みに震え出す。

 胸の奥がざわついて、吐き気のような痛みが喉元を駆け上がる。

 ──記憶の奥底に微かに残っていた父の無邪気な笑顔。
 父の温もりだったはずの記憶が、黒く塗り潰されていく。

「…………」

(全部……ただの実験だったのか……)

「……そして、もうひとつ……」

 シエリが、重く感じる唇を開いた。

「キミの父親……ジキルは、『既に死んだ』と伝えていたな」

「……………っ」

 一瞬、俯いたままリルが目を見開く。

「ジキルは、死んだものとされていた。しかし、本当は……存命している」

「…………っは……」

「当時幼かったキミは、あの日何があったかを聞こうにも話せる状態ではなかった」

 シエリは眉間に少し皺を寄せて、怒りの色を声に乗せながら続けた。

「私は……キミがあまりにも可哀想で、二度とあの男にキミを渡すものかと奴に一切の情報の遮断、そしてキミに事件の詳細の詮索をすることをやめたのだ。……私が。私の判断で」

「だから、私がキミを保護し、奴は死んだということにした。奴とキミのことは私だけの機密情報にしたのだ」

「…………」

 リルは、ずっと俯いている。

「……シエリ先生、……そうだったんだな……」

 やっと絞り出したその声は、生気が失われつつあった。

「……これらのことは、俺も少し前に知ったんだ」

 リルの前でセセラが重く言い放つ。

「そしてつい最近……あいつとレイラが接触した」

「…………え」

 リルの頭が──真っ白になった。

「……ッ……」

 微かな記憶。

 父に体を改造された記憶が、ほんの微かだが残っている。普段は決して引き出されることの無い記憶。

 父は死んだと思っていた。
 憎くて憎くて堪らない存在だが、もう死んでるのならと割り切っていた。
 
「……リル。あいつは今も、笑いながら生きてる」

「…………ッ、は……」

(あいつ、生きてて……)

(レイラと……?)

(あいつが──)

「う……っ、あ゙ッ…………」

 突如、リルの膝が崩れる。
 反射的に動いたセセラがリルの腕をパシッと取り、即座に体を支えた。

 思考がついていかない。
 理屈ではわかっているのに、感情が叫び出していた。

「……なんで……今さら……」

 涙が零れた。

 唇を噛み、拳を握っても、止まらない。

「なんで……あいつ……何も無かったみたいに……生きてんだよ……!?」

 叫びは、喉の奥でひび割れていた。

 セセラはリルを自分の方へ軽く引き寄せたまま、何も言わなかった。
 シエリも、ただそっと視線を落としている。

 その静けさが、むしろリルを包み込むように優しかった。

 リルは泣きながら──。

(……だったら、今度こそ…………)

 ひとつだけ、強く思う。

(オレが……)

(あいつに、全部返してやる)


 ◇


 夜が更けた。

 龍調査機関・資料室。
 資料棚の明かりだけがぼんやりと灯る中、セセラはひとり、椅子にふんぞり返っていた。

 膝の上には、折れ曲がった古いファイル。

 レイラの行動記録。
 リルの血液異常。
 そして、ジキルという名前の書かれた廃棄フォルダ。

 それを見ながら、短く鼻を鳴らす。

(……やっぱり、あいつだろ。クオントワに、銀髪に……もしかしたら随分前の新生龍も……)

 ファイルを閉じ、椅子の背に頭を預けた。

「……よくも目付けやがったな、レイラに」

 声にすると、確信が鋭く突き刺さってくる。

「クソが……」

 左手で眼鏡を外して右手で顔を覆い、深くため息をついた。

(……あんとき、聞いたもんな。奴が……リルに何したか……)

 思い出しただけで、胃の奥が焼けるような感覚。
 背中を向けて歩き去ったあの日から、ジキルには一切連絡をしていない。

 それでも──。

(あいつに聞かねえと……何も見えてこねえ)

 レイラは何も言わない。
 リルは地獄の底に手を伸ばし始めた。

 なら、自分がその境界を先に踏んでやるしかない。

「……ったく……なんで俺が……」

 ぶつくさと呟きながら眼鏡をかけ直し、白衣のポケットから通信端末を取り出した。
 指が迷うことなく、『ジキル』という名前を呼び出す。

 ──連絡先は、消せなかった。
 消してしまえば、二度と戻れない気がして。

 そして、何か良くないことが起こる気がして。

(……バカか、俺は)

 画面を見つめながら、しばらく無言が続いた。

(あいつとレイラは偶然会っただけだ。何も起きてなきゃ、それで済む)

(でも……あのレイラの顔、見たろ?)

 思い出すのは、遠目で見たあの病室で泣いていた少女の横顔。
 腕の包帯、触れられない傷、言えない痛み。

 あれを放っておけるほど、自分は冷たくなれなかった。

「……ああもう、マジでよォ……」

 セセラは端末を強く握りしめて、画面に短く打ち込む。

『話がある。明日、顔貸せ』

 送信ボタンを押した。

 1秒、2秒……数えているうちに──。

【既読】

 ……速すぎる。

 そして、返ってきたのは。

『久しぶり! 薊野くん。どこがいい? いつでもいいよ』

 あまりにも軽い返事。

「…………っ……」

 セセラは額に手を当てた。

(うっわ……変わってねえ……いや、変わってんのか?)

 自分でもわからなかった。
 だが、この瞬間──ジキルと再び対峙する道が、確かに開いた。


 ◇


 翌日、街の裏通りにあるカフェ。

 店内は静かで、夕方の光が柔らかく射し込んでいた。
 窓際の席に、場違いなほど目立つ男がひとり。

 黒のキャスケットを被り、長い赤髪をうなじでひとつにまとめ、顔にはサングラス。
 皿にはポテトとスイーツ、手元には紅茶のカップと分厚い洋書が開かれている。

「あ……来た来た。薊野くん~!」

 ジキルはセセラを見つけると、あっけらかんとした笑顔で手を振った。

「…………っ……」

(……全然変わってねえ)

 セセラは眉をピクつかせながらも、軽く手を挙げて席に着く。

「……まったく、よくそんなに暇そうにしてられること」

「暇じゃないよぉ~? 最近観たドラマがさあ、脳みそゼロでも観られるから逆に面白くってさ~。あと、新作のチョコクロ食べた? あれ絶品」

「……いやいや……知んねーよ」

 鼻をつく甘い香りに、どこか安心する自分がいて──。

「……ッ」

 そのことに、腹立たしさを覚えた。

「……今でも毎日、そんなに楽しそうに生きてんのか」

 ジキルは紅茶をひとくち含んで。

「楽しむために、生きてるからねえ」

(……どの口が言ってんだ)

 セセラは拳を握るのを、無理矢理抑えた。

「……なあ、ジキルさん」

 ふと、声を落とす。

「今、あんた……何してんだ? 研究続けてるってのは、まあ想像つくけど……。今でもひとりで? それともどっかに属してんのか?」

「……ん?」

 その問いにジキルの笑みが──。

「…………」

 少しだけ、深くなる。

「……おや、ついに聞いてくれるんだ?」

「興味はねえよ。ただ……関係者として確認しときたいだけだ」

「フフ……いいよ、教えてあげる」

 ジキルは手元のカップを軽く回しながら、さらりと話し始めた。

「『Z.EUSゼウス』っていうの。オレが独自に立ち上げた、研究と実験のための組織。カッコよく言うと秘密結社。オレは、今そこで“理想の進化”を追ってる」

「……っ」

 僅かに凍るセセラの表情。

「……理想の進化……? 何だそれ……龍をどうこうすんのか?」

「うーん、龍をどうこうというか……。龍の力でんだよ」

「……は?」

「死なない命、壊れない心、限界を持たない存在……。それを龍を通して模索してるだけ。うちの子たちは、みんな優秀だよ」

 発せられた『うちの子たち』という言葉──。
 その響きに、セセラの眉が微かに動く。

(……トワ、クオン……銀髪のヤツ……他にも?)

「……あんた……何を作ってんだよ」

「なに言ってんの薊野くん。生き物だよ。最良の命を作ってる。オレにとっては過去の失敗も、全て経験値。……きっとリルも、そう思ってくれる日が来る」

「…………!!」

 一瞬で沸騰した怒気を、セセラは喉の奥で殺した。

「……ッ、……あんた最近……気になる子に会えたらしいな」

 その言葉に、ジキルは茶目っ気を混ぜた表情を作る。

「ええ? なにそれ?」

「……レイラだよ。紫苑レイラ。会ったろ。俺たちの大事な人間なんでね。……いじめられると、今度は俺がいじめられる立場になるんで困るんだけど」

 瞬間。

「…………」

 ジキルの笑顔から、ほんの僅かに温度が消えた。

「……いい子だったよ。あんなにも澄んだ目で、あんなにもまっすぐで」

「……ああ、なるほどな」

 低い声音で鋭く返すセセラ。それでもジキルは構わずカップを傾け、ふっと微笑む。

「惚れそうになっちゃったよ。危ない危ない」

「……やめてくれよ、マジで」

 セセラは目を逸らしながら、こめかみにピキリと青筋を立てていた。

 ジキルは笑っている。心から楽しんでいる。

 ──まるで、何もかも遊びかのように。

(こいつは本気だ。レイラを素材として見ている。リルを作品として見ている)

(……ブッ潰さなきゃいけねえ……)

 その炎が、静かにセセラの胸で灯っていた。
 そして、目を伏せたままスプーンを手に取り、ジキルの目の前の皿をひとつ、カンッと音を立ててつつく。

「なァ……あんたさ、いつからそんな堂々と作ってる側になったんだよ」

「え? 最初からだよ~?」

 屈託の無い笑顔で紅茶を啜るジキル。

「薊野くんは、命ってものが生まれるって思ってる派? それとも、設計されるって思ってる派?」

「質問に質問返すなよ」

 セセラは煙たげに視線を逸らす。

 しかしその直後、ジキルはふと笑いを消し、少し身を乗り出すようにして言い放った。

「……ねえ、薊野くん。今の君なら、“オレと同じ場所”に来られると思ってたんだけどなあ」

「……あ゙?」

「才能があるんだよ。薊野くんは。知ってたよ、ずっと。……あの頃、こっそりオレの実験ログ見てたのも気づいてたしねぇ?」

 セセラの目が一瞬だけ睨むように鋭くなる。

「……ッ、だからって、何だ? 俺もお前と同じだってか?」

「違う違う、そんな無粋なこと言わないよ」

 ジキルは人差し指を立てて左右に振った。

「でも……もし、今でも『知りたい』って気持ちが残ってるなら……君には来てほしいな。Z.EUSに」

「…………」

「レイラちゃんやリルじゃなくて、薊野くん。君の視点で、君の知性で、あの子たちを見てほしい。観察者としてじゃなく……創造者として」

「…………ッ」

「君も、そこにいるのが退屈になってきたんじゃない? 所長に縛られて、感情に振り回されて、研究者じゃなくてみたいに生きてるの、疲れない?」

 その瞬間。

「…………」

 セセラの眼差しが、カチリと変わった。

「……おい、さっきから好き勝手言うじゃねェかよ……なに? 今の俺が、研究者に見えねぇって?」

「うん。に見えるよ」

「……ッ…………」

 セセラは苛立ちを押し殺すように息を吸う。
 グラスの水が、指先の僅かな震えに応じて微かに揺れた。

「……もしそれが、あんたの誘い文句だとしたら……失敗だな」

「えぇ~、失礼な。オレ、本気で言ってるのに」

「だったら、ますます無理だ」

 そう言うとセセラはスッと立ち上がる。

「誘われたうえで断るのが、一番効くって知ってるか? 俺は今、あんたに人として怒ってんだよ。研究者どうこう以前に……人、親としてだ」

「……親? 君からそんな言葉が出てくるとは……」

 ジキルは──笑った。

「……ねぇ、、だったね。何かあったらオレが先輩パパとして色々教えてあげようかなって楽しみにしてたんだけ──」

「ッせぇよ……!!!」

 ジキルが言い切る前に吐き捨てたセセラの目には、明らかな怒り。
 歯をギリッと食いしばり、今にも手が出そうな程の形相。

 それでも、耐える。

「黙れやテメェ……あんまり人をナメんなよ……」

「うん。そう言うと思った。でも──」

 ジキルは背もたれに寄りかかり、席を外して歩き出すセセラを目で追いながら続ける。

「もし君が、レイラちゃんたちを本当に救いたいと思うなら……この先、また必ず来るよ。オレとお話したくてたまらないって日が」

「…………」

 離れていくセセラの背中に、その言葉が刺さった。

「……知った風な口きくんじゃねえ」

 視線だけで振り向き、その言葉だけを残して店を出ていくセセラ。
 ジキルはその姿を見送りながら、フッと笑う。

(やっぱり綺麗だなぁ、怒ってる薊野くん)

 テーブルの上では、温かい紅茶が、ゆらゆらと揺れていた。



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