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第22話 心
第22話・2 苦悩
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深夜の解析室。
リルは壁に寄りかかりながら、黙って資料を眺めていた。
近くの椅子にはシエリが座り、セセラもその隣で深く椅子に体を沈めている。
空気は静かだが、どこか張りつめていた。
「……で? セセラ──さっき言ってた“別件の調査”というのは?」
シエリが目線だけを送る。
セセラは気怠そうに頬を掻きながら答えた。
「……ああ、その話……ちょっと調べたら、出てきたんだわ」
セセラは数時間前にジキルと直接会ったばかりだ。
そこで話されたこと、知ったこと、そしてその後調べたことを伝えようとする。
──しかし、リルがいる場だ。
リルの前で『ジキルと直接会ってきた』なんて言ったらどうなることか。
……直接会ったとは言わないよう念頭に入れ、あたかも“全て調べたら見つかった”風に話す。
「Z.EUSって名前の、民間の研究グループ。一応、医療技術開発って建前になってるけど内実はほぼ正体不明。活動拠点も法人登録も曖昧。……いかにも、裏があるって感じだった」
シエリが目を細めた。
「聞いたことがない。そもそも、どこからその名前を?」
「……少し前に拾った論文の断片に載ってた。個人名は伏せられてたけど、使用してる用語、理論モデル……全部あいつに近かった」
「……ジキルか」
その名前を呟いたのは、リル。
しかしセセラは何も言わず、ただ頷いた。
「明言はできねえよ。でも、もしそれが本当にジキルの組織なら……今、あいつは機関の目の届かない場所で、好き勝手やってる可能性が高い」
(……ていうか、実際そうなんだけどな……)
「Z.EUS……」
リルの赤い瞳が、警戒と怒りの光を帯びる。
「じゃあ……オレらがあの時見た連中……あれも全部、そこの関係者ってことか?」
「……その可能性はある」
セセラの声は静かだが、明らかに苛立ちが滲んでいた。
「龍因子の適合個体を集めて、何かを進めてると見ていい。トワ、クオン、銀髪のヤツ……それ以外にも、まだいるかもしれねえ」
「……っ」
リルのこめかみに力が入る。
あの時、レイラが襲われたという。
その場に自分がいなかったことが、ただただ悔しい。
(話にあったあいつが……Z.EUSの一員……?)
「セセラ、リル。正直、この情報をどう扱うかは、まだ判断が難しい」
呟くようなシエリの声。
「でも……少なくとも、自然発生の龍とは異質。……これは、作られている。その意図が何であれ、危険な兆候だ」
「……オレが動く……」
すぐにリルが低い声で反応する。
「……もう、見てるだけじゃいられねえ……」
シエリはリルを一瞥したが、何も言わない。
セセラはゆっくりと腕を組み、何かを考えるように視線を伏せた。
(……リル……お前が本当に知るべきことは、まだあるんだよ……)
そう呟きかけた言葉を、胸の内に飲み込んだ。
◇
翌朝。
朝日が、レイラのいる病室のカーテン越しに静かに射し込む。
「…………」
レイラはベッドの中で身動ぎもせず、天井を見つめていた。
目は腫れぼったく、数日満足に眠れていないことを物語っている。
──コンコンッ……
「…………」
誰かが扉をノックしている気がした。だが、返事を返す気力が無かった。
(何も、したくない)
あの男──ジキルの声が、何度も頭の中で反響していた。
『またね、レイラちゃん!』
あの笑顔、あの瞳。
自分に向けられた優しさは、全て計算だったのか?
(……本当に、全部……嘘だったの?)
信じた自分が、バカだったのか。
でも、あの時確かに心が救われた気がしたのも、事実だった。
「……わからないよ……」
掠れた声で呟き、レイラは顔を枕に埋めた。
右腕にはまだ固定具が巻かれ、動かす度に鈍い痛みが走る。
けれどそれ以上に、心の中の痛みは収まる気配を見せなかった。
(リルに……言えない。アシュにも……ラショウにも……薊野さんにもシエリ先生にも)
誰にも言えない秘密が、心の中に泥のように沈んでいく。
朝の静けさが、余計にその苦しみを際立たせた。
まるで、世界に自分ひとりだけが取り残されているような──そんな気がしていた。
それでも。
(……あの人のことを、誰かに話すのは……やっぱり、怖い……)
巻き込みたくない。
レイラは、誰かを失うことに人一倍敏感だった。
独りだった。独りになった。長い時間、ずっと。
だからこそ、手に入れた仲間という存在がどれだけ大切かを、誰よりも知っている。
(でも……)
声にならない感情が、胸の奥で渦を巻いた。
(今の私は、弱い)
拳を握ることも、誰かを支えることもできない。
(このままじゃ、あの人に……また会ったときに……何もできない)
そして、か細く小さく呟いた。
「……強く、なりたいよ……」
──コン、コン……
再び、ノックの音が鳴る。
(……また……聞こえた)
今回もレイラは返事をしなかった。
しかし今度は、扉が静かに開かれる音が耳に入る。
「……失礼、シエリちゃん先生だ。入るぞ」
入ってきたのは、シエリとセセラだった。
レイラはそっと顔を枕から上げる。
その動きがぎこちなくて、眠れていなかったのがふたりとも一目でわかった。
「ああ……ごめん。起こしたか」
セセラがやや気まずそうに眉をしかめると、レイラは微かに首を横に振った。
「ううん。……起きてた。ずっと、寝れなくて」
無言で椅子を引き、ベッドの傍に腰を下ろすシエリ。
セセラもベッドの近くへ来て、背を壁に預けるように立った。
一瞬、誰も何も言わなかった。
──それが、逆に優しくて。
(……ああ、やっぱり……)
レイラは、唇を噛む。
(……今から、怒られるんだ)
無断で外出した。
ジキルと会ったことを隠してた。
自分の過ちで、アシュラを負傷させた。
機関を巻き込む危険に、リルをも晒した。
──怒られないはずがない。
でも。
(……もう……無理かもしれない)
心が重たすぎて、苦しくて、言葉にできない想いが喉に詰まっていた。
それでも──。
「……あの……私……、ジキル……に……何回も会った」
「…………」
セセラの肩がピクリと動いたが、何も言わない。
「最初は……偶然だったの、たぶん……。名前呼ばれて……。なんか、怖くて……。でも、そのあとも何度か……あの人、普通に笑って話しかけてきて……」
レイラの声が微かに震えている。
「いつしか……や、優しかった。冗談も言うし、何も、怖くなくなった。むしろ……すごく、安心したの。あの人は、悪い人じゃないって……思いたくなった」
「……っ」
その言葉に、シエリの目がほんの僅か細くなった。
だが、やはり何も言わなかった。
レイラは俯きながら、話を続ける。
「でも……この前、あの場所……研究施設に行った。ジキルに誘われて、知らない施設に。……そこで……私、リルのこと、聞かされた」
「……!!」
その言葉に、シエリとセセラが同時に目を見開くような反応を見せる。
(マジか……レイラ……ジキルがリルをやったこと、知っちまったのかよ)
レイラは、更に喉が詰まった。
「……リルに龍を封じたのは、あ、あの人だった。被検体だったって……じっ、じ、自分の子供を……自分の研究に……!」
涙がレイラの頬を伝う。
声は震え、喉の奥で嗚咽が漏れかける。
「ッ、それでも、信じたくて……そんなのやだって言って、でも許せなくて、ッ、ナイフを……でも、動けなくて……!」
「……ッ……」
セセラは目を伏せた。
「それでも、私が立ち向かおうとした時……現れたんだ……スカルって呼ばれてた男の人……。冷たくて、何の感情も無くて……わ、私の腕、……折られた……っ」
声が崩れていく。
それでも、止めなかった。
「私、殺されかけて……何もできなくて……アシュが、助けてくれたのに……!」
「ッ、……誰にも言えなかった……怖かった……っ……、ううっ……怒られるのが怖かった……また誰かに、っ、迷惑をかけるのが……!」
そして、声を絞るように──。
「……私、っ、……間違ってたよね……?」
その問いに、セセラもシエリも、すぐには答えなかった。
「…………」
やがて、シエリが静かに答える。
「……キミは、何も間違っていない」
はっと顔を上げるレイラ。
「傷ついたこと。信じようとしたこと。話せなかったこと。全部、間違いなんかではない。ただ……今こうして話してくれたことが、何よりも大切」
続けるようにセセラがゆっくりと壁から背を離して、レイラの傍に近づく。
その表情は、どこまでも優しく──けれど真剣だった。
「なあ、レイラ。俺は怒ってなんかねえよ。むしろ……お前がひとりで、あれだけのことを抱えて、ここまで戻ってきてくれたことに……ホッとしてんの」
「…………っ……!」
レイラは、ぐしゃぐしゃの顔のまま小さく嗚咽を漏らす。
溢れる涙は、もう止められないようだった。
「……う、っ、ぅ……、ううッ、薊野さんっ……、私、怖かったよ……」
「ん。わかってるよ」
セセラはレイラの頭を軽く撫でたあと、そっとその華奢な左肩に手を置いた。
「大丈夫。お前は独りじゃねーよ」
「ひっく……っ、ううっ……ひぐッ…………」
その言葉に、レイラの心がようやく少しだけ溶けた気がした。
◇
──しばらくの沈黙が、病室を包んでいた。
レイラは泣き疲れたように目を伏せ、セセラはそれをそっと見守っている。
静かな時間の中。
シエリは端末を開き、操作を始めた。
「スカル……奴の名だな。銀髪で金色の目、感情の欠如、尋常じゃない身体能力……」
ぽつぽつと口にした分析の断片に、セセラが小さく反応する。
「……やっぱ、そうだよな。自然に発生した龍じゃねえ。造られた。あれは……人間を模した龍。あるいは、“人間の姿をした別物”……ってやつか」
「……まさに、人間の姿をした何か、だ。私とはまた違う……、何の為に……」
シエリの声に感情は無かったが、その背後にある焦燥は空間に冷たく滲んでいた。
「情報の統制を解く。解析班に、スカルという個体の特徴を共有。それから……Z.EUSという名の組織についても、正式に調査を始めよう」
「ようやく本腰入れるってわけか」
「そうしなければ、もう持たない」
レイラの傷。
リルの迷い。
アシュラの負傷。
ラショウの不安。
誰かがまた動いている。裏で、着実に。
セセラはふとベッドの上のレイラを見て、口を開く。
「お前が……今日、話してくれてよかった」
レイラは少し驚いたように顔を上げた。
「見えてなかった相手が、これでやっと形になった。これから動くのは、俺たちの番だ」
「…………っ、ありがとう……薊野さん」
声はまだ掠れていたが、そこにあったのは確かな安堵。
──その時。
シエリがひとつのウィンドウを開き、モニターをセセラに示す。
「セセラ、これ。ジキルの過去ログに残っていた外部ネットワークのアクセス履歴だが……。端末認証名……“HYDRA”。しかしアクセス先は不明」
「あ? なんでこんなもん残してんだ……あいつ、マジで趣味わりいな」
「あえて残していたのか……一定周期で何かを送っていたようだ」
「……ログの送信先は? 読めねえのか」
「ああ。仮想転送ルートが三重に……いや複雑に組まれている。だが……これだけは、確実に言える」
シエリは静かに、そして低い声で続けた。
「この組織、準備はとっくに終わっている。──もう、次が始まっているんだよ」
部屋の空気が、僅かに緊張を帯びる。
レイラはシーツを握る左手に、ゆっくりと力を込めた。
「……だったら、私も……。このまま何もできないなんて、イヤだから……」
「焦んな。お前は今は、休んで回復するのが最優先」
セセラがそう言っても、レイラの目はまっすぐだった。
「でも、次が来るなら……今度は、ちゃんと戦えるようになりたい」
「…………」
その言葉にセセラとシエリは一瞬だけ目を合わせ──無言で、ゆっくりと頷いた。
◇
レイラがシエリとセセラに打ち明けた頃と同じ頃。
──場所は、Z.EUS本拠地施設。
研究室ではない、白を基調とした洋室。大理石の床には一切の汚れも乱れも無い。
天井からは淡く灯る照明がぶら下がり、その光がひとりの男の艶やかな赤髪を照らしている。
その赤髪の男──ジキルはソファに寝そべるようにして座り、手元のタブレットで何かの動画を眺めながら笑っていた。
(これ……面白いな~。人間ってほんと、時々すごくバカで可愛い)
その声に呼応するように、扉が無言で開かれた。
中に入ってきたのは。
「……失礼いたします」
低く抑揚の無い声。
スカル──。
銀髪と黒衣のこの男はジキルの側近であり、唯一この部屋に自由に出入りできる存在だった。
温度の無い冷たい金の瞳をジキルに向け、静かに一礼する。
「ん。待ってたよ」
ジキルは動画を止め、スカルに視線を移す。
その目が少し鋭くなった。
「ねえ……お前、あの子……アシュラくんと邂逅したでしょ。どうだった?」
「……あの白髪の青年が、西城アシュラ……で間違いありません」
その瞬間、スカルの中で何かが弾ける。
「…………」
静かな怒り。抑圧されていた憎悪。
無表情の奥で、心の底から煮えたぎるものがあった。
(……あれが、俺を……)
(俺の人生を壊した家の中心にいる男か)
ジキルはスカルの微細な変化に気づいたように、口角を上げる。
「へぇ~。フフッ、そっかそっか。やっぱり、お前の中にもまだあったね? 根っこに……ね」
スカルは姿勢を崩さず、淡々と口を開いた。
「感情は排除しています。ジキル様の命令が最優先です」
「わかってるよ、スカル。でもねぇ……お前、あの時ちょっと嬉しそうに殴ってたよ」
「見てたのですか」
「ちゃんと見てたァ♡」
からかうようなジキルの口調に、スカルは一瞬だけ視線を伏せる。
「…………否定は、しません」
ジキルはその様子を楽しげに見つめながら、ソファから立ち上がった。
そのままゆっくりと歩き、スカルの目の前に立つ。
「お前さあ……強いんだからそのまま突っ走ってもいいんだよ? オレは止めない」
「……ジキル様の意向に従います」
「え、ウフフッ……、うんうん、偉い偉い」
そう言ってジキルは、スカルの肩をぽんと軽く叩いた。
「でも、アシュラくんにはまだ秘密があるよ。ほら、あの家の子なんだからさ。調べれば面白いことがわんさか出てくるかも……」
「…………」
「例えば、内に秘めた狂気とか。お前みたいに」
スカルは淡々と──。
「……承知しました。引き続き、調査を進めておきます」
と答える。
「……フフ……ッ…………」
軽く笑うとジキルは背を向け、窓の外を見ながら穏やかに呟いた。
「人間ってさァ、いいよね。苦しんだり、怒ったり、悔しんだり……そういうのが強さになる。お前もそうだろ?」
「…………」
スカルは言葉を返さなかった。
だがその金の瞳の奥には、確かに燃えるような怒りと欲望が揺れていた。
(──西城家……)
(俺の人生を……返せ)
ジキルはくすりと笑う。
「さて……これからどんどん面白くなるよ。なあ? オレの従者くん」
スカルは無表情のまま、静かに答えた。
「……はい」
リルは壁に寄りかかりながら、黙って資料を眺めていた。
近くの椅子にはシエリが座り、セセラもその隣で深く椅子に体を沈めている。
空気は静かだが、どこか張りつめていた。
「……で? セセラ──さっき言ってた“別件の調査”というのは?」
シエリが目線だけを送る。
セセラは気怠そうに頬を掻きながら答えた。
「……ああ、その話……ちょっと調べたら、出てきたんだわ」
セセラは数時間前にジキルと直接会ったばかりだ。
そこで話されたこと、知ったこと、そしてその後調べたことを伝えようとする。
──しかし、リルがいる場だ。
リルの前で『ジキルと直接会ってきた』なんて言ったらどうなることか。
……直接会ったとは言わないよう念頭に入れ、あたかも“全て調べたら見つかった”風に話す。
「Z.EUSって名前の、民間の研究グループ。一応、医療技術開発って建前になってるけど内実はほぼ正体不明。活動拠点も法人登録も曖昧。……いかにも、裏があるって感じだった」
シエリが目を細めた。
「聞いたことがない。そもそも、どこからその名前を?」
「……少し前に拾った論文の断片に載ってた。個人名は伏せられてたけど、使用してる用語、理論モデル……全部あいつに近かった」
「……ジキルか」
その名前を呟いたのは、リル。
しかしセセラは何も言わず、ただ頷いた。
「明言はできねえよ。でも、もしそれが本当にジキルの組織なら……今、あいつは機関の目の届かない場所で、好き勝手やってる可能性が高い」
(……ていうか、実際そうなんだけどな……)
「Z.EUS……」
リルの赤い瞳が、警戒と怒りの光を帯びる。
「じゃあ……オレらがあの時見た連中……あれも全部、そこの関係者ってことか?」
「……その可能性はある」
セセラの声は静かだが、明らかに苛立ちが滲んでいた。
「龍因子の適合個体を集めて、何かを進めてると見ていい。トワ、クオン、銀髪のヤツ……それ以外にも、まだいるかもしれねえ」
「……っ」
リルのこめかみに力が入る。
あの時、レイラが襲われたという。
その場に自分がいなかったことが、ただただ悔しい。
(話にあったあいつが……Z.EUSの一員……?)
「セセラ、リル。正直、この情報をどう扱うかは、まだ判断が難しい」
呟くようなシエリの声。
「でも……少なくとも、自然発生の龍とは異質。……これは、作られている。その意図が何であれ、危険な兆候だ」
「……オレが動く……」
すぐにリルが低い声で反応する。
「……もう、見てるだけじゃいられねえ……」
シエリはリルを一瞥したが、何も言わない。
セセラはゆっくりと腕を組み、何かを考えるように視線を伏せた。
(……リル……お前が本当に知るべきことは、まだあるんだよ……)
そう呟きかけた言葉を、胸の内に飲み込んだ。
◇
翌朝。
朝日が、レイラのいる病室のカーテン越しに静かに射し込む。
「…………」
レイラはベッドの中で身動ぎもせず、天井を見つめていた。
目は腫れぼったく、数日満足に眠れていないことを物語っている。
──コンコンッ……
「…………」
誰かが扉をノックしている気がした。だが、返事を返す気力が無かった。
(何も、したくない)
あの男──ジキルの声が、何度も頭の中で反響していた。
『またね、レイラちゃん!』
あの笑顔、あの瞳。
自分に向けられた優しさは、全て計算だったのか?
(……本当に、全部……嘘だったの?)
信じた自分が、バカだったのか。
でも、あの時確かに心が救われた気がしたのも、事実だった。
「……わからないよ……」
掠れた声で呟き、レイラは顔を枕に埋めた。
右腕にはまだ固定具が巻かれ、動かす度に鈍い痛みが走る。
けれどそれ以上に、心の中の痛みは収まる気配を見せなかった。
(リルに……言えない。アシュにも……ラショウにも……薊野さんにもシエリ先生にも)
誰にも言えない秘密が、心の中に泥のように沈んでいく。
朝の静けさが、余計にその苦しみを際立たせた。
まるで、世界に自分ひとりだけが取り残されているような──そんな気がしていた。
それでも。
(……あの人のことを、誰かに話すのは……やっぱり、怖い……)
巻き込みたくない。
レイラは、誰かを失うことに人一倍敏感だった。
独りだった。独りになった。長い時間、ずっと。
だからこそ、手に入れた仲間という存在がどれだけ大切かを、誰よりも知っている。
(でも……)
声にならない感情が、胸の奥で渦を巻いた。
(今の私は、弱い)
拳を握ることも、誰かを支えることもできない。
(このままじゃ、あの人に……また会ったときに……何もできない)
そして、か細く小さく呟いた。
「……強く、なりたいよ……」
──コン、コン……
再び、ノックの音が鳴る。
(……また……聞こえた)
今回もレイラは返事をしなかった。
しかし今度は、扉が静かに開かれる音が耳に入る。
「……失礼、シエリちゃん先生だ。入るぞ」
入ってきたのは、シエリとセセラだった。
レイラはそっと顔を枕から上げる。
その動きがぎこちなくて、眠れていなかったのがふたりとも一目でわかった。
「ああ……ごめん。起こしたか」
セセラがやや気まずそうに眉をしかめると、レイラは微かに首を横に振った。
「ううん。……起きてた。ずっと、寝れなくて」
無言で椅子を引き、ベッドの傍に腰を下ろすシエリ。
セセラもベッドの近くへ来て、背を壁に預けるように立った。
一瞬、誰も何も言わなかった。
──それが、逆に優しくて。
(……ああ、やっぱり……)
レイラは、唇を噛む。
(……今から、怒られるんだ)
無断で外出した。
ジキルと会ったことを隠してた。
自分の過ちで、アシュラを負傷させた。
機関を巻き込む危険に、リルをも晒した。
──怒られないはずがない。
でも。
(……もう……無理かもしれない)
心が重たすぎて、苦しくて、言葉にできない想いが喉に詰まっていた。
それでも──。
「……あの……私……、ジキル……に……何回も会った」
「…………」
セセラの肩がピクリと動いたが、何も言わない。
「最初は……偶然だったの、たぶん……。名前呼ばれて……。なんか、怖くて……。でも、そのあとも何度か……あの人、普通に笑って話しかけてきて……」
レイラの声が微かに震えている。
「いつしか……や、優しかった。冗談も言うし、何も、怖くなくなった。むしろ……すごく、安心したの。あの人は、悪い人じゃないって……思いたくなった」
「……っ」
その言葉に、シエリの目がほんの僅か細くなった。
だが、やはり何も言わなかった。
レイラは俯きながら、話を続ける。
「でも……この前、あの場所……研究施設に行った。ジキルに誘われて、知らない施設に。……そこで……私、リルのこと、聞かされた」
「……!!」
その言葉に、シエリとセセラが同時に目を見開くような反応を見せる。
(マジか……レイラ……ジキルがリルをやったこと、知っちまったのかよ)
レイラは、更に喉が詰まった。
「……リルに龍を封じたのは、あ、あの人だった。被検体だったって……じっ、じ、自分の子供を……自分の研究に……!」
涙がレイラの頬を伝う。
声は震え、喉の奥で嗚咽が漏れかける。
「ッ、それでも、信じたくて……そんなのやだって言って、でも許せなくて、ッ、ナイフを……でも、動けなくて……!」
「……ッ……」
セセラは目を伏せた。
「それでも、私が立ち向かおうとした時……現れたんだ……スカルって呼ばれてた男の人……。冷たくて、何の感情も無くて……わ、私の腕、……折られた……っ」
声が崩れていく。
それでも、止めなかった。
「私、殺されかけて……何もできなくて……アシュが、助けてくれたのに……!」
「ッ、……誰にも言えなかった……怖かった……っ……、ううっ……怒られるのが怖かった……また誰かに、っ、迷惑をかけるのが……!」
そして、声を絞るように──。
「……私、っ、……間違ってたよね……?」
その問いに、セセラもシエリも、すぐには答えなかった。
「…………」
やがて、シエリが静かに答える。
「……キミは、何も間違っていない」
はっと顔を上げるレイラ。
「傷ついたこと。信じようとしたこと。話せなかったこと。全部、間違いなんかではない。ただ……今こうして話してくれたことが、何よりも大切」
続けるようにセセラがゆっくりと壁から背を離して、レイラの傍に近づく。
その表情は、どこまでも優しく──けれど真剣だった。
「なあ、レイラ。俺は怒ってなんかねえよ。むしろ……お前がひとりで、あれだけのことを抱えて、ここまで戻ってきてくれたことに……ホッとしてんの」
「…………っ……!」
レイラは、ぐしゃぐしゃの顔のまま小さく嗚咽を漏らす。
溢れる涙は、もう止められないようだった。
「……う、っ、ぅ……、ううッ、薊野さんっ……、私、怖かったよ……」
「ん。わかってるよ」
セセラはレイラの頭を軽く撫でたあと、そっとその華奢な左肩に手を置いた。
「大丈夫。お前は独りじゃねーよ」
「ひっく……っ、ううっ……ひぐッ…………」
その言葉に、レイラの心がようやく少しだけ溶けた気がした。
◇
──しばらくの沈黙が、病室を包んでいた。
レイラは泣き疲れたように目を伏せ、セセラはそれをそっと見守っている。
静かな時間の中。
シエリは端末を開き、操作を始めた。
「スカル……奴の名だな。銀髪で金色の目、感情の欠如、尋常じゃない身体能力……」
ぽつぽつと口にした分析の断片に、セセラが小さく反応する。
「……やっぱ、そうだよな。自然に発生した龍じゃねえ。造られた。あれは……人間を模した龍。あるいは、“人間の姿をした別物”……ってやつか」
「……まさに、人間の姿をした何か、だ。私とはまた違う……、何の為に……」
シエリの声に感情は無かったが、その背後にある焦燥は空間に冷たく滲んでいた。
「情報の統制を解く。解析班に、スカルという個体の特徴を共有。それから……Z.EUSという名の組織についても、正式に調査を始めよう」
「ようやく本腰入れるってわけか」
「そうしなければ、もう持たない」
レイラの傷。
リルの迷い。
アシュラの負傷。
ラショウの不安。
誰かがまた動いている。裏で、着実に。
セセラはふとベッドの上のレイラを見て、口を開く。
「お前が……今日、話してくれてよかった」
レイラは少し驚いたように顔を上げた。
「見えてなかった相手が、これでやっと形になった。これから動くのは、俺たちの番だ」
「…………っ、ありがとう……薊野さん」
声はまだ掠れていたが、そこにあったのは確かな安堵。
──その時。
シエリがひとつのウィンドウを開き、モニターをセセラに示す。
「セセラ、これ。ジキルの過去ログに残っていた外部ネットワークのアクセス履歴だが……。端末認証名……“HYDRA”。しかしアクセス先は不明」
「あ? なんでこんなもん残してんだ……あいつ、マジで趣味わりいな」
「あえて残していたのか……一定周期で何かを送っていたようだ」
「……ログの送信先は? 読めねえのか」
「ああ。仮想転送ルートが三重に……いや複雑に組まれている。だが……これだけは、確実に言える」
シエリは静かに、そして低い声で続けた。
「この組織、準備はとっくに終わっている。──もう、次が始まっているんだよ」
部屋の空気が、僅かに緊張を帯びる。
レイラはシーツを握る左手に、ゆっくりと力を込めた。
「……だったら、私も……。このまま何もできないなんて、イヤだから……」
「焦んな。お前は今は、休んで回復するのが最優先」
セセラがそう言っても、レイラの目はまっすぐだった。
「でも、次が来るなら……今度は、ちゃんと戦えるようになりたい」
「…………」
その言葉にセセラとシエリは一瞬だけ目を合わせ──無言で、ゆっくりと頷いた。
◇
レイラがシエリとセセラに打ち明けた頃と同じ頃。
──場所は、Z.EUS本拠地施設。
研究室ではない、白を基調とした洋室。大理石の床には一切の汚れも乱れも無い。
天井からは淡く灯る照明がぶら下がり、その光がひとりの男の艶やかな赤髪を照らしている。
その赤髪の男──ジキルはソファに寝そべるようにして座り、手元のタブレットで何かの動画を眺めながら笑っていた。
(これ……面白いな~。人間ってほんと、時々すごくバカで可愛い)
その声に呼応するように、扉が無言で開かれた。
中に入ってきたのは。
「……失礼いたします」
低く抑揚の無い声。
スカル──。
銀髪と黒衣のこの男はジキルの側近であり、唯一この部屋に自由に出入りできる存在だった。
温度の無い冷たい金の瞳をジキルに向け、静かに一礼する。
「ん。待ってたよ」
ジキルは動画を止め、スカルに視線を移す。
その目が少し鋭くなった。
「ねえ……お前、あの子……アシュラくんと邂逅したでしょ。どうだった?」
「……あの白髪の青年が、西城アシュラ……で間違いありません」
その瞬間、スカルの中で何かが弾ける。
「…………」
静かな怒り。抑圧されていた憎悪。
無表情の奥で、心の底から煮えたぎるものがあった。
(……あれが、俺を……)
(俺の人生を壊した家の中心にいる男か)
ジキルはスカルの微細な変化に気づいたように、口角を上げる。
「へぇ~。フフッ、そっかそっか。やっぱり、お前の中にもまだあったね? 根っこに……ね」
スカルは姿勢を崩さず、淡々と口を開いた。
「感情は排除しています。ジキル様の命令が最優先です」
「わかってるよ、スカル。でもねぇ……お前、あの時ちょっと嬉しそうに殴ってたよ」
「見てたのですか」
「ちゃんと見てたァ♡」
からかうようなジキルの口調に、スカルは一瞬だけ視線を伏せる。
「…………否定は、しません」
ジキルはその様子を楽しげに見つめながら、ソファから立ち上がった。
そのままゆっくりと歩き、スカルの目の前に立つ。
「お前さあ……強いんだからそのまま突っ走ってもいいんだよ? オレは止めない」
「……ジキル様の意向に従います」
「え、ウフフッ……、うんうん、偉い偉い」
そう言ってジキルは、スカルの肩をぽんと軽く叩いた。
「でも、アシュラくんにはまだ秘密があるよ。ほら、あの家の子なんだからさ。調べれば面白いことがわんさか出てくるかも……」
「…………」
「例えば、内に秘めた狂気とか。お前みたいに」
スカルは淡々と──。
「……承知しました。引き続き、調査を進めておきます」
と答える。
「……フフ……ッ…………」
軽く笑うとジキルは背を向け、窓の外を見ながら穏やかに呟いた。
「人間ってさァ、いいよね。苦しんだり、怒ったり、悔しんだり……そういうのが強さになる。お前もそうだろ?」
「…………」
スカルは言葉を返さなかった。
だがその金の瞳の奥には、確かに燃えるような怒りと欲望が揺れていた。
(──西城家……)
(俺の人生を……返せ)
ジキルはくすりと笑う。
「さて……これからどんどん面白くなるよ。なあ? オレの従者くん」
スカルは無表情のまま、静かに答えた。
「……はい」
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