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コヨタ

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第22話 心

第22話・2 苦悩

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 深夜の解析室。

 リルは壁に寄りかかりながら、黙って資料を眺めていた。
 近くの椅子にはシエリが座り、セセラもその隣で深く椅子に体を沈めている。

 空気は静かだが、どこか張りつめていた。

「……で? セセラ──さっき言ってた“別件の調査”というのは?」

 シエリが目線だけを送る。
 セセラは気怠そうに頬を掻きながら答えた。

「……ああ、その話……ちょっと調べたら、出てきたんだわ」

 セセラは数時間前にジキルと直接会ったばかりだ。
 そこで話されたこと、知ったこと、そしてその後調べたことを伝えようとする。

 ──しかし、リルがいる場だ。

 リルの前で『ジキルと直接会ってきた』なんて言ったらどうなることか。

 ……直接会ったとは言わないよう念頭に入れ、あたかも“全て調べたら見つかった”風に話す。

Z.EUSゼウスって名前の、民間の研究グループ。一応、医療技術開発って建前になってるけど内実はほぼ正体不明。活動拠点も法人登録も曖昧。……いかにも、裏があるって感じだった」

 シエリが目を細めた。

「聞いたことがない。そもそも、どこからその名前を?」

「……少し前に拾った論文の断片に載ってた。個人名は伏せられてたけど、使用してる用語、理論モデル……全部に近かった」

「……ジキルか」

 その名前を呟いたのは、リル。
 しかしセセラは何も言わず、ただ頷いた。

「明言はできねえよ。でも、もしそれが本当にジキルの組織なら……今、あいつは機関の目の届かない場所で、好き勝手やってる可能性が高い」

(……ていうか、実際そうなんだけどな……)

「Z.EUS……」

 リルの赤い瞳が、警戒と怒りの光を帯びる。

「じゃあ……オレらがあの時見た連中……あれも全部、そこの関係者ってことか?」

「……その可能性はある」

 セセラの声は静かだが、明らかに苛立ちが滲んでいた。

「龍因子の適合個体を集めて、何かを進めてると見ていい。トワ、クオン、銀髪のヤツ……それ以外にも、まだいるかもしれねえ」

「……っ」

 リルのこめかみに力が入る。

 あの時、レイラが襲われたという。
 その場に自分がいなかったことが、ただただ悔しい。

(話にあったあいつが……Z.EUSの一員……?)

「セセラ、リル。正直、この情報をどう扱うかは、まだ判断が難しい」

 呟くようなシエリの声。

「でも……少なくとも、自然発生の龍とは異質。……これは、作られている。その意図が何であれ、危険な兆候だ」

「……オレが動く……」

 すぐにリルが低い声で反応する。

「……もう、見てるだけじゃいられねえ……」

 シエリはリルを一瞥したが、何も言わない。
 セセラはゆっくりと腕を組み、何かを考えるように視線を伏せた。

(……リル……お前が本当に知るべきことは、まだあるんだよ……)

 そう呟きかけた言葉を、胸の内に飲み込んだ。


 ◇


 翌朝。

 朝日が、レイラのいる病室のカーテン越しに静かに射し込む。

「…………」

 レイラはベッドの中で身動ぎもせず、天井を見つめていた。
 目は腫れぼったく、数日満足に眠れていないことを物語っている。

 ──コンコンッ……

「…………」

 誰かが扉をノックしている気がした。だが、返事を返す気力が無かった。

(何も、したくない)

 あの男──ジキルの声が、何度も頭の中で反響していた。

『またね、レイラちゃん!』

 あの笑顔、あの瞳。
 自分に向けられた優しさは、全て計算だったのか?

(……本当に、全部……嘘だったの?)

 信じた自分が、バカだったのか。

 でも、あの時確かに心が救われた気がしたのも、事実だった。

「……わからないよ……」

 掠れた声で呟き、レイラは顔を枕にうずめた。
 右腕にはまだ固定具が巻かれ、動かす度に鈍い痛みが走る。

 けれどそれ以上に、心の中の痛みは収まる気配を見せなかった。

(リルに……言えない。アシュにも……ラショウにも……薊野さんにもシエリ先生にも)

 誰にも言えない秘密が、心の中に泥のように沈んでいく。

 朝の静けさが、余計にその苦しみを際立たせた。

 まるで、世界に自分ひとりだけが取り残されているような──そんな気がしていた。

 それでも。

(……あの人のことを、誰かに話すのは……やっぱり、怖い……)

 巻き込みたくない。
 レイラは、誰かを失うことに人一倍敏感だった。

 独りだった。独りになった。長い時間、ずっと。
 だからこそ、手に入れたという存在がどれだけ大切かを、誰よりも知っている。

(でも……)

 声にならない感情が、胸の奥で渦を巻いた。

(今の私は、弱い)

 拳を握ることも、誰かを支えることもできない。

(このままじゃ、あの人に……また会ったときに……何もできない)

 そして、か細く小さく呟いた。

「……強く、なりたいよ……」

 ──コン、コン……

 再び、ノックの音が鳴る。

(……また……聞こえた)

 今回もレイラは返事をしなかった。
 しかし今度は、扉が静かに開かれる音が耳に入る。

「……失礼、シエリちゃん先生だ。入るぞ」

 入ってきたのは、シエリとセセラだった。

 レイラはそっと顔を枕から上げる。
 その動きがぎこちなくて、眠れていなかったのがふたりとも一目でわかった。

「ああ……ごめん。起こしたか」

 セセラがやや気まずそうに眉をしかめると、レイラは微かに首を横に振った。

「ううん。……起きてた。ずっと、寝れなくて」

 無言で椅子を引き、ベッドの傍に腰を下ろすシエリ。
 セセラもベッドの近くへ来て、背を壁に預けるように立った。

 一瞬、誰も何も言わなかった。

 ──それが、逆に優しくて。

(……ああ、やっぱり……)

 レイラは、唇を噛む。

(……今から、怒られるんだ)

 無断で外出した。
 ジキルと会ったことを隠してた。
 自分の過ちで、アシュラを負傷させた。
 機関を巻き込む危険に、リルをも晒した。

 ──怒られないはずがない。

 でも。

(……もう……無理かもしれない)

 心が重たすぎて、苦しくて、言葉にできない想いが喉に詰まっていた。

 それでも──。

「……あの……私……、ジキル……に……何回も会った」

「…………」

 セセラの肩がピクリと動いたが、何も言わない。

「最初は……偶然だったの、たぶん……。名前呼ばれて……。なんか、怖くて……。でも、そのあとも何度か……あの人、普通に笑って話しかけてきて……」

 レイラの声が微かに震えている。

「いつしか……や、優しかった。冗談も言うし、何も、怖くなくなった。むしろ……すごく、安心したの。あの人は、悪い人じゃないって……思いたくなった」

「……っ」

 その言葉に、シエリの目がほんの僅か細くなった。

 だが、やはり何も言わなかった。

 レイラは俯きながら、話を続ける。

「でも……この前、あの場所……研究施設に行った。ジキルに誘われて、知らない施設に。……そこで……私、、聞かされた」

「……!!」

 その言葉に、シエリとセセラが同時に目を見開くような反応を見せる。

(マジか……レイラ……ジキルがリルをやったこと、知っちまったのかよ)

 レイラは、更に喉が詰まった。

「……リルに龍を封じたのは、あ、あの人だった。被検体だったって……じっ、じ、自分の子供を……自分の研究に……!」

 涙がレイラの頬を伝う。
 声は震え、喉の奥で嗚咽が漏れかける。

「ッ、それでも、信じたくて……そんなのやだって言って、でも許せなくて、ッ、ナイフを……でも、動けなくて……!」

「……ッ……」

 セセラは目を伏せた。

「それでも、私が立ち向かおうとした時……現れたんだ……スカルって呼ばれてた男の人……。冷たくて、何の感情も無くて……わ、私の腕、……折られた……っ」

 声が崩れていく。

 それでも、止めなかった。

「私、殺されかけて……何もできなくて……アシュが、助けてくれたのに……!」

「ッ、……誰にも言えなかった……怖かった……っ……、ううっ……怒られるのが怖かった……また誰かに、っ、迷惑をかけるのが……!」

 そして、声を絞るように──。

「……私、っ、……間違ってたよね……?」

 その問いに、セセラもシエリも、すぐには答えなかった。

「…………」

 やがて、シエリが静かに答える。

「……キミは、何も間違っていない」

 はっと顔を上げるレイラ。

「傷ついたこと。信じようとしたこと。話せなかったこと。全部、間違いなんかではない。ただ……今こうして話してくれたことが、何よりも大切」

 続けるようにセセラがゆっくりと壁から背を離して、レイラの傍に近づく。
 その表情は、どこまでも優しく──けれど真剣だった。

「なあ、レイラ。俺は怒ってなんかねえよ。むしろ……お前がひとりで、あれだけのことを抱えて、ここまで戻ってきてくれたことに……ホッとしてんの」

「…………っ……!」

 レイラは、ぐしゃぐしゃの顔のまま小さく嗚咽を漏らす。
 溢れる涙は、もう止められないようだった。

「……う、っ、ぅ……、ううッ、薊野さんっ……、私、怖かったよ……」

「ん。わかってるよ」

 セセラはレイラの頭を軽く撫でたあと、そっとその華奢な左肩に手を置いた。

「大丈夫。お前は独りじゃねーよ」

「ひっく……っ、ううっ……ひぐッ…………」

 その言葉に、レイラの心がようやく少しだけ溶けた気がした。


 ◇


 ──しばらくの沈黙が、病室を包んでいた。

 レイラは泣き疲れたように目を伏せ、セセラはそれをそっと見守っている。

 静かな時間の中。
 シエリは端末を開き、操作を始めた。

「スカル……奴の名だな。銀髪で金色の目、感情の欠如、尋常じゃない身体能力……」

 ぽつぽつと口にした分析の断片に、セセラが小さく反応する。

「……やっぱ、そうだよな。自然に発生した龍じゃねえ。造られた。あれは……人間を模した龍。あるいは、“人間の姿をした別物”……ってやつか」

「……まさに、人間の姿をした何か、だ。私とはまた違う……、何の為に……」

 シエリの声に感情は無かったが、その背後にある焦燥は空間に冷たく滲んでいた。

「情報の統制を解く。解析班に、スカルという個体の特徴を共有。それから……Z.EUSという名の組織についても、正式に調査を始めよう」

「ようやく本腰入れるってわけか」

「そうしなければ、もう持たない」

 レイラの傷。
 リルの迷い。
 アシュラの負傷。
 ラショウの不安。
 誰かがまた動いている。裏で、着実に。

 セセラはふとベッドの上のレイラを見て、口を開く。

「お前が……今日、話してくれてよかった」

 レイラは少し驚いたように顔を上げた。

「見えてなかった相手が、これでやっと形になった。これから動くのは、俺たちの番だ」

「…………っ、ありがとう……薊野さん」

 声はまだ掠れていたが、そこにあったのは確かな安堵。

 ──その時。
 シエリがひとつのウィンドウを開き、モニターをセセラに示す。

「セセラ、これ。ジキルの過去ログに残っていた外部ネットワークのアクセス履歴だが……。端末認証名……“HYDRA”。しかしアクセス先は不明」

「あ? なんでこんなもん残してんだ……あいつ、マジで趣味わりいな」

「あえて残していたのか……一定周期で何かを送っていたようだ」

「……ログの送信先は? 読めねえのか」

「ああ。仮想転送ルートが三重に……いや複雑に組まれている。だが……これだけは、確実に言える」

 シエリは静かに、そして低い声で続けた。

「この組織、準備はとっくに終わっている。──もう、次が始まっているんだよ」

 部屋の空気が、僅かに緊張を帯びる。

 レイラはシーツを握る左手に、ゆっくりと力を込めた。

「……だったら、私も……。このまま何もできないなんて、イヤだから……」

「焦んな。お前は今は、休んで回復するのが最優先」

 セセラがそう言っても、レイラの目はまっすぐだった。

「でも、次が来るなら……今度は、ちゃんと戦えるようになりたい」

「…………」

 その言葉にセセラとシエリは一瞬だけ目を合わせ──無言で、ゆっくりと頷いた。


 ◇


 レイラがシエリとセセラに打ち明けた頃と同じ頃。

 ──場所は、Z.EUS本拠地施設。

 研究室ではない、白を基調とした洋室。大理石の床には一切の汚れも乱れも無い。
 天井からは淡く灯る照明がぶら下がり、その光がひとりの男の艶やかな赤髪を照らしている。

 その赤髪の男──ジキルはソファに寝そべるようにして座り、手元のタブレットで何かの動画を眺めながら笑っていた。

(これ……面白いな~。人間ってほんと、時々すごくバカで可愛い)

 その声に呼応するように、扉が無言で開かれた。

 中に入ってきたのは。

「……失礼いたします」

 低く抑揚の無い声。
 スカル──。

 銀髪と黒衣のこの男はジキルの側近であり、唯一この部屋に自由に出入りできる存在だった。
 温度の無い冷たい金の瞳をジキルに向け、静かに一礼する。

「ん。待ってたよ」

 ジキルは動画を止め、スカルに視線を移す。
 その目が少し鋭くなった。

「ねえ……お前、あの子……アシュラくんと邂逅したでしょ。どうだった?」

「……あの白髪はくはつの青年が、西城アシュラ……で間違いありません」

 その瞬間、スカルの中で何かが弾ける。

「…………」

 静かな怒り。抑圧されていた憎悪。
 無表情の奥で、心の底から煮えたぎるものがあった。

(……あれが、俺を……)

(俺の人生を壊した家の中心にいる男か)

 ジキルはスカルの微細な変化に気づいたように、口角を上げる。

「へぇ~。フフッ、そっかそっか。やっぱり、お前の中にもまだあったね? 根っこに……ね」

 スカルは姿勢を崩さず、淡々と口を開いた。

「感情は排除しています。ジキル様の命令が最優先です」

「わかってるよ、スカル。でもねぇ……お前、あの時ちょっと嬉しそうに殴ってたよ」

「見てたのですか」

「ちゃんと見てたァ♡」

 からかうようなジキルの口調に、スカルは一瞬だけ視線を伏せる。

「…………否定は、しません」

 ジキルはその様子を楽しげに見つめながら、ソファから立ち上がった。
 そのままゆっくりと歩き、スカルの目の前に立つ。

「お前さあ……強いんだからそのまま突っ走ってもいいんだよ? オレは止めない」

「……ジキル様の意向に従います」

「え、ウフフッ……、うんうん、偉い偉い」

 そう言ってジキルは、スカルの肩をぽんと軽く叩いた。

「でも、アシュラくんにはまだがあるよ。ほら、あの家の子なんだからさ。調べれば面白いことがわんさか出てくるかも……」

「…………」

「例えば、内に秘めた狂気とか。お前みたいに」

 スカルは淡々と──。

「……承知しました。引き続き、調査を進めておきます」

 と答える。

「……フフ……ッ…………」

 軽く笑うとジキルは背を向け、窓の外を見ながら穏やかに呟いた。

「人間ってさァ、いいよね。苦しんだり、怒ったり、悔しんだり……そういうのが強さになる。お前もそうだろ?」

「…………」

 スカルは言葉を返さなかった。
 だがその金の瞳の奥には、確かに燃えるような怒りと欲望が揺れていた。

(──西城家……)

(俺の人生を……返せ)

 ジキルはくすりと笑う。

「さて……これからどんどん面白くなるよ。なあ? オレの従者くん」

 スカルは無表情のまま、静かに答えた。

「……はい」



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