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第22話 心
第22話・3 気配
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翌日。
龍調査機関・特別ブリーフィングルーム。
白い室内。並ぶモニターに静かな光が走り、朝の陽射しを反射していた。
椅子に並ぶのは、リル、アシュラ、ラショウ。
向かいに立つのは、セセラとシエリ。
シエリが端末に目を落としながら口を開いた。
「皆に共有しておきたい情報がある。Z.EUSと名乗る組織についてだ」
一瞬、ラショウとアシュラが小さく動揺の色を見せる。
リルも顔を上げるが、どこか掴みかねている様子。
「……ゼウス……」
静かに呟くが、その響きには心当たりの無さが滲んでいた。
「この組織は、表向きには医療研究団体とされているようだが、実際は不明な活動を繰り返しており、龍因子適合個体への関与が確認されている」
シエリの言葉に、アシュラが口を開いた。
「……まさか、あの銀髪の男も?」
その問いにはセセラが頷く。
「ああ。その銀髪の男……スカルと呼ばれていた」
「スカル……」
「そいつも含め、このZ.EUSと繋がってる可能性が極めて高い」
「…………!」
あの圧倒的な攻撃力を思い出すかのように、眉を顰めるアシュラ。
「……そんな……」
そしてラショウの表情が強ばる。
リルは、黙って前を見つめていた。
(……Z.EUS……聞いたことねえ……)
(けど──)
胸の奥がざわつく。心が嫌に騒いでいるのがずっと落ち着かない。
そのリルの様子に気がついたセセラが目を向けた。
「リル……お前、何か心当たりは?」
「…………」
リルは、数秒だけ言葉に詰まった。
そして──ゆっくりと首を横に振る。
「……いや、知らねえ。ゼウスなんて名前、初めて聞いた。でも……なんか……妙に嫌な予感がしてる。根拠はねぇけど」
その言葉にシエリが僅かに目を細めた。
「嫌な予感……それはどういう?」
「…………ん……」
リルは言葉を探しながら、ゆっくり口を開く。
「前も言った……あの、でっけぇ女悪魔みたいなヤツ見てから、ずっと胸の奥がザラついてる。龍が人間みてえなのか、人間が龍みてえなのか……オレみたいに」
「……っ」
その言葉に、西城の兄妹が息を呑んだ。
ラショウは手を胸に寄せ、アシュラはリルの横顔を静かに見つめている。
セセラはそのふたりの様子を見ながらも、腕を組んだまま続けた。
「……だから、調べる価値があんだよ。誰が作ったかよりも、何を生もうとしてるか。この先……それが俺たち全員を巻き込む前にな」
「…………」
部屋の空気が、一際重く沈む。
そしてその沈黙の中で、リルだけが目を伏せ、深く拳を握りしめていた。
◇
──ブリーフィングルームから出た廊下。
リルは皆より一歩前を歩きながら、無言のまま足を進めていた。
その背中が、どこか重たかった。
肩が落ち、呼吸も浅い。
まるで自分の体が自分のものじゃないかのような歩き方。
「……リルくん」
後ろから声をかけたのはラショウだった。
リルは、振り返らない。
「……ん」
「……あの、ごめんなさい。気のせいだったらいいんだけど……」
ラショウは一瞬だけ言葉を選び、それでも勇気を出して続けた。
「……少し、顔色が……。ずっと、元気が無いように見えるの」
「…………」
リルは足を止めた。
だが──振り返らなかった。
「……そっか」
それだけを呟いて、また歩き出す。
ラショウは立ち止まったまま、悲しそうにその背中を見送った。
その様子を見たアシュラは、ラショウの肩に手を置く。
「……気づいてるんだな、お前も」
「……うん。リルくん……たぶん、無理してる……」
「無理……か……」
アシュラは目を伏せた。
(いや……無理というより、切り離してる)
リルは、感情をどこかに押し込んでいる。
あまりにも冷たく、静かに。
その後ろ姿が、どこか壊れかけたまま動いている人形のように見えた。
「…………」
──少し離れた場所からそれを見ていたセセラもまた、眉をひそめていた。
「……あいつ」
先程の会議で使用していた端末を持ちながら、ぼそっと呟く。
そのすぐ隣でシエリが目線を落としたまま、静かに声をかけた。
「リルは今、自分の中にあった何かを照らされ始めている。そして、それを見つめるのが、怖いのかもしれない」
「……知る前と、知ったあとじゃ、世界が変わる。それはわかってるけどよ……」
セセラは額を押さえながら、歯を食いしばる。
「俺……どうしても、何かしてやりたくなる。お節介かな。……あいつがあいつのままでいてくれるうちに」
「…………ふむ……」
シエリは何も言わなかった。
ただ、リルの歩く先に視線を向け、心の奥でそっと願った。
(どうか、キミがキミのままで、いられますように)
──リルは、無言のまま、人気の無い廊下の奥へと消えていく。
◇
夕暮れ近く──。
カーテン越しに射し込む光が、レイラの病室の床を淡く染めている。
「…………」
レイラはベッドに腰掛けたまま、本も端末も何も目を通さずにじっとしていた。
まだ右腕は固定されたまま。だが、もう顔は枕に沈めていない。
(……そろそろ夕方かな)
時間の感覚が曖昧で、けれど今日という日が無事に終わりそうなことに、ほっとしていた。
──コン……
突然聞こえた、静かなノック。
「……っ」
反応できずにいると、扉がゆっくり開いた。
「…………!」
現れたのは──リル。
レイラは、ほんの少しだけ息を呑む。
(……リル……!)
──あの日、ジキルからあの話を聞かされて以来、初めて見るその顔。
リルはしばらく無言だった。
表情も読めない。
ただ、少しだけ目の下の隈がいつもより濃い。
「……入って、いい?」
ようやく声を出したリルはそれだけを、ぽつりと。
レイラは黙っていたが、首を横には振らなかった。
──それが、答えだった。
リルは静かにレイラへと近づく。
ベッドの真横の丸椅子に腰を下ろすと、何もせず、ただ前を見た。
「…………」
沈黙が落ちる。
何を言えばいいのかわからない。
何を訊いていいのかも、怖い。
でも……ここにいる。
「……どうしたの」
ついにレイラが尋ねる。
リルはほんの少し口元を動かし──。
「……わかんねえ。なんか……気づいたら、足が向いてた」
それを聞いて、レイラも俯くように小さく笑った。
「……なにそれ、……へんなの」
ふたりとも、傷を抱えている。
重さの違いなんて比べられない。
しかし──重たいということだけは、共通していた。
リルは少しだけレイラに視線を向けると。
「……でもさ」
「ん……?」
「……今は、それでもいいだろ。……なんか……一緒にいたいって思ったから、来た」
「……っ、……うん。……私も、嬉しいよ」
「…………」
また、沈黙。
しかしそれは、もう苦しい沈黙じゃなかった。
互いの存在が、沈黙そのものを優しく包んでいる。
レイラはそっと身動ぎをして左腕を伸ばすと、リルの左袖を指先でつまんだ。
「……!」
リルはそれを見て、ほんの少しだけ、目元を緩める。
言葉は無くても、強がりも無くても──。
「リル……いてくれて、ありがとう」
その一言だけで、今は、十分だった。
◇
病室の窓の外が、夕焼けから静かな紺色へと移り変わる。
カーテンの隙間から洩れる月の光。
レイラとリルは、それぞれベッドと椅子のまま。
言葉は少ないが、互いに気配だけは感じていた。
「…………」
リルは窓の外をぼんやり眺めていた。
レイラは右腕を気にしつつベッドに寄りかかりながら、時折視線をそっとリルに向ける。
「……眠くないの?」
ぽつりと問うレイラ。
「……ん、……ちょっとだけ。でも……眠ったら悪夢見そうで」
そう答えたリルの声には、少しだけ弱さが滲んでいる。それが、レイラにはすぐに伝わった。
「……そっか。じゃあ……起きてて。隣にいてほしい」
「…………」
リルは返事をしなかったが、静かに椅子から腰を上げ、ベッドに座る。
横たわれば添い寝になるほど近い距離。
「…………」
そのままレイラの右肩に、そっと手を置いた。
「…………!」
温かい。
「……痛そ」
「……っ……」
固定具の巻かれた腕は、確かにまだ少し痛い。
だがレイラはそれに触れる手を、受け入れた。
「……リル……あのさ……」
「…………」
「もし、私が……もっと強かったら……。あの時……こんなことにならなかったのかなって、思ってた」
「…………オレも。ずっと思ってる。もっと強けりゃ、全部守れたかもって」
「でもさ……強くても、ダメな時もあるよね」
「ん……。『強い』って、たぶん……全部ひとりで背負えることじゃなくて……誰かがいるから、立ってられることなのかもな」
「……いいこと言うじゃん……」
「……うるせ……」
レイラがふっと笑い、リルも目を伏せて小さく息を吐く。
部屋は静かだった。
だがその静けさは、今は冷たくない。
レイラは瞼を閉じ始めた。
ゆっくり、深く、眠気に包まれていくように。
「……ねえ、リル」
「ん」
「さっき『寝たら悪夢見そう』って言ってたけどさ……」
「…………」
「ここにいてくれるなら……その夢、ちょっと分けてくれてもいいよ……」
「……!」
リルは驚いたように一瞬目を見開き──そして、そっと囁いた。
「……ああ。お前がいいなら……やるよ。夜泣きすんなよ?」
「ふふ……」
レイラは微笑んだ。
そのまま、静かに目を閉じる。
リルはベッドの上、レイラの隣で膝を立てて座ったまま。
月光に照らされながら、リルもようやく少しだけ目を閉じた。
──夜は静かに、ふたりを包んでいる。
それはきっと、互いの傷がほんの少しだけ、癒え始めた夜だった。
◇
──夜が明け、曇りひとつない静かな朝が訪れる。
龍調査機関の中枢管理室では、セセラとシエリを中心に淡々と作業が進んでいた。
「……解析班、スカルの移動経路に類似する反応は見られず。以後、Z.EUSに関連する痕跡の追跡を最優先とする……っと」
セセラは書類にチェックを入れると、「ん゙~」と唸りながら背を伸ばす。
「……これで任務申請も全部止めた。新たな龍の発生報告も数件だけ。全部軽度なやつだ。無視してれば勝手に消えるものもいる」
「ああ。クオントワ以来、まるで嵐の前の静けさみたいに何も起きないな」
シエリは手元の端末を見ながら、静かに答えた。
「それに、今のあの子たちに必要なのは治すことだ。レイラは怪我の回復。リルは……精神的な余白」
セセラは短く頷く。
「リルには今日からまた西城家への帰還を認めた。向こうの方が落ち着けるだろうしな。レイラはまだしばらく療養だけど……傍に誰かがいりゃあきっと違うだろ」
「……その誰かって、誰かな?」
「──ン゙ッ、ん~~……!! そんなん……ッ、先生とかラルトでいいだろ」
「素直じゃないなあキミは」
「っせえな……! あいつがさっさと治ってくんねえと、ヒマすぎて逆にダリぃんだよ!」
──そして同じ頃。西城家。
障子越しの朝日が、畳の上に柔らかく射し込む。
静かな和室の中、アシュラは湯呑みに注いだばかりの茶を飲んでいた。
そこに、通信端末に通知が届く。
《From:西城 了羅
久しぶりだな。仕事が一段落した。
今日の夕方に一旦帰る。部屋、片付けておいてくれると助かる。》
「……相変わらず急だな……」
呟きながらも、アシュラの口元はほんの僅か緩んでいた。
廊下からラショウが顔を覗かせる。
「パパから?」
「そ。父上このあと帰ってくるってさ」
「わ……久しぶり……!」
ぱあっと表情を明るくしたラショウが、そそくさと掃除道具を取りに奥へ走っていく。
アシュラもゆっくりと立ち上がった。
「……機関からもリルが今日戻ってくるって連絡が来てるし。タイミングってのは、重なるもんだな」
座布団を整え、ささやかに積もった埃を手で払う。
障子を少し開けると、風が入り、掛け軸の角がふわりと揺れた。
「……嵐が少し過ぎたと思ったら、今度は家の時間か。ま、悪くない」
穏やかな気配の中、西城家に“久しぶりの家族”が帰ってこようとしていた。
◇
龍調査機関・エントランスホール。
朝の館内に、足音が小さく響く。
小さなボストンバッグを片手に下げたリルが、ゆっくりと歩いてきた。
ラフな私服は、どこか街に溶け込むような格好。
セセラとシエリはエレベーター脇のベンチに座っていた。リルが来るのを待っていたように。
「……じゃ、オレ向こう戻るから」
ふたりの前で立ち止まって、そう一言だけ告げるリル。
その目は、どこかまだ空を泳いでいる。
意識の奥底に何かが沈んでいて、それを必死に黙らせているような──そんな瞳だった。
「…………」
セセラはリルの様子を一瞬だけ見つめてから、ごく軽く頷く。
「おう。お前の部屋、誰も荒らさねえから安心しろよ」
「……むしろオレ、今それが一番不安なんだけど」
僅かにリルの口元が緩んだ。
「なんかあったら……連絡頼むわ」
そう言ってリルは通信端末をチラッと掲げると、セセラはニヤリと口角を上げた。
「お前もな。既読無視とかすんなよ」
「それは薊野さんだろ」
即答。
思わずシエリが、声に出さずにフッと笑う。
「さて……リルが不在になったら、レイラが寂しくなるかもな」
不意に、シエリがそう小さく呟いた。
リルの目が微かに揺れたが、セセラがすぐに返す。
「そんときは俺がいてやるから、気にすんなよ」
その言葉に、リルとシエリがピタッとセセラを見た。
「「……お?」」
ふたり同時に出る、微妙に訝しげな声。
その“目線の意味”に、セセラは一瞬だけ気づかなかったが──すぐに「あ」と小さく呻く。
「……あー……いや……」
少しだけ耳が赤い。
「俺ちょっとイケメンすぎること言った?」
そう誤魔化すように呟くと、シエリは楽しそうに目を細める。
「……だそうだ。だからリル、ゆっくりしておいで♪」
リルはその空気に、肩の力を少しだけ抜いたように小さく頷いた。
「……助かるわ。じゃ、行ってくる」
荷物を片手に、踵を返す。
その背中に、セセラが小さく声をかけた。
「リル。あんま、考えすぎんなよ」
「…………」
リルは振り返らなかった。
けれどその声は、ちゃんと届いていた。
龍調査機関・特別ブリーフィングルーム。
白い室内。並ぶモニターに静かな光が走り、朝の陽射しを反射していた。
椅子に並ぶのは、リル、アシュラ、ラショウ。
向かいに立つのは、セセラとシエリ。
シエリが端末に目を落としながら口を開いた。
「皆に共有しておきたい情報がある。Z.EUSと名乗る組織についてだ」
一瞬、ラショウとアシュラが小さく動揺の色を見せる。
リルも顔を上げるが、どこか掴みかねている様子。
「……ゼウス……」
静かに呟くが、その響きには心当たりの無さが滲んでいた。
「この組織は、表向きには医療研究団体とされているようだが、実際は不明な活動を繰り返しており、龍因子適合個体への関与が確認されている」
シエリの言葉に、アシュラが口を開いた。
「……まさか、あの銀髪の男も?」
その問いにはセセラが頷く。
「ああ。その銀髪の男……スカルと呼ばれていた」
「スカル……」
「そいつも含め、このZ.EUSと繋がってる可能性が極めて高い」
「…………!」
あの圧倒的な攻撃力を思い出すかのように、眉を顰めるアシュラ。
「……そんな……」
そしてラショウの表情が強ばる。
リルは、黙って前を見つめていた。
(……Z.EUS……聞いたことねえ……)
(けど──)
胸の奥がざわつく。心が嫌に騒いでいるのがずっと落ち着かない。
そのリルの様子に気がついたセセラが目を向けた。
「リル……お前、何か心当たりは?」
「…………」
リルは、数秒だけ言葉に詰まった。
そして──ゆっくりと首を横に振る。
「……いや、知らねえ。ゼウスなんて名前、初めて聞いた。でも……なんか……妙に嫌な予感がしてる。根拠はねぇけど」
その言葉にシエリが僅かに目を細めた。
「嫌な予感……それはどういう?」
「…………ん……」
リルは言葉を探しながら、ゆっくり口を開く。
「前も言った……あの、でっけぇ女悪魔みたいなヤツ見てから、ずっと胸の奥がザラついてる。龍が人間みてえなのか、人間が龍みてえなのか……オレみたいに」
「……っ」
その言葉に、西城の兄妹が息を呑んだ。
ラショウは手を胸に寄せ、アシュラはリルの横顔を静かに見つめている。
セセラはそのふたりの様子を見ながらも、腕を組んだまま続けた。
「……だから、調べる価値があんだよ。誰が作ったかよりも、何を生もうとしてるか。この先……それが俺たち全員を巻き込む前にな」
「…………」
部屋の空気が、一際重く沈む。
そしてその沈黙の中で、リルだけが目を伏せ、深く拳を握りしめていた。
◇
──ブリーフィングルームから出た廊下。
リルは皆より一歩前を歩きながら、無言のまま足を進めていた。
その背中が、どこか重たかった。
肩が落ち、呼吸も浅い。
まるで自分の体が自分のものじゃないかのような歩き方。
「……リルくん」
後ろから声をかけたのはラショウだった。
リルは、振り返らない。
「……ん」
「……あの、ごめんなさい。気のせいだったらいいんだけど……」
ラショウは一瞬だけ言葉を選び、それでも勇気を出して続けた。
「……少し、顔色が……。ずっと、元気が無いように見えるの」
「…………」
リルは足を止めた。
だが──振り返らなかった。
「……そっか」
それだけを呟いて、また歩き出す。
ラショウは立ち止まったまま、悲しそうにその背中を見送った。
その様子を見たアシュラは、ラショウの肩に手を置く。
「……気づいてるんだな、お前も」
「……うん。リルくん……たぶん、無理してる……」
「無理……か……」
アシュラは目を伏せた。
(いや……無理というより、切り離してる)
リルは、感情をどこかに押し込んでいる。
あまりにも冷たく、静かに。
その後ろ姿が、どこか壊れかけたまま動いている人形のように見えた。
「…………」
──少し離れた場所からそれを見ていたセセラもまた、眉をひそめていた。
「……あいつ」
先程の会議で使用していた端末を持ちながら、ぼそっと呟く。
そのすぐ隣でシエリが目線を落としたまま、静かに声をかけた。
「リルは今、自分の中にあった何かを照らされ始めている。そして、それを見つめるのが、怖いのかもしれない」
「……知る前と、知ったあとじゃ、世界が変わる。それはわかってるけどよ……」
セセラは額を押さえながら、歯を食いしばる。
「俺……どうしても、何かしてやりたくなる。お節介かな。……あいつがあいつのままでいてくれるうちに」
「…………ふむ……」
シエリは何も言わなかった。
ただ、リルの歩く先に視線を向け、心の奥でそっと願った。
(どうか、キミがキミのままで、いられますように)
──リルは、無言のまま、人気の無い廊下の奥へと消えていく。
◇
夕暮れ近く──。
カーテン越しに射し込む光が、レイラの病室の床を淡く染めている。
「…………」
レイラはベッドに腰掛けたまま、本も端末も何も目を通さずにじっとしていた。
まだ右腕は固定されたまま。だが、もう顔は枕に沈めていない。
(……そろそろ夕方かな)
時間の感覚が曖昧で、けれど今日という日が無事に終わりそうなことに、ほっとしていた。
──コン……
突然聞こえた、静かなノック。
「……っ」
反応できずにいると、扉がゆっくり開いた。
「…………!」
現れたのは──リル。
レイラは、ほんの少しだけ息を呑む。
(……リル……!)
──あの日、ジキルからあの話を聞かされて以来、初めて見るその顔。
リルはしばらく無言だった。
表情も読めない。
ただ、少しだけ目の下の隈がいつもより濃い。
「……入って、いい?」
ようやく声を出したリルはそれだけを、ぽつりと。
レイラは黙っていたが、首を横には振らなかった。
──それが、答えだった。
リルは静かにレイラへと近づく。
ベッドの真横の丸椅子に腰を下ろすと、何もせず、ただ前を見た。
「…………」
沈黙が落ちる。
何を言えばいいのかわからない。
何を訊いていいのかも、怖い。
でも……ここにいる。
「……どうしたの」
ついにレイラが尋ねる。
リルはほんの少し口元を動かし──。
「……わかんねえ。なんか……気づいたら、足が向いてた」
それを聞いて、レイラも俯くように小さく笑った。
「……なにそれ、……へんなの」
ふたりとも、傷を抱えている。
重さの違いなんて比べられない。
しかし──重たいということだけは、共通していた。
リルは少しだけレイラに視線を向けると。
「……でもさ」
「ん……?」
「……今は、それでもいいだろ。……なんか……一緒にいたいって思ったから、来た」
「……っ、……うん。……私も、嬉しいよ」
「…………」
また、沈黙。
しかしそれは、もう苦しい沈黙じゃなかった。
互いの存在が、沈黙そのものを優しく包んでいる。
レイラはそっと身動ぎをして左腕を伸ばすと、リルの左袖を指先でつまんだ。
「……!」
リルはそれを見て、ほんの少しだけ、目元を緩める。
言葉は無くても、強がりも無くても──。
「リル……いてくれて、ありがとう」
その一言だけで、今は、十分だった。
◇
病室の窓の外が、夕焼けから静かな紺色へと移り変わる。
カーテンの隙間から洩れる月の光。
レイラとリルは、それぞれベッドと椅子のまま。
言葉は少ないが、互いに気配だけは感じていた。
「…………」
リルは窓の外をぼんやり眺めていた。
レイラは右腕を気にしつつベッドに寄りかかりながら、時折視線をそっとリルに向ける。
「……眠くないの?」
ぽつりと問うレイラ。
「……ん、……ちょっとだけ。でも……眠ったら悪夢見そうで」
そう答えたリルの声には、少しだけ弱さが滲んでいる。それが、レイラにはすぐに伝わった。
「……そっか。じゃあ……起きてて。隣にいてほしい」
「…………」
リルは返事をしなかったが、静かに椅子から腰を上げ、ベッドに座る。
横たわれば添い寝になるほど近い距離。
「…………」
そのままレイラの右肩に、そっと手を置いた。
「…………!」
温かい。
「……痛そ」
「……っ……」
固定具の巻かれた腕は、確かにまだ少し痛い。
だがレイラはそれに触れる手を、受け入れた。
「……リル……あのさ……」
「…………」
「もし、私が……もっと強かったら……。あの時……こんなことにならなかったのかなって、思ってた」
「…………オレも。ずっと思ってる。もっと強けりゃ、全部守れたかもって」
「でもさ……強くても、ダメな時もあるよね」
「ん……。『強い』って、たぶん……全部ひとりで背負えることじゃなくて……誰かがいるから、立ってられることなのかもな」
「……いいこと言うじゃん……」
「……うるせ……」
レイラがふっと笑い、リルも目を伏せて小さく息を吐く。
部屋は静かだった。
だがその静けさは、今は冷たくない。
レイラは瞼を閉じ始めた。
ゆっくり、深く、眠気に包まれていくように。
「……ねえ、リル」
「ん」
「さっき『寝たら悪夢見そう』って言ってたけどさ……」
「…………」
「ここにいてくれるなら……その夢、ちょっと分けてくれてもいいよ……」
「……!」
リルは驚いたように一瞬目を見開き──そして、そっと囁いた。
「……ああ。お前がいいなら……やるよ。夜泣きすんなよ?」
「ふふ……」
レイラは微笑んだ。
そのまま、静かに目を閉じる。
リルはベッドの上、レイラの隣で膝を立てて座ったまま。
月光に照らされながら、リルもようやく少しだけ目を閉じた。
──夜は静かに、ふたりを包んでいる。
それはきっと、互いの傷がほんの少しだけ、癒え始めた夜だった。
◇
──夜が明け、曇りひとつない静かな朝が訪れる。
龍調査機関の中枢管理室では、セセラとシエリを中心に淡々と作業が進んでいた。
「……解析班、スカルの移動経路に類似する反応は見られず。以後、Z.EUSに関連する痕跡の追跡を最優先とする……っと」
セセラは書類にチェックを入れると、「ん゙~」と唸りながら背を伸ばす。
「……これで任務申請も全部止めた。新たな龍の発生報告も数件だけ。全部軽度なやつだ。無視してれば勝手に消えるものもいる」
「ああ。クオントワ以来、まるで嵐の前の静けさみたいに何も起きないな」
シエリは手元の端末を見ながら、静かに答えた。
「それに、今のあの子たちに必要なのは治すことだ。レイラは怪我の回復。リルは……精神的な余白」
セセラは短く頷く。
「リルには今日からまた西城家への帰還を認めた。向こうの方が落ち着けるだろうしな。レイラはまだしばらく療養だけど……傍に誰かがいりゃあきっと違うだろ」
「……その誰かって、誰かな?」
「──ン゙ッ、ん~~……!! そんなん……ッ、先生とかラルトでいいだろ」
「素直じゃないなあキミは」
「っせえな……! あいつがさっさと治ってくんねえと、ヒマすぎて逆にダリぃんだよ!」
──そして同じ頃。西城家。
障子越しの朝日が、畳の上に柔らかく射し込む。
静かな和室の中、アシュラは湯呑みに注いだばかりの茶を飲んでいた。
そこに、通信端末に通知が届く。
《From:西城 了羅
久しぶりだな。仕事が一段落した。
今日の夕方に一旦帰る。部屋、片付けておいてくれると助かる。》
「……相変わらず急だな……」
呟きながらも、アシュラの口元はほんの僅か緩んでいた。
廊下からラショウが顔を覗かせる。
「パパから?」
「そ。父上このあと帰ってくるってさ」
「わ……久しぶり……!」
ぱあっと表情を明るくしたラショウが、そそくさと掃除道具を取りに奥へ走っていく。
アシュラもゆっくりと立ち上がった。
「……機関からもリルが今日戻ってくるって連絡が来てるし。タイミングってのは、重なるもんだな」
座布団を整え、ささやかに積もった埃を手で払う。
障子を少し開けると、風が入り、掛け軸の角がふわりと揺れた。
「……嵐が少し過ぎたと思ったら、今度は家の時間か。ま、悪くない」
穏やかな気配の中、西城家に“久しぶりの家族”が帰ってこようとしていた。
◇
龍調査機関・エントランスホール。
朝の館内に、足音が小さく響く。
小さなボストンバッグを片手に下げたリルが、ゆっくりと歩いてきた。
ラフな私服は、どこか街に溶け込むような格好。
セセラとシエリはエレベーター脇のベンチに座っていた。リルが来るのを待っていたように。
「……じゃ、オレ向こう戻るから」
ふたりの前で立ち止まって、そう一言だけ告げるリル。
その目は、どこかまだ空を泳いでいる。
意識の奥底に何かが沈んでいて、それを必死に黙らせているような──そんな瞳だった。
「…………」
セセラはリルの様子を一瞬だけ見つめてから、ごく軽く頷く。
「おう。お前の部屋、誰も荒らさねえから安心しろよ」
「……むしろオレ、今それが一番不安なんだけど」
僅かにリルの口元が緩んだ。
「なんかあったら……連絡頼むわ」
そう言ってリルは通信端末をチラッと掲げると、セセラはニヤリと口角を上げた。
「お前もな。既読無視とかすんなよ」
「それは薊野さんだろ」
即答。
思わずシエリが、声に出さずにフッと笑う。
「さて……リルが不在になったら、レイラが寂しくなるかもな」
不意に、シエリがそう小さく呟いた。
リルの目が微かに揺れたが、セセラがすぐに返す。
「そんときは俺がいてやるから、気にすんなよ」
その言葉に、リルとシエリがピタッとセセラを見た。
「「……お?」」
ふたり同時に出る、微妙に訝しげな声。
その“目線の意味”に、セセラは一瞬だけ気づかなかったが──すぐに「あ」と小さく呻く。
「……あー……いや……」
少しだけ耳が赤い。
「俺ちょっとイケメンすぎること言った?」
そう誤魔化すように呟くと、シエリは楽しそうに目を細める。
「……だそうだ。だからリル、ゆっくりしておいで♪」
リルはその空気に、肩の力を少しだけ抜いたように小さく頷いた。
「……助かるわ。じゃ、行ってくる」
荷物を片手に、踵を返す。
その背中に、セセラが小さく声をかけた。
「リル。あんま、考えすぎんなよ」
「…………」
リルは振り返らなかった。
けれどその声は、ちゃんと届いていた。
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