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コヨタ

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第26話 愛するという渇き

第26話・4 あの人をモノにしたい

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 夕刻前の所長室。

 落ち着いた照明の下、書類の束に囲まれたシエリは喫煙中のセセラを机越しにじっと見つめていた。

「……セセラ、キミ……あからさまに真壁アオイに声をかけたり笑顔を振りまいたりしているね?」

 目線を下げ、書類に目を落としたままの問いかけ。だが、視線の圧はいつになく鋭い。

 セセラは煙草を咥えたまま、肩をすくめて答えた。

「……あえてだよ。様子を見るとは言ったけど、見るじゃ進みが遅すぎる」

「……ほう?」

「こっちが行動起こして相手の感情を揺らしてみりゃ、疑惑の奴を引きずり出すことができるかもしんねえだろ。……この件、さっさと終わらせてぇんだよ」

 そして、少しため息をつき──。

「……俺の居心地が良くねえ。あと、真壁さんのためにもな」

 その声には、いつもの軽さの奥に僅かな切実さが滲んでいた。

 シエリは鼻で息をつく。

「……おやおや。優しいね、キミは」

「……ふふ……」

 セセラは椅子の背にだらりと体を預けたまま、へらっと笑った。

「そ。俺はすんげー優しいから。だからモテちまう……と言いつつ俺、自分で言うのもなんだけど性格良くねえと思うんだけどな……わっかんねー」

「…………む」

 ぷいっとそっぽを向くシエリ。そして呟く。

「……セセラは私のモノなんだけどな」

「モノって言うなモノって。なあ先生、それ俺が変な風に疑われるから……」

「私のモノに変わりない。私が、もっとレディ~の姿だったら良かったか?」

「いや開き直んな。マジで」

「フフ……」

 小さく笑い合ったあとの沈黙。

 そして、セセラは大きく伸びをしながら、心からの本音を零す。

「んあ゙あ゙~~~……俺も、残業しねえで帰りてえ~~~~……」

 その声は、誰よりも残業を愛し、同時に誰よりも残業を憎んでいる男の、魂の叫びだった。


 ◇


 定時のアラームが鳴る直前。

「よしっ! 今日はノー残業デーだ!!」

「飲みに行くぞー!!」

「……と見せかけて家で寝るぞー!!」

 職員たちの士気は、退勤が近付くにつれどんどん高まっていく。
 この貴重すぎるノー残業デーを心の底から楽しもうとしていた。

 そんなやり取りを、廊下の隅で真壁が静かに見つめている。

(……あの人は、夜、ここに残る……)

(今日は……ふたりきりになれる)

(きっと、同じ時間を過ごせる……)

 指先でメモ帳をカリカリと引っ掻くように書き込みながら、真壁はひとりで小さく微笑んでいた。

 誰にも見られない、その狂気を孕んだ表情のまま。

 静かに、夜が近づいていた。


 ◇


 夜。日中の賑わいが嘘のように静まり返った館内。

 廊下の照明は一部だけが点灯し、普段の明るさよりも僅かに抑えられている。
 人の気配はほとんど無く、ロビーのベンチも、休憩ラウンジも会議室も、誰かがいた気配を残したまま空っぽだ。

 今日がノー残業デーであることを証明するかのように。

 しかし、その中で──。

 研究管理室の一角では、カタカタ……と静かにキーボードを叩く音。

「…………」

 明かりの灯ったその部屋には、セセラの姿があった。

 白衣を椅子の背に掛け、タートルネックシャツの袖を肘までまくったセセラが、淡々と資料整理を進めている。

(……ん~、あともうちょい……)

(……くそ、頭回んねえ……コーヒー淹れてくっか……)

 椅子を回して立ち上がる。
 その背に、誰の気配も無いはずの静寂が、微かに揺れた。

 ──そして同時刻、資料管理室。
 薄暗い通路に、ひとつの小さな明かり。

 電子書庫の閲覧スペースにぽつんと座る人影。

「…………」

 真壁だ。

(……あの人、今も残ってる……こんなに遅くまで……)

 真壁が手に持つ端末には、館内の入退室ログ。

 一般職員には閲覧が許されていないはずのこの記録を、なぜ彼女が見られているのかは、誰も知らない。

「ふふふ……」

(……頑張ってるね、セセラさん……。でも、ずっとひとりじゃ寂しいよね……)

 バッグの中で、カチャ……と音がした。
 その中に、職員証と一緒に──ひとつの光る刃物。

 真壁は立ち上がり、息を吸う。
 そして、静かに歩き出す。

 足音は、まるで自分の心臓の音とリンクしているかのように響いた。


 ◇


 ──セセラのいる研究管理室。

 カップに注がれたばかりのコーヒーから、湯気が立ち昇っていた。

(……しかし、静かすぎて不気味だな……帰れば良かったかな……)

 そう心の中でボヤきながら席に戻ると──。

「……こんばんは、セセラさん」

「わ゙ッ!?」

 突如、声が後ろから。

 驚きながら振り返るとそこには、薄手のカーディガンを羽織った真壁が、何故か微笑みを浮かべて立っていた。

「っ、ビックリした……真壁さん……? どうしたんだ……今日はもう皆、退勤したんじゃ──」

「……だって、セセラさんがまだ帰ってないのに……私だけ帰るなんて、できませんよ」

 その言葉と一緒に、真壁の手元のバッグが微かに揺れる。

「……!」

 ──脳裏に、あの時の違和感が蘇った。

(……やっぱり……見られてるな)

 セセラは即座にお得意の作り笑顔を貼り付けると、そのまま内心で素早く思考を回転させる。

(やれやれ……マジかよ)

「……そっか、気にかけてくれてたんだな。ありがと、真壁さん」

 あえて声のトーンを穏やかに落とす。

 彼女を刺激しないように。

(これ、下手に刺激したら……面倒なことになるかもしれねえぞ)

 セセラはゆっくりと、自分のデスクの脇へ目を向けた。

 そこには緊急時用の警報スイッチ。

 しかし今、それに手を伸ばすことは、真壁のを見る限り──あまりにも危険。

 ゆえに、セセラは。

「なあ」

 一歩、真壁に歩み寄る。

「……真壁さん。せっかくだし、少し話でもするか」

「……っ! は、はい……!」

「ふふっ……こういう時、くらいはな」

(まずは会話でを探る)

 そう心に決めながら──。
 罪な男は、柔らかく笑った。


 ◇


 研究管理棟・職員専用ラウンジ奥の個室。

「……ここで良ければ、どうぞ」

 セセラが静かに扉を開けてみせると、真壁はほんの一瞬、ポッ……としたような表情を浮かべる。

「……ふふっ……ありがとうございます……!」

 その声音はまるで初恋の少女のように甘く、しかしどこか、異様な高揚に満ちていた。

(……これは……完全に入ってるな)

 苦笑いの内側で、冷静に分析を続けるセセラ。

 部屋に入った真壁は、なぜか靴音まで控えめに、スッ……と中へ入ってくる。
 自分の世界だけが美しく輝いているように。まるで夢を見ているように。

 テーブルの横──椅子に座りながらセセラはその様子に気づきつつも、あえて柔らかな口調を崩さない。

「……悪いな、せっかくのノー残業デーなのに、俺みたいなのの相手して」

「い、いえ……! むしろ、ずっとこういう時間を……こうしてふたりで……」

 少し目を伏せて頬を赤らめる真壁。その様子は、一見すればよくある内気な後輩女性の姿。

 だが──。
  
(あー…………)

(目が笑ってねえ)

 そう、セセラは見抜いていた。

 真壁の瞳には、一線を越えた者にしか宿らない色があった。

 真壁は、もう戻れない。

 感情の制御が効いていない。

 そして──。

「……ねえ、セセラさん……」

 不意に。

 真壁が、ぐいっと身を乗り出してきた。

「いつも私に、笑いかけてくれてありがとうございます……挨拶も、優しく返してくれて……ちゃんと気づいててくれてたんですね……私のこと……」

 純粋な喜びと、狂気的な執着が入り混じっている声。

「…………」

 セセラは表情を崩さず、低く答える。

「……まあな。あんた、よく見てるもんな。……俺のこと」

 その瞬間。

 真壁のバッグの中で、何かがカチャ……と揺れた音をセセラは確かに聞いた。

 だがセセラは怯えもせず、驚きもせず、ただ静かに微笑を貼り付け続ける。

(……わかった。もう確定だ)

 この女は、

 純粋な好意が歪んで、膨れ上がって──何か異質なものと、同調してしまっている。

 この異常は、放っておけば確実に爆発する。
 だが、まだ今は、誘導できる。

 そしてセセラは、テーブルの上に肘をつきながら、あえてこう言い放った。

「……なあ、真壁さん。あんたさ」

「はい……っ?」

「俺のこと……好きなんだろ?」

「……!!」

 真壁の瞳が、キラッ……と一瞬だけ光を宿す。

「……はい……! ……大好きです……っ!」

 その声はまるで天使のように無垢で、しかし背後に何かが蠢いているような、不穏な異音すら孕んでいた。

 セセラは、眉を僅かにひそめる。

(……やっぱり、いたか。こいつの背後に……龍)

 誰にも検出されなかった龍の存在が、この瞬間、セセラの中で確信に変わった。

 あとは──どうかだ。

 静かに、夜が進んでいく。

 空気は張り詰めながらも、セセラはあくまで微笑を浮かべたまま。

「……あー……俺のこと好きなの……冗談のつもりで聞いたんだけどなあ~……」

 セセラはエヘヘと笑いながら言う。しかし、その笑みの裏には観察者の冷静な目が光っていた。

 対する真壁。
 頬を紅潮させながら、静かにバッグへと手を伸ばす。

「ふふふ…………うふふふ……」

 中から取り出されたのは……銀色に鈍く光る、小ぶりなナイフ。

「……ッ」

(出してきやがったな……刃物それ……)

「ふふふっ、……はい、冗談ではなく……大好きです……好きすぎて……ずっとです……好き……」

 刃物を持ちながらゆっくり近付く真壁のその目には、それを武器として持っているという自覚が無い。

 ただの『恋愛アイテム』を持つような、そんな目の色。

「……ここで、あなたを、傷つけて、私が、ずっと、看病して、あげたい、くらい……」

 呼吸が荒くなり、言葉は熱に浮かされたように途切れ途切れ。

(……来たか)

 セセラは微笑んだまま身動ぎひとつせず、むしろ、今が好機だと言わんばかりに──。

「…………おいで」

 囁くように誘った。

 それが、トリガーだった。

「!!!」

 ──ガバッ……!

「……っ……!」

 真壁はナイフを持ったまま、ぎゅうっとセセラに抱きついてくる。

「セセラさんッ、セセラさんんっ、すきっ、好きっ、好き…………」

 まるで少女のように、小刻みに震えながら。
 だがその刃先は、セセラの首元すれすれ──。

(おい……危ねっ、危ねぇよ……!!)

(でも……よし、刺してはこないな。なら……いける)

「……で、どうしたら落ち着いてくれる?」

 真壁の耳元に、セセラの吐息と共に響く──低く優しい声。

「あ──」

 その瞬間、真壁の中の何かが。

「はあ、はあ……っ……!」

 ぷつんと切れた。

「はあッ、はあ……○○して……✕✕して……あなたの服、脱がせて……あとは……抱きついてキスして……ずっと……もっといっぱい……気持ちよく……なりたい……♡ 一緒にシャワー浴びて、△△して、もっと、もっと、あなたに触れて……あなたを感じて、重なって……繋がって……熱くなりたい……結婚して、赤ちゃんも欲しい……♡」

「え?」

(……え?)

「んぇ?」

 一瞬、脳が処理を拒否するセセラ。

(……えっっっっぐ……!! やべえ……想像よりキテた……)

 けれどすぐに切り替えて──。

(あ~……もう、これは出来上がってんな)

「……○○して…………‪✕‬‪✕‬もして……それで…………」

 耳元ではまだ真壁のが告白され続けている。

(このまま蹴り上げて引き剥がしてえ!!)

(……が、こいつ本体はうちの職員だしな……)

「…………ッ……」

(完璧に精神に衝撃を与えるとするなら……)

 少しだけを置き、セセラは決断する。

(……あんま、やりたくねえけど、仕方ねえ)

 抱きつく真壁の体をそっと離し、そして──。

「わりいな」

 セセラは真壁のナイフを避けるように体をずらしながら、そのまま──。

「……へ?」

 自らの唇を真壁の唇と──。

「ッ!!?」

 重ねた。

「……!?!?」

「……ッ、ん゙ん~~~~ッッッ!?!?!?」

 ──カランッ……

 あまりの衝撃にナイフが真壁の手から落ちる。

 大きく見開かれた目。いろんな感情のオーバーフローで白目を剥き、まるでぷしゅー……と湯気が出る勢いで顔が真っ赤に染まっていった。

「……、ふ……っ……」

「~~~~~~ッッッ♡♡……!?!?」

 重なった唇はまだ離されない。
 それどころか更に深くなり、いとも容易くセセラの舌が真壁の口腔内へ侵入される。

「ん、は……っ……」

 互いの舌が触れ合ったその瞬間。

「…………………………!????????」

 真壁、沈黙。

 そのまま──後ろへガクリ。

「……ふふっ……、おやすみ」

 舌なめずりをしながらセセラが囁くと同時に、真壁は目をぐるぐるマークにして床に崩れ落ちた。

 そして。

 その瞬間。

 背後の空間が揺れる──。



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