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第14話 ふたりの少女が駆ける
第14話・1 私、迷惑かけた
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血が流れた一日だった。
ワイバーンとの激戦は終わった。
夜の医療棟では窓の無い廊下を、静かな白い光が照らしている。
──レイラは、その真ん中に立ち尽くしていた。
「…………」
片腕に包帯を巻いた姿のまま、ゆっくりと足を運ぶ。
ここはリルの処置室のドアの前。
何度目かわからない躊躇いのあと、ようやく、小さくノックをする。
「……どーぞ」
掠れた声。
だが、扉を叩いた者を招く、はっきりとした声だった。
「…………っ」
意を決して扉を開ける。
室内では、リルがベッドにもたれながら、点滴のチューブを片手にぶら下げていた。
胸から腹にかけて、白い包帯がぐるぐると巻かれている。
「……リル……」
恐る恐る近づくレイラ。
言葉が出ないまま、頭を下げた。
「ほんとに……ごめんなさい。……ごめんなさい」
震える声。
「……お前の謝罪、聞くの何回目だろうな」
リルは少しだけ笑った。
「でもまあ……無事に帰ってきたし、全員。それでいいよ」
「でも……! 私……私、あなたを……ッ……!」
「おう、おもっくそ斬られたよ。今思い出しても、めっちゃ痛ぇ。……でも」
視線が、レイラの赤い瞳を捉える。
「……オレが止めなきゃ、お前、壊れちまってたろ。なら、あんくらいで済んでよかった」
「……なんで、そんな……!」
「なんでって……オレ、ちゃんと見てたから」
「え……?」
「お前がどれだけ必死だったかくらい……わかるっつーの」
「…………」
レイラの視界が滲み出した。
「……でも……お前が次にまた呑まれそうになったら、絶対にもっと早く止めてやるから」
「……うん」
目を伏せて、ゆっくりと息を吐くレイラ。
「……ありがとう、リル」
「礼はメロンパンで」
「……そこは譲らないんだ……」
ふっと、ふたりの間に静かであたたかい笑いが戻ってきた。
そして──。
別の病室では。
「兄様、……もう少し横になっててよ……」
アシュラはベッドの上で、まるで窮屈そうに横になっていた。
背には分厚いガーゼと固定具。
止血は済んでいるが、傷は深く、数日間の安静が必要と告げられている。
「……ラショウ……。そんなに泣くほどのことじゃない」
「泣いてないもん……! 怒ってるだけ!」
ラショウは膨れた頬で包帯を巻き直しながらも、手つきは優しい。
「レイラちゃんも……リルくんも……兄様も、皆して勝手にっ、……もう!」
その怒鳴り声に微かに苦笑するアシュラ。
「……でも、守ってくれてありがとうな。お前もちゃんと戦ってた」
「……っ」
ラショウの瞳に、また涙が浮かぶ。
しかしそれは、誇らしさの滲むあたたかい涙だった。
◇
同時刻、診療録管理室。
医療班の夜間職員数名と共にセセラがいた。
診療報告書を睨んだまま、手にした紙コップのアイスコーヒーをひとくち。
──そして。
「……誰が一番無茶したか、って話なら……全員アウトだな」
独り言のように呟く。
その声に、小さな影が近づいてきた。
「セセラ」
「……ん、お帰り先生」
所長・シエリ。
黒ワンピースの裾をいつも通り揺らし、資料に目を落とす。
「レイラ、完全に呑まれていたわけではない。しかし、“龍因子が脳を侵食し始めた”のは間違いない」
「……そうか」
「でも、あの子は戻ってきた。自力じゃないけれど……戻った」
「……ああ。あいつには、リルがいたからな」
「仲間、ってやつかな?」
「それが何かを止める力になることもある。何かを壊す引き金にもなりかねねえが……」
やや鋭い目をしながら、セセラは資料を閉じる。
「俺は、今日は……後者じゃなくて良かったって思いたい」
シエリは何も言わずそのまま隣に立ち、静かに一緒にモニターを見つめていた。
「…………」
映っているのは、リルのベッド。
そこに小さく寄り添うように座っている、レイラの背中だった。
──それぞれの夜が、ゆっくりと、静かに過ぎていく。
回復する体。
戻る呼吸。
けれど、心の奥にはまだ熱が残っている。
明日になれば、また、歩き出せるはず。
それを願いながら。
◇
翌日。
午前11時の中庭に射し込む陽光。
昨日の嵐のような戦闘が嘘のように、今日は晴れ渡った空が静かだった。
中庭の一角。簡易なウッドベンチに腰を下ろすレイラの横に、紙コップをふたつ手に持ったセセラがやってきた。
「……おはよさん。起きてすぐで悪ぃな」
「……薊野さん……」
レイラは、どこか覚悟を決めたような瞳でセセラを見上げる。
「怒られるの……わかってる。昨日のこと……」
「怒りゃしねえよ」
セセラはそう言って、紙コップをレイラへ渡した。
微糖のあたたかいミルクティー。
「……ただ、昨日のことは記録に残る。龍因子の覚醒による制御困難な行動って分類でな」
「……っ……」
苦い表情で目を伏せるレイラ。
「わかってる……あれは、自分でも……何か、歯止めが効かなくて……」
「制御困難ってのはな、本人が気づいてないから起きる。でも昨日のお前は途中で気づいてた」
「…………」
「その後、戻ってこられた。だから今こうして話してるんだろ?」
「…………ぅん」
レイラはゆっくりと頷く。
手に持つ紙コップが僅かに震えていた。
「でもな、レイラ。……機関としては見逃せない」
「……はい」
「次に同じようなことが起きたら、お前自身に『能力制御用の制限措置』が検討される。それは……任務参加の一時停止も含めてな」
「……!」
ミルクティーが少しだけ揺れた。
「言っておくが、これは処罰じゃない。守るための措置だ。お前を、仲間を、周囲をな」
「…………」
沈黙が、数秒。
そして、レイラは静かに答える。
「……私は、まだ任務に出ていたい。皆と、いたい……」
「うん」
「……だから、ちゃんと……します。ちゃんと……戻ってこられるように、します」
「…………」
──敬語。
それは誠意の表れ。
その言葉に、話し方に、セセラは僅かに口角を上げた。
「よろしい。じゃあ、メンタル評価はひとまず経過観察ってとこにしといてやる」
「ありがとう、先生」
「薊野さんな」
ふたりの間に、少しだけ優しい空気が戻る。
だが、この小さな笑顔の下で、龍化暴走という重大なリスクは確かに機関に刻まれ始めていた。
「……じゃ、話は終わり。俺戻るから」
「……あ、……うん、……ありがとう薊野さん」
言い終えたセセラは、中庭から施設へと戻っていく。
ひとり残されたレイラ。まだ冷めきっていないミルクティーを手の中で揺らしていた。
「…………」
──そこに、また別の足音。
少しだけ引きずるような、けれど確かな歩み。
「よう」
「……リル……」
振り返ると、昨日よりもだいぶ回復している様子のリルが立っていた。
患者衣の前はまだ開けられていて、包帯が覗く。
「傷……大丈夫?」
「そっちこそ」
「私は……もう、だいぶ落ち着いたよ。……あの、昨日は、本当に……」
「言うなって。もうわかってる」
レイラの言葉を遮るように、リルは言い切る。
いつもの無愛想なトーンだが、どこか優しい。
「で?」
「……え?」
「メロンパン、まだ?」
レイラは思わずふっと吹き出した。
「今度買ってくるよ。……特別甘いやつ」
「うん。3個でいい。いや4個」
「ふふ……図々しい」
「生きてるからな」
「……!」
その一言に、レイラの手が小さく震える。
「……リル」
「ん」
「……私、怖かった。昨日。自分の中に、あんなのがあるって、気づいて……」
「……でも戻ってきたろ? オレをぶった斬ったおかげでな」
「う、うん……」
少し間が空いて、レイラがぽつりと呟いた。
「……ありがとう。リルが、あそこにいてくれて……本当に、よかったよ」
リルはその言葉に何も言わなかった。
ただ、「……ああ」とだけ答え、ベンチの隣に腰を下ろした。
ふたりの間に風が吹き抜ける。
今度の風は、穏やかだった。
◇
時刻はもうすぐ正午。
医療棟の白い病室の天井の灯りは柔らかく、機器の電子音だけが規則的に響いている。
ベッドに横たわるアシュラは、うつ伏せに近い体勢で背中の包帯を巻かれていた。
「……っ、ぐ……ぅ」
「……ごめんね兄様、ちょっとしみると思うけど……」
ラショウの手つきは慎重そのもの。
綺麗に切り揃えられたガーゼを押さえ、手早く新しい止血シートと入れ替える。
「……大丈夫……痛くないよ」
「兄様……嘘つくとき、声が低くなるよ」
「……バレた?」
「うん、ずっと前から」
ラショウは苦笑しながらも、しっかりと包帯を巻き終えた。
「……ねえ兄様。昨日のレイラちゃん……」
「……私、怖かった」
「…………」
アシュラはしばらく黙っていたが、やがて小さく息をついた。
「……俺も、怖かった」
「え?」
「リルが止めてくれなかったら、……俺たち、たぶん誰も……止められなかった」
ラショウは目を伏せる。
「レイラちゃんも、きっと……怖かったと思う。自分が自分じゃなくなるのが」
「……だな」
ゆっくりと体を起こすアシュラ。
まだ顔色は悪いが、目には力が戻っていた。
「でも、戻ってきた。……レイラは」
「うん……」
ラショウは頷き、少しだけ笑う。
「だから私たちも、ちゃんと戻らないと。いつもの西城兄妹に」
「それが一番難しいんだけどな」
「……ふふ、ほんとにね」
その笑顔に、アシュラもようやく口元を緩めた。
◇
──午後2時。
白い壁、窓も閉め切った無機質な会議室。
長方形のテーブルを囲むように、数名の研究・監察職員が集められていた。
その中に、所長であるシエリ、そしてセセラの姿もある。
「──以上が、今回のコードネーム・ワイバーン任務における戦闘ログの要約となります」
報告担当の研究員が静かに述べたあと、空気が少しだけ重くなった。
異常個体・大型龍種“ワイバーン”の撃破。
被害は中規模、重傷者2名、精神不安定要観察1名。
──問題は、その1名だった。
「……紫苑レイラの戦闘中における行動について、現場の記録班、並びに紅崎リルからの報告、薊野氏からの診断評価……全てを照合した上で、我々は段階的な龍因子暴走と判断しています」
再び空気が張り詰める。
「既に紫苑レイラ自身には、“制御強化指導”と“経過観察”の同意を取っています」
「暴走は止まり、かつ当人に自覚と反省が見られるため、現時点での拘束措置や任務停止処分は保留です」
シエリが頷いたあと、静かに発言した。
「……反面、今後の再発リスクを考慮するならば、接触・同時任務のメンバーは限定しても良いかもしれない。暴走時、意識を戻せる人物の存在が明らかに重要だったから」
「紅崎リル、ですね」
「……ああ」
その答えにはセセラが頷く。
瞳には、どこか憂いと責任の影があった。
「レイラは戻ってきた。今回はな。だが、次もそうとは限らねえ」
「対龍因子安定剤の個別適応実験は……?」
「まだ初期段階だ。副作用が強すぎる。現状じゃ制御じゃなく抑圧にしかならねえよ」
「つまり、今できるのは“本人の理性”を信じることだけということですか」
「……その理性を、誰が支え続けられるか、だな」
会議室に再び、沈黙。
だがその中で、シエリがぽつりと続けた。
「……それでもあの子は、あの場で戻ってきたのだ。暴走ではなく、帰還者だ」
セセラがゆっくりと頷く。
「……俺もそう、報告に書いとく」
◇
──ワイバーン戦より2日後の龍調査機関。
控えめな警告音が鳴り、各班の通信端末に“新たな龍の反応検知”が表示された。
職員たちがすぐに応対を始め、戦闘班への通知と派遣の可否を協議し始める。
「……現在、出撃可能なのは紫苑レイラ、西城ラショウの2名のみ」
「紅崎リルは負傷からの回復途上、経過観察中。西城アシュラは未完治」
「調整を進めましょう。班構成はレイラさん、ラショウさん……」
施設の空気が忙しなく動いていく中、その知らせを受け取ったレイラは静かに息を呑んだ。
(……また……ああなったらどうしよう)
(ラショウとふたりで行って、もし私が暴走したら……もし、あの子を巻き込んだら……)
唇を噛み、胸の前で拳を握る。
(……ひとりで行くって……言おう)
そう思った、そのときだった。
「──レイラちゃん!」
ラショウの声。
「……!」
小さな、けれど強い足音と共に駆け寄ってくる。
「……次の任務、ふたりになりそうだね! 頑張ろうね……!」
「で、でも……!」
咄嗟に言いかけたレイラの言葉を──。
「気にしないで」
ラショウは優しく、でもはっきりと遮った。
声に迷いは無かった。
「兄様がいない分、私……もっと頑張らなきゃって思うから。守られてばかりじゃ、ダメだよね」
その美しい瞳が、静かに燃えている。
それは炎だった。
柔らかく、しかし確かに強く灯った、覚悟の炎。
レイラはその光に、心を照らされるようだった。
「……う、うん……。頑張ろうね」
(……そこまで言うなら、私も……もう、逃げられない)
(ラショウと一緒に、ちゃんと……戦おう)
ワイバーンとの激戦は終わった。
夜の医療棟では窓の無い廊下を、静かな白い光が照らしている。
──レイラは、その真ん中に立ち尽くしていた。
「…………」
片腕に包帯を巻いた姿のまま、ゆっくりと足を運ぶ。
ここはリルの処置室のドアの前。
何度目かわからない躊躇いのあと、ようやく、小さくノックをする。
「……どーぞ」
掠れた声。
だが、扉を叩いた者を招く、はっきりとした声だった。
「…………っ」
意を決して扉を開ける。
室内では、リルがベッドにもたれながら、点滴のチューブを片手にぶら下げていた。
胸から腹にかけて、白い包帯がぐるぐると巻かれている。
「……リル……」
恐る恐る近づくレイラ。
言葉が出ないまま、頭を下げた。
「ほんとに……ごめんなさい。……ごめんなさい」
震える声。
「……お前の謝罪、聞くの何回目だろうな」
リルは少しだけ笑った。
「でもまあ……無事に帰ってきたし、全員。それでいいよ」
「でも……! 私……私、あなたを……ッ……!」
「おう、おもっくそ斬られたよ。今思い出しても、めっちゃ痛ぇ。……でも」
視線が、レイラの赤い瞳を捉える。
「……オレが止めなきゃ、お前、壊れちまってたろ。なら、あんくらいで済んでよかった」
「……なんで、そんな……!」
「なんでって……オレ、ちゃんと見てたから」
「え……?」
「お前がどれだけ必死だったかくらい……わかるっつーの」
「…………」
レイラの視界が滲み出した。
「……でも……お前が次にまた呑まれそうになったら、絶対にもっと早く止めてやるから」
「……うん」
目を伏せて、ゆっくりと息を吐くレイラ。
「……ありがとう、リル」
「礼はメロンパンで」
「……そこは譲らないんだ……」
ふっと、ふたりの間に静かであたたかい笑いが戻ってきた。
そして──。
別の病室では。
「兄様、……もう少し横になっててよ……」
アシュラはベッドの上で、まるで窮屈そうに横になっていた。
背には分厚いガーゼと固定具。
止血は済んでいるが、傷は深く、数日間の安静が必要と告げられている。
「……ラショウ……。そんなに泣くほどのことじゃない」
「泣いてないもん……! 怒ってるだけ!」
ラショウは膨れた頬で包帯を巻き直しながらも、手つきは優しい。
「レイラちゃんも……リルくんも……兄様も、皆して勝手にっ、……もう!」
その怒鳴り声に微かに苦笑するアシュラ。
「……でも、守ってくれてありがとうな。お前もちゃんと戦ってた」
「……っ」
ラショウの瞳に、また涙が浮かぶ。
しかしそれは、誇らしさの滲むあたたかい涙だった。
◇
同時刻、診療録管理室。
医療班の夜間職員数名と共にセセラがいた。
診療報告書を睨んだまま、手にした紙コップのアイスコーヒーをひとくち。
──そして。
「……誰が一番無茶したか、って話なら……全員アウトだな」
独り言のように呟く。
その声に、小さな影が近づいてきた。
「セセラ」
「……ん、お帰り先生」
所長・シエリ。
黒ワンピースの裾をいつも通り揺らし、資料に目を落とす。
「レイラ、完全に呑まれていたわけではない。しかし、“龍因子が脳を侵食し始めた”のは間違いない」
「……そうか」
「でも、あの子は戻ってきた。自力じゃないけれど……戻った」
「……ああ。あいつには、リルがいたからな」
「仲間、ってやつかな?」
「それが何かを止める力になることもある。何かを壊す引き金にもなりかねねえが……」
やや鋭い目をしながら、セセラは資料を閉じる。
「俺は、今日は……後者じゃなくて良かったって思いたい」
シエリは何も言わずそのまま隣に立ち、静かに一緒にモニターを見つめていた。
「…………」
映っているのは、リルのベッド。
そこに小さく寄り添うように座っている、レイラの背中だった。
──それぞれの夜が、ゆっくりと、静かに過ぎていく。
回復する体。
戻る呼吸。
けれど、心の奥にはまだ熱が残っている。
明日になれば、また、歩き出せるはず。
それを願いながら。
◇
翌日。
午前11時の中庭に射し込む陽光。
昨日の嵐のような戦闘が嘘のように、今日は晴れ渡った空が静かだった。
中庭の一角。簡易なウッドベンチに腰を下ろすレイラの横に、紙コップをふたつ手に持ったセセラがやってきた。
「……おはよさん。起きてすぐで悪ぃな」
「……薊野さん……」
レイラは、どこか覚悟を決めたような瞳でセセラを見上げる。
「怒られるの……わかってる。昨日のこと……」
「怒りゃしねえよ」
セセラはそう言って、紙コップをレイラへ渡した。
微糖のあたたかいミルクティー。
「……ただ、昨日のことは記録に残る。龍因子の覚醒による制御困難な行動って分類でな」
「……っ……」
苦い表情で目を伏せるレイラ。
「わかってる……あれは、自分でも……何か、歯止めが効かなくて……」
「制御困難ってのはな、本人が気づいてないから起きる。でも昨日のお前は途中で気づいてた」
「…………」
「その後、戻ってこられた。だから今こうして話してるんだろ?」
「…………ぅん」
レイラはゆっくりと頷く。
手に持つ紙コップが僅かに震えていた。
「でもな、レイラ。……機関としては見逃せない」
「……はい」
「次に同じようなことが起きたら、お前自身に『能力制御用の制限措置』が検討される。それは……任務参加の一時停止も含めてな」
「……!」
ミルクティーが少しだけ揺れた。
「言っておくが、これは処罰じゃない。守るための措置だ。お前を、仲間を、周囲をな」
「…………」
沈黙が、数秒。
そして、レイラは静かに答える。
「……私は、まだ任務に出ていたい。皆と、いたい……」
「うん」
「……だから、ちゃんと……します。ちゃんと……戻ってこられるように、します」
「…………」
──敬語。
それは誠意の表れ。
その言葉に、話し方に、セセラは僅かに口角を上げた。
「よろしい。じゃあ、メンタル評価はひとまず経過観察ってとこにしといてやる」
「ありがとう、先生」
「薊野さんな」
ふたりの間に、少しだけ優しい空気が戻る。
だが、この小さな笑顔の下で、龍化暴走という重大なリスクは確かに機関に刻まれ始めていた。
「……じゃ、話は終わり。俺戻るから」
「……あ、……うん、……ありがとう薊野さん」
言い終えたセセラは、中庭から施設へと戻っていく。
ひとり残されたレイラ。まだ冷めきっていないミルクティーを手の中で揺らしていた。
「…………」
──そこに、また別の足音。
少しだけ引きずるような、けれど確かな歩み。
「よう」
「……リル……」
振り返ると、昨日よりもだいぶ回復している様子のリルが立っていた。
患者衣の前はまだ開けられていて、包帯が覗く。
「傷……大丈夫?」
「そっちこそ」
「私は……もう、だいぶ落ち着いたよ。……あの、昨日は、本当に……」
「言うなって。もうわかってる」
レイラの言葉を遮るように、リルは言い切る。
いつもの無愛想なトーンだが、どこか優しい。
「で?」
「……え?」
「メロンパン、まだ?」
レイラは思わずふっと吹き出した。
「今度買ってくるよ。……特別甘いやつ」
「うん。3個でいい。いや4個」
「ふふ……図々しい」
「生きてるからな」
「……!」
その一言に、レイラの手が小さく震える。
「……リル」
「ん」
「……私、怖かった。昨日。自分の中に、あんなのがあるって、気づいて……」
「……でも戻ってきたろ? オレをぶった斬ったおかげでな」
「う、うん……」
少し間が空いて、レイラがぽつりと呟いた。
「……ありがとう。リルが、あそこにいてくれて……本当に、よかったよ」
リルはその言葉に何も言わなかった。
ただ、「……ああ」とだけ答え、ベンチの隣に腰を下ろした。
ふたりの間に風が吹き抜ける。
今度の風は、穏やかだった。
◇
時刻はもうすぐ正午。
医療棟の白い病室の天井の灯りは柔らかく、機器の電子音だけが規則的に響いている。
ベッドに横たわるアシュラは、うつ伏せに近い体勢で背中の包帯を巻かれていた。
「……っ、ぐ……ぅ」
「……ごめんね兄様、ちょっとしみると思うけど……」
ラショウの手つきは慎重そのもの。
綺麗に切り揃えられたガーゼを押さえ、手早く新しい止血シートと入れ替える。
「……大丈夫……痛くないよ」
「兄様……嘘つくとき、声が低くなるよ」
「……バレた?」
「うん、ずっと前から」
ラショウは苦笑しながらも、しっかりと包帯を巻き終えた。
「……ねえ兄様。昨日のレイラちゃん……」
「……私、怖かった」
「…………」
アシュラはしばらく黙っていたが、やがて小さく息をついた。
「……俺も、怖かった」
「え?」
「リルが止めてくれなかったら、……俺たち、たぶん誰も……止められなかった」
ラショウは目を伏せる。
「レイラちゃんも、きっと……怖かったと思う。自分が自分じゃなくなるのが」
「……だな」
ゆっくりと体を起こすアシュラ。
まだ顔色は悪いが、目には力が戻っていた。
「でも、戻ってきた。……レイラは」
「うん……」
ラショウは頷き、少しだけ笑う。
「だから私たちも、ちゃんと戻らないと。いつもの西城兄妹に」
「それが一番難しいんだけどな」
「……ふふ、ほんとにね」
その笑顔に、アシュラもようやく口元を緩めた。
◇
──午後2時。
白い壁、窓も閉め切った無機質な会議室。
長方形のテーブルを囲むように、数名の研究・監察職員が集められていた。
その中に、所長であるシエリ、そしてセセラの姿もある。
「──以上が、今回のコードネーム・ワイバーン任務における戦闘ログの要約となります」
報告担当の研究員が静かに述べたあと、空気が少しだけ重くなった。
異常個体・大型龍種“ワイバーン”の撃破。
被害は中規模、重傷者2名、精神不安定要観察1名。
──問題は、その1名だった。
「……紫苑レイラの戦闘中における行動について、現場の記録班、並びに紅崎リルからの報告、薊野氏からの診断評価……全てを照合した上で、我々は段階的な龍因子暴走と判断しています」
再び空気が張り詰める。
「既に紫苑レイラ自身には、“制御強化指導”と“経過観察”の同意を取っています」
「暴走は止まり、かつ当人に自覚と反省が見られるため、現時点での拘束措置や任務停止処分は保留です」
シエリが頷いたあと、静かに発言した。
「……反面、今後の再発リスクを考慮するならば、接触・同時任務のメンバーは限定しても良いかもしれない。暴走時、意識を戻せる人物の存在が明らかに重要だったから」
「紅崎リル、ですね」
「……ああ」
その答えにはセセラが頷く。
瞳には、どこか憂いと責任の影があった。
「レイラは戻ってきた。今回はな。だが、次もそうとは限らねえ」
「対龍因子安定剤の個別適応実験は……?」
「まだ初期段階だ。副作用が強すぎる。現状じゃ制御じゃなく抑圧にしかならねえよ」
「つまり、今できるのは“本人の理性”を信じることだけということですか」
「……その理性を、誰が支え続けられるか、だな」
会議室に再び、沈黙。
だがその中で、シエリがぽつりと続けた。
「……それでもあの子は、あの場で戻ってきたのだ。暴走ではなく、帰還者だ」
セセラがゆっくりと頷く。
「……俺もそう、報告に書いとく」
◇
──ワイバーン戦より2日後の龍調査機関。
控えめな警告音が鳴り、各班の通信端末に“新たな龍の反応検知”が表示された。
職員たちがすぐに応対を始め、戦闘班への通知と派遣の可否を協議し始める。
「……現在、出撃可能なのは紫苑レイラ、西城ラショウの2名のみ」
「紅崎リルは負傷からの回復途上、経過観察中。西城アシュラは未完治」
「調整を進めましょう。班構成はレイラさん、ラショウさん……」
施設の空気が忙しなく動いていく中、その知らせを受け取ったレイラは静かに息を呑んだ。
(……また……ああなったらどうしよう)
(ラショウとふたりで行って、もし私が暴走したら……もし、あの子を巻き込んだら……)
唇を噛み、胸の前で拳を握る。
(……ひとりで行くって……言おう)
そう思った、そのときだった。
「──レイラちゃん!」
ラショウの声。
「……!」
小さな、けれど強い足音と共に駆け寄ってくる。
「……次の任務、ふたりになりそうだね! 頑張ろうね……!」
「で、でも……!」
咄嗟に言いかけたレイラの言葉を──。
「気にしないで」
ラショウは優しく、でもはっきりと遮った。
声に迷いは無かった。
「兄様がいない分、私……もっと頑張らなきゃって思うから。守られてばかりじゃ、ダメだよね」
その美しい瞳が、静かに燃えている。
それは炎だった。
柔らかく、しかし確かに強く灯った、覚悟の炎。
レイラはその光に、心を照らされるようだった。
「……う、うん……。頑張ろうね」
(……そこまで言うなら、私も……もう、逃げられない)
(ラショウと一緒に、ちゃんと……戦おう)
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偶然にもアルバイト先のスーパーで再会した彼女は、翔太をすぐに採用し、温かく仕事を教えてくれる存在だった。
ある日の仕事帰り、ふたりで過ごす時間が増えていき――そして気づけば紗夜の部屋でご飯をご馳走になるほど親密に。
優しくて穏やかで――その色気に触れるたび、翔太の心は揺れていく。
大人の女性と大学生、甘くちょっぴり刺激的な同居生活(?)がはじまる。
花鳥見聞録
木野もくば
ファンタジー
花の妖精のルイは、メジロのモクの背中に乗って旅をしています。ルイは記憶喪失でした。自分が花の妖精だったことしか思い出せません。失くした記憶を探すため、さまざまな世界を冒険します。
『イージス艦長、インパール最前線へ。――牟田口廉也に転生した俺は、地獄の餓死作戦を「鉄壁の兵站要塞」に変える』
月神世一
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【あらすじ】
「補給がなければ、戦場に立つ資格すらない」
坂上真一(さかがみ しんいち)、50歳。
かつてイージス艦長として鉄壁の防空網を指揮し、現在は海上自衛隊で次世代艦の兵站システムを設計する男。
背中には若き日の過ちである「仁王」の刺青を隠し持ち、北辰一刀流の達人でもある彼は、ある日、勤務中に仮眠をとる。
目が覚めると、そこは湿気と熱気に満ちた1944年のビルマだった。
鏡に映っていたのは、小太りで口髭の男――歴史の教科書で見た、あの「牟田口廉也」。
しかも時期は、日本陸軍史上最悪の汚点とされる「インパール作戦」決行の直前。
部下たちは「必勝の精神論」を叫び、無謀な突撃を今か今かと待っている。
(……ふざけるな。俺に、部下を餓死させろと言うのか?)
現代の知識と、冷徹な計算、そして海自仕込みのロジスティクス能力。
すべてを駆使して、坂上(中身)は歴史への介入を開始する。
精神論を振りかざすふりをして上層部を欺き、現地改修で兵器を強化し、密かに撤退路を整備する。
これは、「史上最も無能な指揮官」の皮を被った「現代の有能な指揮官」が、確定した敗北の運命をねじ伏せ、数万の命を救うために戦う、逆転の戦記ドラマ。
空色のサイエンスウィッチ
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『科学の魔女は、空色の髪をなびかせて宙を舞う』
高校を卒業後、亡くなった両親の後を継いで工場長となったニ十歳の女性――空鳥 隼《そらとり じゅん》
彼女は両親との思い出が詰まった工場を守るため、単身で経営を続けてはいたものの、その運営状況は火の車。残された借金さえも返せない。
それでも持ち前の知識で独自の商品開発を進め、なんとかこの状況からの脱出を図っていた。
そんなある日、隼は自身の開発物の影響で、スーパーパワーに目覚めてしまう。
その力は、隼にさらなる可能性を見出させ、その運命さえも大きく変えていく。
持ち前の科学知識を応用することで、世に魔法を再現することをも可能とした力。
その力をもってして、隼は日々空を駆け巡り、世のため人のためのヒーロー活動を始めることにした。
そしていつしか、彼女はこう呼ばれるようになる。
魔法の杖に腰かけて、大空を鳥のように舞う【空色の魔女】と。
※この作品の科学知識云々はフィクションです。参考にしないでください。
※ノベルアッププラス様での連載分を後追いで公開いたします。
※2022/10/25 完結まで投稿しました。
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