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コヨタ

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第14話 ふたりの少女が駆ける

第14話・1 私、迷惑かけた

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 血が流れた一日だった。

 ワイバーンとの激戦は終わった。

 夜の医療棟では窓の無い廊下を、静かな白い光が照らしている。

 ──レイラは、その真ん中に立ち尽くしていた。

「…………」

 片腕に包帯を巻いた姿のまま、ゆっくりと足を運ぶ。

 ここはリルの処置室のドアの前。
 何度目かわからない躊躇いのあと、ようやく、小さくノックをする。

「……どーぞ」

 掠れた声。
 だが、扉を叩いた者を招く、はっきりとした声だった。

「…………っ」

 意を決して扉を開ける。

 室内では、リルがベッドにもたれながら、点滴のチューブを片手にぶら下げていた。

 胸から腹にかけて、白い包帯がぐるぐると巻かれている。

「……リル……」

 恐る恐る近づくレイラ。
 言葉が出ないまま、頭を下げた。

「ほんとに……ごめんなさい。……ごめんなさい」

 震える声。

「……お前の謝罪ごめん、聞くの何回目だろうな」

 リルは少しだけ笑った。

「でもまあ……無事に帰ってきたし、全員。それでいいよ」

「でも……! 私……私、あなたを……ッ……!」

「おう、おもっくそ斬られたよ。今思い出しても、めっちゃいてぇ。……でも」

 視線が、レイラの赤い瞳を捉える。

「……オレが止めなきゃ、お前、壊れちまってたろ。なら、あんくらいで済んでよかった」

「……なんで、そんな……!」

「なんでって……オレ、ちゃんと見てたから」

「え……?」

「お前がどれだけ必死だったかくらい……わかるっつーの」

「…………」

 レイラの視界が滲み出した。

「……でも……お前が次にまた呑まれそうになったら、絶対にもっと早く止めてやるから」

「……うん」

 目を伏せて、ゆっくりと息を吐くレイラ。

「……ありがとう、リル」

「礼はメロンパンで」

「……そこは譲らないんだ……」

 ふっと、ふたりの間に静かであたたかい笑いが戻ってきた。

 そして──。
 別の病室では。

「兄様、……もう少し横になっててよ……」

 アシュラはベッドの上で、まるで窮屈そうに横になっていた。

 背には分厚いガーゼと固定具。
 止血は済んでいるが、傷は深く、数日間の安静が必要と告げられている。

「……ラショウ……。そんなに泣くほどのことじゃない」

「泣いてないもん……! 怒ってるだけ!」

 ラショウは膨れた頬で包帯を巻き直しながらも、手つきは優しい。

「レイラちゃんも……リルくんも……兄様も、皆して勝手にっ、……もう!」

 その怒鳴り声に微かに苦笑するアシュラ。

「……でも、守ってくれてありがとうな。お前もちゃんと戦ってた」

「……っ」

 ラショウの瞳に、また涙が浮かぶ。
 しかしそれは、誇らしさの滲むあたたかい涙だった。


 ◇


 同時刻、診療録管理室。

 医療班の夜間職員数名と共にセセラがいた。
 診療報告書を睨んだまま、手にした紙コップのアイスコーヒーをひとくち。

 ──そして。

「……誰が一番無茶したか、って話なら……全員アウトだな」

 独り言のように呟く。

 その声に、小さな影が近づいてきた。

「セセラ」

「……ん、お帰り先生」

 所長・シエリ。
 黒ワンピースの裾をいつも通り揺らし、資料に目を落とす。

「レイラ、完全に呑まれていたわけではない。しかし、“龍因子が脳を侵食し始めた”のは間違いない」

「……そうか」

「でも、あの子は戻ってきた。自力じゃないけれど……戻った」

「……ああ。あいつには、リルがいたからな」

「仲間、ってやつかな?」

「それが何かを止める力になることもある。何かを壊す引き金にもなりかねねえが……」

 やや鋭い目をしながら、セセラは資料を閉じる。

「俺は、今日は……後者じゃなくて良かったって思いたい」

 シエリは何も言わずそのまま隣に立ち、静かに一緒にモニターを見つめていた。

「…………」

 映っているのは、リルのベッド。

 そこに小さく寄り添うように座っている、レイラの背中だった。

 ──それぞれの夜が、ゆっくりと、静かに過ぎていく。

 回復する体。
 戻る呼吸。
 けれど、心の奥にはまだ熱が残っている。

 明日になれば、また、歩き出せるはず。

 それを願いながら。


 ◇


 翌日。

 午前11時の中庭に射し込む陽光。
 昨日の嵐のような戦闘が嘘のように、今日は晴れ渡った空が静かだった。

 中庭の一角。簡易なウッドベンチに腰を下ろすレイラの横に、紙コップをふたつ手に持ったセセラがやってきた。

「……おはよさん。起きてすぐでわりぃな」

「……薊野さん……」

 レイラは、どこか覚悟を決めたような瞳でセセラを見上げる。

「怒られるの……わかってる。昨日のこと……」

「怒りゃしねえよ」

 セセラはそう言って、紙コップをレイラへ渡した。
 微糖のあたたかいミルクティー。

「……ただ、昨日のことは。龍因子の覚醒による制御困難な行動って分類でな」

「……っ……」

 苦い表情で目を伏せるレイラ。

「わかってる……あれは、自分でも……何か、歯止めが効かなくて……」

「制御困難ってのはな、本人が気づいてないから起きる。でも昨日のお前は途中で気づいてた」

「…………」

「その後、戻ってこられた。だから今こうして話してるんだろ?」

「…………ぅん」

 レイラはゆっくりと頷く。
 手に持つ紙コップが僅かに震えていた。

「でもな、レイラ。……機関としては見逃せない」

「……はい」

「次に同じようなことが起きたら、お前自身に『能力制御用の制限措置』が検討される。それは……任務参加の一時停止も含めてな」

「……!」

 ミルクティーが少しだけ揺れた。

「言っておくが、これは処罰じゃない。守るための措置だ。お前を、仲間を、周囲をな」

「…………」

 沈黙が、数秒。

 そして、レイラは静かに答える。

「……私は、まだ任務に出ていたい。皆と、いたい……」

「うん」

「……だから、ちゃんと……します。ちゃんと……戻ってこられるように、します」

「…………」

 ──敬語。
 それは誠意の表れ。

 その言葉に、話し方に、セセラは僅かに口角を上げた。

「よろしい。じゃあ、メンタル評価はひとまず経過観察ってとこにしといてやる」

「ありがとう、先生」

「薊野さんな」

 ふたりの間に、少しだけ優しい空気が戻る。

 だが、この小さな笑顔の下で、という重大なリスクは確かに機関に刻まれ始めていた。

「……じゃ、話は終わり。俺戻るから」

「……あ、……うん、……ありがとう薊野さん」

 言い終えたセセラは、中庭から施設へと戻っていく。

 ひとり残されたレイラ。まだ冷めきっていないミルクティーを手の中で揺らしていた。

「…………」

 ──そこに、また別の足音。
 少しだけ引きずるような、けれど確かな歩み。

「よう」

「……リル……」

 振り返ると、昨日よりもだいぶ回復している様子のリルが立っていた。
 患者衣の前はまだ開けられていて、包帯が覗く。

「傷……大丈夫?」

「そっちこそ」

「私は……もう、だいぶ落ち着いたよ。……あの、昨日は、本当に……」

「言うなって。もうわかってる」

 レイラの言葉を遮るように、リルは言い切る。
 いつもの無愛想なトーンだが、どこか優しい。

「で?」

「……え?」

「メロンパン、まだ?」

 レイラは思わずふっと吹き出した。

「今度買ってくるよ。……特別甘いやつ」

「うん。3個でいい。いや4個」

「ふふ……図々しい」

「生きてるからな」

「……!」

 その一言に、レイラの手が小さく震える。

「……リル」

「ん」

「……私、怖かった。昨日。自分の中に、あんなのがあるって、気づいて……」

「……でも戻ってきたろ? オレをぶった斬ったおかげでな」

「う、うん……」

 少しが空いて、レイラがぽつりと呟いた。

「……ありがとう。リルが、あそこにいてくれて……本当に、よかったよ」

 リルはその言葉に何も言わなかった。

 ただ、「……ああ」とだけ答え、ベンチの隣に腰を下ろした。

 ふたりの間に風が吹き抜ける。
 今度の風は、穏やかだった。


 ◇


 時刻はもうすぐ正午。
 医療棟の白い病室の天井の灯りは柔らかく、機器の電子音だけが規則的に響いている。

 ベッドに横たわるアシュラは、うつ伏せに近い体勢で背中の包帯を巻かれていた。

「……っ、ぐ……ぅ」

「……ごめんね兄様、ちょっとしみると思うけど……」

 ラショウの手つきは慎重そのもの。
 綺麗に切り揃えられたガーゼを押さえ、手早く新しい止血シートと入れ替える。

「……大丈夫……痛くないよ」

「兄様……嘘つくとき、声が低くなるよ」

「……バレた?」

「うん、ずっと前から」

 ラショウは苦笑しながらも、しっかりと包帯を巻き終えた。

「……ねえ兄様。昨日のレイラちゃん……」

「……私、怖かった」

「…………」

 アシュラはしばらく黙っていたが、やがて小さく息をついた。

「……俺も、怖かった」

「え?」

「リルが止めてくれなかったら、……俺たち、たぶん誰も……止められなかった」

 ラショウは目を伏せる。

「レイラちゃんも、きっと……怖かったと思う。自分が自分じゃなくなるのが」

「……だな」

 ゆっくりと体を起こすアシュラ。
 まだ顔色は悪いが、目には力が戻っていた。

「でも、戻ってきた。……レイラは」

「うん……」

 ラショウは頷き、少しだけ笑う。

「だから私たちも、ちゃんと戻らないと。いつもの西城兄妹に」

「それが一番難しいんだけどな」

「……ふふ、ほんとにね」

 その笑顔に、アシュラもようやく口元を緩めた。


 ◇


 ──午後2時。
 白い壁、窓も閉め切った無機質な会議室。

 長方形のテーブルを囲むように、数名の研究・監察職員が集められていた。

 その中に、所長であるシエリ、そしてセセラの姿もある。

「──以上が、今回のコードネーム・ワイバーン任務における戦闘ログの要約となります」

 報告担当の研究員が静かに述べたあと、空気が少しだけ重くなった。

 異常個体・大型龍種“ワイバーン”の撃破。
 被害は中規模、重傷者2名、精神不安定要観察1名。

 ──問題は、その1だった。

「……紫苑レイラの戦闘中における行動について、現場の記録班、並びに紅崎リルからの報告、薊野氏からの診断評価……全てを照合した上で、我々は段階的な龍因子暴走と判断しています」

 再び空気が張り詰める。

「既に紫苑レイラ自身には、“制御強化指導”と“経過観察”の同意を取っています」

「暴走は止まり、かつ当人に自覚と反省が見られるため、現時点での拘束措置や任務停止処分は保留です」

 シエリが頷いたあと、静かに発言した。

「……反面、今後の再発リスクを考慮するならば、接触・同時任務のメンバーは限定しても良いかもしれない。暴走時、の存在が明らかに重要だったから」

「紅崎リル、ですね」

「……ああ」

 その答えにはセセラが頷く。
 瞳には、どこか憂いと責任の影があった。

「レイラは戻ってきた。今回はな。だが、次もそうとは限らねえ」

「対龍因子安定剤の個別適応実験は……?」

「まだ初期段階だ。副作用が強すぎる。現状じゃ制御じゃなく抑圧にしかならねえよ」

「つまり、今できるのは“本人の理性”を信じることだけということですか」

「……その理性を、誰が支え続けられるか、だな」

 会議室に再び、沈黙。

 だがその中で、シエリがぽつりと続けた。

「……それでもあの子は、戻ってきたのだ。暴走ではなく、帰還者だ」

 セセラがゆっくりと頷く。

「……俺もそう、報告に書いとく」


 ◇


 ──ワイバーン戦より2日後の龍調査機関。

 控えめな警告音アラートが鳴り、各班の通信端末に“新たな龍の反応検知”が表示された。

 職員たちがすぐに応対を始め、戦闘班への通知と派遣の可否を協議し始める。

「……現在、出撃可能なのは紫苑レイラ、西城ラショウの2名のみ」

「紅崎リルは負傷からの回復途上、経過観察中。西城アシュラは未完治」

「調整を進めましょう。班構成はレイラさん、ラショウさん……」

 施設の空気が忙しなく動いていく中、その知らせを受け取ったレイラは静かに息を呑んだ。

(……また……どうしよう)

(ラショウとふたりで行って、もし私が暴走したら……もし、あの子を巻き込んだら……)

 唇を噛み、胸の前で拳を握る。

(……ひとりで行くって……言おう)

 そう思った、そのときだった。

「──レイラちゃん!」

 ラショウの声。

「……!」

 小さな、けれど強い足音と共に駆け寄ってくる。

「……次の任務、ふたりになりそうだね! 頑張ろうね……!」

「で、でも……!」

 咄嗟に言いかけたレイラの言葉を──。

「気にしないで」

 ラショウは優しく、でもはっきりと遮った。
 声に迷いは無かった。

「兄様がいない分、私……もっと頑張らなきゃって思うから。守られてばかりじゃ、ダメだよね」

 その美しい瞳が、静かに燃えている。

 それは炎だった。
 柔らかく、しかし確かに強く灯った、覚悟の炎。

 レイラはその光に、心を照らされるようだった。

「……う、うん……。頑張ろうね」

(……そこまで言うなら、私も……もう、逃げられない)

(ラショウと一緒に、ちゃんと……戦おう)



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