手放してみたら、けっこう平気でした。

朝山みどり

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第十七話 テリウス

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シスレー家は破産した。笑える。いや、笑えはしない。
あれほど大仰に披露宴を挙げて、俺とラーラは新しい伯爵夫妻として、あの屋敷の大広間を誇示して見せたはずだった。
あの夜の光景を、俺は何度も夢で見る。
招かれた貴族たちの上っ面の賛辞、父祖の代からの古い使用人たちのぎこちない微笑み、そしてあの祖父の、皮肉な口元とワインを開ける得意げな表情。
あの夜、俺も夢を見たのだ。
「これでやっと、俺は貴族の一員だ」と。

だが、何だ今は。
王家に領地を返上した?なんてことだ。

ジジイが誇りにしがみついた結末が、今のこの惨めさだ。

わたくしは分家の子だ。分家の次男坊に過ぎなかった俺を、あの祖父は見下ろすように拾い上げた。
「本家の血が薄くなるよりマシだ」とでも思ったのだろう。
エリザと婚約している時は、まだ俺も舞い上がっていた。
エリザとは、最初はうまく行っていた。
だが、あの女は領民だの未来だの、理想ばかり掲げて、肝心の家の威光を蔑ろにした。
俺から見れば滑稽だった。
「なら俺が継ぐ」と言った時、祖父は嬉しそうに目を細めたじゃないか。
「お前こそが本物の貴族だ」と。
あの一言で、俺は本当に何かを手にした気がしていた。

馬鹿だった。あの爺さんは俺を貴族にしたのではない。
ただ都合よくエリザを追い出すための駒にしただけだ。
何が、血筋だ、矜持だ。全部嘘だ。
手元に残ったのは、借金の山と、形ばかりの伯爵の肩書きだけ。
そして、こんな潰れかけの家に住む俺だ。

ラーラは相変わらずだ。俺の妻。笑える。
あの女は俺に「愛してる」などと囁きながら、その実、自分の出自を誤魔化すために必死だった。
あれが母親と喧嘩して、屋敷中に声が響くたびに思う。そういえば、あの母親追い出したのでは?いいか・・

何が貴族夫人だ、何がシスレー家を継ぐ女だ。
俺の顔を立てるわけでもない。俺を夫として誇りに思うでもない。
ただ、自分が伯爵夫人であることを盾に、義母を罵っているだけだ。
似たもの親娘だ。


「シスレー家の誇りを取り戻せ」と言いながら、裏では金をせびり、役に立たない古い人脈にしがみついているだけだ。
俺に何ができる?家に金はない。
祖父は棺の隣で死に損なっているだけ。

領民は王家から委託されたアドレーを喜んでいる。

食べていくために、俺はそこで働いている。だが、俺の能力は大したことない。それは文官時代に理解している。
だが、仕方ない・・・

義母と妻は不満ばかり大声で喚き、くたばりぞこないも負けずに静かにしろと喚く。

俺は、俺は何で、こうなったのだろう?

エリザを追い出した時のことを思い出す。
祖父と俺と、そしてラーラと義母が並んでいた。
エリザが指輪を外す時の冷たい目。
あれが今も脳裏に焼き付いている。
あの目は俺を哀れんでいたのかもしれない。
「あなたには何もない」とでも言いたげに。

あの時は憎らしかった。
「守られる側じゃなく、守る側だ」とか、何を分かったような口を。
俺が何のためにここまで我慢してやってきたと思っている?
分家の子が本家を継ぐなど、どれだけ肩身が狭いか、あの女に分かってたまるか。

だが、結局のところ、エリザの方が正しかったのだろう。
領民に金を回し、家の未来を考えた。
俺は?
借金をしてでも披露宴を盛大にして見せつけたかった。
それが俺の「矜持」だった。
貴族の誇り?嘘だ。俺が想像した貴族をなぞっただけだ。
本物は違っていたんだ。


情けない。俺は情けない。
ラーラも義母も、祖父も、俺にとっては鎖だ。
だが、その鎖を自分で選んだのは俺自身だ。
エリザが去った後、俺は自由になったはずだった。
だがその自由に、何の意味があった?
誰が俺を貴族として扱う?誰が俺に頭を下げる?
屋敷を出れば、領民は遠巻きにこちらを見て囁く。
「シスレー家のものがなぜここにいる?」と。

俺が終わらせたのか?
いや、祖父が終わらせた。
そうだろう?
あの男が時代に取り残され、古い誇りを振りかざし、俺に夢を見せた。
だが俺が破綻に手を貸したのも事実だ。

また、冬が来る。去年はアドレーが・・・いや、エリザが領民を救った。
今年はアドレーの指導のもと、領民は備えている。

我が家にそんな余裕はなかった。いや・・・あったが。
使ってしまった。

義母もラーラもわかっていない。祖父もわかっていない。

この家はこの冬を越せない。

祖父の部屋からは、また棺の軋む音がする。
あの木箱に入るのは、もしかして俺かもしれないな。

怒りが大きくなると何も感じなくなる。こんな経験したものはあまり、いないだろうな・・・

冬が待ち遠しい。凍えた家で全てを終わらせられる冬が待ち遠しい。

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