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第十八話 冬の日
暖炉の煙が三日も立たない。
それは村人にとって、丘の上の古いシスレー家がどれほど落ちぶれようと、あってはならない光景だった。
雪が止んだお昼過ぎ、隣村から嫁いで三十年になる老婦人は、チキンパイの皿を手に小屋の前に立った。
足元は凍てつき、雪の重みで古い屋根の軒先がきしんでいる。
呼び鈴を鳴らしても、返事はない。
扉の隙間を覗けば、かすかに残った灰の匂いだけが、かつて火があったことを告げていた。
恐る恐る扉を開けると、寒気が室内を満たしていた。
暖炉の前には黒く崩れた薪の残骸。
補充されることなく燃え尽きた灰は、まるで家の終わりのように冷たく積もっている。
部屋の奥に四つの人影が見えた。
祖父は膝を抱え、うつらうつらと目を閉じている。
テリウスは床に倒れ込むように座り、青白い顔で浅い息をしていた。
ラーラはテリウスに寄りかかり、かすかに頬を赤く染めているが、吐く息は白い。
義母は娘を抱き寄せ、何かを守るようにして座ったまま、身じろぎもしなかった。
暖炉の薪は、完全に底を突いていた。
台所にも、物置にも、薪どころか炭の欠片すら残っていない。
老婦人はその光景に、言葉を失った。
「これじゃ、死んじまうとこだったんだねえ」
ふと見れば、棚の隅に硬くなったパンのかけらが転がっているだけだ。
豪奢だったかつての伯爵家の残滓が、こんなにも静かに朽ちようとしていた。
老婦人は慌てて家を飛び出した。
近所の家へ急いだ。老婦人は村の方へ駆けた。
息を切らしながら扉を叩き、その家の男に声をかける。
「シスレーたちが死にかけてる。暖炉の煙がなかったのは、薪が尽きてたんだよ!助けなきゃ。みんな死んじまう!」
村の人々は思い思いに何かを持ってシスレー家を目指した。雪道に小さな列ができた。
鍋を抱える者、炭を詰めた袋を背負う者、古い毛布を積んだソリ。それについでに我が子を乗せて引く者もいる。
誰もが「あのシスレー家」に心のどこかで複雑な思いを抱えてきた。
だが、死にかけた伯爵家の影に、もう恨みを向ける者はいなかった。
手際よく暖炉に火が入った。
ぱちぱちと小さな音が立ち、暖炉の奥で再び赤い炎が生まれる。
祖父が最初に目を覚ました。
目の奥にまだ遠い夢のような影があり、焦点を合わせるのにしばらくかかった。
テリウスが次に目を開け、火の気配に安堵の吐息を漏らした。
ラーラと義母も、誰かの肩に縋るようにしてようやく身を起こした。
「これで・・・」
老婦人は、ぐつぐつと湯を沸かしながら言った。
「これで一度死んだと思いなさい。誰もおまえさんたちを伯爵様だなんて呼ばないさ。死んだんだから、生まれ変わったつもりでおやりなさい。」
誰も何も言わなかった。
だが、四人の表情に、確かに何かがほどけた気配があった。
祖父は、自分の手の皺を眺めてふっと息をついた。
テリウスは自嘲の笑みを漏らした。
ラーラは母の肩に寄り、声もなく泣いた。
義母は娘の背を撫でながら、やっと自分の胸の奥にあった苛立ちを吐き出すように、息を吐いた。
「お茶にしましょう。」
老婦人の声に、誰も逆らわなかった。
チキンパイが皿に盛られた。
鍋ごと持ち込まれたスープが湯気をたてる。
老婦人はお茶を入れた。
「また怒鳴りあったら、今度は助けないよ。」
老婦人が冗談めかして言うと、祖父が声を出して笑った。
テリウスもつられて肩を揺らした。
ラーラは、母を振り返って、はにかんだ笑みを浮かべた。
「お茶が美味しい」
義母がつぶやく。
いつもならすぐに声が荒立つのに、今は不思議と誰も声を荒げない。
明日の薪の分はどうするか、春になったら誰が村の炭焼き小屋で手伝い口を探すか。
祖父が「わしも何かできるか」と言えば、テリウスが「無理だ」と笑って返す。
ラーラが「お母様は村の人に何か縫い物でも」と言えば、義母は素直に「そうね」と頷く。
たわいもない会話が、火のはぜる音と混ざって小屋の奥に染みていった。
暖炉の煙は勢いよく煙突へ吸い込まれ、屋根の上に白く昇った。
丘の下の村人たちは、その煙を見上げて安心した。
「まだ生きてるな」と誰かがつぶやいた。
生まれ変わったつもりで、そう言われた四人の小さな命の火は、確かにまだ灯っている。
冷え切った冬の夜に、久しぶりにシスレー家の小さな居間には笑い声があった。
怒鳴り声ではない、何の皮肉もない、ただの笑い声が。
それがどれほど貴いことかを、四人はまだ知る由もなかったが、暖炉の火が静かに答えていた。
それは村人にとって、丘の上の古いシスレー家がどれほど落ちぶれようと、あってはならない光景だった。
雪が止んだお昼過ぎ、隣村から嫁いで三十年になる老婦人は、チキンパイの皿を手に小屋の前に立った。
足元は凍てつき、雪の重みで古い屋根の軒先がきしんでいる。
呼び鈴を鳴らしても、返事はない。
扉の隙間を覗けば、かすかに残った灰の匂いだけが、かつて火があったことを告げていた。
恐る恐る扉を開けると、寒気が室内を満たしていた。
暖炉の前には黒く崩れた薪の残骸。
補充されることなく燃え尽きた灰は、まるで家の終わりのように冷たく積もっている。
部屋の奥に四つの人影が見えた。
祖父は膝を抱え、うつらうつらと目を閉じている。
テリウスは床に倒れ込むように座り、青白い顔で浅い息をしていた。
ラーラはテリウスに寄りかかり、かすかに頬を赤く染めているが、吐く息は白い。
義母は娘を抱き寄せ、何かを守るようにして座ったまま、身じろぎもしなかった。
暖炉の薪は、完全に底を突いていた。
台所にも、物置にも、薪どころか炭の欠片すら残っていない。
老婦人はその光景に、言葉を失った。
「これじゃ、死んじまうとこだったんだねえ」
ふと見れば、棚の隅に硬くなったパンのかけらが転がっているだけだ。
豪奢だったかつての伯爵家の残滓が、こんなにも静かに朽ちようとしていた。
老婦人は慌てて家を飛び出した。
近所の家へ急いだ。老婦人は村の方へ駆けた。
息を切らしながら扉を叩き、その家の男に声をかける。
「シスレーたちが死にかけてる。暖炉の煙がなかったのは、薪が尽きてたんだよ!助けなきゃ。みんな死んじまう!」
村の人々は思い思いに何かを持ってシスレー家を目指した。雪道に小さな列ができた。
鍋を抱える者、炭を詰めた袋を背負う者、古い毛布を積んだソリ。それについでに我が子を乗せて引く者もいる。
誰もが「あのシスレー家」に心のどこかで複雑な思いを抱えてきた。
だが、死にかけた伯爵家の影に、もう恨みを向ける者はいなかった。
手際よく暖炉に火が入った。
ぱちぱちと小さな音が立ち、暖炉の奥で再び赤い炎が生まれる。
祖父が最初に目を覚ました。
目の奥にまだ遠い夢のような影があり、焦点を合わせるのにしばらくかかった。
テリウスが次に目を開け、火の気配に安堵の吐息を漏らした。
ラーラと義母も、誰かの肩に縋るようにしてようやく身を起こした。
「これで・・・」
老婦人は、ぐつぐつと湯を沸かしながら言った。
「これで一度死んだと思いなさい。誰もおまえさんたちを伯爵様だなんて呼ばないさ。死んだんだから、生まれ変わったつもりでおやりなさい。」
誰も何も言わなかった。
だが、四人の表情に、確かに何かがほどけた気配があった。
祖父は、自分の手の皺を眺めてふっと息をついた。
テリウスは自嘲の笑みを漏らした。
ラーラは母の肩に寄り、声もなく泣いた。
義母は娘の背を撫でながら、やっと自分の胸の奥にあった苛立ちを吐き出すように、息を吐いた。
「お茶にしましょう。」
老婦人の声に、誰も逆らわなかった。
チキンパイが皿に盛られた。
鍋ごと持ち込まれたスープが湯気をたてる。
老婦人はお茶を入れた。
「また怒鳴りあったら、今度は助けないよ。」
老婦人が冗談めかして言うと、祖父が声を出して笑った。
テリウスもつられて肩を揺らした。
ラーラは、母を振り返って、はにかんだ笑みを浮かべた。
「お茶が美味しい」
義母がつぶやく。
いつもならすぐに声が荒立つのに、今は不思議と誰も声を荒げない。
明日の薪の分はどうするか、春になったら誰が村の炭焼き小屋で手伝い口を探すか。
祖父が「わしも何かできるか」と言えば、テリウスが「無理だ」と笑って返す。
ラーラが「お母様は村の人に何か縫い物でも」と言えば、義母は素直に「そうね」と頷く。
たわいもない会話が、火のはぜる音と混ざって小屋の奥に染みていった。
暖炉の煙は勢いよく煙突へ吸い込まれ、屋根の上に白く昇った。
丘の下の村人たちは、その煙を見上げて安心した。
「まだ生きてるな」と誰かがつぶやいた。
生まれ変わったつもりで、そう言われた四人の小さな命の火は、確かにまだ灯っている。
冷え切った冬の夜に、久しぶりにシスレー家の小さな居間には笑い声があった。
怒鳴り声ではない、何の皮肉もない、ただの笑い声が。
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