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Ⅵ リンの願いと導き
③
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馬車内にドーラ殿下とリンの二人になり、ドーラ殿下が話し出す。
「あれさぁ、リンだって気が付いているよね」
「はい。そのように、思います」
カロール殿下に触れた喜びが、今更ながらにリンの心に満ちてくる。抑えていた心が解き放たれてリンの全身が震える。嬉しくてリンは顔を手で覆って涙を流した。ドーラ殿下は何も言わずに静かにしていてくれた。その優しさが嬉しかった。
「さて、落ち着いたかな。なぁ、カロール殿下の様子だけどさ、リンのことを探っているように思えた。リンはカロール殿下が、アローラ国に残って傍に居ろと言ったらどうする? ちなみにリーン殿下として嫁ぐのは無理だ。さすがにそこまでディラ公爵家に嘘はつけない」
馬車の外を眺めてリンは深呼吸する。
「分かっています。アローラ国では国外追放を受けた者が国に入ったら死刑です。僕はリン・ジャルルとしてこの国にいれば処刑されます。この国で死ぬことは避けたいです。処罰されればジャルル伯爵家にも罪が及びます。そして助けていただいたザザ国にも影響が出ると思います。記憶喪失のリーン殿下でやり過ごします。これ以上周りに迷惑はかけられません」
「わかった。リンがどう処理されているのか、アローラ国内の現状が分からないとリンとして存在するのは危険だな。しばらくはカロール殿下に探られようと、リーン殿下で通せよ」
「はい。承知しております」
それ以上は話すことが無く静かに馬車に揺られた。窓の外の景色が懐かしく感じた。その内にリンはウトウト眠っていた。
「リン、おはよう」
愛らしい声がしてリンは頬を緩める。幼い頃から良く知っている安心する声だ。
「セレス、おはよう」
ふわぁ、と欠伸をして伸びをする。
「あぁ、やっぱりリンだ」
セレスは何を言っているのだろう? リンが目を開けると間近にセレス。相変わらず可愛らしい天使のような微笑み。
「う~~ん、目覚めにセレスがいる。すごい夢だぁ」
「リン、寝ぼけてんなぁ」
セレスの呆れた一言にリンは全身をビクリと震わせて大きく目を開ける。
「え? セ、レス? な、なんで?」
「今は僕だけだから大丈夫。今回ザザ国一行は王都に行くまでにニッゼン家に立ち寄るコースになっている。このあとジャルル家を経由していく。僕はカロール殿下のご指示でここから同行する予定。寝ている姿でリンだろうと思って、僕が起こしたいと時間をもらった。やっぱりリンだった! 生きていて嬉しい! 会えて嬉しい!」
リンに抱き着いて涙ぐむセレスをそっと抱きしめ返す。セレスの変わらない様子にリンの目から涙があふれる。
「セレス、嬉しいけれど僕がリンであることは極秘だ。僕は国外追放になっている。お願いだ。僕がリンである事は黙っていて」
「もちろんだ。リンのためなら死んでも秘密を守る。リンを守るためなら何でもする。外ではリーン殿下と呼べばいいのだろう? ザザ国の王子になったの?」
「いや、僕はザザ国のドーラ殿下に助けてもらった。僕の最期の願いで今回アローラ視察に同行させてもらっている。記憶喪失ということにして、ザザ国の王弟殿下子息の立場を借りた。リーン殿下の名を借りているんだ」
「最期って……。大筋は理解したよ。僕はリンの味方だ。イタズラも幸せも僕たちは共有してきた。それは今も変わらない。二人いれば何とかなるよ。リン、よく頑張ったね」
セレスの一言に堪えていた涙がこぼれた。
「だめだ。泣きやめ。リンが泣いたら何かあったと思われる。今のリンはリーン殿下だろ?」
セレスの一言にリンは涙を堪える。深く深呼吸して気持ちを整える。
「うん。そうだ。大丈夫。セレス、ありがとう」
セレスと軽く抱き合う。
「泣くなよ?」
「あはは。セレスは鋭いな」
「冗談抜きで」
「分かっているよ」
リンが改めて馬車の中を見れば窓のカーテンを閉め、ドアも閉めて密室にしてくれている。さすがセレスだ。
「よく二人の時間を作れたね」
「だろ? オメガは寝起きに発情する可能性があるから、アルファの方は遠慮してほしいって言ってみた」
「おぉ。セレスやるなぁ」
「てか、早めに出ないとまずい。さすがに怪しまれる。ここからは『リーン殿下』って敬うよ」
「じゃ僕も『セレス卿』って呼ばなきゃ。吹き出さないように我慢だな、お互いに」
リンはセレスと額を合わせて小さく笑う。寂しさと辛さで仮死状態だったリンの心が蘇るようだ。きっと馬車の外にはカロール殿下が居る。リンの心臓が高鳴る。
セレスに先導されて馬車を降りた。馬車の外にはカロール殿下とドーラ殿下。輝くようなアルファ二人。華やかすぎる。直視出来ず赤面してセレスを見ると、セレスも真っ赤な顔をしている。
歩みが止まった僕たちを二人のアルファが迎えに歩み寄る。
「どうぞリーン殿下」
カロール殿下がエスコートの手を差し伸べる。
「どうぞセレス卿」
ドーラ殿下が同じくセレスにエスコートの手を差し出す。リンとセレスは自然とそれぞれ手をとった。
「で、エスコートしたいのだけれど、ここはニッゼン家だね。邸内が分からない。すまないが玄関までのエスコートとなる」
残念そうにカロール殿下が呟く。懐かしすぎてリンがブハっと吹きだしてしまう。驚いて振り返るカロール殿下。
「申し訳ありません」
咳払いをして謝ると幸せそうに頬を染めたカロール殿下がリンを見る。
「いや。リンが、じゃない。リーン殿下が愛らしくて心臓が止まりそうです」
言い直したけれどリンって呼んだように聞こえた。リンは聞こえなかった振りをする。
隣を見るとセレスの手を取りながらドーラ殿下が空を仰ぎ見て泣いている。泣くレベルが大泣きレベルだ。それを見たカロール殿下が口を開けて驚いている。可笑しくてリンは笑いを噛みしめた。
「ドーラ殿下。ハンカチを使いますか?」
声をかければズズっと鼻をすする殿下。
「借りてもいいか? リーン、見ているか? 俺は念願のセレスの手を、握っている。エスコートしているのだ。今日のために俺は生きて来たのだ……」
クスリと笑ってドーラ殿下にハンカチを手渡す。セレスは何が起きたのかと目を白黒させている。リンはセレスに目配せで『大丈夫だよ』と知らせる。
「あ、ハンカチのその刺繍は?」
カロール殿下が呟いた。リンが応える。
「これですか? ザザ国では貴族や王族が自分の持ち物に家紋を入れる習慣があります。細かいものにまで家紋を入れることが権力の誇示になります。僕はドーラ殿下に面倒を見ていただいておりますので王家の家紋入りの小物を持っております」
「へぇ。そうか。いや、かなり前になるが、俺のペットがその刺繍入りの布に包まれた届け物を持ってきたことがあってね」
カロール殿下の言葉にリンの心が歓喜に沸く。ルーがブレスレットを届けてくれていた!
「カロール殿下のフクロウはお元気なのですか?」
ルーが無事なのか気になって仕方がなかった。するとカロール殿下は満足そうに微笑む。
「遠くから飛んできたのだろう。羽に怪我を負っていてね。その後、長くは飛べなくなった。リンのもとに行けなくて毎日悲しそうに空を見ているよ。早くルーに会ってあげて」
後半はリンの耳元に囁くカロール殿下。セレスとドーラ殿下には聞かれていない。途端にリンの心臓がドキドキ鳴りだす。失敗してしまった。ルーの事は話題にすべきではなかった。どう答えたらいいのだろう。この距離では聞こえなかった振りに無理がある。冷汗が出てくる。
「俺は『俺のペット』と言ったのにフクロウだと分かったのは何故かな? リーン殿下」
嬉しそうにカロール殿下が微笑む。意地悪だ。きっと分かっているくせに。どうしていいのか分からなくなり、リンの目から涙が溢れる。リンだと名乗れるのなら始めからそうしている。出来ない理由があるのに。
「あぁ、ごめん、ごめん。泣かせるつもりは無かった。リン、ごめん」
優しく抱擁してリンを包み込むカロール殿下。相変わらず頭がクラリとする良い匂い。いつまでも嗅いでいたい匂い。
「えぇ? リーン殿下? どうしたのですか?」
セレスの慌てる声。
「カロール殿下、オメガイジメをしないでいただきたい」
ドーラ殿下の剣のある声。
「誤解だ。いや、そうでもないか。少し追いつめてしまった。申し訳ない。リーン殿下を室内まで運んでもいいだろうか? セレス、悪いが案内を頼む」
「はい。かしこまりました」
涙が止まらなくて泣きじゃくるリンをカロール殿下が横抱きにする。その懐かしい感覚に、リンは気持ちが抑えきれずワンワン泣いた。
「リーン殿下、申し訳なかった。動揺させてしまったね」
よく知るニッゼン家の応接間に入った。リンは長椅子に降ろされて横になった。すぐに顔見知りの侍女が目元を冷やす濡れタオルを用意してくれる。
「……いえ、なぜか泣けてしまって。申し訳ありません」
目元を隠したままカロール殿下に謝る。王城侍女のハカルに『カロール殿下に頭を下げさせてはいけない』と強く言われた日を懐かしく思い出す。
「失礼。カロール殿下はリーンを誰かと勘違いしているように思います。リーンは最近の記憶がありません。あまり刺激を与えないよう願いたい」
ドーラ殿下の言葉に怪訝な顔をするカロール殿下。
「記憶が、ない? それはどういうことでしょうか?」
「リーンは幼い頃に天に召されたと思われていましたが、最近不法の森で生きていたのを見つけました。ひどい怪我を負っていた。辛いことがあったのだと思われます。救助後に意識が戻ったリーンの記憶は無かった」
「怪我? どこを、ですか?」
「それは言えません。もういいでしょう」
「では、なぜこの者がリーン殿下だと?」
「リーンは黒髪のオメガであった。幼い頃から王族用の金の首保護帯をつけていた。発見したときのリーンは黒髪に金の保護帯をつけていた」
カロール殿下が無言になる。
「その金の保護帯をつけた黒髪の者が、リーン殿下ではなく、わが国の王族縁の者かもしれないと言ったら?」
「有り得ないだろうな。これはリーンですよ」
部屋の空気がピンと張り詰める。リンの背をゾクリと何かが走る。
「あの、リーン殿下を休ませて差し上げたいのですが、殿下お二人のアルファの圧が、オメガには強すぎます」
セレスが恐る恐る言葉にしているのが伝わってくる。途端にドーラ殿下の空気が柔らかくなる。
「あぁ、セレス。ゴメンね。怖かったよね。俺が傍に居るから大丈夫だよ。よしよし。アローラ国の王子は怖いアルファだね」
「おいおい、お前も少し圧を出しただろうが」
「お前呼ばわりか。言わせてもらうが俺は自分のオメガをすぐにケアするけどな! お前はどうなんだよ」
セレスを包み込むように抱きしめているドーラ殿下。それを見て、慌ててカロール殿下がリンに近づき傍に膝をつく。
驚いてリンは椅子から降りようとするが、カロール殿下が動きを制する。そっとリンの左手を包み込み手の甲にキスを落とす。久しぶりのその行為に左手がホワリと温まる。そのままポケットから出したエメラルドのブレスレットをカチャリとリンの左腕に着ける。リンのもとに戻ってきたエメラルドのブレスレット。懐かしい輝きに見とれる。嬉しくて頬が緩む。
「持っていて欲しい。これはあなたの物だ」
優しくリンに微笑む緑の瞳。エメラルドより煌めいている。
「少し触れてもいいだろうか?」
リンはコクリと頷いた。カロール殿下の後ろではドーラ殿下がセレスを腕の中に閉じ込めている。リンの頭をそっと撫でるカロール殿下。
「アルファの圧を当ててしまってゴメンね。ついカッとしてしまった。アルファ同士だと本能の部分で威圧が出てしまう。配慮が足りなかった。傍に大切なリンがいたのに」
リンにしか聞こえないように小さな声でささやかれる。
カロール殿下のフェロモンが優しくリンを包む。もう感じることはないだろうと思っていた温かさ。忘れていた幸福感がリンの心に満ちてくる。リンは目を閉じてその温かさに身を委ねる。
(安心する……。気持ちが良い)
「いつもリンを苦しめてゴメン。俺はどう償って行けば良いのだろう? 全て俺の力不足だ。愛する者を守ることも出来ない不甲斐ないアルファですまない。どうか許してくれ」
リンを撫でながら吐息のように小さなつぶやきをカロール殿下がこぼす。慰めて差し上げたいのに、今はリンではないから出来ない。リーン殿下として応えなくては。
「よく分かりませんが、カロール殿下のフェロモンは安心します。優しくて素敵なアルファなのだと分かります。今後、どんなオメガとでも女性とでも、きっとお幸せになれると思います。大丈夫ですよ」
リンがいなくてもカロール殿下は前を向かなくてはいけない。カロール殿下には王太子の立場がある。リンにばかり捕らわれていてはダメだ。もうリンはこの国に存在できないのだから。そんな思いをこめて伝える。
「ありがとう、リーン殿下」
カロール殿下は少し寂しそうに微笑んだ。
「あれさぁ、リンだって気が付いているよね」
「はい。そのように、思います」
カロール殿下に触れた喜びが、今更ながらにリンの心に満ちてくる。抑えていた心が解き放たれてリンの全身が震える。嬉しくてリンは顔を手で覆って涙を流した。ドーラ殿下は何も言わずに静かにしていてくれた。その優しさが嬉しかった。
「さて、落ち着いたかな。なぁ、カロール殿下の様子だけどさ、リンのことを探っているように思えた。リンはカロール殿下が、アローラ国に残って傍に居ろと言ったらどうする? ちなみにリーン殿下として嫁ぐのは無理だ。さすがにそこまでディラ公爵家に嘘はつけない」
馬車の外を眺めてリンは深呼吸する。
「分かっています。アローラ国では国外追放を受けた者が国に入ったら死刑です。僕はリン・ジャルルとしてこの国にいれば処刑されます。この国で死ぬことは避けたいです。処罰されればジャルル伯爵家にも罪が及びます。そして助けていただいたザザ国にも影響が出ると思います。記憶喪失のリーン殿下でやり過ごします。これ以上周りに迷惑はかけられません」
「わかった。リンがどう処理されているのか、アローラ国内の現状が分からないとリンとして存在するのは危険だな。しばらくはカロール殿下に探られようと、リーン殿下で通せよ」
「はい。承知しております」
それ以上は話すことが無く静かに馬車に揺られた。窓の外の景色が懐かしく感じた。その内にリンはウトウト眠っていた。
「リン、おはよう」
愛らしい声がしてリンは頬を緩める。幼い頃から良く知っている安心する声だ。
「セレス、おはよう」
ふわぁ、と欠伸をして伸びをする。
「あぁ、やっぱりリンだ」
セレスは何を言っているのだろう? リンが目を開けると間近にセレス。相変わらず可愛らしい天使のような微笑み。
「う~~ん、目覚めにセレスがいる。すごい夢だぁ」
「リン、寝ぼけてんなぁ」
セレスの呆れた一言にリンは全身をビクリと震わせて大きく目を開ける。
「え? セ、レス? な、なんで?」
「今は僕だけだから大丈夫。今回ザザ国一行は王都に行くまでにニッゼン家に立ち寄るコースになっている。このあとジャルル家を経由していく。僕はカロール殿下のご指示でここから同行する予定。寝ている姿でリンだろうと思って、僕が起こしたいと時間をもらった。やっぱりリンだった! 生きていて嬉しい! 会えて嬉しい!」
リンに抱き着いて涙ぐむセレスをそっと抱きしめ返す。セレスの変わらない様子にリンの目から涙があふれる。
「セレス、嬉しいけれど僕がリンであることは極秘だ。僕は国外追放になっている。お願いだ。僕がリンである事は黙っていて」
「もちろんだ。リンのためなら死んでも秘密を守る。リンを守るためなら何でもする。外ではリーン殿下と呼べばいいのだろう? ザザ国の王子になったの?」
「いや、僕はザザ国のドーラ殿下に助けてもらった。僕の最期の願いで今回アローラ視察に同行させてもらっている。記憶喪失ということにして、ザザ国の王弟殿下子息の立場を借りた。リーン殿下の名を借りているんだ」
「最期って……。大筋は理解したよ。僕はリンの味方だ。イタズラも幸せも僕たちは共有してきた。それは今も変わらない。二人いれば何とかなるよ。リン、よく頑張ったね」
セレスの一言に堪えていた涙がこぼれた。
「だめだ。泣きやめ。リンが泣いたら何かあったと思われる。今のリンはリーン殿下だろ?」
セレスの一言にリンは涙を堪える。深く深呼吸して気持ちを整える。
「うん。そうだ。大丈夫。セレス、ありがとう」
セレスと軽く抱き合う。
「泣くなよ?」
「あはは。セレスは鋭いな」
「冗談抜きで」
「分かっているよ」
リンが改めて馬車の中を見れば窓のカーテンを閉め、ドアも閉めて密室にしてくれている。さすがセレスだ。
「よく二人の時間を作れたね」
「だろ? オメガは寝起きに発情する可能性があるから、アルファの方は遠慮してほしいって言ってみた」
「おぉ。セレスやるなぁ」
「てか、早めに出ないとまずい。さすがに怪しまれる。ここからは『リーン殿下』って敬うよ」
「じゃ僕も『セレス卿』って呼ばなきゃ。吹き出さないように我慢だな、お互いに」
リンはセレスと額を合わせて小さく笑う。寂しさと辛さで仮死状態だったリンの心が蘇るようだ。きっと馬車の外にはカロール殿下が居る。リンの心臓が高鳴る。
セレスに先導されて馬車を降りた。馬車の外にはカロール殿下とドーラ殿下。輝くようなアルファ二人。華やかすぎる。直視出来ず赤面してセレスを見ると、セレスも真っ赤な顔をしている。
歩みが止まった僕たちを二人のアルファが迎えに歩み寄る。
「どうぞリーン殿下」
カロール殿下がエスコートの手を差し伸べる。
「どうぞセレス卿」
ドーラ殿下が同じくセレスにエスコートの手を差し出す。リンとセレスは自然とそれぞれ手をとった。
「で、エスコートしたいのだけれど、ここはニッゼン家だね。邸内が分からない。すまないが玄関までのエスコートとなる」
残念そうにカロール殿下が呟く。懐かしすぎてリンがブハっと吹きだしてしまう。驚いて振り返るカロール殿下。
「申し訳ありません」
咳払いをして謝ると幸せそうに頬を染めたカロール殿下がリンを見る。
「いや。リンが、じゃない。リーン殿下が愛らしくて心臓が止まりそうです」
言い直したけれどリンって呼んだように聞こえた。リンは聞こえなかった振りをする。
隣を見るとセレスの手を取りながらドーラ殿下が空を仰ぎ見て泣いている。泣くレベルが大泣きレベルだ。それを見たカロール殿下が口を開けて驚いている。可笑しくてリンは笑いを噛みしめた。
「ドーラ殿下。ハンカチを使いますか?」
声をかければズズっと鼻をすする殿下。
「借りてもいいか? リーン、見ているか? 俺は念願のセレスの手を、握っている。エスコートしているのだ。今日のために俺は生きて来たのだ……」
クスリと笑ってドーラ殿下にハンカチを手渡す。セレスは何が起きたのかと目を白黒させている。リンはセレスに目配せで『大丈夫だよ』と知らせる。
「あ、ハンカチのその刺繍は?」
カロール殿下が呟いた。リンが応える。
「これですか? ザザ国では貴族や王族が自分の持ち物に家紋を入れる習慣があります。細かいものにまで家紋を入れることが権力の誇示になります。僕はドーラ殿下に面倒を見ていただいておりますので王家の家紋入りの小物を持っております」
「へぇ。そうか。いや、かなり前になるが、俺のペットがその刺繍入りの布に包まれた届け物を持ってきたことがあってね」
カロール殿下の言葉にリンの心が歓喜に沸く。ルーがブレスレットを届けてくれていた!
「カロール殿下のフクロウはお元気なのですか?」
ルーが無事なのか気になって仕方がなかった。するとカロール殿下は満足そうに微笑む。
「遠くから飛んできたのだろう。羽に怪我を負っていてね。その後、長くは飛べなくなった。リンのもとに行けなくて毎日悲しそうに空を見ているよ。早くルーに会ってあげて」
後半はリンの耳元に囁くカロール殿下。セレスとドーラ殿下には聞かれていない。途端にリンの心臓がドキドキ鳴りだす。失敗してしまった。ルーの事は話題にすべきではなかった。どう答えたらいいのだろう。この距離では聞こえなかった振りに無理がある。冷汗が出てくる。
「俺は『俺のペット』と言ったのにフクロウだと分かったのは何故かな? リーン殿下」
嬉しそうにカロール殿下が微笑む。意地悪だ。きっと分かっているくせに。どうしていいのか分からなくなり、リンの目から涙が溢れる。リンだと名乗れるのなら始めからそうしている。出来ない理由があるのに。
「あぁ、ごめん、ごめん。泣かせるつもりは無かった。リン、ごめん」
優しく抱擁してリンを包み込むカロール殿下。相変わらず頭がクラリとする良い匂い。いつまでも嗅いでいたい匂い。
「えぇ? リーン殿下? どうしたのですか?」
セレスの慌てる声。
「カロール殿下、オメガイジメをしないでいただきたい」
ドーラ殿下の剣のある声。
「誤解だ。いや、そうでもないか。少し追いつめてしまった。申し訳ない。リーン殿下を室内まで運んでもいいだろうか? セレス、悪いが案内を頼む」
「はい。かしこまりました」
涙が止まらなくて泣きじゃくるリンをカロール殿下が横抱きにする。その懐かしい感覚に、リンは気持ちが抑えきれずワンワン泣いた。
「リーン殿下、申し訳なかった。動揺させてしまったね」
よく知るニッゼン家の応接間に入った。リンは長椅子に降ろされて横になった。すぐに顔見知りの侍女が目元を冷やす濡れタオルを用意してくれる。
「……いえ、なぜか泣けてしまって。申し訳ありません」
目元を隠したままカロール殿下に謝る。王城侍女のハカルに『カロール殿下に頭を下げさせてはいけない』と強く言われた日を懐かしく思い出す。
「失礼。カロール殿下はリーンを誰かと勘違いしているように思います。リーンは最近の記憶がありません。あまり刺激を与えないよう願いたい」
ドーラ殿下の言葉に怪訝な顔をするカロール殿下。
「記憶が、ない? それはどういうことでしょうか?」
「リーンは幼い頃に天に召されたと思われていましたが、最近不法の森で生きていたのを見つけました。ひどい怪我を負っていた。辛いことがあったのだと思われます。救助後に意識が戻ったリーンの記憶は無かった」
「怪我? どこを、ですか?」
「それは言えません。もういいでしょう」
「では、なぜこの者がリーン殿下だと?」
「リーンは黒髪のオメガであった。幼い頃から王族用の金の首保護帯をつけていた。発見したときのリーンは黒髪に金の保護帯をつけていた」
カロール殿下が無言になる。
「その金の保護帯をつけた黒髪の者が、リーン殿下ではなく、わが国の王族縁の者かもしれないと言ったら?」
「有り得ないだろうな。これはリーンですよ」
部屋の空気がピンと張り詰める。リンの背をゾクリと何かが走る。
「あの、リーン殿下を休ませて差し上げたいのですが、殿下お二人のアルファの圧が、オメガには強すぎます」
セレスが恐る恐る言葉にしているのが伝わってくる。途端にドーラ殿下の空気が柔らかくなる。
「あぁ、セレス。ゴメンね。怖かったよね。俺が傍に居るから大丈夫だよ。よしよし。アローラ国の王子は怖いアルファだね」
「おいおい、お前も少し圧を出しただろうが」
「お前呼ばわりか。言わせてもらうが俺は自分のオメガをすぐにケアするけどな! お前はどうなんだよ」
セレスを包み込むように抱きしめているドーラ殿下。それを見て、慌ててカロール殿下がリンに近づき傍に膝をつく。
驚いてリンは椅子から降りようとするが、カロール殿下が動きを制する。そっとリンの左手を包み込み手の甲にキスを落とす。久しぶりのその行為に左手がホワリと温まる。そのままポケットから出したエメラルドのブレスレットをカチャリとリンの左腕に着ける。リンのもとに戻ってきたエメラルドのブレスレット。懐かしい輝きに見とれる。嬉しくて頬が緩む。
「持っていて欲しい。これはあなたの物だ」
優しくリンに微笑む緑の瞳。エメラルドより煌めいている。
「少し触れてもいいだろうか?」
リンはコクリと頷いた。カロール殿下の後ろではドーラ殿下がセレスを腕の中に閉じ込めている。リンの頭をそっと撫でるカロール殿下。
「アルファの圧を当ててしまってゴメンね。ついカッとしてしまった。アルファ同士だと本能の部分で威圧が出てしまう。配慮が足りなかった。傍に大切なリンがいたのに」
リンにしか聞こえないように小さな声でささやかれる。
カロール殿下のフェロモンが優しくリンを包む。もう感じることはないだろうと思っていた温かさ。忘れていた幸福感がリンの心に満ちてくる。リンは目を閉じてその温かさに身を委ねる。
(安心する……。気持ちが良い)
「いつもリンを苦しめてゴメン。俺はどう償って行けば良いのだろう? 全て俺の力不足だ。愛する者を守ることも出来ない不甲斐ないアルファですまない。どうか許してくれ」
リンを撫でながら吐息のように小さなつぶやきをカロール殿下がこぼす。慰めて差し上げたいのに、今はリンではないから出来ない。リーン殿下として応えなくては。
「よく分かりませんが、カロール殿下のフェロモンは安心します。優しくて素敵なアルファなのだと分かります。今後、どんなオメガとでも女性とでも、きっとお幸せになれると思います。大丈夫ですよ」
リンがいなくてもカロール殿下は前を向かなくてはいけない。カロール殿下には王太子の立場がある。リンにばかり捕らわれていてはダメだ。もうリンはこの国に存在できないのだから。そんな思いをこめて伝える。
「ありがとう、リーン殿下」
カロール殿下は少し寂しそうに微笑んだ。
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