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Ⅵ リンの願いと導き
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初夏の若緑が気持ちいい季節。
「では出発!」
凛と響くドーラ殿下の声。それに続いて音楽隊の軽快なラッパの音。城の侍従に見送られてドーラ殿下一行がアール・スモール城から出発した。
ザザ王都から来た王家近衛兵三十名と従者五名にドーラ殿下とリンで小隊を組んで移動する。王都からの騎兵近衛隊は精鋭部隊でどんな状況下でも対応できる戦闘能力があり生活能力も高い人たち。逞しく礼儀正しい彼らを見ると安心できる。
「おーい、リーン殿下。もっと偉そうにしてくれるか?」
「もう、勘弁してください。馬車内です。普通の呼び方にしてください」
振動がほぼ感じられない王族用馬車の中でリンは項垂れた。なぜリンが『リーン殿下』と呼ばれているのかと言うと、ドーラ殿下の思い付きだ。もう本当に勘弁してほしいと考え、リンは頭が痛くなる。
「ほら、水と酔い止め」
「……馬車酔いではありません」
呑気なドーラ殿下にリンは呆れてしまう。リンは従者の予定だった。しかし実際は『リーン殿下』というドーラ殿下の従弟として同行している。バレたらどうするんだよ、と不安で心臓が痛い。そんなリンを横目にドーラ殿下は楽しそうにしている。そんな殿下を見て、いつも溜息をついている爺の気持がよく分かった。
出発三日前。
「リン、何て言って良いのか……」
リンを見たまま首をかしげているドーラ殿下。鏡の中の自分を見て、これはダメだとリン自身も感じている。
「ドーラ殿下。僕の金の保護帯は首から外せません。コレがあると一目で僕だとバレます」
「だよなぁ。従者の制服は厳しいな。かといって侍女の服にすればもっと目立つ。万が一、正装を要求された時には首を隠しきれないか」
う~~ん、とドーラ殿下が唸る。確かに使用人の立場では上位の者に『この服を着てお茶会を』など誘われたら断れない。それが首や背中の出る服だったら王家の首保護帯とリンの焼き印が露呈する。
「やはり行くことは危険すぎます。僕は諦めましょうか」
最期の望みだったけれど、とリンは心の中で呟く。
「いや。諦めるな。方法はまだある。誰かに指示される危険がなく立場が守られる方法。手が出せない存在。そんな立場があればいいのだが」
「あはは。ドーラ殿下のお立場そのものですね」
「まぁ、そうだな。俺の立場ならアローラ国の誰の指図も受けないからな。服装も自由にできる。ん? そうか。リンがザザ国の王家の者となればいいではないか!」
楽しいイタズラを思いついた風なドーラ殿下の顔を見て、リンは「はぁ?」と首を傾げた。
「うん。そうだ。昔、俺の従弟で幼少期に事故で亡くなった者がいたな。王弟殿下ご子息だったはず。現王の孫甥姪まで殿下の名称が使える。その者の立場を借りよう。亡くなったと思われていた殿下が生きていた、とすればいい。バレたとしてもリンは記憶喪失で状況が分からず、周囲は勘違いをしていた。そうして殿下の立場に祭り上げられていたとすればよい。誰も悪くならん」
「はぁぁ? 僕がザザ国の、殿下に?」
「いいさ。王子の称号を持つわけじゃない。王族の端っこに位置するだけでリンの立場が守られる。アローラに行く間だけだ。いいじゃないか」
「そ、それは罪になりませんか?」
「悪いことはしていないさ。ちょっと勘違いしただけ、な? それにリンに似た者が従者にいるとアローラ国に探られるより、堂々と他人として顔出ししてしまえばいい」
楽しそうなドーラ殿下について行けず、傍に居る爺とリンは困った顔をするしかなかった。そして偶然にもお亡くなりになっている王弟ご子息の名が『リーン殿下』だった。「リンと名が似ている」と喜んだのはドーラ殿下だった。
馬車に揺られながらリンがザザ国のリーン殿下とされた経緯を思い出し溜息をつく。ドーラ殿下は奇抜と言うか天才というか、不思議な方だ。
「お、リン。不法の森に入るぞ。賊が来るかな。ワクワクするな」
「ドーラ殿下。真面目に本気で襲われたらどうするのですか」
「そのための精鋭部隊だ。そうそう負けない特殊部隊だぞ。そして何を隠そう一番腕がたつのは俺だ。スゴイだろう」
「はぁ」
「賊が来てさ、俺がカッコよく撃退してさ、そしたらセレスに『えぇ? 不法の森の賊に勝ったのですか?』とか驚かれちゃうかな。『カッコイイ、僕のことも守って』とか言われちゃうかな。ウへへへ」
妄想に入り鼻の下が伸びているドーラ殿下を放っておきリンは外を見た。
冬とは違い緑が美しい森。不法の森に捨てられた冬の記憶がリンの脳裏をかすめる。ズキンと背中の古傷が痛む。思わず左手で右肩を押さえて背中を丸くした。裁判にかけられた時の眩暈のする辛い気持ち。人に嘲笑される恥ずかしさ。暗い地下牢。チラチラと記憶が蘇りリンの気分が悪くなる。
「痛むか?」
優しい声。ドーラ殿下を見れば優しい顔でリンを見ている。先ほどまでの変態顔はすでに消えている。その変わり身の早さにリンは軽く笑う。
「百面相ですね」
「はぁ? 誰がだよ」
「いえ、何でもありません」
「いいか、リン。無理はしなくていい。辛いのなら移動中は薬で寝てしまってもいい」
ドーラ殿下の優しさにリンの頬が緩む。
「いえ、大丈夫です。やっぱり馬車酔いかもしれません」
「そうか。薬は早めに使えよ。我慢するな。そう言えば出会ったときにリンの傍にいた大フクロウはアローラに帰ったのだろうか。あのフクロウに導かれてリンを見つけたからな」
リンは窓の外を見た。木々の間から見える青空。空を飛ぶ美しいルーの姿を思い出す。
「ルーが無事ならいいのですけれど。あれから会っていません」
「きっと無事さ」
同じように外を見て「賊が来ないな。つまらん」と呟くドーラ殿下にリンは少し笑った。
事前に不法の森に『二国間友好の道』として道路を通したのはドーラ殿下だ。さすがに賊であっても、この道付近は手出しできないであろう。何しろザザ国とアローラ国の国旗が明示された道だ。「賊が出たら」などと言いながら、実際の安全確保は万全のドーラ殿下。ふざけているけれど、この人は優秀なアルファだ。
五百メートル程度の不法の森を進んだアローラ国境手前で隊が停止する。何事かと外を見ればアローラ国軍が歓迎の出迎えに来ている。
リンの心臓がドキリとする。
最前列に白馬に乗った輝く人。馬車窓からの遠目にも分かってしまう。カロール殿下。会いたかったカロール殿下がいる。目が離せない。感動と色々な感情が入り乱れて窓枠を掴むリンの手が震える。
「おいおい、王子殿下が国境まで出迎えかよ。想定外だな。リン、いやリーン殿下。ここから気を引き締めて。動揺が隠せないのなら、今はカロール王子に会わないほうが良い。気持ちを整えておくのだ。とりあえず俺だけで対応しよう。この中にいるように」
ドーラ殿下にコクコクと頷いた。今、会うことは無理だ。きっと抱きついてしまう。『会いたかった』と泣いてしまう。でも、そんなことをすれば助けてもらったドーラ殿下の立場を悪くする。二国間の国交にも影響してしまう。リンは必死で自分の心をなだめる。
(大丈夫。僕はリーン殿下だ。記憶喪失の振りをしなくては)
目を閉じて深呼吸を繰り返し、零れてしまう涙を拭く。
馬車の外では軽快な音楽隊の歓迎音楽に人の話声。カロール殿下とドーラ殿下が挨拶をしているのだと思った。窓から中が見えたら困る。調子が悪い振りをして座席に身体を横にする。
その内にガチャリと馬車のドアが開く。ドーラ殿下が戻ってきたと思い上体を起こした。馬車の入り口を見てリンは固まる。
ドーラ殿下の後ろにカロール殿下がいる。ドーラ殿下の後ろから覗き込んで中を見ている。リンと目が、合った。驚いたようにカロール殿下の目が見開かれる。落ち着かせていたリンの心が動揺で波立つ。
「リーン、馬車酔いで辛いところゴメンね。アローラ国のカロール王子殿下が出迎えに来てくれている。アローラの国内は先導してくださるそうだ。同行しているリーンにも挨拶をしたいとお声掛けしてくれているけれど、起きられる?」
ドーラ殿下の後ろからリンを凝視しているカロール殿下が気になって、言われたことの理解が追い付かない。とりあえずコクリと頷いた。カロール殿下から目線が外せない。あまりの感動で息が上がる。
「いや、ドーラ王子殿下。調子が悪いリーン殿下を起こすことはありません。私が車内に入ってよろしいでしょうか?」
言いながらグイグイと馬車内に入ってくるカロール殿下。懐かしい声にリンの身体が歓喜に震える。フワリと愛おしい匂い。もう二度と嗅ぐことが出来ないと諦めていたアルファの匂い。リンは胸がいっぱいになって言葉が出ない。涙がこぼれないように堪えることで精一杯だ。
「いやいや、少し落ち着いてくださいって言う前に入って来てるじゃん。あ~~、もうお好きにどうぞ」
ドーラ殿下が正面に座りブツブツ言っているが、全部頭をすり抜けていった。カロール殿下がリンの身体にそっと触れて座席にリンを横たえる。もう触れられることがないと思っていたカロール殿下の腕だ。逞しい固い腕。高めの体温が服越しにも分かる。夢の様な出来事にリンの心臓が高鳴る。
「辛いのなら起きなくて良い。無理は、しなくていい。もう、苦しませたくない。リン、会いたかった。生きていて、良かった……」
リンにだけ聞き取れるほどの小さなカロール殿下の呟き。カロール殿下の腕に力が入りリンを一瞬抱きしめる。
リンは驚いてドーラ殿下を見るが、窓の外を見ていてカロール殿下の言動に気が付いていない。リンは胸を撫でおろした。そんなリンに微笑むカロール殿下。
「リーン殿下。お会い出来て光栄です。アローラ国第一王子カロール・ロディ・アローラと申します。長旅でお疲れでしょう。ここからは私がご一緒いたします。王都までの小旅行といたしましょう」
カロール殿下の凛とした声が馬車内に響く。
「……ザザ国ディラ公爵家三男の、リーン・ディラです。ザザ国王の甥になります。ドーラ王子殿下のお傍付きを拝命しております」
リンは覚えた自己紹介をそのまま口にした。何度も練習していたのに声が震えてしまった。
「ドーラ王子殿下、良ければ私が馬車内に同乗していきましょうか。アローラ国のご案内でもいたしましょう」
「いや、今日は遠慮しておきます。初対面の王子殿下が一緒となると、体調の悪いリーンの気が休まらないでしょう」
「そうですか。残念です。では明日以降の楽しみとします」
ドーラ殿下と話していたカロール殿下が再びリンに向く。
「リーン殿下。離れるのが辛いですが、また後程」
リンの手をそっと握るカロール殿下。またリンの心臓がドキリとする。
「磁器のように美しい手ですね。きっとエメラルドのブレスレットが良く似合う」
小さな呟きにリンの心臓がバクバクと鳴りだす。カロール殿下はリーン殿下がリンであることを見抜いているように感じる。カロール殿下の手もとを見ると黒ダイヤのカフスボタン。これはリンとジュエリーショップで買ったものだ。それを着けてくれている嬉しさと懐かしさにリンの頬が緩む。
「素敵な、カフスボタンですね」
つい口に出してしまっていた。少しの沈黙。カロール殿下の緑の瞳がリンを見つめる。余分な事を言ってしまったと思い、リンは顔を青くした。そんなリンにカロール殿下が頬をバラ色にして満面の笑みを向ける。懐かしい笑顔にリンの心臓が高鳴る。
「はい。最愛の人と買ったものです。愛する人の瞳と同じ色。黒曜の輝きです」
吸い込まれそうな緑の瞳がリンの瞳を覗き込む。リンの心臓がうるさいほど存在を主張する。
「さて、そろそろ出発しましょうか。ほら、外の音楽隊が演奏を続けっぱなしも可哀そうでしょう」
ドーラ殿下の言葉に助けられた。名残惜しそうにリンを振り返りながら、カロール殿下は馬車を降りた。
「では出発!」
凛と響くドーラ殿下の声。それに続いて音楽隊の軽快なラッパの音。城の侍従に見送られてドーラ殿下一行がアール・スモール城から出発した。
ザザ王都から来た王家近衛兵三十名と従者五名にドーラ殿下とリンで小隊を組んで移動する。王都からの騎兵近衛隊は精鋭部隊でどんな状況下でも対応できる戦闘能力があり生活能力も高い人たち。逞しく礼儀正しい彼らを見ると安心できる。
「おーい、リーン殿下。もっと偉そうにしてくれるか?」
「もう、勘弁してください。馬車内です。普通の呼び方にしてください」
振動がほぼ感じられない王族用馬車の中でリンは項垂れた。なぜリンが『リーン殿下』と呼ばれているのかと言うと、ドーラ殿下の思い付きだ。もう本当に勘弁してほしいと考え、リンは頭が痛くなる。
「ほら、水と酔い止め」
「……馬車酔いではありません」
呑気なドーラ殿下にリンは呆れてしまう。リンは従者の予定だった。しかし実際は『リーン殿下』というドーラ殿下の従弟として同行している。バレたらどうするんだよ、と不安で心臓が痛い。そんなリンを横目にドーラ殿下は楽しそうにしている。そんな殿下を見て、いつも溜息をついている爺の気持がよく分かった。
出発三日前。
「リン、何て言って良いのか……」
リンを見たまま首をかしげているドーラ殿下。鏡の中の自分を見て、これはダメだとリン自身も感じている。
「ドーラ殿下。僕の金の保護帯は首から外せません。コレがあると一目で僕だとバレます」
「だよなぁ。従者の制服は厳しいな。かといって侍女の服にすればもっと目立つ。万が一、正装を要求された時には首を隠しきれないか」
う~~ん、とドーラ殿下が唸る。確かに使用人の立場では上位の者に『この服を着てお茶会を』など誘われたら断れない。それが首や背中の出る服だったら王家の首保護帯とリンの焼き印が露呈する。
「やはり行くことは危険すぎます。僕は諦めましょうか」
最期の望みだったけれど、とリンは心の中で呟く。
「いや。諦めるな。方法はまだある。誰かに指示される危険がなく立場が守られる方法。手が出せない存在。そんな立場があればいいのだが」
「あはは。ドーラ殿下のお立場そのものですね」
「まぁ、そうだな。俺の立場ならアローラ国の誰の指図も受けないからな。服装も自由にできる。ん? そうか。リンがザザ国の王家の者となればいいではないか!」
楽しいイタズラを思いついた風なドーラ殿下の顔を見て、リンは「はぁ?」と首を傾げた。
「うん。そうだ。昔、俺の従弟で幼少期に事故で亡くなった者がいたな。王弟殿下ご子息だったはず。現王の孫甥姪まで殿下の名称が使える。その者の立場を借りよう。亡くなったと思われていた殿下が生きていた、とすればいい。バレたとしてもリンは記憶喪失で状況が分からず、周囲は勘違いをしていた。そうして殿下の立場に祭り上げられていたとすればよい。誰も悪くならん」
「はぁぁ? 僕がザザ国の、殿下に?」
「いいさ。王子の称号を持つわけじゃない。王族の端っこに位置するだけでリンの立場が守られる。アローラに行く間だけだ。いいじゃないか」
「そ、それは罪になりませんか?」
「悪いことはしていないさ。ちょっと勘違いしただけ、な? それにリンに似た者が従者にいるとアローラ国に探られるより、堂々と他人として顔出ししてしまえばいい」
楽しそうなドーラ殿下について行けず、傍に居る爺とリンは困った顔をするしかなかった。そして偶然にもお亡くなりになっている王弟ご子息の名が『リーン殿下』だった。「リンと名が似ている」と喜んだのはドーラ殿下だった。
馬車に揺られながらリンがザザ国のリーン殿下とされた経緯を思い出し溜息をつく。ドーラ殿下は奇抜と言うか天才というか、不思議な方だ。
「お、リン。不法の森に入るぞ。賊が来るかな。ワクワクするな」
「ドーラ殿下。真面目に本気で襲われたらどうするのですか」
「そのための精鋭部隊だ。そうそう負けない特殊部隊だぞ。そして何を隠そう一番腕がたつのは俺だ。スゴイだろう」
「はぁ」
「賊が来てさ、俺がカッコよく撃退してさ、そしたらセレスに『えぇ? 不法の森の賊に勝ったのですか?』とか驚かれちゃうかな。『カッコイイ、僕のことも守って』とか言われちゃうかな。ウへへへ」
妄想に入り鼻の下が伸びているドーラ殿下を放っておきリンは外を見た。
冬とは違い緑が美しい森。不法の森に捨てられた冬の記憶がリンの脳裏をかすめる。ズキンと背中の古傷が痛む。思わず左手で右肩を押さえて背中を丸くした。裁判にかけられた時の眩暈のする辛い気持ち。人に嘲笑される恥ずかしさ。暗い地下牢。チラチラと記憶が蘇りリンの気分が悪くなる。
「痛むか?」
優しい声。ドーラ殿下を見れば優しい顔でリンを見ている。先ほどまでの変態顔はすでに消えている。その変わり身の早さにリンは軽く笑う。
「百面相ですね」
「はぁ? 誰がだよ」
「いえ、何でもありません」
「いいか、リン。無理はしなくていい。辛いのなら移動中は薬で寝てしまってもいい」
ドーラ殿下の優しさにリンの頬が緩む。
「いえ、大丈夫です。やっぱり馬車酔いかもしれません」
「そうか。薬は早めに使えよ。我慢するな。そう言えば出会ったときにリンの傍にいた大フクロウはアローラに帰ったのだろうか。あのフクロウに導かれてリンを見つけたからな」
リンは窓の外を見た。木々の間から見える青空。空を飛ぶ美しいルーの姿を思い出す。
「ルーが無事ならいいのですけれど。あれから会っていません」
「きっと無事さ」
同じように外を見て「賊が来ないな。つまらん」と呟くドーラ殿下にリンは少し笑った。
事前に不法の森に『二国間友好の道』として道路を通したのはドーラ殿下だ。さすがに賊であっても、この道付近は手出しできないであろう。何しろザザ国とアローラ国の国旗が明示された道だ。「賊が出たら」などと言いながら、実際の安全確保は万全のドーラ殿下。ふざけているけれど、この人は優秀なアルファだ。
五百メートル程度の不法の森を進んだアローラ国境手前で隊が停止する。何事かと外を見ればアローラ国軍が歓迎の出迎えに来ている。
リンの心臓がドキリとする。
最前列に白馬に乗った輝く人。馬車窓からの遠目にも分かってしまう。カロール殿下。会いたかったカロール殿下がいる。目が離せない。感動と色々な感情が入り乱れて窓枠を掴むリンの手が震える。
「おいおい、王子殿下が国境まで出迎えかよ。想定外だな。リン、いやリーン殿下。ここから気を引き締めて。動揺が隠せないのなら、今はカロール王子に会わないほうが良い。気持ちを整えておくのだ。とりあえず俺だけで対応しよう。この中にいるように」
ドーラ殿下にコクコクと頷いた。今、会うことは無理だ。きっと抱きついてしまう。『会いたかった』と泣いてしまう。でも、そんなことをすれば助けてもらったドーラ殿下の立場を悪くする。二国間の国交にも影響してしまう。リンは必死で自分の心をなだめる。
(大丈夫。僕はリーン殿下だ。記憶喪失の振りをしなくては)
目を閉じて深呼吸を繰り返し、零れてしまう涙を拭く。
馬車の外では軽快な音楽隊の歓迎音楽に人の話声。カロール殿下とドーラ殿下が挨拶をしているのだと思った。窓から中が見えたら困る。調子が悪い振りをして座席に身体を横にする。
その内にガチャリと馬車のドアが開く。ドーラ殿下が戻ってきたと思い上体を起こした。馬車の入り口を見てリンは固まる。
ドーラ殿下の後ろにカロール殿下がいる。ドーラ殿下の後ろから覗き込んで中を見ている。リンと目が、合った。驚いたようにカロール殿下の目が見開かれる。落ち着かせていたリンの心が動揺で波立つ。
「リーン、馬車酔いで辛いところゴメンね。アローラ国のカロール王子殿下が出迎えに来てくれている。アローラの国内は先導してくださるそうだ。同行しているリーンにも挨拶をしたいとお声掛けしてくれているけれど、起きられる?」
ドーラ殿下の後ろからリンを凝視しているカロール殿下が気になって、言われたことの理解が追い付かない。とりあえずコクリと頷いた。カロール殿下から目線が外せない。あまりの感動で息が上がる。
「いや、ドーラ王子殿下。調子が悪いリーン殿下を起こすことはありません。私が車内に入ってよろしいでしょうか?」
言いながらグイグイと馬車内に入ってくるカロール殿下。懐かしい声にリンの身体が歓喜に震える。フワリと愛おしい匂い。もう二度と嗅ぐことが出来ないと諦めていたアルファの匂い。リンは胸がいっぱいになって言葉が出ない。涙がこぼれないように堪えることで精一杯だ。
「いやいや、少し落ち着いてくださいって言う前に入って来てるじゃん。あ~~、もうお好きにどうぞ」
ドーラ殿下が正面に座りブツブツ言っているが、全部頭をすり抜けていった。カロール殿下がリンの身体にそっと触れて座席にリンを横たえる。もう触れられることがないと思っていたカロール殿下の腕だ。逞しい固い腕。高めの体温が服越しにも分かる。夢の様な出来事にリンの心臓が高鳴る。
「辛いのなら起きなくて良い。無理は、しなくていい。もう、苦しませたくない。リン、会いたかった。生きていて、良かった……」
リンにだけ聞き取れるほどの小さなカロール殿下の呟き。カロール殿下の腕に力が入りリンを一瞬抱きしめる。
リンは驚いてドーラ殿下を見るが、窓の外を見ていてカロール殿下の言動に気が付いていない。リンは胸を撫でおろした。そんなリンに微笑むカロール殿下。
「リーン殿下。お会い出来て光栄です。アローラ国第一王子カロール・ロディ・アローラと申します。長旅でお疲れでしょう。ここからは私がご一緒いたします。王都までの小旅行といたしましょう」
カロール殿下の凛とした声が馬車内に響く。
「……ザザ国ディラ公爵家三男の、リーン・ディラです。ザザ国王の甥になります。ドーラ王子殿下のお傍付きを拝命しております」
リンは覚えた自己紹介をそのまま口にした。何度も練習していたのに声が震えてしまった。
「ドーラ王子殿下、良ければ私が馬車内に同乗していきましょうか。アローラ国のご案内でもいたしましょう」
「いや、今日は遠慮しておきます。初対面の王子殿下が一緒となると、体調の悪いリーンの気が休まらないでしょう」
「そうですか。残念です。では明日以降の楽しみとします」
ドーラ殿下と話していたカロール殿下が再びリンに向く。
「リーン殿下。離れるのが辛いですが、また後程」
リンの手をそっと握るカロール殿下。またリンの心臓がドキリとする。
「磁器のように美しい手ですね。きっとエメラルドのブレスレットが良く似合う」
小さな呟きにリンの心臓がバクバクと鳴りだす。カロール殿下はリーン殿下がリンであることを見抜いているように感じる。カロール殿下の手もとを見ると黒ダイヤのカフスボタン。これはリンとジュエリーショップで買ったものだ。それを着けてくれている嬉しさと懐かしさにリンの頬が緩む。
「素敵な、カフスボタンですね」
つい口に出してしまっていた。少しの沈黙。カロール殿下の緑の瞳がリンを見つめる。余分な事を言ってしまったと思い、リンは顔を青くした。そんなリンにカロール殿下が頬をバラ色にして満面の笑みを向ける。懐かしい笑顔にリンの心臓が高鳴る。
「はい。最愛の人と買ったものです。愛する人の瞳と同じ色。黒曜の輝きです」
吸い込まれそうな緑の瞳がリンの瞳を覗き込む。リンの心臓がうるさいほど存在を主張する。
「さて、そろそろ出発しましょうか。ほら、外の音楽隊が演奏を続けっぱなしも可哀そうでしょう」
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