20 / 44
二章 引きこもりの鬼
二章 8
しおりを挟む
「本当か?」
青みがかった瞳が懇願するような色を帯びる。マルセルはうなずいた。
「少し苦しい思いをするかもしれませんが、きっと満足のいく結果になるはずです。覚悟ができたら、今夜ここに来てください。お待ちしています」
マルセルはショップカードを青藍に渡した。
「わたしが経営する、あやかしの集うバーです」
青藍はカードに視線を落とした。
「……考えてみる。行かないかもしれない」
青藍はまだ迷っているようだ。
「マルセルさん。今ここでできることはないんですか?」
毬瑠子が尋ねた。青藍は店には来ず、このまま山に留まってしまうかもしれない。その可能性のほうが高い気がした。
「少し準備が必要なんです」
毬瑠子は唇をかんだ。もう充分、鬼は代償を払ったのではないか。そもそも土砂は青藍が起こしたことではないのだ。
「青藍さん」
毬瑠子は身を乗り出した。
「さっき、私にならなにをされてもいいと言いましたよね」
「ああ、言った」
「だったら、必ずお店に来てください。いいですね?」
青藍は瞠目して、まばたきを繰り返す。
「いいですよね!」
「……わかった」
気圧されたように青藍はうなずいた。毬瑠子はホッとする。
「よかった」
毬瑠子はふわりと微笑む。青藍はその顔を凝視した。
「忍……」
毬瑠子の姿が、数百年前の忍と重なっているようだ。
「私は忍って名前じゃない。毬瑠子っていうの。よろしくね」
「毬瑠子、か。わかった」
青藍は噛みしめるように繰り返した。
「店には行くから、一人にしてくれないか」
「毬瑠子、行きましょう」
マルセルは立ち上がって毬瑠子を促す。毬瑠子は後ろ髪を引かれる思いで立ち上がった。
「青藍さん、あとでね。必ず来てくださいね」
青藍は小さくうなずいた。
「本当に事情のある鬼が住んでいたんですね。ここにきてよかった」
「そうですね」
マルセルは手帳を取り出して、なにか書き留めている。
「毬瑠子、料理は得意ですか?」
「得意とは言えないけど、普通だと思います」
「では、今夜は店でこれを作ってください」
毬瑠子はメモに目を落とす。作ったことはないが問題ないだろう。
「これを作ったら、青藍さんがどうにかなるんですか?」
「わたしの予想が正しければ」
毬瑠子は不思議そうにメモを眺め、なくさないようにナップザックにしまった。
その夜、BAR SANGに着流しの青年がやってきた。鬼の青藍だ。物珍しそうにバーの内装を眺めている。
青藍が現れて毬瑠子はホッとした。入店時刻は夜七時、オープン時間ピッタリだ。青藍は期待して店にやってきたに違いない。
「いらっしゃい。ここに座ってください」
マルセルがカウンター席の中央をさし示した。カウンターにはもう一人、人型となった猫又のクロがちょこんと座っていて、足としっぽをプラプラとさせている。
「こんばんはにゃ」
クロに笑顔で話しかけられて、青藍は戸惑いがちに会釈をした。
「甘い匂いがする」
「小豆を炊いたの」
青藍のつぶやきに毬瑠子が答えた。
山でマルセルに渡されたメモには、小豆粥とその材料が書いてあった。
小豆は饅頭やどら焼きなどの和菓子でなじみがあったが、自分で小豆を炊いたのは初めてだ。砂糖を入れなくても、小豆からは甘い匂いがするのは発見だった。
小豆粥は炊飯器で簡単に作れるが、できるだけ伝統的な作り方をするよう毬瑠子は努めた。
これで青藍が救われるかもしれないのだから。
「なんだか、気分が悪くなってきた」
青藍は眉を寄せて胸を押さえた。
「少し我慢してください。小豆の匂いが効いている証拠でしょう」
「効いている?」
マルセルはうなずいた。
「穀物には魔よけの力があると、あなた自身が言っていましたね」
小豆粥は祭りなどのハレの日にふるまわれる料理の一つだ。
日本では邪気払いのために小豆粥を食べる風習があり、江戸時代の随筆『宮川舎漫筆』には「毎月三日に小豆粥を炊けば疫病神が入り込まない」と書かれている。中国でも疫鬼を祓うといわれている。
「どうぞ」
毬瑠子は青藍とクロの前に、ご飯が赤色に染まった小豆粥をゴマ塩と漬物と共に置いた。箸で挟みやすいように水分は少なめだ。お椀によそわれた粥から湯気が立っている。
「これを、食べるのか」
青藍は困惑している。
青みがかった瞳が懇願するような色を帯びる。マルセルはうなずいた。
「少し苦しい思いをするかもしれませんが、きっと満足のいく結果になるはずです。覚悟ができたら、今夜ここに来てください。お待ちしています」
マルセルはショップカードを青藍に渡した。
「わたしが経営する、あやかしの集うバーです」
青藍はカードに視線を落とした。
「……考えてみる。行かないかもしれない」
青藍はまだ迷っているようだ。
「マルセルさん。今ここでできることはないんですか?」
毬瑠子が尋ねた。青藍は店には来ず、このまま山に留まってしまうかもしれない。その可能性のほうが高い気がした。
「少し準備が必要なんです」
毬瑠子は唇をかんだ。もう充分、鬼は代償を払ったのではないか。そもそも土砂は青藍が起こしたことではないのだ。
「青藍さん」
毬瑠子は身を乗り出した。
「さっき、私にならなにをされてもいいと言いましたよね」
「ああ、言った」
「だったら、必ずお店に来てください。いいですね?」
青藍は瞠目して、まばたきを繰り返す。
「いいですよね!」
「……わかった」
気圧されたように青藍はうなずいた。毬瑠子はホッとする。
「よかった」
毬瑠子はふわりと微笑む。青藍はその顔を凝視した。
「忍……」
毬瑠子の姿が、数百年前の忍と重なっているようだ。
「私は忍って名前じゃない。毬瑠子っていうの。よろしくね」
「毬瑠子、か。わかった」
青藍は噛みしめるように繰り返した。
「店には行くから、一人にしてくれないか」
「毬瑠子、行きましょう」
マルセルは立ち上がって毬瑠子を促す。毬瑠子は後ろ髪を引かれる思いで立ち上がった。
「青藍さん、あとでね。必ず来てくださいね」
青藍は小さくうなずいた。
「本当に事情のある鬼が住んでいたんですね。ここにきてよかった」
「そうですね」
マルセルは手帳を取り出して、なにか書き留めている。
「毬瑠子、料理は得意ですか?」
「得意とは言えないけど、普通だと思います」
「では、今夜は店でこれを作ってください」
毬瑠子はメモに目を落とす。作ったことはないが問題ないだろう。
「これを作ったら、青藍さんがどうにかなるんですか?」
「わたしの予想が正しければ」
毬瑠子は不思議そうにメモを眺め、なくさないようにナップザックにしまった。
その夜、BAR SANGに着流しの青年がやってきた。鬼の青藍だ。物珍しそうにバーの内装を眺めている。
青藍が現れて毬瑠子はホッとした。入店時刻は夜七時、オープン時間ピッタリだ。青藍は期待して店にやってきたに違いない。
「いらっしゃい。ここに座ってください」
マルセルがカウンター席の中央をさし示した。カウンターにはもう一人、人型となった猫又のクロがちょこんと座っていて、足としっぽをプラプラとさせている。
「こんばんはにゃ」
クロに笑顔で話しかけられて、青藍は戸惑いがちに会釈をした。
「甘い匂いがする」
「小豆を炊いたの」
青藍のつぶやきに毬瑠子が答えた。
山でマルセルに渡されたメモには、小豆粥とその材料が書いてあった。
小豆は饅頭やどら焼きなどの和菓子でなじみがあったが、自分で小豆を炊いたのは初めてだ。砂糖を入れなくても、小豆からは甘い匂いがするのは発見だった。
小豆粥は炊飯器で簡単に作れるが、できるだけ伝統的な作り方をするよう毬瑠子は努めた。
これで青藍が救われるかもしれないのだから。
「なんだか、気分が悪くなってきた」
青藍は眉を寄せて胸を押さえた。
「少し我慢してください。小豆の匂いが効いている証拠でしょう」
「効いている?」
マルセルはうなずいた。
「穀物には魔よけの力があると、あなた自身が言っていましたね」
小豆粥は祭りなどのハレの日にふるまわれる料理の一つだ。
日本では邪気払いのために小豆粥を食べる風習があり、江戸時代の随筆『宮川舎漫筆』には「毎月三日に小豆粥を炊けば疫病神が入り込まない」と書かれている。中国でも疫鬼を祓うといわれている。
「どうぞ」
毬瑠子は青藍とクロの前に、ご飯が赤色に染まった小豆粥をゴマ塩と漬物と共に置いた。箸で挟みやすいように水分は少なめだ。お椀によそわれた粥から湯気が立っている。
「これを、食べるのか」
青藍は困惑している。
1
あなたにおすすめの小説
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
辺境伯夫人は領地を紡ぐ
やまだごんた
恋愛
王命によりヴァルデン辺境伯に嫁ぐことになった、前ベルンシュタイン公爵令嬢のマルグリット。
しかし、彼女を待っていたのは60年にも及ぶ戦争で荒廃し、冬を越す薪すら足りない現実だった。
物資も人手も足りない中、マルグリットは領地の立て直しに乗り出す。
戦しか知らなかったと自省する夫と向き合いながら、少しずつ築かれていく夫婦の距離。
これは、1人の女性が領地を紡ぎ、夫と共に未来を作る「内政×溺愛」の物語です。
全50話の予定です
※表紙はイメージです
※アルファポリス先行公開(なろうにも転載予定です)
五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~
放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」
大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。
生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。
しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。
「すまない。私は父としての責任を果たす」
かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。
だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。
これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
可愛らしい人
はるきりょう
恋愛
「でも、ライアン様には、エレナ様がいらっしゃるのでは?」
「ああ、エレナね。よく勘違いされるんだけど、エレナとは婚約者でも何でもないんだ。ただの幼馴染み」
「それにあいつはひとりで生きていけるから」
女性ながらに剣術を学ぶエレナは可愛げがないという理由で、ほとんど婚約者同然の幼馴染から捨てられる。
けれど、
「エレナ嬢」
「なんでしょうか?」
「今日の夜会のパートナーはお決まりですか?」
その言葉でパートナー同伴の夜会に招待されていたことを思い出した。いつものとおりライアンと一緒に行くと思っていたので参加の返事を出していたのだ。
「……いいえ」
当日の欠席は著しく評価を下げる。今後、家庭教師として仕事をしていきたいと考えるのであれば、父親か兄に頼んででも行った方がいいだろう。
「よければ僕と一緒に行きませんか?」
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる