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四章 雨降り小僧と狐の嫁入り
四章 1
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《……などの被害が深刻です。十五日間連続で雨が降り続いており、観測史上、十月の最長記録を塗り替える可能性も……》
室内用の物干しスタンドに洗濯物を干しながら、広瀬毬瑠子はテレビニュースの内容にため息をついた。
「服が乾かない……もう部屋に干すところがないよう」
六畳の一DKに住んでいるので、居住空間が濡れた服で占領されている。しかも生乾きの衣類から不快なにおいもしていた。
バイト先は高給で預金もあるが、乾燥機のような贅沢品を買うのは憚られる。
「いけない、そろそろ準備しなきゃバイトに間に合わないや」
雨の日は傘という普段は不必要なアイテムがあるせいで、人とすれ違うのに気を使う。視界が狭まって足場も悪くなるので、移動速度が遅くなるので、早めに家を出たい。髪が湿気で広がってしまうので、入念にスタイリングもしたい。身に着けるものには防水スプレーをして……などとやっていると、あっという間に時間が過ぎてしまう。
このところ長雨が続いていた。
異常気象だ。
気象予報士は長雨の理由をそれらしくテレビで解説しているが、とどのつまり原因不明らしい。
「雨っていやだなあ。早く晴れてくれないかな」
余計な作業が増えるだけではなく、太陽を見ないとなんとなく気がめいってしまう。雨が窓ガラスを打つ音を聞いているだけで鬱になりそうだ。
毬瑠子の住むマンションから自転車で二十分ほど、大通りから外れた閑静な街並みの一角に、毬瑠子がバイトをしているBAR SANGがある。木造の重い扉を開けると、真鍮のドアベルがカランと鳴った。
「こんばんは」
いつものようにバイト開始十五分前の十八時四十五分に店にやってきた毬瑠子は、店内に声をかけた。
「こんばんは、毬瑠子」
声をかけてきたのは店のオーナーで美貌の吸血鬼・マルセルだ。
「レインコートとレインシューズを新調したのですね。よく似合っています、今日も可愛いですよ」
マルセルは毬瑠子のちょっとした変化も見逃さず、毎回必ず褒めてくる。
「ありがとうございます、マルセルさん。いつまで雨が続くかわからないから、とうとう買っちゃいました。安くていいデザインのものがあったから」
外に出なくても、通販ショップで簡単に手に入るのでありがたい。
「あれ、シンクがピカピカになってる」
毬瑠子は店内の様子が違うことに気がついた。
「ええ、このところ太陽が出ていませんからね、すこぶる体調がいいんです。体力がありあまっているので店の大掃除をしました。このまま雨が続いてくれるといいのですけど」
毬瑠子とは反対に、マルセルは雨を歓迎しているようだ。
「お腹がすいたにゃ。毬瑠子、なにか作ってほしいにゃ」
六歳ほどに見えるサラリとした黒髪の少年が、住居のある二階からおりてきた。黒い耳と二本の尻尾を持つ猫又のクロだ。
この家にはもう一人、鬼の青藍も同居していて、最近は部屋でプログラミングの仕事をしているらしい。
「サンドウイッチでいい?」
「やったにゃ」
クロは嬉しそうにしっぽを振った。
「おう、来てやったぜ」
なじみとなったバリトンボイスに毬瑠子が振り向くと、予想通り桂男の蘇芳がドアから入ってきた。珍しく、胸には子供を抱えている。
百九十センチで体格のいい蘇芳が抱いていると小さく見えるが、八歳くらいの男の子のようだ。クロよりも少し大きい。
黄色と黄緑色が混じった水玉模様の鮮やかなレインコートを着ている少年は、小さい両手で顔を押さえて、ほとんど声を立てずにシクシクと泣いている。
マルセルは眉をしかめた。
「蘇芳、なにをしたんですか。さすがに子供を泣かせるような人だとは思いませんでした」
「バカ言え、俺がなかせるのはベッドの上だけだ」
薄く笑ってうそぶいた蘇芳はカウンターの中央の席に座り、膝の上に少年をのせた。
室内用の物干しスタンドに洗濯物を干しながら、広瀬毬瑠子はテレビニュースの内容にため息をついた。
「服が乾かない……もう部屋に干すところがないよう」
六畳の一DKに住んでいるので、居住空間が濡れた服で占領されている。しかも生乾きの衣類から不快なにおいもしていた。
バイト先は高給で預金もあるが、乾燥機のような贅沢品を買うのは憚られる。
「いけない、そろそろ準備しなきゃバイトに間に合わないや」
雨の日は傘という普段は不必要なアイテムがあるせいで、人とすれ違うのに気を使う。視界が狭まって足場も悪くなるので、移動速度が遅くなるので、早めに家を出たい。髪が湿気で広がってしまうので、入念にスタイリングもしたい。身に着けるものには防水スプレーをして……などとやっていると、あっという間に時間が過ぎてしまう。
このところ長雨が続いていた。
異常気象だ。
気象予報士は長雨の理由をそれらしくテレビで解説しているが、とどのつまり原因不明らしい。
「雨っていやだなあ。早く晴れてくれないかな」
余計な作業が増えるだけではなく、太陽を見ないとなんとなく気がめいってしまう。雨が窓ガラスを打つ音を聞いているだけで鬱になりそうだ。
毬瑠子の住むマンションから自転車で二十分ほど、大通りから外れた閑静な街並みの一角に、毬瑠子がバイトをしているBAR SANGがある。木造の重い扉を開けると、真鍮のドアベルがカランと鳴った。
「こんばんは」
いつものようにバイト開始十五分前の十八時四十五分に店にやってきた毬瑠子は、店内に声をかけた。
「こんばんは、毬瑠子」
声をかけてきたのは店のオーナーで美貌の吸血鬼・マルセルだ。
「レインコートとレインシューズを新調したのですね。よく似合っています、今日も可愛いですよ」
マルセルは毬瑠子のちょっとした変化も見逃さず、毎回必ず褒めてくる。
「ありがとうございます、マルセルさん。いつまで雨が続くかわからないから、とうとう買っちゃいました。安くていいデザインのものがあったから」
外に出なくても、通販ショップで簡単に手に入るのでありがたい。
「あれ、シンクがピカピカになってる」
毬瑠子は店内の様子が違うことに気がついた。
「ええ、このところ太陽が出ていませんからね、すこぶる体調がいいんです。体力がありあまっているので店の大掃除をしました。このまま雨が続いてくれるといいのですけど」
毬瑠子とは反対に、マルセルは雨を歓迎しているようだ。
「お腹がすいたにゃ。毬瑠子、なにか作ってほしいにゃ」
六歳ほどに見えるサラリとした黒髪の少年が、住居のある二階からおりてきた。黒い耳と二本の尻尾を持つ猫又のクロだ。
この家にはもう一人、鬼の青藍も同居していて、最近は部屋でプログラミングの仕事をしているらしい。
「サンドウイッチでいい?」
「やったにゃ」
クロは嬉しそうにしっぽを振った。
「おう、来てやったぜ」
なじみとなったバリトンボイスに毬瑠子が振り向くと、予想通り桂男の蘇芳がドアから入ってきた。珍しく、胸には子供を抱えている。
百九十センチで体格のいい蘇芳が抱いていると小さく見えるが、八歳くらいの男の子のようだ。クロよりも少し大きい。
黄色と黄緑色が混じった水玉模様の鮮やかなレインコートを着ている少年は、小さい両手で顔を押さえて、ほとんど声を立てずにシクシクと泣いている。
マルセルは眉をしかめた。
「蘇芳、なにをしたんですか。さすがに子供を泣かせるような人だとは思いませんでした」
「バカ言え、俺がなかせるのはベッドの上だけだ」
薄く笑ってうそぶいた蘇芳はカウンターの中央の席に座り、膝の上に少年をのせた。
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