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じゅん

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三章 絡新婦(じょろうぐも)の恋

三章 10

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 ジョロウグモはもじもじと足を動かした後、小さく、
「ごめんなさい」
 とつぶやいた。糸織の声だ。
「それはなにに対して謝っているのかな。正体を隠していたことに対して? きちんと理由を説明せずに僕から去ろうとしたことに対して?」
「両方よ。でも私の正体を知ったら、あなたを怖がらせると思ったから……」
 優之介はため息をついた。
「そりゃあ驚いたけどね。真相がわからないままになるより、よほどいいよ」
 そしてジョロウグモから視線を外し、思い出すように斜め上に目を向ける。
「僕は『夕鶴』を初めて読んだときに思ったんだ。なぜ正体が鶴だと夫に知られたら、夫のもとを去らなければいけないのか。裏切られたと夫が怒って追い出されたなら別だけど、夫は鶴を引き留めるのに勝手に出て行ってしまう。二度と人の姿になれないとしても、それでいいと夫は言うかもしれないじゃないか」
 そして視線をジョロウグモに戻す。
「きみもそうしようとしていたんだな」
「でも、こんな姿じゃ気持ちが悪いでしょ」
「その姿も綺麗だよ」
「優之介……」
 糸織の言葉が詰まる。
「これも仮の姿なのよ。本当は、人よりも大きい絡新婦なの」
 優之介の瞳が輝いた。
「へえ、それはすごいな。その姿も見せてくれないかな。今まで触ったのは手のひらサイズのタランチュラが最大だったから、楽しみだよ」
「本気で言ってるの? 怖くないの? 私は人じゃないのよ」
「僕がそんなことを気にするように見えていたのかい? 敵意があるなら恐ろしいけど、中身はきみだろ」
 ジョロウグモはふるふると震えた。
「優之介!」
 人型に戻った糸織は座っている優之介に抱きついた。淡黄のワンピースと腰まである黒髪が艶やかに広がった。
「なんだ、まだ人間に化けられるんじゃないか」
「せっかく私から離れてあげようとしたのに。もう絶対に離さないから」
「そうしてもらえるとありがたい。きみのような魅力的な女性とは、二度と出会えそうもないからね」
「本当にバカなんだから……」
 糸織は優之介の肩口に顔を埋めて華奢な肩を震わせた。その背中を大きな手で優之介が優しくなでる。そのまま優之介は毬瑠子に視線を向けた。
「きみ、さっきは糸織がいると教えてくれてありがとう。もし声をかけられていなければ、糸織を見つけられずに帰っていたかもしれない。そうしたら、きっと糸織に会うことはできなかっただろうな」
「いえ、そんな……」
 毬瑠子は赤くなって手を振った。
「あなた、名前は?」
 糸織が振り返った。
「毬瑠子です」
 そう答えると、糸織は指先で涙をぬぐいながら毬瑠子の前までやってきた。
「ありがとう、毬瑠子」
 糸織が毬瑠子の右手を両手で包む。
「ちっ、上手くいっちまったか、面白くねえな。当てられちまった、そこらで遊んでくるわ」
「やめておきなさい、蘇芳」
 蘇芳は背を向けたままマルセルに軽く手を振ると、店を出て行った。
 マルセルはやれやれと首を振る。
「失礼な男で申し訳ございません」
 マルセルが二人に謝った。
「いえ、こちらこそお店で騒いでしまって、すみませんでした」
 優之介と糸織が頭を下げた。
「いいえ。それよりも一杯飲んでいきませんか? 仲直りのお祝いにごちそうしますよ」
 優之介と糸織は顔を見合わせ、カウンター席に腰を下ろした。
 マルセルはブランデー、ホワイト・キュラソー、レモン・ジュースをシェイカーに入れて振った。氷がシェイカーを叩く心地よい音が鳴る。
 それを見ながら、蘇芳さんにはホワイト・キュラソーが切れていると言ってたのに、と毬瑠子はこっそり思う。
「どうぞ、サイドカーです」
 二人の前にオレンジ色のショートカクテルが置かれる。糸織は早速、口をつけた。
「フルーティで美味しい。ね、優之介」
「うん、飲みやすい」
 二人は微笑みあった。
 そんな二人を見てマルセルも笑みを深めた。
「カクテルにはメッセージが込められています。サイドカーは『いつも二人で』。優之介さん、糸織さん、末永くお幸せに」
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